1の十九 金蛇とライラ
昼ごろ森に入ったライラたち一行は魔獣の森を物凄いスピードで移動していた。
非戦闘職のMとライラを熊型魔獣に乗せ、身体強化を使える騎士とデニスが走って移動することにより、速度が大幅に上がったのだ。
「ーーーうーん、やはりかなり高位の個体がいるみたいですね。さっきから魔獣たちが、怯えて逃げていってます。」
ライラの発言で、他のメンバーの表情に影がさす。
「さっきワードウルフも逃げていったよね。ーーーうーん、引き返すべきかな。エイブラハムはどう思う?」
「先にいる魔獣はおそらく亜竜クラス。こちらは戦闘要員がわたしと熊型のみ。ーーー常識的に考えたら引き返すべき。でも、ミシェーラ=ビリンガム様の伝言を聞く限り、進む以外の選択肢はないと思う。」
「ーーーだよねえ、坊ちゃんに亜竜は流石にまだ早いし。うーん、」
ライラは魔獣の上で大人たちの会話を聞いていた。
ーーー騎士のエイブラハムさん、今はじめて声を聞いたけどーーーたぶんニュートだな。
外見的特徴から、なんとなくマスキラだと思い込んでいたため、ライラはその高めの声に驚いた。
ーーーそれにしても、ワードウルフが逃げていったというのは本当だろうか。
ライラは図鑑で見た、美しい銀狼の姿を思い出す。
かなり知性が高いらしく、魔法も扱う彼らは使役獣としても人気が高い。
ライラが覚えるリストとしてもらったジョシュアの使役する候補の高位魔獣に入っていたはずだ。
確かに先ほど大きい魔力の塊がそばを通過していたことには気づいたが…ライラには個体名まではわからなかった。怯える魔獣の声はしきりに聞こえているが。
姿を確認せずともワードウルフと断言したMを見て、使役術師は周囲の探知能力にも優れているのかもしれないとライラは思った。
そして、先にいる魔獣への期待に胸を昂らせる。
ライラは不思議と恐怖心は感じていなかった。
ーーー私の使役獣になってくれるかな?
「ーーーなあ、ライラ。前からすっごいプレッシャーを感じないか?」
ずっと黙って併走していたデニスがライラを見上げていった。
ライラは全く意味がわからなかったので、首を傾げる。
そんな二人を見てMが笑った。
「ーーー坊ちゃんはここまで高位の魔獣に会ったことがないのでしょう。野生の彼らの放つ殺気は凄まじいですからね。エンカウントまであと5分ほど。ん?ーーーまさか…止まって作戦会議です。エイブラハム、ちょっとこちらへ。」
Mの合図で一行は停止した。
すぐに熊型魔獣から飛び降りたMが、エイブラハムを手招きする。
残されたライラたちは一体何があったのだろうと顔を見合わせる。
「どうしたんだろうね?」
「さあ?あ、そういえばーーーいや、なんでもない。あ、戻ってくるぞ。」
デニスが何か言いかけたところで、Mたちが戻ってきた。
二人の顔からは、先程の張り詰めた緊張感が消えている。
「何かあったんですか?」
「ええ、ライラさんは非常に運がいいですね。このまま進みましょう。騎士団からの助っ人がこの先で合流してくれるそうです。」
「騎士団の助っ人?」
「ええ、たまたま他国であった軍事演習訓練の帰り道に重なっているそうで、応援に駆けつけてくれるのだとか。ーーーもうすぐ向こうも交戦するとのことなので、我々も急ぎましょう。」
ーーーわたしが運がいいとかいう話じゃなくて、ミシェーラの先読みの力がすごいだけでは?
冷静にライラはそう思ったが、言葉には出さず無言で頷いておいた。
「ーーー他国での軍事演習訓練ってまさか。…まじか、ほんとに来るのか。」
ライラの横で急に頭を抱えたデニスに注目が集まる。
「ーーーデニス坊ちゃん、もしかして助っ人の方が誰だか予想がつきます?名前までは伺っていないのですが。」
「はい、でも、今は急ぎましょう。合っているかわかりませんし。」
ライラはデニス勿体ぶっちゃって。などと思っていたがそうではない。
名前を口に出したらライラが使役術どころではなくなるのを察しているデニスの優しさである。
○
ライラははじめ、黒い丘があるのかと思った。
太陽光を吸収してキラキラ光る鱗。
今は眠っているのだろう。地面に横たわった亜竜のくるりと丸められた体と尾の上に乗せられた頭。
お腹にあたる部分だろうか、うろこに覆われていない部分が呼吸に合わせ微かに揺れているのが見える。
ーーーこれが、竜。
ライラは初めて見た野生の竜に圧倒され、感動のあまり言葉を発することができなかった。
ライラたち一行が向かった先にいたのは、一体の亜竜だった。
ライラははじめ、黒竜かと思ったが、黒竜ではないと訂正されたのだ。
ーーー「黒竜はこんなに小さくないです。」って、亜竜も十分に大きいのに。
見上げる程も大きい亜竜を前に、ライラたちは「助っ人」と動きを合わせるべく、木陰に待機していた。
「ーーーわかりました。ではこちらは自由に動きます。」
Mは通話口にそう言って、ライラに使役術を行使するように指示してきた。
「え、助っ人の方はいいんですか?」
「すでに到着されているそうです、ーーーさあさあ、これ以上ない予行練習ですよ!」
ーーーすでに到着?どこにも姿は見えないけど。
ライラは不思議に思ったが、Mに促されるまま使役術の魔法陣と呪文を頭に浮かべる。
ーーー使役術の呪文って言っても、とにかく想いが魔力にこもっていればいいんだよなあ。
「グアアア?ギュウウウウウ?(黒が素敵な竜さん、寝ているところすいませんが、少し話をしませんかー?)」
亜竜の前に進み出るライラを見て、第一段階は合格と試験官の目線でMは思った。
ーーー高位の魔獣にも物怖じしない度胸、魔獣にのまれないだけの魔力ーーーこれも十分。意思疎通も言葉がわかるなら余裕、…次代のトップにライラックさんはなるかもな。
冷静に分析しながら、空中にスイスイと魔法陣を描いていくライラを見守るM。
Mははじめこの依頼を受けたときに、一月で使役術を使えるようになるのはまず無理だろうと考えていた。
ブライヤーズ家からの命令だったから受けただけだ。
それなのに、まだ12才のライラが曲がりなりにも使役術師としての役目をこなせそうなことに正直驚いていた。
竜が威嚇してきたら速攻で退避するつもりだったがーーー普通に会話しはじめたらしい一頭と一人を見つめる。
Mは、この場で亜竜とライラが契約するとは思っていなかった。
当然のように断られるだろうと。
竜はプライドが高い。翼がない亜竜も例外ではない。
黒魔法を使える王族くらいとしか契約しないのだ。
ここでは契約交渉までできれば合格にでき、パーシヴァルへの同行を許可できる。
当初の予定とは若干異なっていたが、Mなりに問題ないと判断していた。
だから、何かを亜竜と語り合っていたライラが戻ってきたときに発した言葉に衝撃を受けることになる。
「ーーーMさん。竜さん曰く、わたしとは契約できないそうです。」
「ん?契約しないのではなく、私とはできないと?」
まるで他に契約相手に心当たりがあるかのような言葉に、Mは首を捻る。
目の前にいるのは野生の亜竜だけのはずだ。
そんなMの様子に気づきながらも、ライラは少し焦った様子だ。
実際に竜が急かしているのだがーーーMは言葉がわからないせいか気付いていなかった。
「なんか、竜さんの友達がいて、そっちと契約して欲しいって。ーーーその魔獣も高位らしいので、いいですよね?」
畳み掛けるように話すライラ。
Mは一瞬何を言われたのか理解できなかった。
ーーーそもそも、竜ってそんなに気さくに人間と話したか??
Mの知っている竜はーーー亜竜、飛竜、地底竜ーーー全て高位の存在で、殺されかけるか、契約を受け入れられるかのどちらかだった。
ーーー竜と会話できる使役術師は今この国に二人しかいないから、あの方達ならできるのか?
考え込んでしまったMの前で、ライラは「すいませーん」と手を振ってみた。
まずいなあ、と内心焦るライラ。
その直後、ライラの予想通り、痺れを切らした竜に呼ばれた。
「グルルルル。。ガアーーー!(ライラ、早くしろ。蛇様を待たせるな。)」
ーーーと、ライラには聞こえたのだが、周りからすると、竜が吠えたようにしか聞こえなかったのだろう。場に緊張感が走る。
「グッグググ!(はいはい!今行きますので!)というわけで、わたし契約してきますので!」
ーーーいや、どういうわけだよ!という周囲のツッコミは声にならず…当然ながら、ライラの足を止める事はできなかった。
一行の注目を集めながらもライラは走って行きーーーなぜか、亜竜に登りはじめた。
巨大な亜竜と比べると、子供であるライラはあまりに小さい。
それこそ鼻息で吹き飛びそうなサイズ感に、黙って見ていたデニスが慌て始める。
「ちょ、Mさん!?ライラ大丈夫っすか??」
そんなデニスを宥めながらーーーMもお手上げだというように肩をすくめて見せた。
「ーーーわたしも正直混乱してます。でも、亜竜の方が手伝っているように見えるので、問題ないのでしょう。」
「ーーーさっき、ライラックは竜のお友達と言ってなかったか?別の場所に連れ去られると厄介だな。」
Mとエイブラハムが話していると、座らされたデニスがあっ、と声をあげた。
ライラの方を指差している。
「ライラ、亜竜の頭の上で何かと話してません?ーーーなんだあれ。金色の蛇か?竜の友達、亜竜の頭の上にいたんですね!」
「ーーー『ヘビがいい』と言っていたが、その通りになるとは。」
Mは無性におかしくなった。
視力を強化している横の二人が、今のライラたちの様子を報告してくれる。
空間魔法の中から、リボンを取り出して首に巻いただとか。
りんごを渡そうとして断られただとか。
竜の頭の上とは思えないほど、ほのぼのとしたやりとりをしていそうだ。
ーーー思い返せば、想定外のことばかり起こったな。
Mは今日はちょっとした保護者の気分だった。
ワードシリーズの魔獣…知性の高いワードウルフあたりがいれば幸運だなくらいの気持ちだ。
生息地も調べ、進行ルートも決めていた。
それがなぜか、先読みの占い師やら「助っ人」やらが現れ…しまいにはこの辺では滅多にお目にかかれない竜種が現れた。普通もっとずっと奥にいるのだが。
ーーーこの世はな、偶然に見える必然が積み重なってるんだ。それで、たまに台風みたいなやつがいる。そいつの周りはな、風に巻かれて…否応なしに動かされるんだよ。
Mの師匠の言葉だ。
言語全能ギフト持ちの彼は日々世界を飛び回り国王に献上すべく契約できる竜種を探している。
ライラか、先読みの占い師か、はたまたデニスかはMにはわからないーーーしかし、彼の師匠の言う「台風」なのだとMは思った。
ちょっと優秀な使役術師として比較的平凡な日々を過ごしているMはーーー次々と起こる非常事態に、思考を放棄しはじめていた。
ーーーなんか上手くいってるみたいだし、とりあえず上には合格って報告しよう。
そう結論づけ、頭上に金色の蛇を浮かせながら戻ってきたライラに、笑顔で手を振るMだった。
○
少し時間は戻り、竜の頭上に運んでもらったライラはーーー金色の蛇と見つめあっていた。
竜の友人だと言う金色の蛇は、ふよふよと漂っていたが、ライラが近づいていくと、自ら空中を泳ぐようにしてライラの目の前にきた。
そして開口一番にこう言い放ったのだ。
「遅すぎる!!!!!!100年も!何してたの!」
ーーーえ、どういうこと?
プリプリ怒りながらライラに向かって、普通の「ライラたちの言葉」で話す蛇は、おそらく知能の高さからして高位魔獣だ。
図鑑には載ってなかったがなんという種類なのだろう、などと呑気に考えながら近寄っていったらいきなり説教が始まったためーーーライラは困惑していた。
「大体さ、なんで迎えにこないの?おかげでこんな人間の里の近くまで来るはめになったじゃん。」
「あ、あの!すみません、蛇様ーーー人違いでは?」
「ーーーへ、蛇様って、ボクの名前忘れちゃったの!?」
だーっと泣き、いや、魔力の涙である魔石をポロポロと金色の蛇はこぼしはじめた。
ーーーええええええ。
ライラは焦った。でもどうすればいいのかわからない。
ーーーまずい、どうしよう、めちゃくちゃ泣かせてしまったけど、いや、でも絶対人違いだよ??嘘つくわけにもいかないよ??
混沌としてきた場を納めたのは黙って二人のやりとりを聞いていた亜竜だった。
「ーーーグググ?(蛇様、ほんとにこの人間なんですか?)」
「ガーーー!!!(ボクが間違えるとでも!?)」
「ガガガ…。グー、グーグググ。ガーゴ、ギュウウウウウ。(蛇様結構忘れっぽいし…う、嘘ですって。と、とりあえず、契約してついていけばいいんじゃないですかね?いつか思い出すんじゃないですか?)」
ーーーおい、竜さん!絶対これ以上頭の上で喧嘩されても困るって思ってるだろ!とりあえず、連れてってくれないかなーっていう副音声が聞こえそうだぞ!
キッと亜竜をライラが睨むと、こちらに向けていた赤い瞳をサッと目を逸らされた。
しかし、亜竜の提案は蛇には受け入れられた。
「そーだね。ーーーしょうがないから、ボクも名乗ってあげるよ。人間、今の名前は?」
「名前ですか??ライラックーーー。」
「いや、口で言っても意味ないよ。魔法陣描いてるよね?魔法言語でスペリングして。」
ーーーどうやら、使役魔法と契約の許可が出たようだ。
あらかじめ決めておいた言葉とともに、差し出された蛇の尻尾を取りながら、魔法陣の最後の欄に名前を記入する。
このとき、ふわりと何か温かいモノに包まれたような感覚がした。
さらに杖から出ている魔力の色がいつもと違うことにライラは内心首を傾げる。
「ーーーCall me by your name. And I will call you mine. From LAIRACK GABMOND. ーーー蛇様の名前は?」
「ーーーFELUVIERO ROOVYE.」
「蛇様ラストネーム持ちなんですね!フェルヴィエロっとーーーあれ、なんで泣いてるんです?」
「(ヒック、ヒック)う、うるさい!早く契約して!」
「ひっ、魔力弾飛ばさないで!わかりましたから!ーーーはい、描けました!契約成立です!フェルヴィエロ様、これからどーぞ…。」
「フェル!呼び方はフェルだから!ライラ、早く行くよ!」
いまだにポロポロと魔石をこぼし続ける金蛇ーーー改め、フェル。
そんな姿を見て、ライラは終始困った顔だ。
「泣き止んでくださいよー、ほら、えーっと、あったあった。リボン巻いて可愛くしてあげますから。」
いそいそと鞄からリボンなど取り出し始めたライラ。
「ちょ、フィメルじゃないよ!?」
フェルが慌てて止めている。
ライラはようやく止まった魔石の涙にホッと息をついた。
このまま仲良くなってしまおうと引き続き空間魔法の中身に手を突っ込む。
「えー、じゃあ青にしましょ。りんごもあげますから、食べれば元気でますよ?」
パカリとあいたフェルの口にライラがリンゴを押し込む。
手のひらサイズのフェルの口にリンゴは入らないのではないかというライラの懸念は当たらなかった。
完全に物理的な法則を無視してフェルの口の中に消えていったリンゴを見てライラが感心している。
「(ーーーもぐもぐ。)」
「いや、早く降りてくれません?そろそろ首キツイんですけど。」
「ん?首と胴体がお別れしたいって?」
「「…。」」
そんなやりとりをしながらも、先ほどから亜竜はチラチラとライラに視線を送ってきている。
ライラは気がついていたのだがーーー意図的に無視している。明らかにこの場の強者はフェルだった。
フェルが降りようとしないうちは、賢く黙ったままなのだった。
ショリショリという咀嚼音が響く中ーーーライラがポツリとこぼした。
「ーーーも、もしかして?フェルってとてつもなく強かったり?」
「基準知らないけど、この亜竜よりは強いよ。」
あっさり肯定された内容にーーーライラは自分がとんでもない存在と契約したのかもしれないという事実に今更ながら気がついた。
しかし、そこで怯えるのではなく前向きに考えることができるのがライラの最大の長所といえるだろう。
ここでもすぐに自分の目下、一番の課題の解決法を思いついたのだ。
「わたしがお願いしたら、一応魔法使ってくれるんですよね?」
「敬語やめたら使ってあげる。」
フェルの返事に、無言でガッツポーズをするライラ。
無表情なのだが、その内心は大歓喜している。
ーーーーなんかよくわからないが、この金蛇様、改めフェルのわたしへの好感度は最初からMAX!しかも?使役獣は?確か授業で使用可能…よっしゃあああ!学園の卒業余裕になった!!
「パーシヴァルさまも満足してくれそうだし…人違いばんざい!!!」
「もぐもぐ。」
「(早くこいつら降りてくんないかな。)」
デニスくんはずっとハラハラしてます。




