王子は今日も婚約破棄を叫ぶ
定番の婚約破棄ものが書きたくなりました。
お目汚し失礼します。
「バカルター王家第一王子、バートン・タークス・バカルターの名の下に貴女との婚約を今この時をもって破棄する」
「かしこまりました殿下。本当に…、本当にお世話になりました」
王都のカフェの片隅で。静かに落ち着いた口調ながら前触れもなく始まった青年と少女の婚約破棄。しかし周囲の人々に少しの動揺もない。婚約破棄された少女も溜まった涙が零れ落ちないように堪えているが、その顔に怒りや悲壮感はなく、深々と頭を下げる姿にはむしろ深い感謝さえ見て取れる。
「慰謝料は国王陛下達の個人資産から即座に支払われる。貴女は薬学の才を持つ素晴らしい女性だ。未来に幸多からんことを祈る」
「―ありがとうございますッ!殿下のお陰で上級学校に進むことができます!この御恩は新薬の開発で必ずお返しいたします」
「何度も言うが、私は本来ならば貴女の家が受け取る筈だったものを返しただけに過ぎないのだ。でも、多くの人々を救う未来の薬学博士の誕生に私が少しでも手助けできたのなら嬉しく思うよ」
あどけなさの残る少女と見目麗しい青年は、卒業生と恩師みたいな会話の後にカフェを後にした。
「なんだい、今の?」
出来の悪いドッキリのような事態を、カウンター席で一部始終見守っていた男はカフェ店員に質問を投げかける。
店員はその問いこそが驚きだと言わんばかりの表情で一瞬だけ目を見開き、すぐまた顔面に笑みを貼り付ける。
「お客様は王都は初めてですか?」
「あぁ、昨日着いたばかりだ」
「先ほどのは、いわば王子殿下の贖罪です。彼の方の父君、母君がなさらなかった分の」
*****
バートン・タークス・バカルターは馬車の中で深い溜息を吐いた。12歳から続けて早5年、あの件の被害者の多くはその後の足取りを追うことができたが、一向に手掛かりの掴めない家もある。母の元婚約者だったピーター・フォーク男爵もその一人だ。
時は20年ほど昔に遡る。
「バカルター王家第一王子、ルイス・バカルターの名の下に、ジョゼフィーヌ・ローゼン公爵令嬢との婚約を今この時をもって破棄する!!そして新たにこのコニー・アイランド男爵令嬢と婚約を結ぶ!」
めでたきよき日の建国祭。王族の姿をひと目見ようと人々が集まった広場に、喧しい声と芝居がかった大仰な身振り手振りでぴったり寄り添う若い男女が躍り出た。そして唖然とする王家と国民の前でこれ見よがしのドヤ顔を極める。
「ジョゼフィーヌ・ローゼンは身分を振り翳し、あろうことか、この可憐なコニー・アイランドを悪虐な方法で痛めつけた悪女!もはやこの国に置いてはおけぬ!」
「あたしぃ、怖かったぁ〜」
すっかり静まり返った広場でがなり立てるルイス王子の声は王城のバルコニーまでしっかり通り、「本日はお日柄も良く」などと言っていた国王は見る間に青ざめた。隣に立つ王妃と王女は扇を広げて側仕えに何やら指示を出すと、優美にドレスを翻して室内に戻っていく。そして重鎮たちも次々と後に続いた。
「うわぁ…よりによって今日このタイミングかよ」
広場で誰かが呟いた言葉が、総てだった。
その後、ルイス王子とローゼン公爵令嬢の婚約は公爵家側から正式に破棄され、アイランド男爵令嬢がルイス王子の新たな婚約者に収まった。
“10年以上も自分に尽くしてくれた高貴で貞淑な令嬢を棄てて頭空っぽな売春婦紛いの女に乗り換えた下半身脳みそ男”
と
“相手構わず冤罪を吹っかけ婚約者のいる男も体で釣る見境なしの万年発情女”
のカップルの爆誕である。この出来事は千里を越え、瞬く間に国内全土は勿論、来賓として参会していた他国の王族や大使らによって大陸全土に広まった。
王家は、いや、国王は悪評を払拭すべく情報操作に乗り出したが時すでに遅し。「身分を超えた真実の愛」だの「悪女の妨害にも負けず育てた愛」だの、聞こえの良い言葉を並べてみても、ここは生き馬の目を抜く王都。ありもしない噂に踊らされるボンクラは高額な地代を払って商売なぞできず、市井の人々、特に女性の目は更に厳しくなるばかり。
うっかり王子らに同情した男も居るには居たが、妻や母に鉄のフライパンで殴られるのはまだいい方で、時には包丁だって飛んでくる。
「アンタもまさか外に子供拵えてんじゃないだろうね?!」
てな具合である。
そもそもルイス王子は国王と愛妾の子。便宜上“王子”と呼ばれているけれど私生児のため王位継承権はない。“ バカルター”の姓も勝手に名乗っているだけで、そしてそれを王が許しているだけで、本姓は別にある。
公爵家との婚約は愛息子に不自由な思いをさせまいとする国王の一方的な要求から調えられたことを知らない者は、少なくとも王都に居ない。そんな中で馬鹿息子可愛さにやらかした国王の悪あがきは、ローゼン公爵家からの慰謝料積み増し案件になっただけだった。
幸い、ローゼン公爵令嬢は大国出身の王妃の伝手で新たな嫁ぎ先を得、国外で幸せにやっているらしい。
――これが物語ならばメデタシ、メデタシで終わったかも知れない。
しかし、現実はそう上手くいかない。
まず非難されたのは、やらかした2人の肉親。それから事業や婚約などで縁を結んだ家、義理でもなんでも親しくしていた家と続き、余波は同門の家々にまで及んだ。
誰だって国や公爵家に睨まれたくはない。共同事業の撤廃や貸付資金の回収などなど、機を見るに敏な貴族や銀行が一斉に手を引いたことで立ち行かなくなった家が続々と出現した。けれども国庫は公爵家への莫大な慰謝料ですっからかん。むしろマシマシ分の借財まである始末で、とても諸々の賠償まで手が回らなかった。
国王と王妃の間に生まれた王女も荒国の次期王というハズレクジを引いてなるものかとばかりにさっさと王妃の母国に引き取られ、王太子の座は空いたまま、そのうちお花畑の2人に愛の結晶が生まれた。それがバートンだ。
王妃によってマトモな教育を施された彼は未来の王太子として国政に携わるうちに使途不明金の存在に気付き、それが公爵家への慰謝料と聞かされ慄いた。そして
「ねーえルイス様ぁ?退屈だしぃ新しいドレスも欲しいしぃ王家らしく盛大な夜会でも開きましょうよぉ〜」
とか
「将来ダイヤモンドの採れる鉱山が今なら格安で手に入るらしい!王妃の母国で勝手に公爵夫人だのに収まっている異母妹に支払いを命じる手続きをしてくれ!なに?無理だと?この俺を馬鹿にしているのか?!」
とか
己が仕出かした事態をまるっと忘れている両親と、
「子供が仕出かしたことは親が責任を負わなくては」
と言いつつ甘やかして居るだけの祖父にブチ切れ、迷惑を被った家々を探し出して謝罪行脚と当時の慰謝料を祖父や両親に支払わせるために婚約破棄を繰り広げているわけだ。
当然、国王らからは止めるよう再三にわたって抗議されたが、
・市井での婚約破棄くらいでは親子の縁は切られない。
・子供の行動によって生じた慰謝料は親が支払う。
ことは過去の事例が証明しているし、ルイス王子の場合と異なり、国庫からの支出ではない。実親に似ず聡明なバートンは王妃に相談した上で、彼らの個人資産の8割を上限に慰謝料の総額をセッティングしている。それでも足りない場合に備えてバートン自身も事業で資産を増やしているが、今のところ出番はなさそうだ。
「バカルター王家第一王子、バートン・タークス・バカルターの名の下に貴女との婚約を今この時をもって破棄する」
だから今日も、王都のどこかで王子は婚約破棄をする。
*****
「へぇ。律儀なお方だねぇ」
「えぇ。妃陛下と殿下が居られなければこの国はお終いです」
店員の話が途切れたところでバタバタと街なかを駆ける影一つ。
「監督!フォーク監督ー!演者が揃いましたので劇場にお越しくださーい!どこですかー?」
「おっと時間か。会計を」
「お客様はもしや、劇作家のピーター・フォーク様でいらっしゃいますか?」
「おや、知ってるかい?嬉しいね」
「大衆演劇の祖と名高いお方、知らぬ人などおりますまい。来春の公演が待ち遠しいほどですよ」
「耳が早いね。――ご馳走さん、これからも贔屓にさせて貰うよ」
カフェを出た男は劇場への道すがら、遠目で見た青年の姿を思い出す。王都でも一、二を争う大劇場に演目を告げる大看板が立ち、そこに母の元婚約者の名があったなら、彼はどんな顔をするだろう。そう思えば、ピーター・フォークの口元は自然と緩む。
「俺への慰謝料はそうさなぁ。20年分の思い出話でもして貰おうか」
2021年の最終作です。最後までお読みいただきありがとうございました。
どうかよいお年をお迎えください。また来年もよしなに。