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新たな冒険


「ロート、ちょっと来て」

 船自体はさほど広いわけでもなく、船頭から船尾まで走って一分もかからないだろう。その中ほどに船室があり、横には階段が付いている。要は二階建てになっていて、その上からイリスは呼びかけていた。

 二人のほかにも元から雇い入れられていた者たちが、ちらほらと見える。善戦ゆえか、手傷を負った者はいても倒れた者は一人もいなかった。だからこそ、なんとか積み荷を守り切れているのだ。

「なんですか」

 正面の敵二人を相手にしながら、ロートが振り向かずに叫び返す。右側の一人が斧で振りかぶってきたのを反転しながら避けて、黒い刀身を胴に叩き込んだ。鈍い悲鳴をあげて、そのまま動かなくなる。

 もう一人も激昂したように武器を振り回しているのを見逃さず、軽く受け流しつつ蹴りを入れる。体勢を崩した男はそのまま落下し、海の藻屑となり果てた。

 破裂音のような、最期の波がいくつもの波紋をつくってはさざ波に変わる。

 ロートはようやく一息ついて、短い階段を一段飛ばしで駆けあがり、イリスのもとに近寄った。

 ついでに近くにいた髭面に一撃を入れて、ノックアウトする。短い悲鳴は、誰にも聞き取れなかった。

「――遅い! 来いと言ったら十秒以内に来なさい。のろまって呼ぶわよ」

「そんなこといっている場合じゃないでしょう。どうしたんですか?」

 こんな時に、カモメの鳴く声が聞こえた。

 ひょっとしたら、落ちた死体を喰らう魚を狙っているのかもしれない。

「そろそろ疲れてきた。だから一気に決めようと思って。当然、やることは分かっているわよね」

 確認というより、既に決定事項だった。

ロートが返事をする前に手にした銃を地面に置き、みるみる巨大化させていく。倍になり、そのまた倍になりついに口径が頭ほどの大きさになったとき、イリスが絶叫した。

「どっけえええ――――!」

 次の瞬間、大砲と化したボニタ・ソニオから弾丸が打ち出され、自船のそばで寄生するようにまとわりついていた小舟に命中した。粉々に砕け散った残骸を呆気にとられて見つめる海賊たちをよそに、イリスはさらに一発、二発と容赦なく追撃をかける。

 ようやく状況を呑み込んだ敵がイリスを集中的に狙ってくるが、その前にロートが立ち塞がり薙ぎ払っていく。取り囲むように集まってきた者たちも、手が空いた味方によってどんどん数が減らされていった。

 次々に討たれていく海賊。

 半数は船の上で倒れ、半数は海の中へ叩きつけられるような衝撃とともに葬られる。サメの餌食となるのも時間の問題だろう。

 その間にもイリスは砲撃を続け、ついに残るは船上の敵のみとなった。周りには破壊された木船の欠片がぷかぷかと浮いている。辛くも魚のえさとなることを免れた幸運な者たちがしがみついていて、今にも沈んでいきそうではあるが。

「てめえぇ! よくも俺たちの船を! 許さねえぞおおおお!」

 愛船を撃沈され怒り狂った船長格の男が、いくつも傷の付いたひと際大きな斧を構えてイリスに突撃した。その声を聞きつけてロートが庇いに行こうとするが、まだいくらか残っていた敵によって進路をふさがれ、近寄ることができない。

 海風に紫色の長髪をたなびかせ、いつの間にか銃を小型に戻したイリスは男の攻撃をいとも簡単に避けると、無防備になっている背中に弾丸を浴びせかけた。男は声を上げるでもなく、ゆっくりと倒れていく。

 ボニタ・ソニオの能力で、撃たれた者は痛みを感じないためだ。それに、流血することもない。

「まったく……ロートの役立たずめ」

 盛大にくしゃみをした弟子は実に頑張っているのだが、そんなことは露知らず。

 状況を確認しようと甲板を眺めまわす。敵はどうやら親玉が倒されたことによって戦意を喪失したようで、ほとんどが切られたか海に飛び込むかしている。

 どのみち助かる可能性は万に一つもないだろう。

 生きるか死ぬかの壮絶な世界で生きる猛者の運命だ。

「――あー、疲れた」

 特に問題がなさそうなのを見て、呑気にあくびをする。

 船旅も嫌いではないのだが、どうにも肩がこって仕方無い。原因は歩きまわるには狭すぎる面積にあるのだろう。海の姿も千変万化ではあるものの、一日中見続けているとさすがに飽きが来る。

退屈しのぎも含めて海賊退治を楽しんでいた。もちろん正当防衛であるから、気兼ねなく戦える。

人を殺すのに理由もへったくれもないのは承知してはいるが、敵にもそれなりの覚悟がある。そうでなければこんなに危険な稼業をやっていけるはずがなかった。

「ロート、片付いたー?」

 首を回したり、伸びをしてみたりして体をほぐす。錆びついた関節がいくつか音を立てて、パキペキと鳴るのが聞こえた。

 呼びかけられた少年はちょうど最後の相手を難なく蹴散らすと、イリスの方へ向き直った。あいも変わらずフードをかぶったままで、ピンクの髪は隠されていた。ところどころ、返り血が付いている。

 サーブル型の剣を柄だけの状態に戻し、懐にしまうとロートは返事をした。

「終わりました。そちらはどうですか」

「言わなくても分かるでしょ。問題なしよ」

 それならば、自分だって聞かなくても分かっていただろうに、と口の中でもごもご呟く。

 イリスはさして気にとめた様子もなく、髪を撫でつけていた。本人としては軽い運動のつもりだったのだが、少々乱れて気持ち悪かったのだ。

 長い髪は絡むことなく、根元から先まですんなりと指が通る。潮風にやられて傷んでいてもおかしくはないので、何もしなくても完璧の状態を保てるというのは羨ましい限りである。

 それに加えて、海面の他に見るものがない男たちの目の保養になる、整った美しい顔立ちをしているのだから、女性にしても男性にしても、憧れの的であった。

「ちゃんと血は落としときなさいよ。生臭くってたまらないから」

 元から魚のかなり強烈なにおいが漂っているのではあるが、何にもましてイリスは血が嫌いなのだ。その他、苦痛やむさくるしい男も嫌悪している。

 ロートもそれを十分に理解していて、なるべく師匠の苦手なものは避けるようにしている。

「わかっていますよー」

 肩をすくめながら了解の意を示す。

 イリスはそれを一瞥すると、どこまでも広がる大海原に銃弾を一発、撃ち込んだ。

 弾丸はどこまで行くともしれず、放物線を描きながら速度を落としていく。ゆっくり、ゆっくりと。川面に投げた小石が抵抗を続けながら沈んでいくように、青い水中へと潜った。

「海神の指輪、か」

 倒れた海賊たちを海の中に投げ込んでいく、とても水音には思えない音がイリスの耳に届く。

 海鳥の数はさらに増えていて、虎視眈々と獲物を狙っていた。

「舞台は港町――アスマーク」

 畳んでいた帆を張り直して、船が風に乗って滑りだす。

 

目的の地へと。新たな冒険へと。


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