2の十一 甘くない現実
フェルがジョシュアに連絡するとーーー今夜、9時以降なら時間が取れるという回答があった。
そこでライラは、久々に寮へ戻り、一足先に戻ってきていたミシェーラに。満面の笑みで出迎えられた。
明日からは新学期だ。
二人は久々の再会を喜びあいーーー離れていたひと月の時間を埋めるように、向かい合って語り合う。
そして、ミシェーラの近況報告がライラを驚かせることになる。
というのもーーー
「えええ!?じゃあ、ミシェーラ、先読みの占い師として、国王様と一緒にプロイセン王国に行ってきたの!?」
そうよ、となんでもないことのようにうなずくミシェーラ。
机の上にはジャーマンのお菓子が所狭しと並べられている。
ナッツが入っていて非常に美味だった。
先ほどから二人は、手を止めることなく食べ続けーーークーガンに取り上げられている。
驚くライラと対照的な、ミシェーラの落ち着きようがーーー今まで、関係者として認められていなかったライラには話せなかっただけで、ミシェーラが頻繁に王族と一緒に外交活動していることを物語っていた。
ちなみに、ミシェーラがヘマタイト王から与えられている宝石について、ライラはこの日初めて知らされた。
瞳ほどの大きさもあるそれは、国王がいかにミシェーラを重要視しているか、ひと目でわかる代物でーーーライラは思わずミシェーラを二度見してしまったものだ。
ライラはそこで、「ミシェーラってもしかして、すごい人?」などとつぶやき、「今になってなんで変なことを言っているの?」とミシェーラに呆れられていた。
「ーーー通りで13歳の割に落ち着いてるはずだねえ。」
うんうんとうなずくライラ。ミシェーラはそれを見て頬をふくらます。
それ、ライラには言われたくないわ、とミシェーラに返されーーー二人は笑い合った。
こんなやりとりも久々だったからだ。
和気あいあいと話しながら、ライラに頭を撫でられ、ご満悦の表情だったミシェーラだがーーーふと真剣な表情になって言った。
「ーーーライラ、魔法学園中等部にプロイセンの留学生が来るっていう噂があるの。」
ミシェーラの言葉にライラは首を傾げた。
なぜ、魔法大国の留学生がうちに?
どう見積もっても隣国の方が魔法に関しては進んでいる。
色なしの多いこの国は、機械や航空といったーーー産業に関しては世界トップクラスなのだが。
そんなわけで、逆ならまだしも、なぜグレイトブリテン王国の魔法学園に隣国の留学生が?とライラは首を傾げる。
そんなライラの疑問を感じとったのか、不思議よね、とミシェーラもうなずく。
「噂では、ジョシュア様の授業を受けに一年間だけ来るって話だわ。ーーーエイドリアン様ーーーあ、国王様のことね。エイドリアン様がね、なんだかきな臭いから気をつけなさいっておっしゃってたの。」
国王直々に心配される友人についてもライラは気になったがーーー隣国の留学生は注意が必要、と頭の片隅に書き留めた。
まあ、ライラは、有事の際にはフェルに頼ればなんとかなるだろうと思っているのだが。
フェルは寮の部屋にはいなかった。
ライラの願いを受け、王宮へとジョシュアに夜行く旨を伝言にいった。
フェルだけであれば空間転移が使えるにも関わらず、帰ってこないところを見ると、向こうで呼び止められているのだろう、とライラは予想していた。
フェルが王宮へと行っていることにライラが気がついたのは偶然だった。
ライラが一度深夜に目覚めた際に、フェルが部屋にいなかったのだ。
真っ青になって外に飛び出そうとしたところで、慌てて戻ってきたフェル。
ライラに不在の理由を聞かれーーー発覚したのだ。
ライラはすねた、自分も行きたいと言って。
呼ばれているのはフェルなので、叶わぬ夢なのだが。
プロイセンから来る留学生へと話を戻そう。
現時点でも、何が「きな臭い」のかミシェーラにもわからないらしい。
とりあえず、来年実際に来たら考えようという結論になりーーーフェルが戻ってきたことで、話し合いはお開きになった。
自分の移動プレートがないライラは、地道に公共の移動プレートを乗り継ぐことになるため、王宮へ行くのにも時間がかかるのだ。
帰りは王宮に泊めてもらおうという考えだ。
レイモンドへはすでに連絡しており、彼の住んでいる建物の空き部屋を借りる手筈になっている。
カバンを身につけ、扉へと向かうライラを見送るため、ミシェーラが立ち上がる。
ミシェーラは部屋の中でもおしゃれには気を抜かないタイプでありーーーもこもこふわふわなその格好を見て、本物の小動物のようだなとライラはいつも思っている。
今日はオレーンがモチーフのワンピースに身を包んでいる。
耳がついたフードをかぶっているミシェーラは、ライラにギュッと抱きついた。
同室者がライラじゃなかったら、とっくにマスキラになっていたこと間違いなしの可憐さである。
ライラはいつも通りの調子で、ポンポンと頭を叩いただけだったが。
どういう仕組みなのか、彼女が動くと、耳もピコピコと揺れる。
フェルがその耳の周りを不思議そうに浮遊している。
人間ってよくわからないことに凝るよね、というのがフェルの感想だ。
耳をピコピコとさせながらーーーライラはいいなあ、とつぶやくミシェーラ。
意味がわからず、ライラは首を傾げた。
「ライラは明日レイモンド先輩と一緒に登校することになるのね?また、噂になるじゃない。楽しみだわ。」
「ーーーえ゛?レイモンドさんももしかして有名人?」
驚きで目を見張るライラにーーーミシェーラが、はああ、と特大のため息をついた。
「ーーー逆に聞くけど、パーシヴァル様のお気に入りで、成績優秀、容姿端麗ーーー有名人じゃないと思ったの?バッチリ黒薔薇団のメンバーよ。」
もう少し学園の人間関係に興味持ったら?と真顔で諭されたライラ。
一瞬検討しーーー首を振っていた。
王族以外にやはり興味が湧かないというライラに、ミシェーラは呆れながらも、ライラらしいと笑ったのだった。
◯
ライラは王宮前の移動プレートの停留所に降り立った。フェルはずっとライラの顔の横を飛んでいる。
時刻は夜八時過ぎ。
ちょうど帰宅時間なのだろうか。停留所は、黒の官服を着た人であふれている。
明らかに学生なのに、ひとり。しかも使役獣を連れているライラはーーー大人たちの注目を集めてしまったため、その場をそそくさと退散したのだった。
ライラとフェルは、観光客や地元の人で賑わう王宮前広場へ向かった。
王宮に入るため、竜門の受付のところまで行きーーー約束の時間まで少し早かったため、そばに設置されたベンチに座って待つことにした。
この広場は、王族による式典が行われる場所だ。
サッカー場ほどの広さがある。
ライラが座るベンチをはじめ、全ての物が黒地に金色の装飾で統一され、中央にある噴水を中心に、巨大な魔石灯がいくつもおかれている。
噴水に反射する色とりどりの魔素の光は人々の目を楽しませ、観光名所としても有名だ。
夜になっても屋台などが出ており、多くの人で賑わっている。
そんな広場の喧騒を眺めながらーーーライラはクンクンと空気の匂いを嗅いでいた。
食欲をそそる香ばしい匂いにまじり、身体にに入って来る魔素の質が少し前と変わってきているのを感じとる。
「ーーー空気の魔素が、だいぶ青く染まってきたね。夏も終わりかあ。」
夏は黄色の魔素が増え、秋になるとその魔素が青に変わる。
ライラは魔素に非常に敏感な体質で、夏はいつも体調を崩しがちだった。
なぜか黄色の魔素と相性がすこぶる悪いのだ。
ライラの母親などは、「ライラちゃん、黒竜さまが大好きだから、そんなところも真似しちゃったのかしらね?」などと冗談まじりにいい、寝込んでいるライラの横でよく笑っていた。
今の下がらない熱も夏が終われば少しは良くなればいいな、とライラは思う。
フェルは逆に、黄色の魔素が少なくなってくると、魔法の威力が下がるらしい。
「ボクはずっと、夏がいいよ。秋はーーー青だからまだマシか。春は最悪、赤の魔素はホントに嫌い。」
ーーーと言って、不満そうにウネウネと飛んでいた。
ライラからすると、多少威力が弱まっても全く問題ないと思うのだが、フェル的には不満らしい。
「赤竜とかが襲ってきたら、ライラのこと守れないじゃん。ーーー冬までならいけるな、春は無理だな。」
サイアクー、といつもの調子でそんなことをのたまうフェル。
しかし、この発言は、流石のライラも聞き流すことはできなかった。
「ーーーフェ、フェル、赤竜さまと知り合いなの?」
赤竜と言えば、隣国プロイセンの加護竜だ。
黒竜と赤竜が犬猿の仲なのは有名な話でーーーライラはどうしても怖いイメージがあった。
ライラが若干怯えながらフェルの返事を待つ。
しかし、ライラの内心を知ってか知らずか、フェルは呑気に「まーね。」と肯定した。
「あいつ凶暴だからなあ。しかも、ジョシュアのとこに連絡してきてるみたいだし。」
「ーーーはあ!?ジョシュアさまに赤竜さまが?それ、大丈夫なの!?」
ダンっと膝を叩いたライラをフェルが宥める。
落ち着けと言われたライラだが、落ち着いていられるはずもない。
説明を求め、どういうことだとフェルに詰め寄る。
「今は赤竜も相当力が弱まってる時期だから、こっちで無駄に暴れたりしないよ。ボクも目を光らせてるしーーーというか、初めはジョシュアが呼んだみたいなんだよね。助言を求めて。」
フェルの説明を聞きーーーライラは、なんだそうなのか、と再びベンチに戻った。
「ジョシュアさまが希望されたなら初めからそう言ってよ。争い事かと思っちゃったじゃん」
ライラがフェルを捕まえ、八つ当たりでグリグリしているとーーーいつの間にか近づいてきていた門番から声がかかった。
「ーーーライラック=ガブモンドさんですね?シャーマナイト殿下への面会許可証が発行されましたので、どうぞお通りください。」
渡されたのは一枚の黒い紙。
中央には通行許可証の文字と、黒竜と剣をあしらった紋章が描かれていた。
ジョシュアの個人紋らしい。
ライラは初めて見た紋章に感動しつつもーーー余韻に浸る間も無く足を動かす。
なぜか、門番の案内を断ったフェルによって、王宮内をてくてくと歩いていた。
ペースはかなりゆっくりだ。体力が落ちているライラに合わせ、一人と一匹はゆっくりと王宮内を移動する。
すれ違う人々が、フェルを見て、ギョッとした顔で振り返るたびに、ライラは笑いを堪えることで必死だった。
こっちこっち、と言って前方を飛ぶフェルの様子に迷いはない。
どうやら、フェルは、ライラに内緒で相当な回数、王宮に呼ばれていたらしいと改めて実感させられたライラは不満顔だ。
「ーーーフェルばっかりずるい。でも、フェルはすごいから当たり前。フェルがすごくて嬉しい。」
ーーーという、不満だか称賛だかわからないことをぶつぶつと言い続けている。
実際は、フェルが非常に頻繁に王宮に出入りしていたのは数百年前なのだがーーーライラはそんなことを知る由もない。
数百年前から変わらない、王太子の執務室の前の扉についたライラとフェル。
重厚な黒い扉を前に、ライラはゴクリと唾を飲み込む。
扉は巨大な一枚の魔石でできており、中央には侵入者を阻むための、特殊な魔法陣が描かれていた。
フェルに促され、ライラは胸ポケットに入っている杖を取り出した。
杖でそっと魔法陣に触れ、中央に魔力を流して話しかける。
「ーーーライラック=ガブモンドです。面会のお約束をしていたのですが、ジョシュア様はいらっしゃいますか?」
ライラの問いかけはーーーゴゴゴ、戸扉が開くことによって返された。
そして、開いた扉の前には、一人のマスキラが立っていた。
黒い官服は一番上までボタンが止められ、紫の髪の毛はかっちりとで固められている。
隙はないが、どこか優しげな雰囲気を併せ持っている壮年の男性。
彼の耳や腕ーーーいくつかつけられたアクセサリーは黒く上品に輝いている。
ジョシュアの側近だ。ライラはひと目でそう判断する。
ーーーわあ、きっと、あの宝石が、シャーマナイトだ。
ライラが一種の感動で、固まっているとーーーそのマスキラは、ライラの方へと一歩踏み出し、目尻を下げ、にこりと微笑んだ。
「わたくしはジョシュア=シャーマナイト殿下の側近である、オズワルドと申します。OZとお呼びくださいね。以後お見知り置きを。」
胸に手を当てた仕草が気品に溢れておりーーーライラは出会ったことのない人種にカチコチになりつつも、なんとか自分の名前を言い切った。
オズワルドは、そんなライラの様子を変わらない優しい微笑をたたえたまま見守っている。
そして、フェルも自分の名前を言ったところでーーージョシュアの待つ、部屋の奥へと案内された。
二つ目の部屋を通ったところで、ライラたちは、もう一人の側近だと思われる金髪のフェメルとすれ違った。
後ろで一つにまとめられた髪が、魔石灯の光を受けて輝いている。
ライラに一瞬視線をよこしたものの、すっとアイスブルーの瞳がそらされた。
無言で立ち去ったフィメルを、ライラが思わず目で追っていると、オズワルドはライラに謝ってきた。
「彼女はジョシュアさまの身の回りのお世話をしている者です。ジョシュア様の元へと訪れるニュートは多いので、ああいう態度になっているのですがーーー不快な気持ちにさせてしまったのであれば申し訳ございません。彼女は側近ではないので、ライラックさまが黒竜の儀の関係者だと知らされていないのです。」
困った者ですねえ、と笑うオズワルドは孫のことを語る祖父のようで、その表情は愛情に満ちている。
ライラはオズワルドの柔らかな表情や仕草によって、緊張が溶けていくのを感じていた。
ライラはホッと息をつきーーーふとした疑問が浮かび上がった。
「あのーーー身の回りのお世話を任されても、側近ではないのですか?」
言葉にした後で、『ジョシュアは側近を置きたがらない』そう言っていたパーシヴァルの言葉がライラの脳裏をよぎる。
険しい表情になったライラに、オズワルドはニコニコと笑うだけで何も答えなかった。
「詳しい話はご本人とお話しされてください。着きましたよ。」
ジョシュアのプライベートルームに到着したため、オズワルドは話すのをやめたらしい。
固まってしまったライラ。
しかし、オズワルドは当然のようにノックし、扉を開けて入室を促した。
往生際の悪いライラに、呆れた声を発したのはフェルだ。
「今更怖気付いてどうするの?ーーーパーシヴァルにも励まされてたじゃん。ほら、いくよ。」
ヒエっというライラの悲鳴を無視して、フェルの体が発光する。
室内には、官服に身を包んだジョシュアが腰掛けていた。
目線は机に置かれた書類らしきものに注がれている。
彼の右手には魔煙があった。
どうやら一服していたようである。
フーッと吐き出される魔素の色が黒色でーーーライラは思わず凝視してしまった。
王族の吸う魔煙は一体何でできているのだろう、などという場違いなことを考える。
ーーーライラは、自室で足を組んでくつろぐジョシュアの顔を、直視できないでいた。
不自然なまでにそらされた視線。
どうやらライラには刺激が強すぎたらしい。
ううう、という奇妙な唸り声を発したところで、フェルが体をしならせることによってライラを叩いた。
しっかりしろという激励だ。
そこでようやくジョシュアの視線がライラに向けられた。
フェルに促されて渋々顔を上げたライラ。
青い瞳と目が合いーーー自然とライラの身体は動いていた。
吸い寄せられるようにジョシュアの元へと向かいーーー胸に手を当て、首を垂れる。
ハートマークもクロスラインもない真っ白な首筋。
首をさらけ出すその姿勢は、「あなたになら首を切られてもいい」という意味だと伝えられている。
ソファに腰掛けたままのジョシュアはひざまずくライラの方を見つめ、黙りこんだままだ。
沈黙が室内を満たしーーーライラがそっと顔をあげた。
肩まで伸びた銀の髪がさらさらと揺れ、金の瞳には緊張のためだろうか、赤や青、時折金色の魔素も流れている。
「ジョシュア様のもとに、置いていただけませんか?」
パーシヴァルに勧められたとか、そもそも自分が関係者になったこととかーーーライラなりに、説明しようと思っていた。
でも、ライラはジョシュアの前に来ると、いつも何も言えなくなってしまうのだ。
とてつもないほどの幸福感。
そしてなぜか泣きたくなるのだ。
たかぶる感情を抑え、ライラは言葉にできたのはこれだけだった。
思いの詰まった一言。
だからこそ、ジョシュアの一言によって、ライラは絶望に落とされる。
「ーーーわたしは、側近は作らない。他を当たりなさい。」
一番はじめの人物紹介のOZとはオズワルドのコードネームです。