ホアジー山賊団
アスマークは漁業と商船の向い入れなどによって成り立っている港町である。カモメが浜風に乗って舞い上がり、埠頭から濃い青色の海面を見透かせば群れて泳ぐ小魚の塊がいる。
街には鼻をくすぐる潮の香りが満ちていて、ちょっぴり生臭い魚が水揚げされていたりする。
典型的な港町。
山賊などという集団が最も似合わない場所だ。それなのに、ホアジー率いるホアジー山賊団はロートを襲っている。海の男にでも転向しようというのか。
時は少しさかのぼり、イリスがヘアンに広場で戦闘が行われるということを説明していた頃合い。ロートに誘われるようにして引き連れられた山賊団が一人を囲んでいた。
少しの間、睨み合いが続いて。先に口を割ったのはホアジーだった。
「俺らがなんでここにいるのか、教えてやろうじゃねえの」
何の脈絡も予兆もない。いきなり話し始めたのである。これにはロートも意表を突かれた。
ロートが黙っていてもホアジーは構わずに続ける。酔っぱらいは時に感傷的になる。なんとも理解しがたい生き物だ。
「最近はどこもしけててなあ、通るのはスズメの涙くらいしかない金をもったやつか、無一文で何も持ってないようなやつばっかりだ。で、そいつらから通行量をせしめているおれ達としては当然収入が少なくなってな。この大人数を養えなくなった」
ならばリストラなり転職なりをすればいいのに。苦境に立たされているからといって何もせずに立っているだけでは世間の荒波にのまれていく。それがたとえ武器を持ち、力を持った者であっても。
感情が乗ってきたのか、ホアジーの身振り手振りが大きくなった。
「金持ちは通らない。行商人も通らない。飯も金も底を尽きた。それでもおれ達はあきらめなかった。辛抱強く節約して、慣れ親しんだ山の中で木の皮をはぎ、キノコを採り、イノシシを狩った。これじゃまるで猟師だ。何のために山賊やってるんだよ、山森の宝を蓄え、きれいな女を抱え、贅沢な暮しをするためだろ? ええ?」
ホアジーの感情がこもった演説が心に響いて、子分達がほろほろと涙を流し始めた。本当に苦しい生活だったのだ。
うんうんと頷きながら男泣きする山賊達を見て、ロートは不思議な感情を抱いていた。夢を追う方法も人それぞれだ。同じ終点なのに、逆の方向に歩いている。心にわだかまる運命という存在への疑問。なぜこうも違うのか。
「俺達は新天地を求めた。新しい夢と希望をつかむために、な。長年親しんできた、俺らの故郷――山を捨てたんだ。もう俺らに帰る場所はない。行き先は、海だ。大海原を駆け巡り、七つの海を支配する。それが俺らの新しい目標になった」
山がだめだから海とは。何と短絡的な思考だろう。
海賊にもノウハウがある。第一に船を手に入れなければならないし、襲い方も戦い方も大きく違ってくることだろう。先に縄張りを持っている海賊たちとの小競り合いもある。
リスクの大きい、無謀な挑戦。後先を考えてのことではない。踏み出すためにはあえて危険な未来を見ないことも重要だが、計画もなく飛び出していくのは無理がある。
これは放っておいても自滅するな。そう判断する。
「で、今日は記念すべき旅立ちの初日だったんだよ! 目いっぱい酒飲んで景気づけて明日からがんばっていこうって時に、てめえが水を差したんだ! その意味が分かるか!」
さあ、と首を横に振ってみせる。ホアジーは地面を蹴りつけた。ガリッと鈍い音がする。
「俺らの大切な日をぶち壊しにしたんだ、それ相応のことはしてもらおうじゃねえか」
それはお互い様だという愚痴は胸の奥にしまいこんで。弓で射るようにしてホアジーの顔に付いた傷跡を凝視する。白く、広がった傷。
ホアジーはロートに負けじと睨みかえした。ぶつかり削られていく目と目の戦いが飛び火して、囃したてていた子分達が口をつぐむ。
ヘアンが到着したのはそんな場面であった。
波はいい。押しては引いて、寄せては帰っていく。いつまで見ていても飽きることがない。表面は複雑に反射する光と澄み切った青空に彩られていて、すくいあげたら消えてしまいそうだ。
けれども山賊が殴りかかる様は、押しては避けられ、掴みかかってはかわされる連続だった。小柄で身軽なことを身上とするロートにとって、大型の船のようにぶつかれば破壊力はあるものの見極めやすい拳は脅威ではなかった。
風圧を感じるくらいのきわどい攻防を繰り返しながら、ロートは数に押されていることに気付いていた。
たしかに、誰の拳も食らってはいない。ダメージはないのだ。しかし、それだけなのである。細々と反撃を繰り出すものの、相手を気絶させるほどの一撃には及ばない。
厄介なことに、敵は素手だった。あくまで喧嘩の範囲を超えないのである。
住宅の窓からは一連の騒動に興味を示している住民たちの顔がちらほらと覗いていて、彼の愛剣――インフィニト・ノイテを抜けば、すぐに発見されてしまうだろう。
切りつけて致命傷を負わせでもしたら、即衛兵に捕まって牢獄行きだ。いくら正当防衛といっても相手は何も持っていない。それに対して武器を使うとはどういう量見だ、ということである。
証言もかき集められるだろう。
イリスがその気になれば簡単に脱獄させられるだろうが、ロートの名前は全国に指名手配される。どうやっても陽のあたる生活は無理だ。
「ちょっとやばいか……でも、あたしは関係ないし」
隣にいるヘアンに気づかれないように舌打ちする。彼らは徐々にひと気のない方へ向かっている。
「ヘアンが言っていたことになりそうだけど」
方向は海に向かって左側。つまり、戒めの鏡がある教会に近づいているのだ。
回避には間合いが不可欠。距離をとり続けなければならない。決定打を与えられないロートがじり貧になっていくのは火を見るより明らかだ。
「まあ、あたしが手を出したら意味ないわ。元はといえばロートがしくじったんだし」
言い訳気味に納得する。
任命責任などという言葉は最初から存在していない。失敗した方が悪いのだ。
強い風が吹いてイリスの紫色の髪を撫でていく。それは同時にヘアンの金色の髪をも浮き立たせて。
冷たい風だった。
うすら笑いを浮かべるホアジーの愉快そうな表情からは、彼が計算してロートを小路へと追い込んでいるのか、それともただ単にいたぶり続けるさまを見て楽しんでいるだけなのか、判断できない。
それでもロートはじりじりと抗うこともできず、蟻地獄に落ちた無力なアリのようにもがき、抵抗する。
風に舞う木の葉が、掴もうとする手をひらひらと逃げていく。時に浮き上がり、時に急降下し、潜り抜けてはバックステップで距離をとる。
そんなことを繰り返している内に、街灯が消え、月の明かりだけが辺りを照らす。時折、雲が満月に覆いかぶさると、ほんのりと光を放つアスマークの街が小さく見える。
「面倒くさい……なんだか眠くなってきたし、寒いし――かえろうかしら? あなたもそろそろ戻った方がいいんじゃない? 風邪ひくわよ」
イリスがあくび混じりに言った。前半部分は押し隠して、後半の部分は小刻みに体を震わせる小さな少女に向けて。
「そんなこと……できません。私が変なこと言ったからこんなことになっちゃって――」
固く握った拳は、寒さではないものによってわなわなと揺れている。
責任と無力感。
「でも、こんなところまで来ちゃって、お母さん心配するわよ」
「大丈夫です。出かけるとはいってありますから」
ヘアンはイリスと視線を合わせようとせず、少しうつ向き気味にロートの方を見つめている。半袖のシャツから延びる腕には鳥肌が立っていたが、顔は紅潮している。唇がかみしめられていて、イリスは腕を頭の後ろで組んだ。
「ルイスに一喝してもらおうかしら――あんまり迫力なさそうだけど」
分厚い聖書を膝の上に置きながら、しわの刻まれた相好をくずすルイス。夜は早そうだが、ひょっとしたらこの騒ぎで目を覚ましているかもしれない。足が不自由だから出てこられないだけで。
夜の景色は昼間とはうって変わって、色が映えない。その代り、輪郭や音といった普段とは違う雰囲気を感じ取ることができる。
人が夜になるとうきうきし出すのはここらへんに理由があるのかもしれない。
「そんなことはないんですよ、司祭様は怒るとすごく怖くて。前に一度、教会の中で暴れた人が居て、その時の形相と言ったら――いまでも語り草になるくらい」
「ふーん……じゃあ、起こしてくるか」
自分が手を出すのも辛気臭い。平和的に解決するには、ルイスに頼むのが一番手っ取り早いだろう。
イリスはヘアンの冷え切った手をとった。
「ルイスっていつもどこで寝てるの?」
「司祭様は足が悪いから――たぶん、教会の中に専用の部屋があったと思います」
「そう。じゃあ、目覚めてもらいましょう。このバカ騒ぎもそろそろ納め時だわ」
一瞬、可愛いパジャマ姿でいたらどうしようという考えが頭をよぎって、吹き出してしまった。
我ながらくだらない妄想だ。
「どうしたんですか」
「いや、なんでもないから……ふふふ」
いつか思い出し笑いに登場しそうだ。どうにも脳味噌が飽きてきていることを意識しながら、イリスはヘアンを引っ張る。
その間にもロートは戦闘を継続していた。殴っている方も疲労が蓄積してきたようで、動きが鈍っている。対するロートは伊達に過酷な経験を積んでいるわけではなく、未だステップは軽快だ。タンタンとリズミカルな音を立てながら、回避に徹する。
もう少し我慢すれば、必ず隙ができる。今でも隙があることにはあるのだが、それを狙っていては数につぶされる。
視界の端でイリス達が教会の中に入っていくのを確認する。
何を考えているのか、大体の想像はつく。つくづく人の手を煩わせるのが好きな人だ。単に飽きっぽくて面倒くさがりなだけかもしれないけど。




