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宵闇の絆

作者: FUJIOKA
掲載日:2021/10/27

登場人物


語り手


店の親父

弥一

住職

暗闇の男

銀次




えー、お話を一席申し上げます。

世の中にはいろんな方々がいらっしゃいますね。

どんな人がいるかなんてのは、とても一言で言えたものじゃない。


背が高いのもいれば、低いのもいる。

お金持ちのお大尽もいれば、その日の稼ぎで暮らすのもいる。

いい人もいりゃあ、悪い人もいる。

……ですが、その線引きってのは、一体何処にあるんでしょうかねえ?


昔から悪い男ってのは、いるものでしてね。

悪い人のすることってのは、飲む、打つ、買うの三拍子と大体相場が決まってます。

今じゃあそんなことしてる人は滅多に見かけなくなったが、昔はまだまだそんな人らもおりましてね……。


…名前を、弥一と申します。


そいつの名前がでるってえと、飲み屋の親父たちが一斉に店を閉め始めるんです。「弥一が来ねえように」って。

その日も呑み屋の連中が何処からともなく「弥一がこの辺に来ている」って話を聞きつけましてね、次から次へと店を閉め始めました。

…ですが、まあ中には間の悪い奴ってのはいるもんでしてね。「近所がやけに早くに店を閉めやがる。今日はなんかあったかな?」と、ぼんやりそんなこと考えていると、


店の親父「あ!弥一だ!弥一の野郎がここに来てやがるんだ!急がねえと!」


と思って閂かけに扉へいくと、


弥一「……邪魔するよ。」


ふらりと弥一が入ってくる。

年の頃なら二十七、八。スラリとした好い男でございます。

切れ長の目をして、一見優男かと思いきや、空気気配が伊達じゃない。何処か険のある、そんな男でございます。

『かあああ、間に合わなかった……。』心の中で舌打ちしながら、親父は今日の稼ぎを諦める。

弥一が入ってくるのを見るや否や、「巻き込まれては迷惑千万」とばかりに、他の客はそそくさと勘定を済ませて出て行っちまう。弥一はそんなことにはお構いなしに、椅子に座って


弥一「燗をくれ。」


と一言。

……それから、何も言わずにただ杯を重ねてゆく。


×××


……どれだけの時間が経ったのか。店には親父と弥一のみ。弥一は黙って酒を呑む。弥一がこの店にいることを、周りは聞きつけたんでしょう。誰一人として入って来ない。シビレを切らした店の親父は紙包みを手に弥一のところへ。


店の親父「…旦那、申し訳ありませんが、そろそろ看板なんですよ。」


恐る恐る、声をかける。弥一はなんにもいわず、盃を眺めるだけ。


店の親父「……こいつは…へへへ、ちぃとばかり少ねえでしょうが、迷惑料ってことで……。」


スッと包みを差し出す。弥一はここでやっとそれを一瞥し、


弥一「なんだい?これは。俺は別に頼んじゃあいないぜ?」


弥一の刺すような視線に冷や汗を垂らしながら、親父は愛想笑いを浮かべる。


店の親父「へへへ、どうにも相すみません…ここは一つ、これでご勘弁を……。」

弥一「……そうかい。それじゃ仕方ねえ。邪魔したな。」


言って、包みを懐にしまう。

そのままゆらりと立ち上がり、店を出てゆく弥一。

後ろでは店の親父の「またのお越しを」という気のない声が聞こえてくる。


×××


弥一「シケてやがんな。」


いつもの調子で巻き上げた金、懐の紙包みを確認しながら、弥一は一人ごちた。


ーーーとはいえ、金は金、どこの賭場に行こうかねえ?


そんなことを考えながら、ゆらりゆらりと往来を歩く。

時のころは丑三つ時。辺りは真っ暗でございますが、賭場はこれからが盛りの時間でございます。

……ふと、弥一の目に留まったのは、前からこちらにやってくる人影。

歩く度に、シャリン、シャリンと音がなる。

目を凝らしてみれば、袈裟に脚絆、笠を目深にかぶった修行僧。手には錫杖を持っている。


ーーーこんな時間まで、ご苦労なこった。


特に気にもせずに、弥一は行き過ぎようとする。

すれ違う刹那。


住職「弥一?…弥一じゃないか?」


修行僧から、声がかかる。


弥一「……お前さんは?」


自然と身構える。懐の匕首を確認する弥一。こんな時間、いくら僧の格好をしているからと言って油断はできない。恨みを持つ者は星の数。荒事になったことも数えきれない。


ーーーさて、誰だったか。


弥一は冷静に相手を見る。


住職「忘れたか?ああ、こんな夜中じゃ顔が見えんか。」


言って、僧は無造作に弥一に近寄り、クイっと笠を押し上げる。


住職「この顔、忘れちまったか?」


弥一はじっと相手を見つめる。強張ったのもつかの間、確かに見覚えがある。

…あれはいつだったか…もっとずっと前、まだ自分がーーー子どもの頃。


弥一「あっ!お前はー」

住職「思い出したみたいだな。元気そうで何よりだ。」


カラカラと笑う僧。


弥一「ジジイこそ、まだそんなことやってんのか。…真面目っつーか、熱心なこったな。」


自然と弥一も力が抜ける。


住職「そう言うお前は、……随分と変わったな。うちの境内に遊びに来ていた時は、楽しそうに、はしゃいでいたのに。」

弥一「そんな昔のことは忘れちまったよ。」


修行僧は、弥一が子どもの頃、近所の寺で住職をしていた。

会うのは実に久しぶりである。


住職「こんな夜中に、何処に行くつもりだった?」

弥一「ああ、これから、と……」


賭場に、と言いかけ、口籠る。まさか住職相手に賭場にいくとは言えない。


住職「ん?どうした。…まさか賭場に行くのではあるまいな?」


ーーーかああ、読まれちまった。どうにも昔からこのジジイは苦手だ。


弥一「そんなわきゃねえよ。これからぶらりとしたら、帰るところさ。」

住職「住んでいるところは、昔と変わらずか?」

弥一「ああ。あんときと変わらねえよ。」

住職「では、共に参ろうか。私も寺まで戻るところでな。」

弥一「あ、ああ……。いいぜ。」


ーーー賭場は諦めるか。


不承不精、歩き始める。僧はくるりと踵を返し、


住職「賭場は、またにするんだな。」


と、弥一に言う。


ーーーやっぱりやりずれえ。


と弥一は思った。


×××


道すがら取り止めのない話をしつつ、二人はしばらく歩く。

そうして、ふと、森の前で住職が立ち止まる。


弥一「どうしたんだい?うちはこっちだぜ。」

住職「……弥一、この森を抜ける方が近道なんだ。なに、心配はいらん。私はよく修行でこの道を通るのでな。ついて来い。」


言って、ずんずん森の中へと入って行く。


弥一「お、おいちょっと待てよ。」


慌てて弥一も後を追う。

暗い森の中、まさに一寸先は闇。

弥一の目は、すぐ前を歩く僧の背中を捉えることでいっぱい。住職が歩く度に錫杖がシャリン、シャリンと音をたてる。


弥一「おい、本当に大丈夫なのかよ?」

住職「慣れた道じゃ、問題ない。」


ーシャリンー


瑣末なことでも言うかのような住職の言葉に、弥一は内心、


ーーーそうかい。……にしても、不気味だな。夜の森は、こんなにも不気味だっただろうか。


住職「森が不気味だと思うか?」


ーシャリンー


弥一「……どってことねえよ。」

ーーー気のせいか、なんだか寒くなってきたな。


住職「なんだか寒くなってきたと思うか?」


ーシャリンー


弥一「ああ、だがそこまでじゃねえから。」

ーーーそういえば、ガキの頃は闇が怖かったな。夜中に目を覚まして、お袋に泣きついたことがあったっけ。


住職「そういえば、お前はよく夜の闇を怖がったな。」


ーシャリンー


弥一「…そんなことはねえよ。」


弥一は強がって言う。


弥一「にしても、この森は長えな。…おいジジイ、こいつはいつになったら抜けるんだ?」

住職「…もうすぐだ。……もうすぐだよ。」


ーシャリンー


ーーーそうか、もうすぐか。

……………あれ…なんか…変だな。

…何かおかしくないか?

……何だろうか、この違和感は。


ーシャリンー


ーーージジイに何を言ったっけ?あれ?なんでジジイは、俺が言わねえことまで応えたんだ?…何か、妙だ。


そう思った矢先、


住職「弥一。」


不意に住職から声がかかる。

気がつくと、住職は立ち止まってじっとこちらを見ている。


弥一「なんだいジジイ。小便か?」

住職「ちょっと、ここにいろ。」

弥一「…はあ?何言ってんだ?さっさと帰ろうぜ。」


そう言って、弥一は手を伸ばすが、その姿がかき消える。


ーーシャリンーー


あっけに取られる弥一を後目に、錫杖の音が漆黒の森に木霊する。


弥一「…あ、あれ?」


呆然と立ち尽くす弥一。


弥一「おい!ジジイ!冗談が過ぎるぜ……。おい!ジジイ、ジジイ!」


声を張る。しかしあたりはシンとして、弥一の声の残響が、虚しく響く。


弥一「ジジイ!おい、ジジイ!」


もう一度声を上げるが、あたりは静まり返ったまま、応えるものは何もない。


ーーーどういうことだよ、なんだよこれ?


目眩を覚える弥一。

突然に風が吹く。

ザワザワとやかましく草木を揺らす。

闇の中、その音はやけに高く響く。


ーーーなんだよこれ、なんなんだよ。


…気がつくと風の音は段々と大きくなり、渦を巻く様に次第に弥一に近づいてくる。


ーーーああ、夜の闇はこんなにも恐ろしいものだったのか。俺はここで死ぬんだろうか?わけもわからず死ぬのか?毎日弱え奴から金をせびって、飲んだくれて……ここで死ぬのか?………こんなことだったら、もっと真っ当に生きれば良かった。

……ごめんな。


住職「……弥一?弥一じゃないか?」


間の抜けた声が聞こえる。

恐る恐る顔を上げると、住職が心配そうに覗き込んでいる。

……いつの間にか、風も止んでいる。


住職「こんなところで何をしている?道にでも迷ったのか?」


住職は叱る様にそう言った。


弥一「………はあああああああ。ジジイ、冗談も大概にしろよ。寿命が縮むかと思ったぜ。」


安堵のため息とともに、弥一はやっと言葉を吐き出す。


住職「………なんの話だ?」

弥一「…なんのって、ジジイじゃねーかよ。ここで待ってろっていったのは。…森が近道だって言ったくせに。」

住職「弥一。」


刺すほどに鋭い声に、弥一は思わず住職の顔を見る。


住職「私がお前をここに連れてきて、ここで待て、と言ったんだな?」

弥一「……あ、ああ。…何言ってんだジジイ。もう呆けたのか?」


落ち着きを取り戻した弥一は軽口を叩くが、しかし住職はいつになく厳しい顔でさらに弥一に問いかける。


住職「弥一、もう一度はっきり応えなさい。私がお前をここに連れてきて、ここに置いたのだな?」

弥一「……ああ。そうだよ。」


剣幕に圧され、弥一は素直に応える。


住職「そうか…。」


それだけ言うと、住職は少し考え込み、懐に手を入れると一枚のお札を取り出す。


住職「弥一、これから私が言うことをよく聞くんだ。お前にこのお札を渡す。私が書いたものだ。しっかりと持っていなさい。…それから、これから私が出口までお前を導く。しかし私が良いと言うまで、何を見ても、何を聞いても、お前は反応してはならん。一言も発してはならん。良いな?」

弥一「…ああ、わか…」


わかった、と言おうとしたが、住職に手で制せられる。

もう話してはいけないらしい。返事の代わりに、弥一はお札を受け取り、黙って頷く。


住職「…よろしい。では、ついて参れ。」


踵を返し、住職は来た道を戻って行く。

あっ、と声を出しそうになったが、言われたことを思い出し弥一は黙って後に続く。

耳をすますと漆黒の静寂のなか、何かが聞こえる。

ーーーなんだ?

不思議に思った弥一はさらに耳をすますと……それは、前を歩く住職から聞こえてくる。


読経。


住職は経文を唱えながら歩いていた。

薄ら寒さを覚えながら、弥一は住職を見失わない様、お札を握り歩いた。



……しばらくして、いや、時間にすれば僅かな時だったのかもしれない。

弥一はふと、自分を呼ぶ声が聞こえた気がした。


こんな刻限、こんな場所。

声など聞こえるはずがない。

そう思って前を見ようとした、その時。


暗闇の男『旦那、弥一の旦那。』


はっきりと、そう聞こえた。

背中に冷たいものが走る。驚きのあまり声をあげそうになるが、すんでのところで弥一は思い止まる。前を行く住職が一瞬立ち止まり、読経の声が高くなる。


暗闇の男『旦那、そんなにつれなくしなくたっていいじゃありませんか。あっしのことを覚えちゃいませんかね。…ほら、この間、賭場で旦那にお会いしたじゃありませんか。』


声は続く。


暗闇の男『ずっと前から旦那のこと、気になってたんですよ。こんなシケたところ早く出て、あっしと一緒に遊びに行きましょうよ。……旦那、酒は好きですかい?いい酒があるんですよ。』


弥一は黙々と進む。


暗闇の男『酒がお嫌なら、食い物はどうです?いい店を知っておりやすよ。…あ、それとも旦那、女が必要ですかね?そちらも任せてください。芸者上げて、遊びましょうよ。』


すぐ後ろで声が聞こえる。

弥一は住職に言われたことを思い出す。

ー反応してはならん。一言も発してはならん。ー

それだけを、思い続ける。


暗闇の男『まいったな、こりゃ…。…………ねぇ旦那。あっしは旦那の後を、あの飯屋からつけて参りやした。』


声が一段、低く小さくなる。


暗闇の男『旦那、おかしいとは思いませんか?……なんで、あの坊さん、こんなとこ来たんでしょうね?』


心臓鼓動が早くなる。

ーーー確かに、そうだ。


暗闇の男『あっしは旦那の様子を近くから見てやした。…あの坊さん、ちょっと変じゃありませんか?なんで、旦那を置き去りにした後、不意に現れたんでしょう?』


身体中に冷や汗が流れる。


暗闇の男『それに、旦那と話してる時、あの坊さん旦那がまだ何にも言ってないのに応えてました。…ありゃあ、まるで旦那の心を読んで、それに応えているみたいでしたよ。………ねぇ旦那、あの坊さん、本当に人間ですかい?』


ーーーそれ以上言うな。


暗闇の男『旦那、あっしは旦那のことを助けに来たんです。さあ、早くここから出て、一緒に行きましょう。』


後ろから何かがぬっと弥一の横に来る。


ーーーああ、ダメだ見てしまう。


思わず手に持ったお札を握り締める。

握りしめた瞬間、お札が燃えるように熱くなり、弥一の頭が真っ白になる。


ーーー反応してはならん。一言も発してはならん。ーーー


弥一は、住職の言葉だけを思い出した。



住職「……いち!…弥一!弥一!しっかりしろ!目を開けろ!」


住職の声が聞こえ、弥一は目を開ける。

いつの間にか森を抜け、幼い頃に見慣れた景色、あの境内に弥一はいた。


住職「よくがんばったな。もう声を出しても良いぞ。」


穏やかに笑いながら、住職は言った。


弥一「……ジジイ。俺はどうしちまったんだ。」

住職「…もうわかっておろうが、お前は妖に出くわした。どこぞで目をつけられたんだろうな。もう少しで食われるところだった。」


いって住職は弥一が握りしめたお札を指す。


住職「もうすぐ出口、と言うところで、シビレを切らしたんだろう。しきりにお前に話しかけていた。お前にお札を渡しておいてよかった。」


握りしめたお札を開いてみると、びっしりと書き込まれていた文字がすっかり消えてしまっている。


住職「…それにしても弥一、よくがんばったな。妖は人の弱さにつけ込む。それに抗うのは、並大抵ではない。」

弥一「べつに、」


弥一が応える。


弥一「べつにどうってことねえよ。……ただ、思い出しただけだ。」

住職「何をだ?」

弥一「……あんたが真面目な顔をして話す時、必ず嘘は言わなかった。それだけだ。」

住職「……そうか。」


いって、住職は満面の笑みを浮かべる。


住職「歩けるか?」

弥一「どうってことねえって言ってんだろ。ちゃんと歩ける。」

住職「では、もう心配ないな。」

弥一「ああ、迷惑かけちまったな。」

住職「なに、お前さんに迷惑をかけられるのはいつものことだ。」

弥一「…本当にやりづれえじいさんだ。」


言って、弥一は立ち上がり、山門に向かう。


弥一「近いうち、また会いに行くよ。」


後ろにいる住職に言いつつ、門をくぐろうとすると、


住職「弥一!」


住職が呼び止める。


弥一「ん。なんだ?」


振り返り、住職を見る。


住職「今日は、賭場には行くなよ。」

弥一「……さすがに行かねえよ。帰って寝るさ。」

住職「そうか。」


それだけ言って、黙る住職。

不思議に思いつつ、まあ、いいか、と門を抜けようとすると、


住職「弥一!」


また住職が声をかける。


弥一「なんだよジジイ!」


住職は真っ直ぐに弥一を見ながら


住職「真っ当に生きろ。三度目はないからな。真っ直ぐに家に帰るのだぞ。」

弥一「餓鬼じゃねえんだ。ちゃんと帰れるさ。じゃあな。」


後ろ手に手を振りつつ、弥一は門をくぐり、石段を降り始めた。


ーーー世話焼きなジジイだこと。…でも、助かったぜ。ありがとな。


その夜、言われたとおり弥一は真っ直ぐに帰路についた。


×××


……明くる日。

弥一はいつもの溜まり場に顔を出した。

だが、弥一の指定席には行かず、座敷の1番奥に陣取っている人間のところへ真っ直ぐに向かう。

そこにいるのは、これまたその場所を指定席にしている男。

名を、銀次という。


この男、なかなか不思議な男で、カタギの職を持っているのに、何故かゴロツキの溜まり場に顔を出す。

…出すどころか、こうして専用の席があるのだから、それなりに周囲に重宝がられている。

『わからないことがあるなら、銀次に聞け。』

そう言われるほど、銀次は物事に精通し、新入りの面倒をよく見ていた。

足を洗って、カタギになりたい、と言っている者の世話をしたりもしていた。

…そして、銀次と弥一は幼い頃からの馴染みであった。

それこそ子供の頃からよく遊び、あの境内にも行っていた。

だが、いつの頃からか弥一は銀次と話をしなくなり、顔を合わせてもお互いに挨拶すらしないのが常であった。


弥一「よお。今、空いてるかい?」


おもむろに弥一は声をかける。

周囲がざわめき出す。ヒソヒソと話し声が聞こえる。


「弥一さんが銀次さんに話しかけている。雨でも降るんじゃねえか?」

「雨じゃすまねえな、槍が振りやがる。」


弥一は黙って聞いている。

その空気を察したか、ざわめきは次第に収まり、やがて何事もなかったかにように、普段の喧騒に戻る。


銀次「……あいつらじゃねえが、お前さんが声をかけるとは珍しいね。」


頃合いを見て銀次が言う。


弥一「なに、ちょいとおめえに聞きてえことがあるのさ。…銀、おめえさんあの店の団子、好物だったよな。土産だ。食おう。…おーい、こっちに茶をくれ。」


言って、包みを机の上に広げる。


銀次「…よく覚えてたな。懐かしいねえ。子供の時分にお前さんとよく食べたな。」

弥一「そう。話ってのは、そのことだ。」


弥一はじっと銀次を見る。

互いに目を見合わす。


弥一「ま、食おう。」


団子を頬張る。


弥一「銀、お前覚えてるか?ガキの頃によく遊びに行った境内。本当によく遊んだよな。…だが、いつの頃からか遊びに行かなくなっちまった。思い返してみたら、おめえさんとつるまなくなったのも、それぐらいの時分じゃなかったかなと。……だがなあ、いまいちはっきり思い出せねえんだ。俺たちはいつからあの境内に行かなくなっちまったんだろうか。…なんでも知ってる銀次さんに、聞いてみようかと思ってな。」


笑顔で軽口をききつつ、銀次を見やると、銀次は団子を手に持ったまま、黙っている。


弥一「……おい、銀、どうしたんだよ。鳩が豆鉄砲食らってるぜ?」

銀次「……………いや、珍しいの珍しくないのって、まさか、弥一、お前さんからその話をふってくるとは思いも寄らなかったよ。」


言って銀次は深く息を吐き、持ったままだった団子を口に含み、茶を啜る。


弥一「…どういうことだ?」


訝しげに弥一は尋ねる。


銀次「どうもこうも……。お前さん、なんだって急にそんな話をしようと思ったんだい?なにか、あの話を思い出すようなことでも、あったのかい?」

弥一「…あの話?あの話ってなんだ?」

銀次「何って、お前さん………。」


言って、顎に手を当て考え込む。

銀次がこうなると、考えがまとまるまで口をきかなくなることを、弥一は知っている。モヤモヤとしたまま、弥一は団子をかじりつつ、銀次が顔をあげるのを待つ。

……しばらくかかるかと思ったが、弥一が団子を一本食べ終わり、茶を啜っているときに、銀次は顔を上げた。


銀次「…そうか。そう言うことか。」

弥一「なんかわかったのかい?」


やれやれと弥一は声をかける。銀次は真っ直ぐに弥一を見つめ、


銀次「お前さん、どこまで覚えてる?」


と、弥一に問いかける。


弥一「どこまでって、さっき言ったとおりさ。昔はよく遊んだが、いつの頃からか行かなくなった。それがいつからか思い出せない。思えば、銀、おめえとも話さなくなったのは、その頃だなと。」

銀次「……やっぱり、覚えてないのかい。」

弥一「…何がだ?」


弥一の問いを受けて銀次は一つ、息をつく。


銀次「…いいかい、弥一、これから俺が言うことをよく聞いてくんな。そして、俺が話し終わるまで、黙って聞いてくれ。」

弥一「ああ、構わねえよ。話してくれ。」


言って、弥一は団子を摘まむ。その様子を見ながら、銀次は眉根を寄せる。


銀次「弥一、お前さんが言うように、俺らが疎遠になった時分と、あの境内に行かなくなった時分は一致する。それは、一つの出来事があったからだ。」

弥一「出来事?」


言って、口を挟んでしまったことに、弥一は気づき、ごまかすように茶を啜る。銀次は特に気にした様子もなく、むしろ、自分の考えに納得したように頷いた。


銀次「ああ。そりゃ、俺らにとっちゃ、大きな出来事だった。……あの日、俺らはいつものように境内に遊びに行った。住職さんに挨拶して、いつものように菓子をもらってな。茶を飲んだあとに、鐘つき堂に行こうとした。そうしたら、住職さんに言われたんだ。


ーーー西の川には行かないように。昨日までの雨で、水の量が増えているから。」



ドクン。

弥一の心臓が高鳴る。

この話は、なんだろうか?


銀次は、注意深く弥一を観察しながら、言葉を選ぶように先を続けた。


銀次「当然、俺らは川には行かなかった。鐘つき堂で遊んで、本堂で遊んで、いつも通りだったさ。……だが、餓鬼ってのは馬鹿な生き物だ。どちらからともなく、川に行ってみよう、って言い出した。


ーーなに、遠くから眺めていれば大丈夫さ。

ーー水に近づかなきゃいいんだよな。


そう言って川まで行ってみた。行ってみたら、いつも穏やかで魚取ったりしてた川が、まるで滝を横にしたみたいに勢いよく流れていた。…その様子は、怖くもあったが、同時に綺麗でもあったんだ。だから弥一、お前さんは川に近づこうとした。」


弥一は黙って聞いている。


銀次「近くに大木があってな、大振りの枝に登って、上から川を見ようとしたんだ。いまも昔も無茶をやるのは変わんねえな。…そして、俺も大丈夫だと、思っちまった。……あとは、想像した通りだ。その枝が折れて、お前さんは川に真っ逆さま。なんとか大きな石にしがみついたけど流されるのは時間の問題。その時分の俺にできたことは、急いで住職さんに知らせることだった。血相変えた住職さんと川に戻ったとき、お前さんは、まだ石にしがみついていた。川がそんなに深くなかったのが幸いだった。住職さんぐらいの大人だと川底に足が付く。とは言え水かさが増して、流れの急な川だ、住職さんも荒縄を大木にくくりつけて、お前さんを助けに行った。……俺はあの時ほど、時間の流れをゆっくり感じたことはなかったよ。お前さんは住職さんに抱えられて、岸についた。水をたっぷり飲んでいたが、意識もある。

ああ、よかった、と安堵したその時だ。ブチ、って音が聞こえたかと思うと、住職さんにくくりつけていた荒縄が切れた。とっさに俺らは縄を掴もうとして、手を伸ばした。でも届かなかった。俺らの背丈が足りなかったんじゃない。俺たちが縄を掴もうとしたのを見て、まだ川の中にいた住職さんが、自分で引っ張ったんだ。そして、


ーーー逃げなさい。


そう言って、川の中に消えて行った。俺らはすぐに、長屋に帰ってお袋たちに知らせた。番所や町火消しの連中も動いてくれた。…でも住職さんは、見つからなかった。……それからだ。お前さんが俺と口をきかなくなったのは。…それからだ。俺らがあの境内へ行かなくなったのは。……俺は、てっきりお前さんが全部覚えてるんだと思ってたよ。だからカタギじゃなくなっちまんだって。そう思っていた。だから俺とは口をきかなくなっちまったんだなって。……でも、違ったんだな。お前さんは、全部忘れちまってたんだな。……それぐらい、思いつめていたんだな。」


銀次は俯きながら茶を啜る。


弥一「……そんなはずはねえよ。」


弥一がポツリと言う。


銀次「何がだ?」

弥一「 俺は昨日、ジジイにあった。」

銀次「どう言うことだ?」


銀次に問われ、弥一は昨日の出来事を話す。

だから今日、昔のように二人で住職のもとを訪ねて、驚かそうと思ったのだと。

話を聞いた銀次は、深く息を吐くと、


銀次「…弥一、それはあり得ない。あの寺はあれから跡継ぎがいなくて、荒れ寺になっちまたよ。」

弥一「……なんだって。確かに見たんだ、確かにあった!俺はあの門をくぐったんだ!」

銀次「弥一、気持ちは察する。でも事実なんだ。」

弥一「うるせえ!」


言って、弥一は銀次の胸ぐらを掴み、


銀次「今から見に行くから、てめえもついて来い!」


と弥一は銀次を引きずるように店を出た。


×××


…果たして、寺はあった。

ーー銀次の言う通り、荒れ寺として。


門は辛うじて外観を残しているが、朽ち果てていて久しい。

鐘つき堂は土台こそしっかりしているものの、安全のためか釣り鐘を下ろしている。

本堂は、見る影もない。屋根は朽ち、もはや土台と柱が残っているだけである。


弥一「そんな……。」


思わず、弥一は呟く。


弥一「確かに、確かに見たんだ!昨日、ジジイにここまでついて行って、ここで話をした。その時、確かにここにはあの寺があった!」


絶叫に近い声で、弥一は言う。

そんな弥一の言葉を聞いて、銀次は少し考え込み、


銀次「なあ、弥一、お前さん、どんな話をしたんだい?」

弥一「どんな、って、よく耐えたな、とか、札を渡しておいてよかった、とか……。」

銀次「札?そのお札、いま持ってるか?」


言われて弥一は袂を探る。


弥一「あった。これだ。」


弥一は文字の消えたお札を銀次に見せた。銀次は黙って札を見たあと、


銀次「他にはどんな話を?」


続けて弥一に問いかける。


弥一「あとは、…真っ当に生きろとか、三度目はない、とか。」


言って、弥一はハッとする。


ーー三度目はない。


住職は確かにそう言ったのだ。二度目は昨日であったとしたなら、一度目はいつのことか?自分が川で溺れたときではなかったか?


銀次「弥一。」


呼ばれて、銀次を見つめる。


銀次「お前さんの話、俺は本当だと思う。」


ハッキリと銀次はそう言った。

訝しげな顔をしている弥一に銀次は続ける。


銀次「そのお札、それは間違いなく住職さんが使っていたものだ。…俺はガキのころ、住職さんに聞いたことがある。いろいろ材料を集めて、紙を作るところから始めるんだ、と。その紙は見ればすぐにわかる。それから、さっきの言葉、三度目はない、…こりゃ、言うまでもないよな。」


言って、銀次は確かめるように、弥一を見る。

弥一は、黙って銀次を見返す。


銀次「……それとな、弥一、お前さん知ってるかな?」

弥一「何がだ?」

銀次「この世にゃ不思議なことが沢山あるんだ。俺が昔聞いた話じゃ、冥府返り、ってのがある。黄泉返りじゃあない。何が違うかっていうと、冥府にいるものが何か一つの物事を為すためだけに現れるってことだ。…そしてな、冥府返りには、いくつか条件があるらしい。その条件一つが、返る者の命日であること。……弥一、昨日は、住職さんが川に消えた日だ。」

弥一「なん…だって?」

銀次「この話にゃまだ続きがある。冥府返りの条件の二つ目。そいつが生前心から大切にした者たちのために何かを為すこと。……弥一、俺らは、随分と住職さんに世話になってるんだな。…ずっと、見ていてくれたんだな。」


銀次の言葉を聞いた弥一は、お札を握り締め、静かに涙を流した。


×××


…それから数日経って、弥一を街で見かけなくなった。と噂が流れた。

どこの賭場にも顔を出さず、どこの飯屋にも、飲み屋にも顔を出さない。

噂はまことしやかに流れた。

やれ、渡世人と喧嘩になっただの、いや、新しい一家を立ち上げる準備をしているのだの、いやいや、お奉行様に睨まれて追ってが掛かっているのだの、太夫と手を取り合って逃げているのを見た奴がいるのだの。数え上げればキリがない。

わざわざ銀次のところに聞いてきたりするのもいたが、銀次は笑って、


銀次「さてね、俺にも知らないことぐらいあらぁな。」


と言うだけであった。

悲喜交々、いろんなものが混ざりつつ、しかし誰しもが、またそのうち顔を出すに決まっていると思っていた。

……だが、その予想に反して、弥一はついぞ姿を表すことがなく、弥一と言う名前も風に溶けるように街の中から消えて行った。



しばらくして、あの荒れ寺でも奇妙な噂が流れ始めた。

人も寄り付かぬ廃寺に人が住み着いているというのである。

付近の住民は、野盗や盗人でも住み着いたのかと懸念したが、どうにも様子がおかしい。昼間にあれやこれやと動いては、夜は屋根もない本堂で寝ているというのである。

野盗の類ではないらしいが、それでも好き好んで廃寺に来る様な輩である。気味の悪いことには変わらない。危うきに近寄らずとばかりに、付近の者は警戒をしていた。


が、いつの世にも悪ガキというのはいるもので、長屋の子供が一人、せっせと廃材を片付けている荒れ寺の主に声をかけた。


子「おじさん、何してるんだ?」


不意に問われた男は驚いたが、しかし、ニッコリ笑ってこう言った。


???「このお寺を建て直すんだよ。」

子「ふーん。……じゃあ、おれが手伝ってやるよ。おれたちも遊び場が欲しいんだ。」

???「…そうかい。助かるよ。」


その日からまず、子供達が男を手伝い始めた。

大人たちは、最初こそ子供達を叱ったものの、あまりに子供達をが楽しそうにしているのをみて、寄り合いを開き、代表の者が話をすることになった。


話を聞くと、野盗盗人どころか、ちゃんと修行を積んできた僧だという。

大伽藍に務めるよりも、どうせなら廃寺を立て直し、そこの住職になろうとしたのだそうな。


その話聞いた長屋の連中はこの男を手伝い始めた。

いつまでも荒れ果てた寺にしているより、真っ当な住職に来てもらったほうがはるかに安心だ、そう考えたのである。


そうして、寺は見る間に再建した。


して、この住職、なかなかに面倒見が良い。

子供らが境内で遊ぶときには、決まってお菓子をあげていた。また、大人の相談にも良く乗り、親身になって話を聞いたそうだ。中には、『カタギの仕事に戻りたいのだが、どうにもこうにも行かなくなった。』と相談に来た者もあった。その時住職は、


住職「二三日寺を空けるが、あの者の世話を頼む。」


と長屋の連中に言い残し、ゆらりと出て行った。

…言ったとおり、三日目の朝に帰って来たかと思うと、


住職「話は付けてきた。おめえさんの仕事も用意したからどこそこへ行け。真っ当に生きなさい。」


と支度金を持たせて送り出したこともある。

しかし、この住職には奇妙な癖があった。

毎月決まった日になると、本堂に籠って熱心にお経を上げている。

が、拝んでいるのはご本尊ではない。何を拝んでいるのかと思えば、なんにも書いていない一枚のお札。

なぜそんなもの拝むのか、ときかれて、住職は、


住職「これは、私の命よりも大切なものです。」


とニッコリ笑ったそうな。

だからこの住職は「お札の住職さん」と呼ばれ、いつまでも長屋の連中から慕われたのだそうな。






ー蛇足ー


さて、いかがでございましたでしょうか?

冒頭に私は申し上げました。

世の中にはいろんな方がいらっしゃいますが、良い悪いの境界線は一体どこにあるんでしょう?と。


私は別に性善説を信じている訳でも、性悪説を信じている訳でもございません。

……ただ、こう思います。

人は誤解によって勝手に人を判断する。勝手に人を決めつける。


仮に、真実相手を思っての行動だとしても、言われた方がそうは思わなければ、それは大きなお世話になっちまう。……面倒なもんですね。


私が何を言いたいかおわかりでございましょうか?

善悪を決めるのは、人の心にあり。

どっかよそに基準があるのじゃございません。

自分の中にはあるのではないでしょうか?


願わくば、真実、人を思いやることができる人たちに囲まれて生きていたいもんですね。


弥一は、悪人じゃありませんでした。…ただ、彼の行動は悪だった。


悪を為すからと言って、悪人だとは限らない。…されど、悪ではある。


とかく、この世は面白いものです。私にもまだまだ知らないことがありまさあな。

……では、またいつかお会い致しましょう。


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