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封印の鏡

おそらくこれも船で遠い地からはるばると運ばれてきたのだろう、道に敷き詰められた小石を踏みしめながら鏡が置かれているという教会を目指す。

 アスマークは海の南側に位置している。つまり、海に向かって左手側に教会はあるのだ。ウミネコ亭を含む商店街――住宅街でもある――は丁度アスマークの中央部に位置し、港までは一直線に道がのびている。イリスは一度海岸に出てから教会に進もうと考えていた。

「で、どうだったの?」

 イリスがひじで小突きながら言った。

「なにがですか?」

「手応えに決まっているじゃない! 脈ありなの? なしなの?」

「はい?」

 訊かれていることが理解できず、素っ頓狂な声を出す。イリスは、「照れちゃってー」と、相変わらずロートの肩のあたりを叩いている。

 心なしか、歩調が早い。

「さっきの子、ヘアンちゃんだっけ? なかなか可愛い娘だったしね。当然、趣味とかは調査済みでしょ?」

「……ひょっとして……僕に変な気があるとか思っていません?」

 ロートが眉をひそめる。イリスは、もちろんそうだけど? という表情で頷いた。

「大丈夫よ。恋愛感情は決しておかしいことじゃないから。自分に素直になりなさい、それが勝利への方程式よ」

 全く当てにならないようなアドバイスをさらけ出す。

 勘違いも甚だしい。

「…………はあ」

 しっかりとイリスの耳に届くよう、大きめの溜息をこれ見よがしに吐き出した。

 これは恋の病ね、と決めつける。愛しい人のことを思うと、自然に憂鬱な気分になるものだ。ロートもまさにその状態にあるのだろう。

 一人で合点して、心の中から応援を送る。がんばりなさい! と。

「僕は、別に……スキとかそういうことじゃないですから」

 イリスの誤解を直すにはいったいどれくらいの時間がかかるだろう、と計算する。はっきりいって、めどが立たない。最悪、一生解けないかもしれない。

 二人の隣を、酒に酔って赤くなっている漁師と思しき男たちが大声で下品に笑いながら通り過ぎていった。アルコールのにおいに、顔をしかめる。

「まったく――未成年に酒の香りをかがせるとは何事かしら」

 案外、飲酒させたら簡単に告白するかもわからないな。などと不穏なことを想像する。

 ロートは自分の師の顔をまじまじと見上げて、

「今、僕にお酒を与えようとか考えていませんでしたか」

「え? あ、あははは。そんなこと微塵も思ってないわよ。――なに? その全く信じていない瞳は」

 時々、異様に勘の鋭いわが弟子に軽い畏怖を覚える。

 ロートは肩をすくめて、イリスのじめっとした視線をはねのけた。

「いや、師匠の紫色の目が心情をありありと語っているように思えたもので」

「あんたにはあたしを信じる心ってものはあるの」

 ロートの皮肉が利いた口調に、イリスが切り返す。信じない、が正解であるのだが。

 今までの言動からすれば、ロートの反応は自然なものだ。それよりも、自分の行動について理解していないイリスに問題があるだろう。

 自分に自信がある、というのは自分を見ていない、という裏返しであるのかもしれないけど。

「……微妙ですね」

「なによ、その『微妙』っていう曖昧な答えは」

 勿論、師匠であるから信頼していなければついていくことはできない。それでも普段の態度からして――目に余るワガママやかなり自分勝手な所など――全幅の信用が置けるわけでもない。それらを考慮して、微妙と言った。

 ……なんで微妙としかいえないのだろう。虚しさがこみあげてくる。

「僕の素直な気持ちです」

 きっと、反抗期なのだろう。ロート位の年頃なら一度は訪れるはずである。

 イリスはわかったように神妙な表情を作った。温かく愛弟子を見守る視線へと、眼差しを変更する。ロートは急に一変したイリスの態度にぎょっとした。


 再び、せわしなく往来する船と広い海原の見える地にやってきた。アスマーク全体に漂っている潮の香りがひときわ強く感じられる。海から吹く、磯の波を乗せた風はイリスの長い髪を大きく揺らしている。

 昼に近づいて、来着する商船の数も増えているようだ。太陽が昇るように明るくなった雰囲気が流れ、和やかな声も聞こえる。暮らしを立てようと楽器を持ちだして演奏する者もちらほらと見受けられ、いかにも港町といった音楽が海に響いていた。

「鏡、だっけ」

 イリスが唐突に切り出した。

ロートの恋愛模様に夢中で、詳しい話はまだ聞かされていなかった。これからその『鏡』が安置されている教会に向かうのだから、予備知識がなくてはならない。

「はい。どうにも海神の指輪のほかに、鏡があるようです。何故だかは知りませんが……」

 詳しい話は教会にいるであろう司祭に伺うことにしている。昔話や伝説といった類のものは、その土地の聖職者がよく知っていることが多い。学者がその立場にあることもあるが、やはり地元に根付いた者の方が堅実である。

 先祖代々、伝承されている話を訪問者に教えるのも仕事の一つと言えるだろう。

「賢者が人の愚かさを懸念して、なにか対策を練った――みたいなニュアンスでしたけど」

 汽笛が鳴る。石炭と積み荷をふんだんに背負った商船が海をかき分け、大きく帆を張って走り始めた。

「賢者か――よっぽど人を信用していなかった、というよりは人の本性をしっかり理解していたんだろうね。でなければ、そんなことはしない」

「そうですね。僕も、師匠と同じ考えです」

 ロートは小さく頷いて、つきあたりの角を左に曲がった。その際、少しだけローブが翻って風にはためく。

パタパタ、という音がイリスの耳に届いた。

「にしても、賢者かあ……どんなお宝を持っていたのかしら」

 よだれが垂れそうな勢いで、妄想を開始する。ロートは、またかという思いで足を止めた。

「例の指輪をはじめ、着ているローブから、はいていた靴まですごい効能のものばかりだったのよねえ。きっと」

「そんな魔力だらけのものを使っていたら疲れませんかね」

「賢者だから大丈夫よ」

 根拠のない自信をひらけかし、イリスはうっとりとした視線をどこともなしに送った。

 瞳がいつも以上に輝いている気がする。

「憧れるわねえ……賢者……」

 一時期、本気で魔法や空飛ぶ箒というものに熱中したことがあった。結局、現代には伝わっていなかったのだけれど。それでも、羨望の感情は消えてはいなかった。

 昔を思い出す。ああ、歳だなあと実感したり――。

「って、あたしはまだまだ若いんだけど!」

「勝手に盛り上がって、勝手につっこまないでください!」

 ロートが切り返す。ハタ迷惑も甚だしい。こんな人の弟子をやっていると、やたらと精神力だけがたくましくなっていく気がする。その内、何を聞いても平然と構えられるようになってしまうのだろか。器が大きい、とはちょっとずれているだろう。

「そうよね、ロート?」

 自分よりも若い者に同意を求めるのもどうかと思ったが、否定しないと血の海を見るような予感がしたので大きく首を縦に振って肯定の意を示した。

「よろしい、よろしい」

 満足したように自分の頬を撫でる。張りのある肌は、未だに老いを知らなかった。なんの手入れもしていないのに、これほど良い状態を維持できるのはなぜだろうか。

 時々、自分でも不思議に感じる。その度に、きっと「綺麗であれ」という天啓であるのだろうと納得するのだ。

「……それでも、あんたの方がすべすべなのよねえ。ロート、ちょっとこっち向きなさい」

 ろくなことにならない未来予想図が脳裏を駆け巡る。国家予算ほど積まれても断りたかったが、そうもいかないのが悲しいところだ。

 ゆっくりと、いやいや振り向く。僅かに距離をおいたのはせめてもの抵抗だった。

 イリスはそんなことお構いなしで、あっという間に差を縮めるとフードの下に隠された端正な童顔をしげしげと見つめた。思わず、一歩だけ後ろに足が動く。

「なんですか、いったい……」

 どうせ生意気だからつねってやろうとか考えているのだろう。イリスの紫色をした瞳に捕えられながら、さりげなくいつでも防御に移れる態勢をとる。

 イリスがその様子に気付いていないことを祈りながら。

「――やっぱり女の子にしか見えないわ」

「ぐっ!」

 まさか精神的な攻撃で来るとは。しかも心に深く残る傷跡を的確に抉っている。

 大げさとも思えるほどの渋い形相で心臓をつかみ、訊く。

「きゅ、急にそんなこといわなくてもいいじゃないですか。しかも人が気にしてることを……」

 自分の悪戯で困る大人達を見守る子供のような笑みを浮かべ、イリスはロートのほっぺたをつかんだ。

「ひゃ、ひゃめて~」

 面白がるイリスの術中にはまるように、変な言葉を発してしまった。つねられているので、うまく喋ることができない。

 実に愉快だ、とばかりにイリスは笑った。そして、ようやく弟子から手を離す。

 赤くなっているところをさすりながら、ロートはうっすらと涙の滲んだ眼を拭った。予想以上に痛かった。

「あんたはもうちょっと男らしくなりなさいよね」

 そんなことは痛いほど分かっている。

 ロートはふてくされたように、ひりひりとする頬を撫でた。熱を帯びていて、触れると温かい。

「……ヘアンちゃんに嫌われちゃうわよ?」

 やっぱりそこに帰結するのか。ロートはしばらくこのネタでいじられそうだと踏んで、大きく嘆息を漏らした。


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