【4滴】裏舞台
突然姿を現したその女性に驚きを隠せずついつい大声を上げてしまった。しかもそれは本日2度目。
「うわっ!だ、誰ですか!?」
その表情に女性は満足気な笑みを浮かべた。どうやら最初から驚かす気だったらしい。
「おー、マーリン」
すると女性を見たノアが手を軽く上げながら話しかける。
それに反応したのは挨拶された女性ではなく優也の方だった。
「え?知り合いなの?」
「そういうことよ。少年」
だが答えが返ってきたはノアからではなくマーリンと呼ばれた女性から。再び彼女に視線を戻すが、もうそこには誰も居ない。
優也が目の前で起こった不思議な出来事に首を傾げていると左側からあの声がした。
「もしよかったら、アタシがこの子の変わりに話してあげよっか?」
声の方向を見るといつの間にか先ほどまでノアが座っていた場所に――優也の正面にマーリンが、その隣にノアが座っていた。そのマジックのような出来事に優也はマーリンが今座っている場所とついさっきまで座っていた場所を交互に見てしまう。
そんな優也を肴にするように手に持っていたカップを口に運ぶマーリン。そのカップは優也が自分で飲むために持ってきたココアのカップだった。それに対し思わ伸びる手。
「あっ!それ僕の...」
「固いこと言わないの。それよりどうするの?」
「えーっと。それじゃあ、お願いします」
彼女の正体、なぜ一瞬にして移動できたのかなど分からないことだらけでていまいちスッキリとしない。そんな雲がかったような気持ちだったが、とりあえず両手を膝上に乗せ会釈程度に頭を下げた。
そしてマーリンは手に持っていたカップをテーブルに置いてから話を始めた。
「いいわ。でもまずは、アタシたちのことから話すわね」
「お願いします」
「アタシの名前はマーリン・V《ヴァン》・ウッツィネスト。そして彼女は...」
まず自分の名前を名乗り自己紹介をすると次にノアの方を見た。
「もう大丈夫みたいね」
「まぁ一応?」
どう呼べばいいかを決めたという意味では大丈夫だが本当の名前という意味では大丈夫ではなかったため、その返事には若干の疑問が紛れ込む。
だが会話はそんな疑問をスルーし進んでいく。
「さて、さっきも言ってたけど彼女は吸血鬼よ。吸う血の鬼と書いて吸血鬼。そして、アタシは...」
するとマーリンは言葉を止め組んだ脚の膝上に腕を置き、頬杖をついた。そして楽しそうな笑みを浮かべる。
「何だと思う?」
「えーっと...」
突然出された問題に文句や愚痴が出るわけでもなく優也は自然と考え始めた。思考しながらヒントを探しマーリンの観察を始める。そんな視線を両手を広げて受け止めるマーリンのつま先から頭までを一通り眺めていった。
そしてぱっと見で浮かんだ言葉をそのままに口にするが自信のなさがその口調に現れていた。
「魔女...とかですか?」
だが、焦らすようにすぐに答えは返ってこなかった。
そして沈黙の中じっと目を見つめるマーリンはわざとなのか不気味さを帯びた微笑みを浮かべている。優也はその雰囲気に呑まれ緊張気味だった。
「正解」
だはそう言うと同時に先ほどまでの微笑みはすっかり消え、打って変わりニッコリとした優しくも可愛らしい笑顔へと変わった。
「どうして分かったのかな?」
「その帽子が魔女っぽかったからですかね。あと、格好とか」
彼女の被っていた大きなとんがり帽子を指差しながら説明した。
それに対してマーリンは満足そうに何度か頷く。
「そうよね。あなたたち人間の魔女へのイメージはこうだからね。被ってきて良かったわ」
そう言いながらとんがり帽子を頭から外し少し眺めた後に真上へ投げ捨てると、一瞬で煙となり消えて無くなった。だが先程目の前で人が瞬間移動したのを見た優也にとって今更帽子が消えることはインパクトに欠け内心で「おっ!」と思っただけだった。
「でも、いきなりアタシは魔女でこの子は吸血鬼ですって言われても信じられないわよね」
「正直に言うとそうですね」
「でも、これは君の種族が人間であるようにアタシは魔女、この子は吸血鬼って言う単純な話しよ」
だが例え単純だとしてもそう簡単に受け入れられる話ではなく、それ故に優也は何も言うことが出来ずにいた。そんな彼の目を見たマーリンは何を言いたいのかを察した様子だった。
「魔女や吸血鬼なんておとぎ話の世界にしかいるはずがない」
また思っていたことを的確に当てられた優也は思わず感情を漏らす。今の彼の表情を見れば多くの人が言葉など無くともその心中が読み取れるほどに。
「まぁ、普通に生きていればアタシたちと人間が関わることはまず無いから仕方ないわね」
「ということは少なからず関わっている人間がいるってことですか?」
「少なからずね」
するとマーリンが脚を組み直したことで彼女がブーツを履いていることにやっと気が付いた。
「あの、それ脱いでもらっていいですか?土足で上がられるのはちょっと」
「あら。ごめんなさい。もっと早く言ってくれたらよかったのに」
言われた通りブーツを脱ぎ捨てると帽子同様に煙となって消える。ここまできたら優也も慣れたものでそれが当たり前であるかのように特に何とも思わなかった。
「さて、こころからが本題よ。なぜ犬族に襲われていたのかについてね」
「種族間の問題とかそういうことですか?」
「種族間というよりはこちら側全体の問題ね」
「こちら側...ですか」
「そう。あなたたち人間を表舞台と例えるのならこちら側は裏舞台。以前はアタシたち側にも裏舞台のまとめ役がいたんだけどね。簡単に言うなら王。だけど王って言っても代々受け継がれてきたような存在じゃないんだけど。まぁその王をしてたのが...」
言葉を止めたマーリンは顔を横に向け隣で船を漕ぐノアの方を見た。その視線を追い優也の目もノアを見る。
「吸血鬼ですか」
「えぇ。ちなみに王をしてたっていうのはこの子の父親ね」
「ということは、王女様!?」
ノアを指差し目を見張りながら少し大きめの声を出す。それは彼女が優也の想像する王女様像とはかけ離れていたからだった。
「王女ではないと思うけど」
「でも、なら早く家族のところに帰してあげたほうがいいんじゃ...」
「家族ねー」
するとその言葉にマーリンはどこか哀愁漂う笑みを浮かべた。
「吸血鬼一族はもうこの子だけよ」
「え?」
「元々数の少ない種族だったんだけど《《あるヤツ》》に狩られてしまったの...」
「それって僕たちが色んな国に分かれてるようにいろんな勢力があってその争いに負けたってことですか?」
「少し似てるわね。だけどこれはこの国に住む者の問題。海の向こう側にもアタシたちのような存在はいると思うけど、今回の件に関しての関わりは一切無いわ。恐らくだけどね。まぁ今回のことを分かりやすく言うとすればクーデター。ってところかしら」
「王様である吸血鬼を良く思ってない者たちがいたってことですね」
優也は軽く頷きながら自分で呟くように言った理由に納得していた。それは彼女が言い表した表舞台でも起きたことがある事で、実際にそのクーデターにより指導者が変ったというニュースを優也も目にしたことがあったからだ。
「良く思ってないのはほぼ全種族だと思うわよ」
「でも、その王様は裏舞台のまとめ役だってさっき言ってましたよね?」
「言い方を変えたほうがいいようね。まとめ役というよりは抑制していたと言った方が正しいかしら。王といってもみんなに支持されてなったわけじゃない。誰も彼に勝てないって分かってから従ってたのよ」
「それって独裁じゃ?」
「弱肉強食。強者に従うか死ぬかそういう世界なのよ」
彼女は一息つくためかカップを手に取った。その様子を人間の世界とは違い野性的な彼女らの世界に少し気圧された優也はただ見つめていた。
「じゃあ、今狙われてるのって。残党狩りってことですよね?」
ココアを流し込んだマーリンはカップをテーブルに戻してから優也の確認のような疑問に答え始めた。
「ある《《やつ》》にとってはそうだけど、他の種族がこの子を狙う理由は別よ」
「他の理由ですか?」
すると瞬きをしたほんの一瞬の間に、座っていたはずのマーリンは消えソファを挟んでノアの後ろに立っていた。あまりにも一瞬のことで最初はどこに行ったか分からなかったが視界の端にその姿を捉えると彼女へと遅れて視線を合わせた。
「それは..」
マーリンはそう言いながら前屈みになり、座ったまま眠るノアの首に両手を回して軽く抱きしめた。そして、右手の指先で首筋から耳までをなぞり始まる。ノアは眠りながらくすぐったそうにしていた。
「この子を食べるためよ」
そう言うと左耳を甘噛みした。
その言葉は最初聞き間違いかと思うほど物騒で人に使う言葉とは思えない単語だった。
「た、食べる、ですか..?」
優也は動揺で言葉を詰まらせてしまう。
そして噛まれたことで目を覚ましたノアは特に痛がる様子は無くただ眠そうに大きなあくびをした。
「そうよ。分かっている範囲は。だけど」
「ど、どういう意味ですか?」
まだまだ聞きたいことは山積みで質問のマシンガンを撃ち込みたい程だったがその時、マーリンの少し後ろへどこからともなく男が現れた。
お手本のようにきれいな立ち姿の男は容易に執事を連想させる燕尾服を着て、両手には白手袋を嵌めている。鋭くも知的さを感じる切れ長の目、長身でしっかりとセットされたオールバックが良く似合うその執事は男の優也から見てもカッコいいと思える容姿をしていた。
そんな男の登場にノア以外の視線が集まる。
「失礼いたします」
男はまず優也に向かって丁寧に頭を下げた。
「マーリン様、ご夕食の準備が整いました」
「あらアモ。もうそんな時間なのね」
「はい」
男から報告を受けたマーリンは優也へ視線を戻した。
「それじゃあ、話の続きはまた今度ってことで」
そう言って笑顔で手を振るとマーリンは、優也の返事は待たず近づいてきたアモと共に姿を消してしまった。
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様々な本が至る所で山を成し、棚や本の山頂などには様々な種類の雑貨が置かれた部屋。そこにマーリンとアモは姿を現した。
そして先に歩き出したアモが丸いテーブルの近くに置かれた椅子を引きそこにマーリンが座る。
「なぜあのような人間に我々のことを話したんだ?」
「我々って随分と馴染んできたようね」
「・・・」
「ふふ。別に怒ってるわけじゃなわ。――そうねぇ。アタシの勘だけどね」
「勘?」
「彼なら適正だと思うわ。多分、成功する」
「あの男がそれを拒んだらどうする?」
「もちろんその時は...」
言葉を続ける代わりにマーリンは不気味な笑みを浮かべた。