3の八 みんな楽しみなアレ
突然だが、アメリアイアハート魔法学園には制服がない。
校則で指定されているのはのは真っ黒のマントだけ。入学直後に「protection」を施し、日々魔法の暴発事故から生徒を守っているこのマントだがーーー
生徒たちはこのマントに個性を見出している。
それは機能面であったり外観であったりと生徒によってさまざまなのだがーーー共通して言えるのは、皆が自分のマントをとても大切にしているということだ。
そして、その相棒のようなマントをーーーある時期に限り交換し合う風習が学園にはあった。
学園全体を包む浮かれた空気にあらがいきれなかったライラは、いつもより長いマントを踏んでしまい、つまずきかけた。
フェルによって支えられていたが。
ミシェーラも渋い顔である。
彼女の場合はもはや引きずっている。
破損耐性魔法がかかっているマントとはいえーーー歩きにくいことこの上ない。
二人が身の丈に合わぬマントを身につけているのは、開催を目前に控えた学園行事のためだ。
ミシェーラがずるずるとマントを引きずって入るとーーー目の前に、ひょろっとしたニュートが現れた。
つんのめりそうになりながら止まったライラたち。…前の授業が長引いたのだろうか、ちょうど教室のドアをくぐったところだったフレイザーがぼそっと言った。
「イベントで浮かれて怪我とかしたらどうするんだよ。はあ、本当に生産性がない。」
わざと聞こえるように言っているとしか思えないフレイザー。
ミシェーラがバッと振り向いたときには、スタスタといなくなっている。
眦を吊り上げるミシェーラをライラはなんとか宥めている。
「あの教師!ーーーほんっとに性格悪い。」
席に座った後になっても、プリプリとミシェーラが怒ってるとーーー呼び出しを受けていたデニスが教室に駆け込んできた。
ライラがかがみ込んでミシェーラを撫でているのを見て、どうした?と首を傾げている。
ライラは苦笑して、フレイザーのことを話した。
デニスはああ…と納得顔になる。
「なるほどな。ーーーフレイザー先生、イベントごととか嫌いそうだもんなあ。教師同士のトーナメントにも、毎年出場を渋ってるらしい。『業務内容じゃないんで。』って断って、運営委員を毎回困らせてるらしいぜ。」
今年の説得役だったアツムは大変だったらしい。
どうやって交渉したのかーーーライラは、来年は黒薔薇団に加入している自分が交渉役になるかもしれないと気がついてブルーな気持ちになった。
面倒な役を誰に押し付けようか…ライラが早くも来年のことで眉を潜めているとーーーミシェーラが不満そうに口を尖らせる。
「あんな態度だけど、毎年準優勝なんでしょ?ーーー魔法使いを見た目で判断しちゃいけないっていうけど、あの人なんてほんとそうよね。」
確かに、とライラとデニスはうなずく。
先ほどから話題になっているのは三日後に迫った「最強位決定戦」だ。
三日間にわけて行われるこの行事は、優勝者に「高等部進学権+奨学金」が保証されることもあって、毎年大盛り上がりになる。
ライラはデニスにマント交換を頼まれて初めてこの行事のことを知った。
交換した後で、ミシェーラには呆れられたが。
「ーーー普通カップルがやるのよ?あれだけ袖にしておいてひどいやつね。」
ライラはこれを聞いて、目を丸くした。
デニスは「一番仲がいい奴と交換する」と言ったのだ。
カップル同士のやりとりだなどというのは完全なる初耳だった。
しかし、ライラはすぐに不満げな表情になる。
ミシェーラにだけは言われたくなかったのだ。
「ミシェーラだってダスティン様とカップルじゃないのに受け取ってるじゃん!」
ライラの抗議に、ミシェーラはサッと目を逸らした。
気まずそうに言う。
「この俺に恥をかかせるのか?ーーーなんて言われたら断れないわよ。こっちは庶民なのよ。」
ライラはミシェーラの胸に輝く大粒のサークルストーンと、ワンピースに散りばめられた魔石を見てミシェーラほど「庶民」が似合わない人もいないなと感じた。
まあ、王族に比べたら庶民で間違いないのだろうが。
「これ、のおかげで変な気を起こすマスキラがいないのはよかったわ。泥沼の争いとか嫌だもの。」
マスキラよけにちょうどいいと真顔で言うミシェーラ。
彼女でなければ自意識過剰と取られかねない発言である。
授業が始まってからも授業の板書をとりながらーーーやはりライラの頭を占めるのは最強位決定戦のことだ。
目の前のロバート先生も「最強位決定戦」に出る。
最強位決定戦の初日が教師の部なのだ。
はじめ聞いたとき、ライラは耳を疑った。なぜ学園行事で教師が戦うんだ?という疑問は誰も持たないらしい。生徒たちは純粋に誰が優勝するかで盛り上がっている。
流石に高齢の先生は出ないらしいが…フレイザーとあの人の決勝になるのが定番なのだそうだ。
なじみ深い二人が戦う姿が想像できないため、ライラは今から本番を楽しみにしていた。
フィンの魔獣学の後は、アルフの実践魔法学だった。
晴天の下、実技場に吹く冷たい風に震える一年生にーーーアルフはいつも通りの大声で言った。
「ギャンブルは俺に投票しろよ?誰も勝つと思ってないから大穴だ!」
生徒たちからは歓声ともヤジともつかぬ声が上がった。
デニスは笑っているがーーーミシェーラとライラは呆れ顔だった。
「教師公認でギャンブルって、この学校大丈夫かしら。」
ーーーミシェーラが心配そうにつぶやく。
ライラは盛り上がる周囲を見て呆れた顔のままだ。
毎年の恒例として、勝者予想の賭け事が行われている。
主催者は、なんとフレイザーらしい。
「特別手当て」を出せない代わりに学園長は彼の「お遊び」に目を瞑っているのだとか。
ライラが見かけたときには真顔で生徒に「予想券」を売りつけていた。
教師勝者の予想は「シャロン」、生徒は「ダスティン」らしい。
シャロンってそんなに強いんだなあとライラは感心した。
デニスはだろうな、とうなずいていたが。
ボーッとしていてアルフの説明を聞いていなかったライラはーーーデニスに揺さぶられたことで、ようやく本日の課題を聞き逃したことに気がついた。
慌てて立ち上がりーーー周囲の光景に首を傾げる。
「なんでみんな素手で戦ってるの?」
デニスが周りを見回して苦笑している。
なんでもーーー
「最強位決定戦の一回戦目は『肉弾戦』らしいぜ、予行練習だとよ。一年生五人しか出ねーのにな。」
「…それはつまり。明日の二年生の実践魔法の授業でも私たちは素手で戦わせられるってこと?」
ゲンナリとした顔になったライラをデニスが慰めている。
そんな二人に目をつけたアルフが寄ってきた。
「おい、そこの二人、きちんとやってるか?ーーーデニスは出場選手だろう?ライラック、ちゃんと練習相手になってやれ。」
ーーーえ、この筋肉ダルマと戦えと?
ライラはびくりと肩を震わせた。
「ーーーいや、ライラなんて指先一つでデニスに飛ばされそうだよ。」
ぼそっと、呟いたフェルにライラがコクコクと同意を示している。
デニスはそんな二人を見て苦笑いした後で、アルフをなんとか追い払っていた。
「デニス、ペアを変えるか?なんだったら、あっちにーーー」
「いえ、先生。ライラのペアは譲りませんので。ーーー大体、俺が朝も夜も部活で模擬戦してるの知ってるじゃないすか。今更授業でやらなくても大丈夫っすよ。」
ニカっと笑ったデニスを見て、アルフも「それもそうだな」と納得していた。
歩き去っていったアルフを見て、ライラがそっと息を吐いている。
「デニスありがと、戦わされたらどうしようかと思った。」
デニスは気にすんなと手を振った後でーーーミシェーラとフィメルが固まって練習しているあたりを見た。ライラに視線を戻して一言。
「ライラも護身術の特訓する?」
「…。」
「立ってるだけじゃ単位もらえねえぞ?」
渋々頷いたライラにデニスは苦笑する。
ライラの運動神経がないことを彼はよく知っていた。
◯
そんな最強位決定戦に浮かれムードの学園は、出場選手に配慮してか、普段と比べて非常に課題が少なかった。
「先生たちも鍛え直してるって話だから課題を見る暇ないんじゃない?」
ーーーというのがミシェーラの話だ。フレイザーだけがいつも通りレポート課題を出していて、生徒からはブーイングを受けていた。ライラはどこまでもブレな姿にいっそ感心したのだが。
放課後になるとあっという間にいなくなったデニスとミシェーラ。
デニスは部活、ミシェーラはパーシヴァルが黒竜の儀のことで次々に質問を送ってくるらしい。
忙しい二人位に別れを告げ、ライラが一人図書館へ向かうか迷っているとーーーピロンと魔力通話がなった。
ライラは画面を起動して、そこに浮かび上がった名前に歓声をあげている。
「フェル!OZさんが王宮に来いって言ってる!」
スキップでも初めそうなほどに浮かれたライラがケイマプレート乗り場に向かおうとすると、フェルからストップがかかった。
「学園裏の森から浮遊魔法で行こうよ。ジョーワに浮遊魔法をかけて練習するように言われたしちょうどいいね。」
フェルはそういうと、ピューっと人気のいない北の方角へと飛んでいった。
ライラが慌ててそのあとを追いかける。
ーーー途中で息切れして、フェルを心配させることになるのだが。
「(ゼエ、ゼエ、ゼエ)フェ、フェル、もうちょっとゆっくり…」
「ライラ!?ーーー大丈夫!?ライラの虚弱さを忘れてたよ。」
フェルがおろおろとしているが、まだ生徒の往来がある場所だ。
ライラはよろよろとしながらも、なんとか自力で校舎裏の人気のない森の前へと辿り着いた。
「ライラはせかすと死にかける。よし、ボク覚えたよ!」
えっへんと言わんばかりにフェルが中を回っている。
ライラはしゃがみ込んで息を整えている。
「ーーー前より、体力落ちてるよね?…デニスが甘やかすせいか。」
フェルの視線が心なしか冷たくなったような気がして、ライラは気まずそうに視線を逸らしていた。
ライラはミシェーラが欠席の日の移動教室はしょっちゅうデニスに抱えられて移動していたのだ。
夏直後に弱った姿を見せたのがいけなかったのだろう。
デニスはライラが少しでも顔色が悪いと、過保護なまでに心配するのだ。
しかしーーー
「でも、こうやって歩くと息が切れるから、デニスの心配もあながち間違ってないかも。」
「いや、これはちょっと急ぎすぎたせいでーーー」
ライラが必死に言い募るものの、フェルは聞く耳を持たない。
「やっぱり、浮遊魔法は早急に覚えさせるべきだね。」
フェルはぶつぶつと言いながらも、ライラに浮遊魔法をかけていた。
ライラはフワッと浮き上がったことでーーー体の力を抜き切っていた。
すっかり寛いだ姿勢になったライラに、フェルの叱責が飛ぶ。
「ライラ!真剣に魔力の流れを感じ取ってよ!ーーー普通の魔法とは違うでしょ?」
「フェル、今日は疲れたから休みたい…。」
「ちょっとライラ!?」
ワイワイと騒ぎながら、二人は人気のない森の方へと移動していく。
そして、普段は使わない裏門へとやってきたライラたち。
木の影にそっと降りて、徒歩で門へと向かう。
騎士たちは一瞬警戒を見せたがーーーすぐに剣の柄から手を離した。
「なんだお前らか。シャーマナイト様のところに行くのか?ーーーフェル、珍しく単独行動じゃないのな?」
まあね、と返事をするフェルを見てライラがむくれる。
「なんでフェルばっかり」といつもの文句を言い始めた。
「今日はライラが呼ばれたんだからいいじゃん。」
と呆れたようにフェルに言われている。
「どっちが主人だかわからないな。」
「手のかかる子だけど可愛いんだよ。」
フェルがけろりと答えるものだから、人間たち三人の間には笑いが起きた。
「わたしがいけないというよりはフェルが人間っぽすぎるんですよ。」
ライラがいうと、「違いねえ」と騎士たちも笑っている。
そんなふうに話していると、一人の騎士の魔力通話が鳴った。
画面を見てーーーお、珍しいなどと言っている。
「シャーマナイト殿下が昼間から趣味に興じているそうだ。ーーー外交からお戻りになったばかりだし、お疲れなのかもな。…ライラック、フェル、竜舎のほうに行ってくれ。」
騎士が告げた場所にーーーライアは目を輝かせた。
なぜならば、ライラは黒竜はもちろん竜とつくもの全ての大ファンなのだった。
目を喜びの魔力でキラキラと輝かせるライラを見て、フェルはなんとなく不機嫌そうだ。
「あんな飛竜くらいにそんなはしゃがなくっても。」
「飛竜いいじゃん!かっこいいじゃん!ジョシュア様と飛竜のコラボレーションが見られるなんて…赤飛竜、青飛竜、黒飛竜全てお持ちなんだよね?楽しみだ!」
フェル!早く浮遊魔法を!
そう言って、全く自分で動く気配を見せないライラにフェルが呆れ顔になったがーーーすぐに真顔に戻った。
「ねえ、ライラ?もしかして熱が上がってる?」
フェルの指摘にーーーライラはびくっと肩を揺らした。
「あはは」と笑うライラを見て、フェルが怒りながらーーー泣きそうな声になっている。
「すぐ隠すんだから!それならそうとはやく言ってよ!」
「えー、だって学園で言ったらフェルに王宮来るの禁止されると思ったから。ーーーほら。行こう!」
「用事を済ませたらすぐに帰るからね!」
ワイワイと騒ぎながら消えていった二人を見送りながら、騎士がつぶやいた。
口元は笑いを堪えるように不自然な曲線を描いている。
「ーーー親子みてえだな。」
フェルに連れられ、ライラが向かったのは、真っ黒に塗られた正方形の箱のような場所だった。
遮光性の素材でできているのか、外から中が見えないようになっている。
ライラたちは入り口らしき場所に降りたった。
すると、まるで見えているかのようなタイミングで、にゅんっと入口が開いた。
ライラはアーチ状に開いた空間を潜りーーー「わああああ!」と歓声をあげた。
中では、美しい竜四体が飛び回っていた。
ライラが見つけてきた氷竜の幼体も随分と成長している。
青飛竜に懐いているのだろうか。じゃれつくように周りを飛び回っている。
そして、ジョシュアはといえば、黒飛竜の背中にまたがっていた。
鞍などはついていないのに、ぴんと姿勢を伸ばしたままその軸がぶれることはない。
私服なのだろうか。青のジャケットと同じカラーのハットをかぶった姿は、さながら童話から飛び出た王子様のようだった。
ライラがジョシュアに身惚れ、飛行する竜へと見惚れ、「あっちもこっちも天国だ…」などと目移りしている間にーーーフェルはチカチカと光っていた。
そのあとで、飛竜たちがライラとフェルの方を見たことから、何かの合図を送っていたようだ。
「キュー!!!」
ライラに気がついた氷竜が突進するようにやってきて、フェルに浮遊魔法で止められていた。
「グガガガガガ!(おい、チビ竜、お前が突っ込んだらライラが死んじゃうんだよ!ちょっとは考えろ!)」
フェルが怒鳴ると、シュンとしたように氷竜が空中で体を縮こまらせた。
ライラはフェルを「まあまあ」と言ってなだめながら、氷竜へと手を伸ばす。
恐る恐る近寄ってきた氷竜。
視線はチラチラとフェルに向けられており、幼い子が親に怒られないかと怯えている様子にそっくりだった。
ライラはクスクスと笑いながらーーー触れられる距離にきた氷竜の鼻先へと手の甲を滑らせる。
氷竜も甘えるようにすり寄っていて、非常に微笑ましい光景だった。
「元気だった?」などというやりとりをライラが竜の言葉で行っているとーーー黒竜からひらりと降り立ったジョシュアがテクテクと歩み寄ってきた。
フェルの横に並んだ彼は、ライラと氷竜を感心したように見る。
「ーーー随分と懐いているな。契約主以外の魔力を覚えているとは、あの氷竜が賢いのか?」
ジョシュアの呟きに、フェルはさあねと舌をちらつかせた。
ジョシュアはそんなフェルを一瞥しーーーライラのすぐ横に立った。
ライラは、そこでようやくジョシュアが降りてきていたことに気がついたらしい。
慌てながら胸で十字を切っている。
「ジョシュア様!失礼しました。本日はお招きいただきーーー」
ザッと跪こうとしたライラをジョシュアが片手を振ることで止めた。
「私的な場だから堅苦しいのはいい」と首を振っている。
そして、恐縮するライラを見ながらーーー少し眉を寄せた。
「失敗したな。ライラック、今日は魔力が乱れているじゃないか。体調が悪いのに呼びつけたなんて。またパーシヴァルにどやされるな。」
びっくりしたようにライラが顔を上げると、じっとライラを見つめているジョシュアの黒の瞳と視線があった。
しばし沈黙が流れーーーライラが真顔でいった。
「ジョシュア様に会えたことで元気になったので問題ありません。」
「心配してもらえるなんて熱に感謝したいくらいです」などと言い放つライラ。
ジョシュアは「そうか?」などと言ってうなずき、フェルに呆れられている。
「それでご用件は?」
ライラが水を差し向けるとーーージョシュアはそうだったな、と言いながら腰に下げていた袋から椅子と机を取り出した。
パチンと指を鳴らすだけで机を整列させたジョシュア。
器用な魔法使いに、ライラから拍手が上がる。
ジョシュアはサッとライラの手を手袋越しにとり、エスコートして椅子に座らせた。
ジョシュアが近寄ってきた瞬間、芳しい香りがしてライラは熱がさらに上がったような気がした。
ーーー私服も「英国紳士」って感じだし、香りまでいいなんてほんとに完璧王子だなあ。
ライラがギクシャクと歩いて、ジョシュアに訝しがられながらも…向かい合って座った二人。
ジョシュアのぴんと伸ばされた姿勢は変わらないが、足を組んで魔煙を取り出し、ふかし始めたその姿は、確かに休日感を感じさせるラフなものだった。
ライラが貴重なジョシュアの姿に、歓喜で目を輝かせる中ーーージョシュアがおもむろに口を開いた。
「今度最強位決定戦があるだろう?ーーー来年赴任する前に一度学園を見ておきたくてな。保護者として参加しようと思う。ライラックには学園側の手続きと当日の側人を務めてほしい。頼めるか?」
ついこの間成人したばかりのジョシュアが「保護者」などというとひどく違和感があったのだがーーー王族の保護者は国王か王太子が務めるのが慣例らしい。
意外と家族のつながりが強いのがブリテン王室の特徴なのだ。
ライラはそんな説明を受けて、すぐに深く頷いていた。
異論などあるはずがない。すぐにオズワルドに書類関係を確認しなければと呟いている。
ライラがうなずいたのを見て、ジョシュアは「よろしく頼む」と言った。
そして、少し気まずそうに言う。
「チョーカーを与えたのに放っておきすぎだとOZが煩くてな。ーーーそうだ、ビリンガム嬢も知り合いなのだろう?当日は連れてきても良いぞ。どうせ細かい仕事はOZがやる。ちょっといい席で見られると思っておけばいい。」
ライラは「なるほど、いい考えですね!」と満面の笑みだがーーフェルはじっとりとした目でジョシュアを見ている。
「普通さ、そこは自分が考えたことにしておくものでしょ?ーーージョシュア、よく外交とか行けてるね。」
呆れ声のフェル。
しかし、ジョシュアはさらりと言い返している。
「外交の時はOZのサポートがあるし、あらかじめ会話内容が予想できるので回答を用意しておくんだ。…事前に外交官が詰めておくしな。今は停戦中だし、所詮王族に求められているのはパフォーマンスだ。」
「今はプライベートだからってことですかね?ーーー気を許していただいているなら、光栄です。」
デレデレと笑うライラ。
ジョシュアは「喜んでいるならよかった」とうなずいている。
「噛み合ってるような噛み合ってないような…」とフェルはまだもやもやとしたものがありそうだったが、人間二人はのほほんと語り合っている。
ジョシュアにあれこれと竜のことを聞いていたライラはーーーふと、彼の耳に光るピアスへと目を向けた。
一つはフィメル用のデザインだろうか。金色に輝くボールピアスは中性的な美貌のジョシュアによく似合っていた。
そしてもう片方が、ライラの目を引いたのだ。
「ジョシュア様、その黒の魔石はどこのものですか?ーーーすごく純度の高い黒魔石かと思われますが。」
ライラの言葉に、ジョシュアは「ああ」とうなずいた。
「黒竜の鱗を取ってきた。ーーー眠っていても生え変わるようで、落ちているんだ。拾ってきて、加工させてアクセサリーとして身につけている。」
ジョシュアが加工に使っていると言う店名はロイヤルワラントとして庶民のライラさえ知っている名店だった。
黒竜の鱗とはいえ魔石とーーー庶民では入る機会もないような宝飾店のオーダーメイド品。
ーーーもしや、この前いただいたあのスタージュエリーの指輪も同じ出所なのでは?
いくらするのか考えーーーライラは少し青くなっていた。
普段身につけられないスタージュエリーの指輪は銀行の貸金庫にでも預けるべきかもしれない。
寮の鍵のかかる引き出しに置いてあるのだが、黒竜の魔石をうっかりなくしたでは大変な問題になりそうだ。
ライラがそんなことを考えていると、フェルが会話に加わってきた。
「ボクは黒魔石は食べないけどーーー黒竜ってやっぱおかしいよね。他の魔獣は一体に一個しか魔石が取れないのに、鱗からボロボロ魔石が落ちるんだもの。」
フェルの言葉に、ジョシュアが考えるように宙を見上げた。
「高位魔獣の涙は魔石になると聞いたことがあるから、魔力量が関係しているんじゃないかと思っている。ーーーフェルも涙は魔石になるだろう?」
フェルは黙り込んだ。
自分が泣いたときのことを思い出したのかもしれない。
ライラが黙り込んでしまったフェルを撫でているとーーージョシュアが思いついたように言った。
「それだけ竜が好きなら乗ってみるか?ーーーフェルが浮遊魔法で浮かせればいいだけな気もするが。」
ジョシュアの思わぬ提案に、ライラが「いいんですか!?」と目を輝かせる。
フェルは「なんで飛竜なんかに」と文句を言ったが、二人はどんどん話を進めている。
「青竜にしなさい。あの子は飛ぶのも上手いしほてった体には冷たくて気持ちがいいだろう。」
ライラはうへへへへと笑ってフェルを呆れさせつつ、フェルに手伝ってもらいながら青竜の背中に乗った。
騎乗したまま飛ぶのは無理だった。ライラの体幹では振り落とされてしまうのだ。
ジョシュアは黙って竜とライラが戯れるのを見ていた。
ライラがはしゃいだ隙に落下しかけ、フェルが慌てたように発光する。
そんな様子をジョシュアは無表情で見守っていた。
オズワルドがいればジョシュアの機嫌がわかったのかもしれないがーーーともかく、ライラは動けなくなるまで青竜とたわむれ、フェルに叱られながらも満足そうな顔で帰って行ったのだった。
オズワルドは夜になっても一個に戻ってこない主人を探して黒の四角い建物へとやってきていた。
そして、相変わらずの光景にため息をつく。
黒の飛竜の頭上に座ったジョシュア。そしてその周りを色鮮やかな飛竜が取り囲んでいる。ジョシュアを中心に集まる竜たちは、一見穏やかそうだがどの個体もジョシュアに危機が迫れば一瞬にして牙を向くことをオズワルドはこれまでの経験からよく知っていた。
月の光に照らされたジョシュアの横顔からは表情を読み取ることはできない。
ジョシュアの作り物めいた美貌と宝石のように輝く飛竜たちの鱗。
まるで一枚の絵画のような光景に、オズワルドは笑みを深める。
このジョシュアを見られるのはオズワルドだけである。
それが彼にとっての誇りでもあった。
ーーーもうすぐ、私だけじゃなくなりそうですがね。
ふふふ、と口元に笑みを浮かべたあと、オズワルドはポンと魔力の球を打ち出した。
こうして考え事に没頭している際のジョシュアには、声がけよりも魔力を打ち出す方が良いとオズワルドはわかっていた。
予想通り、ジョシュアの瞳がオズワルドに向けられる。
ジョシュアはスッと立ち上がり、飛竜の頭から飛び上がった。
そして、まるで重力がないかのようにオズワルドの前に着地する。
二階ほどの高さから飛び降りたようなものだったが、ジョシュアは平然としているし、オズワルドも気にした様子はない。
夕食はどうなさいますか?などといつもの調子で問いかける。
「ーーーわたしは食事はいらない。…何度言えばわかる。」
ジョシュアの若干不満げな声に、オズワルドは笑った。
「そうは言われましても、美味しい、まずいといった味は感じるのでしょう?それならば、こちらは用意しますとも。」
ニコニコと笑うオズワルドにーーージョシュアは諦めたようにため息をついた。
「後で食べるから残しておくように厨房に伝えてくれーーーそうか、月がもうあんなところにある。」
ようやくジョシュアは深夜に近いことに気が付いたらしい。
睡眠も食事も必要としないジョシュアは、こうして時間の流れを忘れる時がある。
ジョシュアを周囲の流れに戻すのも、オズワルドの重要な役目の一つだった。
オズワルドはうなずきながらーーーそういえば、と思い出したように言った。
「なぜ学園に行かれるのですか?ーーーパーシヴァル様がいないなら他の方に任せるとおっしゃっていましたよね?」
「…OZ。人聞きの悪いことを言うな。パーシヴァルの卒業が来年なら、今年はダスティンの血族に譲ると言っただけだろうが。」
ジョシュアの反論にも、オズワルドはニコニコ笑うばかりである。
しばし見つめ合う二人。
ジョシュアは反論を諦め、ふっと息をついたあとーーーポツリと言った。
「わたしが向かわなければいけない事情ができたのだ。ーーーそれに、嫌な予感がする。」
「ジョシュア様の嫌な予感は当たりますからねえ。お気をつけくださいませ。」
オズワルドは、口調とは裏腹に全く心配していないのだろう。
いつも通り穏やかに笑いながら、ジョシュアが竜へと魔石を与えようとするのを止め、離宮の方を黙って指差している。なにがなんでも今すぐ連れ帰る気らしい。
ジョシュアは若干名残惜しそうにしながらも、離宮へと足を動かし始めた。
前触れなくジョシュアが言った。
「もう、失敗しない。誰も死なせない、そのために私がいく。」
オズワルドはジョシュアの言葉に、特に驚く様子もなくただ浮かべている笑みを深めた。
「ダスティン様の母君にはお話はつけましたか?」
「なぜ話をつける必要がある?理由ができたから行くだけだ。優先順位が変わったことくらいはわかるだろう。」
しれっと言い放ったジョシュア。
オズワルドが呆れたようにジョシュアを見るが、ジョシュアは表情を変えない。
「…。急に行くなと言われて向こうも戸惑っているでしょう。わたしの方から手紙をしたためておきますね。」
「?…そうか。」
夜は心地いいな、と真顔で呟くジョシュアに、オズワルドがわたしは魔素をそこまで感じ取れません、と言い返している。
二人のコツリコツリという足音が、静まりかえった深夜の王宮に響き渡っていた。