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色なし魔法士は今日もご機嫌  作者: 橘中の楽
最終章 黒竜の儀
95/103

5の十四 決まらない覚悟。止まらない時間。

赤の魔素の匂いが濃くなり、グレイトブリテンには春がやってきた。

ライラはポッカリと開いたような心を無理やり使命感で埋め、日々ジョシュアの傍で黒竜の儀に関する調べ物を手伝っていた。

黒竜の力がどんどん弱まっていく中で、追い詰められるように緊張感を高めていったジョシュアの表情。

しかし、ライラは数日前からジョシュアの表情が何かに気が付いたかのようにふっと明るくなったのを感じていた。

もしや何か進展があったのかもしれない。

いつも通り何も語らぬジョシュアの横で淡々とライラは指示された古代文書の翻訳に務めていた。

そんなライラが寝起きする王宮の官人用の宿舎に朝から竜の咆哮が鳴り響いた。


ーーーこんな朝から何事?今日って休日じゃなかったっけ?


寝ぼけた頭で窓からひょっこりと顔を出し…ライラは驚きで目を見開いた。

停まっていたのは王族専用のセンターオブジプレート。

特徴的な黒竜の頭の彫刻にもたれるようにして立っているのはパーシヴァルだ。

ライラが顔を出すと早くこいとでもいうように手招きされる。

パーシヴァルが珍しく黒い布字に金色の魔法陣の刺繍が施された正装に身を包んでいるのを確認し、ライラはただ事ではないことを悟った。


ライラが固まっているとパーシヴァルが不機嫌そうに眉を寄せた。

口パクで何か言っている。


「は。や。く。し。ろ…げっ!申し訳ありません!!!」


ライラは寝ぼけていたのが嘘のように身支度をすませ、ものの五分ほどでパーシヴァルの元へと駆けつけていた。


ーーーなぜパーシヴァルさまがわざわざ私のところに迎えに来てくれたんだろう?


プロイセンの事件が終わったにも関わらず、最近の王子二人は過保護がすぎるのではないかとライラが首を傾げているうちに、パーシヴァルの操縦するプレートは王宮へと到着していた。

ライラがパーシヴァルに連れられて王宮のジョシュアの執務室へと向かった時、いつも使用人や役人でごった返している執務室は人払いが行われていた。

ガランとした部屋の奥に置かれたソファにはすでに数名が腰掛けている。

ライラから顔が確認できたのはジョシュアだけだったが、彼に対面する形で座った数人との間ですでに話し合いが始まっているようだった。


ライラは案内された席に座った。

横に座っていたミシェーラとにっこりと笑い合う。


人払いした室内。

正装のジョシュアとパーシヴァル。

これから行われるのは黒竜の儀に関する重要な話し合いであるとライラはすぐに理解した。

フェルから引き継がれた竜証が出た後も、今までこうした話し合いに呼ばれたことがなかったライラは、なぜ今になって自分がここに呼ばれたのかわからなかったのだろう。

首筋に浮かんだ竜証を撫でるようにしながら居心地悪そうにモゾモゾとしている。

パーシヴァルとジョシュアが顔を寄せあい、密談するように何事かを話し合っている間に、ライラはようやく室内にいる人物に意識が入ったようだ。

そしてライラとは逆側…つまりミシェーラの右側にどこか見覚えのある騎士が座っていることに気がついた。

ライラがどこで見た顔だろうと思い、その白と青の制服を盗み見ていると…迷惑そうな顔で「何見てんのよ。」とオネエ口調で話しかけられた。


ーーーなんでシャロンがここに!?


ライラは驚きのあまり叫びそうになり、バッと口を手で覆った。


そんなライラの反応を見て、シャロンはポンと手を打った。


「そういえばライラには説明してなかったわね。…アタシは治癒の巫女。役割者のひとりよ。」


ライラは自分の身近にもうひとり黒竜の儀の関係者がいるなど思いもよらなかったのだろう。

目を見開いたままの状態で固まっていると、シャロンが呆れ顔になっていた。

まさか気がついていないと思わなかったらしい。


ライラが口を開こうとしたところで、話し合いが終わったのかジョシュアの横で何かを耳打ちしていたパーシヴァルがくるりと体の向きを変えた。

部屋にピリッとした緊張感が漂う。


自然と注目を集める形になったジョシュアは、いつも通りの凪いだ表情で口を開いた。


「黒竜の儀は一月後に行う。当然これは機密事項だが、万が一の時のために家族や恋人に向け遺書を書くことを許す。預け先はジョーワの予定だ。」


平和な朝に似合わない遺書という言葉にミシェーラが息を飲んだ。

一方でシャロンとパーシヴァルは打ち合わせ済みなのだろうか。

すぐさま動揺を感じさせない声で「御意」と返答し、胸で十字を切った。


二人の仕草は揃いのもので、ライラは返事も忘れ首を垂れている二人に見入ってしまっていた。


そんなライラに向けジョシュアから心配そうな目が向けられた。

現実が受け入れられず、呆けているように見えたのかもしれない。

ライラは慌てて胸で十字を切った。このような状況で二人の動作に見惚れていましたなどと知られるわけにはいかない。


ミシェーラが戸惑いがちにうなずいた後で…ジョシュアは背もたれに体を預けた。役目は終わったとばかりに用意されている紅茶に手を伸ばしている。

入れ替わるようにに皆に向き直ったパーシヴァルから今回の決定に至った経緯の説明が行われる。


ーーー黒竜は未来をよみながら本因坊秀策に治癒を行い、彼の命を繋いでいくと契約した。

ーーー黒竜は自身の力を器である秀策に分け与え、のちに今のグレイトブリテンとなる国を建国するに至った。


「ーーー俺たちの持っている力は全て黒竜さまが秀策様を助け、そのおもいを受け継ぐために使われた力だ。…だから我々王族としてはこの力を次代の器に移すことこそが黒竜さまの望むことであると結論付けた。」


パーシヴァルの説明にライラはまだついて行けていなかった。

こてんと首を傾げる横で…シャロンが険しい顔になって「発言をお許しください」と声をあげた。


「先読みと治癒の力は黒竜さまが秀策様の病気を予知して寿命を伸ばしたと言われている伝承に、契約の力は子供が欲しいという約束を果たしたという伝承につながっているという解釈でよろしいですか?」


ミシェーラの問いかけにパーシヴァルがうなずく。

そこでようやくライラは話が繋がり始めていた。

ということはーーー


ライラの内心を読んだかのようにパーシヴァルの視線がライラへと向けられる。


「そして器に力を引き継がせて建国を行った…実際、フェルの竜証をライラは引き継いでいる。勝算のない賭けではないし…おそらくフェルなりのヒントだったんだ。お手本を示してくれたんだろう。黒竜さまの命の期限が迫ってるのにいつまでも気がつく様子のない俺たちに向けて、役者はもう揃っていると伝えたかったんだ。」


ライラはそこでようやく気がついた。

どうやら自分は黒竜の儀に参加できるのだということを。

黒竜を助けたい、そんな夢がついに実現するのだ。


何も持っていないことこそが全てを受け入れるのに必要だったのだと理解して、笑い出しそうになった。

喜びで胸がいっぱいになる。

フェルがいなくなって以来一番いい表情ができている自覚がライラにはあった。


キラキラと目を輝かせ始めたライラとは対照的に静まり返った室内。


ライラは不思議そうに口をつぐんでしまったパーシヴァルの方を見たが、その視線は不自然に逸らされた。

どうやらパーシヴァルなりにこの決定には葛藤があったらしい。


ライラは皆の空気が重いのを不思議に感じながらもこの先の展開に頭を巡らせる。


ーーーみんなの力をわたしの中に移すってことかな?どうやって?


ライラがううむと首を捻っていると…ライラの横でワナワナと震えていたミシェーラがばっと立ち上がった。


「パーシヴァル様!お言葉ですが…ライラはわずかな魔力でさえ不調をきたすのです。そんなこの子に私たちの力を全て移したら…ライラは魔力に耐えきれずに死にますよ?」


ミシェーラが今にも掴みかかりそうな勢いで立ち上がったのをシャロンが横から手を出して引き留めている。

彼の顔からは表情が抜け落ちていた。

しかし、抗議はない。

シャロンはこの計画をすでに了承しているのだとライラにも理解できた。


ライラは怒りで泣き出しそうなミシェーラと、それをじっと見返すパーシヴァルを戸惑ったように見比べた。


沈黙を破ったのはジョシュアだった。

音も立てずに茶器を置き…スッと視線をあげた。


「ーーーミシェーラ、パーシヴァルがそんな簡単なことに気がついていないとでも?そしてそれを苦痛に思っていないとでも?」


静かに問いかけるような声にミシェーラはハッとしたように黙り込む。

先ほどから微動だにしないパーシヴァルの背中をジョシュアがいたわるように撫でた。

パーシヴァルの表情がクシャリと歪む。

パーシヴァルの赤紫の瞳がじろりと横に座ったジョシュアを睨みつけた。

しかしジョシュアはグッとパーシヴァルを抱え上げ懐に抱え込んでしまった。

「うわ!?」と驚きの声を上げ、バタバタと暴れようとしたパーシヴァルと視線を合わせ、静かな声で封じ込める。


「ーーーわたしに隠そうとしなくていい。そんな泣きそうな魔力でこれ以上矢面に立つな。わたしが説明するから黙って聞いてなさい。」


聞き慣れたものにしか感じ取れないほどわずかな甘さを含んだジョシュアの声にパーシヴァルの抵抗がピタリとやんだ。

そして諦めたように力を抜くとジョシュアの肩に顔を埋めた。

その肩がフルフルと揺れているのを見て、ミシェーラは罰が悪そうに黙り込んだ。


お通夜のようになってしまった空気の中で…ライラは「グフっ」という奇妙な音を上げた後でものすごく変な顔になっていた。

それをシャロンに指摘され…気まずそうにジョシュアとパーシヴァルを見た。


言い訳するように口を尖らせる。


「ーーーだ、だって、お二人が仲がいいのとかわたしにとってはご褒美にしかならないっていうか…とにかくこの場にいられた喜びが溢れ出しそうになるのを必死に押しとどめていました。」


あまりにいつも通りなライラにシャロンが呆れた顔をする。

パーシヴァルを宥めるように背中をさすっていたジョシュアは、ライラ達の会話が耳に入ったらしい。「ご褒美…?」と不可解そうな顔で呟いていた。


「あの、ジョシュア様…ライラはどうなってしまうんですか?」


注意されてもまだミシェーラは納得できなかったらしい。

ライラのせいで緩んでいた空気を咳払いで打ち切り、ごまかされてたまるかというように強い光をたたえた瞳でジョシュアを睨みつける。


ジョシュアはミシェーラの視線をしかと受け止め、まっすぐに見返した。


「ライラは器になってもらう。」


ジョシュアの言葉に抗議しようとしたミシェーラ。

しかし、決意が固そうなジョシュアの目を見て…何よりライラが完全に受け入れているのを見て悔しげに口をつぐんだ。


ジョシュアはミシェーラが反論しないのを確認した後で、もう一つの決定事項を伝える。


「そしてシャロン、ミシェーラ…この国のためにあなた方の魔力を差し出せ。ーーーこれは命令である。」


ジョシュアの言葉は簡潔すぎたのかシャロンやミシェーラは不思議そうな顔になった。

役割者としての力を差し出せというのは先ほど聞いたが…魔力を差し出せというのはよくわからなかったのだろう。


「先読みと治癒の力を差し出すだけではダメなの?」


ミシェーラの疑問にジョシュアは「ダメだ」とうなずいた。

しかしそれ以上の説明がない。

焦れたようにシャロンが再び口を開こうとしたところで…パーシヴァルが「それじゃわからないでしょ」と呆れたように言った。

「俺が説明する」とジョシュアの腕を外して元いた位置に座り直した。

心配そうに覗き込むジョシュアに向けては拗ねたようにもう大丈夫と答えている。

そのやりとりを見て再びライラが天を仰いでいた。

一人だけ緊張感がまるでないのだがもはやこの場にいるメンバーはライラの奇行に慣れているのか視界に入っても無視している。


「シャロンの疑問に応えるには黒竜の儀について説明しなくちゃいけない。さっき説明したように黒竜の儀は力を返す儀式であろうと予測を立てたのが二月。ーーーフェルのおかげだね。でも、その方法がわからなかった。…だから今になっちゃったんだけど、ジョシュアがついにその方法に気がついた。」


そこまで一息で言い切り、パーシヴァルはぐるりとライラ、ミシェーラ、シャロンへと視線を向けた。

たっぷりと間を置いた後で「その方法は、」と言いにくそうに告げる。


「その方法はジョシュアが黒魔法で俺ら役割者の魔力を根こそぎなくすこと。…これだけじゃ意味がわからないよな。詳しく説明すると、ジョシュアは前から不思議だったんだって。黒魔法を使った後で黒竜さまの夢を見ることがさ。ーーーそれでおそらく消えた魔力は黒竜さまのもとに帰っているという推測を立てた。二人で検証してみたけど多分この仮説は正しい。そしてジョシュアにも魔力と役割者の力の区別がつかないからまとめて消すしかないという結論になった。」


ここまで来てライラにもようやく「魔力を差し出せ」と言ったジョシュアの意図が掴めた。

ジョシュアはあまりにも言葉が足りないと笑ってしまう。

パーシヴァルが説明を代わりたくなるのも頷ける。


驚いたように固まっているミシェーラとシャロン。

それはそうだろう。魔法使いでなくなれと言われているようなものなのだ。

しかも、今までジョシュアによって魔力を抜かれた魔法使いは誰もが廃人のようになっている。


パーシヴァルがじれたように口を開こうとしたところで…シャロンが「ハアアア」と特大のため息をついた。


「そこまでわかってるなら早くヘマタイト王にも報告しなさいよ!本当に時間がない。毎日毎日胃が穴に空きそうだっておっしゃってるのに。」


シャロンの口ぶりはいつも通りだが…それが虚勢であるのはライラにもわかった。声が震えている。握り締めた拳に力が込められすぎて真っ白になっている。


シャロンはーーー少し歪んだ笑みを浮かべた。

そしてジョシュアの前へと歩み寄り、スッと膝を立てた。

首を垂れ、首筋を差し出した後で剣を抜いて床に突き立てる。


騎士における忠誠を表す仕草。

首を差し出してもあなたに仕えますとシャロンは態度で示して見せた。


ジョシュアはシャロンを見下ろしたままで「ありがとう」と眉間にシワを寄せて言った。


「ーーーあなたのためじゃないわよ。国王のお望みだもの。」


シャロンはすでにいつも通りの笑みに戻っていた。

この短い時間で覚悟を決めたのだろう。

ライラは「死ぬ」と言われている自分のことを忘れ、シャロンの騎士としての姿に感動を覚えていた。


ミシェーラはカタカタと震え続けていた。

しかし、シャロンが戻ってくるのをみてふらりと立ち上がった。


同じようにジョシュアの前へと膝をついた、

ミシェーラは剣がない。

胸の前で両手を交差させ…泣きそうなのを必死にこらえたように目を見開いて、ジョシュアを見返した。


ーーーやらなくていいって言ってあげたいけど…そういうわけにはいかない…よね。


ライラも思わずギュッと拳を握りしめていた。

気丈に振る舞う友人の背中にせめてものエールを送る。


「承知しました。ーーーお役に立てること嬉しく思います。」


泣きそうな声で、それでもジョシュアの目を見つめてミシェーラは言い切った。


ジョシュアはますます眉間のシワを深くしてうなずいた。

何も言わなかった。言えなかったのかもしれないとライラは思った。


誰もジョシュアとパーシヴァルを責めたりはしない。

パーシヴァルも魔力を失うことに了承しているらしいと聞いたときにはさすがに皆が顔色を変えていたが。


「エゲート様はどうにかならないの?ーーーアタシが魔法使いじゃなくなるのとは話が違うじゃないの。国の守りは?」


そんな皆の意見を代表したような抗議にもーーーパーシヴァルは呆れたように言った。


「聞いてただろ?役割者みんなの力を返さなきゃ意味ないんだよ。ーーーそれで加護が受けられなかったらこの国の行く末は大変なことになるだろうけど。」


パーシヴァルは自分の魔力よりも加護が受けられるかが心配だと表情を曇らせている。

ライラはパーシヴァルの潔い姿に感銘を受けていたが…先ほどからジョシュアが一言も発していないことが気になった。


黒い瞳はじっと虚空を見つめている。

パーシヴァルの話題になった時からさらにジョシュアの表情からは感情が抜け落ちたようにライラは思った。


ーーーああ、きっとこの方法に一番反対しているのはジョシュア様なんだ。


ジョシュアにとってここに揃っているメンバーはこの国における一番交流が深い魔法使いだ。

そんな彼らが揃っていなくなるのである。

自分の力が制御できないばかりに。


ライラは自分がジョシュアの立場だったらと考えてゾッとした。

黒竜の加護が受けられてもそうでなくてもジョシュアにとって待ち受けるのは孤独でしかないのではないかと気がついて。


パーシヴァルはチラリとジョシュアに視線を向けた。

しかし、何も言わなかった。

ライラ達へと向き直る。


「ーーー遺書がかけたら俺かジョシュアに渡してくれ。…酷なことを言うようだができるだけいつも通りに過ごしてほしい。この部屋で聞いたことは他言無用だ。一月後の同じ時刻に集合しよう。」


パーシヴァルとジョシュアはライラ達に向けてせめてもの償いにと大金を渡そうとした。しかし誰も受け取らなかった。


「お金には困ってないわ。というかあなた達だって同じ立場じゃない?ーーーむしろシャーマナイト様なんて一人だけ重責を負うわけでしょ。同情するわ…。」


シャロンは呆れたようにそう言い捨てると去っていった。

ミシェーラもお金はいらないと言った。

その代わり王族からの要請で数日間学園を休む許可が欲しいと言った。


ジョシュアは当然許可すると告げた後でーーーソファに座ったままだったミシェーラに近寄り彼女の前で膝をついた。

王太子が膝をつくのは本来国王の前だけである。


ジョシュアのまさかの行動に浮かない顔だったミシェーラが驚愕で目を見開いた。

慌てたようにジョシュアを立たせようとしたがジョシュアがミシェーラの手を取ることで行動を封じた。


そして真剣な顔でミシェーラを見上げた。


「ーーーあなたには、生まれた時からたくさんのことを強いてきた。そんなあなたにまた差し出せと言う私たちのことを憎んでくれて構わない。不甲斐ない我々で本当に申し訳ない。…それでも、あなたの力が必要なのだ。」


ミシェーラが答える前にジョシュアはサッと立ち上がった。

そして慣れた仕草で呆けているライラをヒョイと抱え上げて執務室の奥へと消えていった。

待っていてはミシェーラの立場上許すしかないからだ。

許されないことをした、ジョシュアの行動はそう物語っていた。


「ふえ!?ジョシュア様?」


ライラのそんな声が扉が閉まる前に聞こえた。

「あいつほんと過保護になったな…」と呆れるように言っているパーシヴァルは自分の言葉が完全に跳ね返ってくることに気がついていないらしい。


ミシェーラはしばらく固まったままだったが…ふらりと立ち上がった。

心配そうな視線を向けてくるパーシヴァルに無理やり笑いかけている。

大丈夫ですそう繰り返すミシェーラにパーシヴァルは不機嫌そうな顔になって言った。


「ーーーお前の反応は普通だからな?廃人になるかもって聞いて平然としてられる他の奴らが狂ってるんだ。」


ミシェーラは自分のことも狂っていると称すパーシヴァルを見て苦笑いした。


「いつも通り学園を休むのは構わない」パーシヴァルはそう言い残して離宮の方へと消えて行った。

ミシェーラも顔色の悪さをクーガンや護衛騎士に心配されながら帰宅することにした。ヘマタイト王への報告はシャロンが向かったようだし、これ以上王宮にとどまる用事もない。



黒竜の儀の影響についての説明を受けた時、ミシェーラの脳裏に浮かんだのは家族でも恋人でもない一人のマスキラだった。


ーーー魔法使いとして死ぬ覚悟をしておけと言われて真っ先に浮かぶのがダスティンさまだと知ったらお父様は泣いて悔しがりそうだわ。


ミシェーラは早速用意させた白紙の紙を前に先ほどの出来事を反芻していた。

本音を言えばミシェーラは遺書など書きたくなかった。

死ぬことを認めているようで。

でも、冷静なもう一人の自分が休暇のうちに書き上げておけと告げてくる。


どうせ黒竜の儀が近づけば近づくほど呼び出しが増えてゆっくりとした時間など取れないのだ。


普通の暮らし。学園生活。

先読みの巫女として理不尽を飲み込み、諦めることに慣れているミシェーラはこの時も揺れる自分の心に蓋をした。


そして真っ白な便箋を見つめる。

何を書こうか。


父親に向けた手紙は簡単だった。

感謝と親愛、親より先に天へ旅立つ親不孝な娘であることへの謝罪。

涙があふれて止まらなくなったが筆は止まらなかった。

一通目の紙を便箋に入れ…もう一枚の宛名しかかけていない紙へと向き直る。


ーーーダスティンさまは私がそんなに綺麗なものじゃないと知っても受け入れてくれるのかしら?


心に浮かんだ不安。

ミシェーラその時になって初めて、卒業式で告白されてもダスティンのことをすぐに受け入れられなかった本当の理由に気がついてしまった。


ーーー黒竜の儀のことしか考えられなかったのも嘘ではないけど…私は今までのことが知られて軽蔑されるのが怖かったのね。


ミシェーラは誰もいない自室で一人目を伏せた。

今まで自分に憎しみを向けてきた人間の顔が浮かんでは消える。


今まで、数多くの幸せなカップルをミシェーラは引き裂いてきた。

もちろん、彼女が望んだことではない。

ただ、彼女がそこにいるだけで、引き寄せられてしまうマスキラがあまりにも多かったのだ。


周囲の大人はミシェーラに言った。

あなたのせいではない。悪いのは誠実さが足りないマスキラの方だと。

正論である。

しかし、正論がそこにあっても、被害者であるフィメルから見れば、ミシェーラは悪者なのだ。


「あんたさえいなければ!」


初等部で、友達だと思っていた生徒から何度も言われたセリフ。

あまりに繰り返されるものだから、だんだんミシェーラは罪悪感が麻痺していった。

ミシェーラを害そうとする子供たち。それの倍の数だけ守ろうとする子供がいた。


ミシェーラは賢い子供だった。

すぐに、ニュートの子供たちを分類できるようになった。


この子は将来フィメル。

この子は将来マスキラ。


浅く広い付き合いの中で、マスキラになりそうな子とできるだけ仲良くした。

デニスがいい例だ。


みんなから愛されているようで、ミシェーラの心はいつも乾いていた。


ーーー私も心から泣いて怒れるような恋がしてみたい。


自分に泣いてすがる見知らぬマスキラとそのパートナーの憤怒に染まった顔を見ながらミシェーラはいつもそんなことばかり思ってしまうのだ。


幼い頃に筋肉好きに目覚めてフィメルになったということになっているが、あれは嘘だ。筋肉好きの部分は合っているが。

護衛騎士の一人に本気で惚れたのだ。

パートナーがいたのでミシェーラは決して周囲に悟られないようにしただけのこと。

ミシェーラ自身、ごまかし方が正直よくなかったとは思っているがーーーミシェーラは幼いながらに自分の存在の重さを理解していたのだ。


ーーーわたしが惚れたなんてなったら、あの騎士のお兄さんの人生変わってしまうもの。


淡い恋はすぐに消えた。

ミシェーラが消したのだ。


その騎士には大好きだと語っていたパートナーがいた。

いつからか、めっぽうパートナーの話は聞かなくなったが。

ミシェーラが恋を自覚し、フィメルに変わったひと月前ほどからーーーミシェーラは自分を見る騎士の目が変わったことに気がついていた。

冷静になると恐ろしいことだ。

10歳に満たない少女に、大の大人が好意を抱いているのだ。しかも、一人ではない。ミシェーラは気がついていた。騎士が定期的に入れ替えられる本当の理由に。


それ以来、いいなと思うマスキラはいたがミシェーラはどこか冷めてもいた。


ーーーわたしに惚れられるのなんて迷惑だわ。


ミシェーラは自分が魅了魔法でも使えるのではないかと疑っていた。

それほどまでに、ミシェーラの「ちょっといいな」が相手にとっては大変なことになるのだ。

相手のパートナーのことを考えると、とても好意など表明できなかった。

自分が名前を出した瞬間、誰でも連れてこられるーーーしかも、おそらく本人の同意のもとに連れてこられることがわかってしまっていた。


「先読みの占い師」の力もあるが、それほどにミシェーラの異性を魅了する力はすごかった。


ミシェーラは今まで生きてきて、マスキラやニュートに頼んだ自分の望みが叶わなかったという経験がない。

何気ない会話の中であれが食べたいな、なんてつぶやこうものなら翌日の机の上にはたくさんの貢物が置かれていた。

ファンクラブができたのも自然の流れだったのかもしれない。

ミシェーラ自身、自分の魅力を制御しきれていなかった。特に初等部の頃は。


だから、彼女からみたライラとデニスは憧れだった。


自分に惚れることもなく、対等な友人でいてくれる二人。


ーーーライラなんて、どう見てもフィメルになりそうなのに。


ミシェーラがわがままを言えば嗜めてくれ、純粋な親愛をくれる二人。

キラキラと光るように青春を送る二人はミシェーラの宝物だ。


そんな冷めたミシェーラにも、気になる相手ができてはいたが。

失敗したと思っていた。中等部になってからは気をつけていたのに。


ーーーダスティン様はちょっとタイプすぎたのよね。体つきも、顔も。


気がついたときには手遅れだ。ミシェーラは今でもたまに、ダイアナが泣いている夢を見る。他国へと嫁いでいってしまったという彼女。

ミシェーラの「先読みの占い師」としての立場を考えれば、文句など言えなかっただろう。泣き寝入りさせる結果になってしまった。

しかし、ミシェーラの後悔などどこ吹く風。

当のダスティンは清々しいまでに真っ直ぐにミシェーラに求愛してきた。

何度拒否しても。ミシェーラにパートナーができるまではあきらめないと言って。

ついこの間も急に現れたと思えばーーー


「ーーー俺はプロイセンに行く。役目を終えたら俺の元に来い。」


ミシェーラが拒否するなんて微塵も思っていない、自信満々のその態度。


ーーーそもそも、わたしが国外に行くのなんて許されますか?


ミシェーラの呆れ顔にも笑っていた王子。


「お前の気持ちも周囲の思惑も知らん。ーーージョシュア様には許可は取ってある。それで十分だ。ーーー俺の元にくる覚悟決めておけよ。」


ミシェーラはその時は流した。

「考えておきますね」なんて言って。

しかし、いざ遺書を書くとなると相手に浮かぶのはダスティンの顔一人だ。


同時に浮かぶのは何十というカップルを破局させてきた自分にダスティンのような素敵な人とパートナーになる資格はあるのだろうかという不安。


ーーーそれでもきっとダスティンさまなら受け入れてくれるはず。


ミシェーラは震える手でクーガンの用意したまっさらな紙に遺書を書き上げた。

知って欲しい自分の過去を包み隠さず伝えるために。


そして最後の一行にミシェーラはある言葉を書こうか迷い…結局やめた。


「わたしができるのは、ダスティン様を解放して幸せを願うことくらいだわ。」


二通の遺書という名の便箋を二つ折りにした後で蜜蝋を押す。


開かないことを確認した後で…ミシェーラは泣きそうな顔でクシャリと顔を歪ませた。


「…まだ死にたくないわ。サークルストーンは生きて渡したいもの。」


ーーーわたしの魔石はあなたに託します。


魔法使いは死ぬ直前に自分の魔力を心臓に集めることで魔石を作れることが知られている。死際なので皆ができるわけではないが…残していくものへの未練が強い魔法使いほど大きな魔石が作れると言われていた。

そしてその巨大な魔石の多くはサークルストーンとしてブローチに加工されるのだ。

一部の例外はあるものの形見となる魔石を受け取れるのは婚約者と家族だけだ。

ミシェーラは今の自分なら特大の…それこそライラの胸に輝いているようなサイズの石が作れるだろうと自嘲する。


一番書きたい言葉を書けなかった遺書を見つめ…ミシェーラはそっと引き出しにしまった。すぐにパーシヴァルに連絡を取らなければいけない。


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