2の二 黒竜さまを見に行こう
夏の日差しがジリジリとライラの肌を焼く。
いつもだったら、光の魔素に弱いライラは顔をしかめていただろうがーーー今、金色の瞳には喜びの色しか写っていない。
ライラとフェルは集合場所に指定された、アメリアイアハート像の前で、ライラは指定時間の一時間前から待機していた。
空間魔法の鞄のおかげでライラは旅立ちの前とは思えないほど身軽な姿だ。
パーシヴァルの付き人のようになっているレイモンドから送られてきた伝言に書かれていたのは、特に必要なものはない、ということだった。
食事や夜営の道具などはパーシヴァルが用意してくれるらしい。
ライラは服と使役魔法に使うための魔法陣や、大食いすぎて用意された分では足りないであろうフェルの分の食事だけを持っていた。
アメリア像の台座にもたれかかりながら、これからあることが楽しみで仕方ないというように、鼻歌などを口ずさみながら、空を見上げてる。
ライラは浮かれていた。
転生して以来こんなに浮かれたことはなかったかもしれない。
ーーー黒竜さまに会える上に?パーシヴァル様と同じ空気を一月も吸えるなんて、幸せすぎてどうしよう。
「ーーーフェル様、あなたのご主人はとっても嬉しそうね?」
喋って動く石像は、興味深そうな顔で、自分に寄りかかるライラを見下ろした。
「夢に見るくらい好きな黒竜さまを見られることと『推し』と長く一緒に入れることが楽しみで仕方ないんだって。ーーー倒れないか、ボクは今から心配。」
「あらあら、若いわね。ーーー待ち人はまだ来ないの?」
「来ないよ。だいぶ早いからって止めたのに、待たせるわけにいかないって聞かないんだ。ライラ、そろそろ水飲んで。」
「フェル様が人間の世話を焼いてるのを見ることになるなんて、長生きするものですね?」
クスクスと笑う石像を、フェルが睨みつける。
「お前、生きてたことないだろーーーでも、ボクは尽くすタイプだから。」
「あら、素敵。でも意外ね。敵を消し去っているのがフェル様のイメージ。」
「それが一番なら今でもそうする。ーーーライラ、浮かれすぎて倒れないでね。おーい、聞いてる?」
ライラは二人の話を全く聞いていなかった。
無意識に浮遊魔法によって差し出される水筒を受け取り喉を潤しながら、この後について考えを巡らせていたのだ。
黒竜の住処は国家機密らしく、ライラは事前になにも与えられていなかった。
黒竜が弱っている今良からぬことを企む輩がいないよう王族が全力で保護しているらしい。
黒竜を助けたければ王族に近づかなければいけないと言うライラの予想は正しかったことになる。
しかも黒に愛された王族と名高いパーシヴァルと在学期間が被ったこと。
ミシェーラと同室になれたこと。
そのほかにも様々な偶然が重なり、ライラはこれほど早く実際に黒竜と対面できる機会を与えられていた。
ーーーやっぱり森の中に行くのかな?この間の竜は森の中で寝てたしな。
この辺りで魔獣の住処として有名な幾つかの地域を思い浮かべるライラ。
しかし、どれも移動プレートで行けるような距離ではないし、一月で帰ってこられるようなものではなかった。
いずれにしろ、道中には魔獣も出る。王族であるパーシヴァルの旅だ。さぞ護衛も多いに違いない。
足手まといにならないように気をつけなければと考えていたライラは、その後発覚した事実に驚愕することになるのだった。
○
待ち合わせ時間ぴったりに現れたパーシヴァルは、ライラとフェルを見て呆れていた。
「ーーー使役獣が空間魔法の鞄から物を取り出して人間の世話をするって、おかしくないか?」
パーシヴァルの指摘に、ライラは真面目にうなずいている。
そしてフェルが浮かせていたタオルを自分の手で掴み直すと、鞄にしまった。
「パーシヴァル様がおかしいというのであれば以後気をつけます。フェル、今度は声をかけて?」
「かけても聞かないからボクがやったんでしょ?」
「ま、魔獣がしゃべった…。」
フェルを見て驚いているのは、パーシヴァルの専属護衛であるクリストファーだ。同じく護衛であるドロレスは、大して興味がなさそうにライラとフェルを一瞥しただけだった。
「うえ、まじでネームドの使役獣手に入れたのか…しかも金色の蛇って初めて見た。」
パーシヴァルに指名されてこの旅に同行するレイモンドが、顔をしかめている。
レイモンドは学園の三年生だが、普段から何かとパーシヴァルの身の回りの世話を焼いている。
ライラにとっては憧れの存在だった。
「あ、レイモンドさん、おはようございます。」
パーシヴァルしか目に入っていなかったらしいライラが、はじめてレイモンドの方を見た。
いつも通りすぎるライラの態度にもレイモンドは特に気にした様子がない。
レイモンドは報酬につられてパーシヴァルに仕えることになったため、見返りもなく自分から捕まりにいったライラの盲信ともいえる態度を理解はできなかった。
とはいえ、ライラの存在自体は「自分の仕事が減ってラッキー」程度に思っている。
「はいはい、おはよー。ライラちゃん、本当に参加できるとは正直思わなかったよ。」
「何度言ってもちゃん付けはやめてくれませんね…自分でも参加の許可をいただけたときは信じられませんでした。ーーーそれより、他の方は?」
「俺的には仕事が減ってかなり助かるから大歓迎よー。ん?他の方って?」
「え?護衛の方まだ二人しかいませんよね、しかも使用人さんとか。」
「あー、なるなる。パーシヴァル様、ライラちゃんに何にも説明してないんですね。」
レイモンドとライラがパーシヴァルの方を向くとーーーどこかに連絡していたパーシヴァルが二人の方を見る。
「ん?なんだ?」
「パーシヴァル様が護衛も使用人もほとんど拒否して、たった5人で黒竜を見に行くって話ですよ。」
ーーーー!!???
パーシヴァルの前だったため叫ぶことはなかったが、ライラは衝撃を受けた。
驚きすぎて口をあんぐりと開けてしまったくらいだ。
ライラは当然護衛と使用人が何十人…とまではいかなくても十人ずつくらいはついてくると思っていた。
というか、王族とはそういう物だとミシェーラから聞いていたのだ。
ライラの内心を代弁するかのようにフェルがパーシヴァルに問いかける。
「さすがに危ないんじゃないの?魔法陣を使うにしても、使役獣も探すんでしょ?」
ふよふよと浮かぶフェルを見てーーーパーシヴァルがにやりと笑う。
「フェルがいれば危ないことにはならないだろ?ラストネーム持ちの使役獣サマ?」
「あんまり過大評価されても困るよ。見ての通り、ボクの魔法は黄色魔法が中心だから、チマチマとした攻撃は苦手なんだ。」
フェルが言っているのは属性の特性についてである。
黄色魔法は補助を得意としており、魔力が固まりづらく攻撃力があまり高くない。
しかしフェルは例外だった。
膨大な魔力量と正確な魔力操作技術を持っている。
黄色魔法の密度を上げることで押し固め刃のように飛ばしたり、相手の魔素を消し去るくらいの大量の魔力をぶつけることで攻撃も可能にしているがーーー本来攻撃向けとされるのは赤魔法、次点で青魔法である。
フェルの指摘も、パーシヴァルは気にした様子がない。
問題ないとばかりに、ひらひらと手を振った。
「飛竜が現れた時とかに守ってもらえればそれでいい。ーーー自分より弱い護衛なんて連れても足手まといだろ?」
フェルはパーシヴァルをじっと見つめーーー納得したようにくるりと回った。
「ふーん、自分の実力を過信してるんじゃなければそれでいいよ…ライラはなにしてるの?」
「ん゛ん゛ーーーな、なんでもないよ?」
ーーーパーシヴァル様のナチュラルな「俺強い」発言にときめきすぎて死にかけてます。
心臓を押さえながら無言で首をふったライラに、フェルが呆れた顔を向けてきた。魔力の乱れ方から、ライラが何を考えているか察したらしい。
ライラはときめきで胸が一杯になると話せなくなることを人生で初めて知った。
いつも寝ていて筋肉質ではあるものの細身なパーシヴァルは、ライラと少ししか身長が変わらない。
だが、実力の片鱗は部活動交流会でも見せていた。
そんな憧れの人と行動できる事実にーーーライラは、この日何度目かもわからない幸福を噛み締めていた。
レイモンドがライラの謎の行動理由をフェルに尋ねーーー呆れた表情でライラを見る。
パーシヴァルは不思議そうにライラに尋ねた。
「お前はてっきりジョシュアが好きなのかと思ってたんだが違うのか?」
パーシヴァルに話しかけられたことで、ライラは慌てて顔を上げる。
そして、まる心外だとでもいうように答えた。
「パーシヴァル様、それは月と太陽どちらが好きか尋ねるようなものです。わたしは確かにジョシュア様を敬愛しておりますが、だからといってパーシヴァル様への気持ちは変わりません。」
「ふーん、相変わらず変なやつだな。ーーーその月だか太陽だかが来たみたいだ。」
今が幸せでしかないといった表情で文字通り瞳を魔力で輝かせながらパーシヴァルと話すライラと、そんな表情を向けられながらも興味がなさそうに会話の途中で魔力通話の画面をへと心を移しているパーシヴァル。
パーシヴァルの言葉に「えっ!?」という、突然の大声をあげたライラがパーシヴァルに詰め寄ろうとするのを、銀糸の頭を捕まえることでブロックしつつーーーレイモンドは、最近見慣れてきたこの光景に苦笑いする。
レイモンドは昨年パーシヴァルに目をつけられてから、不本意ながらもほとんどの時間をパーシヴァルのそばで過ごしてきた。
パーシヴァルはレイモンドの魔力が自分に非常に近い質を持っていることを知り、囲い込んだのだ。
はじめは黒魔法の補助に呼ばれるだけだったのだが、なんでも面倒くさがるパーシヴァルの世話をほんの少しでも焼いてしまったのがレイモンドの失敗だった。それ以降、王族としての公務だけでなく学園でも用事を言いつけられるようになってしまったのだ。
レイモンドも拒否しようとした。しかし、パーシヴァルが将来の側近として卒業後の王宮でのポジションを用意した時点で二人の間で契約成立になったのだ。
ひと月百万ポン、これに各種手当てをつけられたらーーー断る魔法使いはまずいない。
黒魔法の才能があり、数多くの重要な仕事を任されているパーシヴァルだからこそ提示できる額だった。
そんなレイモンドだから、パーシヴァルがフィメルやニュートに人気があるのも十分承知していた。
図書館で変なやつに会った、と報告された際も「パーシヴァル様が学園の生徒に興味を持つの珍しいな」くらいにしか思わなかった。
ライラがパーシヴァルの周りをうろついていたため、側近としてライラについて調べたりもしたが「色なし」であること以外に特に気になる点はなかった。
よくいるファンだと思ったのだ。
だからレイモンドがちょっと目を離した隙にいつの間にか使いっ走りとなっていたライラには驚いたし、今回なぜか使役術師として連れて行くと言われた際にもかなり驚いた。
ーーーまあ、納得もしたけどねー。パーシヴァル様が側に置くのって役に立つやつだけだし。
パーシヴァルは、はじめからライラの「色なし」である点に目をつけていたのだとレイモンドは予想している。
そして少しそばで使ってみて、不快感のない人物であることを確認した。
ーーーこの人、自分の周りに人が増えること嫌がるからなあ。
使役術師を正式に依頼すれば、王宮の魔法士団が動くことになる。
なんだかんだと文句をつけられ、この旅の人数が膨れ上がることは目に見えていた。
いざとなったら護衛もこなさなければいけないレイモンドとしては、頭の痛い話なのだがーーー王位継承順位2位のパーシヴァルは極度の人嫌いだった。
王宮でも必要最低限しか周りに人をつけないことは、王宮で働くものの間では有名な話だ。
パーシヴァルの人間嫌いの理由までは、出会って一年弱しか経っていないレイモンドは知らなかった。
調べたため、大方の予想はついていたが。
ーーー王宮の人間は信用できないんだろうなー。まあ、あの態度じゃそう思っても仕方ない。学園でしがらみのない人材を探すのが一番手っ取り早いってところか。
今の王宮は少し特殊な事情があった。
レイモンドは王宮のメイドたちが教えてくれた話を思い返す。
常時であれば、王位継承順位が高い王の子ども同士は国王の指示のもとで比較的同列に扱われるらしい。
しかし、「黒竜の儀」を控えた王宮は異例の事態になっていたのだ。
現国王の黒魔法の力が弱かったことも事態を悪化させる一因となった。
まるでジョシュアが国王であるような態度を王宮で働く臣下たちがとっているのだ。
国王もジョシュアの漆黒の髪に瞳という容姿を見た途端にーーー自分の子供達を対等に扱おうとしなくなった。
誰の目から見ても「次期国王」にジョシュア以上の適任者はいなかったからだ。
結果として、本来王位継承順位が高い王の子供として帝王教育を受けるはずだったパーシヴァルは、ほぼ放置されて育った。
もちろん王族として最低限の教育は施された。
しかし、それは濃紫の髪を持ったパーシヴァルを産んだパーシヴァルの母親にとっては耐えがたい屈辱として写ったようだ。
「国王様よりパーシヴァルの方が黒竜さまに愛されているのに。」
パーシヴァルの母親である、第三王妃の口癖だった。
自分の母親によって幼い頃から国王への呪詛にも近い言葉を聞かされ、教師たちからは「この時代でなければ王になれたのに」などと言われ続けたパーシヴァルは王宮の人を信用しなくなったーーーというのがレイモンドの見立てだ。
高等部を卒業すれば王族として生きなければいけないパーシヴァルにとって、この数年間は王宮から離れられる唯一の機会と言っても良かったのだろう。
黒いお仕着せの袖口を口元に当てながらヒソヒソと。しかし、どこか楽しそうに話すメイドたちを見ながらーーーレイモンドは思ったものだ。
高貴な身分に生まれつくのも大変だなと。
幸いだったのは強大な力に対する自覚があったジョシュアが周囲の状況を正確に理解し、きちんと国王を立て補佐していること。
そして、パーシヴァルが頼めば学園まで足を運んでくれるように他の兄弟に優しかったことだろう。
レイモンドは自分の主人が何をしようとーーーそれこそフィメルになって他国に嫁ごうと、パーシヴァルのために働くのが仕事だった。
だから、最近パーシヴァルが何か考え込むような時間が増えていても、突然黒竜を見に行くと言われても、その理由について馬鹿正直に尋ねたりはしなかった。
詮索をパーシヴァルが嫌がることを理解していた。
レイモンドは対価をもらえるためにパーシヴァルに仕えている。
二人の関係はそれ以上でもそれ以下でもない。
対価を全く求めないライラとは対極の存在であるーーーとレイモンドは思っている。
周囲の評価は少し異なるのだが、少なくとも本人たちはそういう認識だった。
対価を求めるレイモンドや黒竜好きを公言するライラのようなーーーわかりやすい存在をパーシヴァルは好んだ。
だから、ジョシュアが現れてライラが号泣しはじめてもーーーレイモンドはこういう感情がすぐ出るところが目に止まったのかもな、と感じた。
彼がチラリと視線を向けるとパーシヴァルは鬱陶しそうな顔をしている。
ただ、あれは本気で不機嫌な顔ではないなとレイモンドは分析する。
現にパーシヴァルはライラに声をかけていた。
「ーーー三日前も会ったんじゃないの?」
「三日でまた会えたことに感動しています。ああ、今日もジョシュア様の黒髪は美しい。」
「俺の前でジョシュアをべた褒めするのなんて、お前くらいだよ。」
パーシヴァルが非難するように睨みつけてもライラは本気でわからないと言わんばかりに首を傾げている。
「そうなんですか!?では、皆さん、口にしないだけではないですか?パーシヴァル様の赤い瞳はルビーを思い起こしますがーーージョシュア様の瞳はどうなんでしょう?」
「今見ればいいじゃん。ほら、近づいてきたよ。」
「どうしましょう、涙で前が見えません。」
「お前、本当にバカだな。」
悪口を言われているのだがーーーライラはなぜか嬉しそうな顔をした。
ライラに反応にドン引きしたような顔になったパーシヴァルがレイモンドの方を向く。
レイモンドは、こっち見ないで下さいというように手の前でバツ印など作っている。
「パーシヴァル様がバカって言ってくださった!ーーー可愛すぎます、無理だ、尊さが渋滞して気絶しそう。」
ううう、と唸りはじめたライラからレイモンドはパーシヴァルの脇を抱えることでそっと距離を取らせた。
レイモンドに下ろされた後パーシヴァルはハア、とため息をついた。
ライラの上でふよふよと浮いているフェルの方を向く。
「処置なしーーーフェル、こいつちょっと遠ざけといて。」
ジョシュアになぜかいつも泣いている生徒だと思われていることをライラが知るのはもう少し先の話である。