なぞなぞ
「転ばないようにしなさいよ。転んだらあたしも巻き添えなんだから」
「わかってますよ」
それならば自分の足元も照らしてくれればいいのに、と思いながらロートが返事をした。
ゆっくり進んでいくにつれて、空気が冷たくなっているのが感じられた。ひんやりと朝の冷気のような冷気が肺を満たす。
最深部に足がつくと、イリスがたいまつを頭の上にかかげた。
随分と長い時間、光を浴びることのなかった通路がその姿をあらわしていた。その横には、何やら液体の入った溝が延々と彫られている。
イリスは怪しげな液体をしげしげと眺めると、指を浸した。ぬるり、という感触が伝わってくる。
「油、ね」
「油ですか。いったいなんのために」
ロートが首をひねる。イリスは子供のように目を輝かせながら、燃え盛るたいまつを油に近づけた。ロートは、ああ、と納得したような表情をつくるとともに、苦笑した。
油に引火して、光の線が迷路の中を走っていく。その様を見ることができたのは目の前の通路が直線である範囲内だけだったが、地下迷路全体が明るくなったのは確実だった。
まったく……これを自分でやりたかったというのだから、子供でしかない。旅人であるためには、いつまでも子供心を忘れてはいけないといわれるけれども、少しは大人の貫録というモノを見せてほしい。
イリスのぱぁあっと嬉しそうに笑う表情を眺めながら、ロートがいった。
「急ぎましょう。時間はないんですよ」
「そんなこといわれなくても分かっているわよ。こんな素敵な仕掛けが施されていたら、やる気が出て仕方がないわ。さっさと踏破してしまいましょう。さ、地図をよこしなさい」
イリスは差し出された巻物をひったくると、ひとり先行して迷宮に足を踏み入れた。
小鳥のように自由気ままなイリスの後をロートもあわてて追ったのだった。
地下の天井はごつごつと硬そうで、何本かつららのように飛び出た岩石がある。教会から延びる地下通路は、海に向かっているようだった。海水が入ってこないのは、伝説の賢者がなにか工夫を凝らしていったためだろうか。
さびれた建物のように、すぐに崩れてきそうな雰囲気はない。ロートはスキップで先を行くイリスの後を、なんとか視界の端でとらえながら追走していた。
直線は、入口の方にほんのわずかにあっただけで他はほとんど遭遇していない。曲がっては進み、曲がっては進みの繰り返しだ。
ロートは前にいるであろう師匠へ声をかけた。
「ちょっと待って下さいよ。迷子になったらどうするんですか」
「なに? あたしにパンでも撒いていけっていうの」
イリスの声はどんどん遠ざかっていく。
「あっ、出口が見えたわ」
イリスは嬉しさいっぱいといった様子で、光の差し込む扉を指さしている。地図があるとはいえ、迷路を踏破したことで満足したのだろう。その表情に陰りはなかった。
これから大舞台に向かうのに、あまりに能天気なのも問題だろうが。
ロートが小走りで追いつく。息一つ乱れていない。道は入り組んでいたものの、距離はそう長いものではなかった。緊急時には有効なつくりだ。
「この先にあるのでしょうか」
「あるに決まっているじゃない。こんな意味ありげな詩が書かれてるんだから、間違いないわよ」
「えーと……」
古びた文字が石の扉に彫りこまれている。美しい、流れるような字体だ。詩の周りはさまざまな文様で飾られていて、見ているだけで時間が過ぎ去って行きそうだった。
「――この扉より先にあるものは、時に汝の身を救う宝となり、時に汝の世界を滅ぼす剣となろう。汝、この力を悪用せんとする者ならばその果てにあるものは富でも名声でもなく滅びとなろう。汝、この力を平静と安寧のために使う者ならば、その力は汝を助ける盾となろう。さあ、進め救世主よ。汝が求める指輪はひとつの真実の向こう側にある。嘘と偽りによって生み出された道は、深き海の底へと続く。汝が正しいと思う真実を選べば、自然と道は示されるであろう。汝に幸あらんことを――だそうです」
「なら文句はないわね。なんていったって、あたしたちは正義のためにわざわざ危険を冒してこんな辺境まで来ているんだから。これで罰があたったりしたら、非難ごうごうよ」
イリスが、正義、という部分を強調しながらいった。
「そうですね。急ぎましょう」
ロートが頷く。イリスが扉を押すと、案外スムーズに動いた。これも賢者のなせる技ということだろうか。
油の仕掛けはどこからかつながっていたようで、円形の部屋には炎が灯っていた。前方に、三つの新たな扉がある。それぞれ大きく文字が書かれていた。
ひとつは、金。ひとつは、夢。ひとつは、愛。
部屋の中央には石碑が置いてあった。表面が良く加工されており、わずかな凹凸もない。ロートの身長とちょうど同じくらいの高さだ。そして、石碑には碑文が刻まれていた。
ロートが読み上げる。
「世界に溢れているのに、皆が求めるもの。無限であるのに、貰える者と貰えない者がいるもの。汝の心に、満ちているもの」
まるでなぞなぞのようだ。イリスが真剣な目つきで短い謎かけを凝視する。刻まれた軌跡から、答えを読み取ろうとしているかのように。
「どれもあてはまりそうですね。何が答えでも、おかしくはないと思います」
扉の一文が脳裏をよぎる。汝が正しいと思う真実を選べば、自然と道は示されるであろう。イリスの方を見た。笑っている。もう解けたのだろうか。
「そうね。あたしもそうだと思う。だから、ロート。あんたが好きな道を選んでいいわよ」
「……師匠はもう答えが分かっているんでしょう。だったら、教えて下さいよ」
「いやよ。あんたが考えなさい。あたしはそれに付いていくから」
イリスがいった。ロートは師匠の紫色の瞳をただ見つめていた。どこまでも澄み切った、偽りのない眼差し。空のようでも、海のようでもある。
「そこまでいうのなら、なにか根拠があってのことなんですよね」
「さあ?」
イリスが意地わるげに微笑む。ロートは肩をすくめて、石碑の文章に見いった。
すべてに当てはまるようで、すべてに当てはまらないような気がする。だが、とにかく金だけではないだろう。欲望にまみれた答えを出してもしかたがない。となると後は、愛か夢だ。
――夢、も自己中心的な意味合いがある。それに、ここでは必要のない要素だろう。――ここから導き出される結論は……。
「愛、ですかね」
「ふうん。ならそっちに行く?」
イリスはロートの答えを聞くやいなや、愛と書かれた扉に手をかける。小さな迷える少年は、あわてて制止した。
「もうちょっと持って下さいよ。もし間違っていたらなにがあるか分らないんですよ」
「時間がないって言ったのはあんたでしょう。なら早く決断しないともっと危ないんじゃない。あたしは従うだけだから」
「むう……」
師弟の間で火花のちるような視線のやり取りが交わされる。相手の表情から、しぐさから、瞳から心理をはかろうとしているかのように。
大きな地響きが起こった。ロートもイリスもバランスを崩して、地面に手をつく。石でできた床はひんやりとしていて、自分の手がいかに火照っているか気付かされた。
決意を秘めるように、大きく息を吸い込む。
「――わかりました。それなら、僕はこの道を選びます。――愛を。世界に溢れているのに、皆が求めて。無限なのに、与えられた人と与えられない人がいて。そして、僕が今、想っていること」
静かに、愛と書かれた扉を押した。答えの真意を問うように、ゆっくりと開いていく。イリスはロートの後ろに控えてうすら笑いを浮かべていた。
火ではない他のなにかが光源になっているようで、空間全体が薄らと光に包まれている。心が落ち着くような、懐かしい光。
次でおしまいです。




