1の十六 強くなりたい
ライラは一人で図書館棟への道を歩いていた。
ミシェーラとデニスは部活らしい。学園生活を楽しんでいるようで何よりだ。
ライラは使役術師のことでいっぱいいっぱいだった。非常に充実はしていたが。
外はサウナのようになっていた。校舎に使われている魔石の塗料から反射してくる日光が大変眩しい。
目を細めながらーーーライラは、じわりと滲んでくる汗の不快感に眉を寄せた。
魔法学園には制服がない。指定されているのは、黒いローブのみだ。
ライラは白シャツに黒いズボンといういつもの格好のままーーー胸元をパタパタとさせる。
白い頬には少し赤みがさしている。
紫外線に弱いライラは、夏でも長袖を身につけていた。
しかし、最近はだいぶ気温が高い。
ライラは、移動プレートの待ち時間を疎んで、徒歩を選択したことを早くも後悔していた。
そんなライラを呼び止める声がした。
しかし、その聞き覚えのあるソプラノにーーーライラは足を止めなかった。
それもそのはず。
ライラが、世界で、一番嫌いな相手の声だったからだ。
まるで何も聞こえなかったかのように、のんびりと歩くライラをーーー声の主は強引に引き留めた。
ライラの肩を掴むことによって。
ライラはそれでも、手を振り払って歩き出そうとした。
しかし、前に立ち塞がった二人を見て、ため息をついて足を止めた。
三人の生徒がライラの前に立ち塞がった。
図書館棟への道は、多くの生徒が行き交っている。
突然張り詰めた空気に、なんだなんだと野次馬が集まる。
ライラの肩を掴み、呼び止めた生徒はーーー予想どおり、栗色の髪をした、気の強そうなニュートだった。
青い瞳はライラを睨みつけている。
ビバリー=ガブモンド。
ライラの親戚で、ライラの両親を馬鹿にした、ライラが大嫌いな子供だった。
ビバリーの取り巻きのような生徒たちは、ビバリーがライラの方に一歩踏み出すと、逆に半歩後ろに下がった。その間にも、ライラには嫌悪の視線を向けてくる。
ライラはその光景を冷めた気持ちで見ていた。
ライラと犬猿の仲であるビバリーはライラとは似ても似つかぬ生徒だった。
血の繋がりはあったものの、顔立ちも似ていない。
ビバリーは非常に整った顔立ちをしていた。
シャロンにブサイクと連呼されるライラの平凡な顔立ちであるライラと、ビバリーが親戚であることを一見しただけではわからないだろう。
そしてビバリーはライラの生家であるガブモンド家の期待の星だった。
次期当主ともてはやされ、叔母や叔父からも可愛がられている。
「色なし」のライラとは、その点でも大きく異なっていた。
そんな、たくさんのものを持っているビバリーは、なぜだかライラに対し、ことあるごとに突っかかってきた。
ライラはあまりのうざったさに、思わず理由を問うたことがある。
なぜ自分に構うのかと。放っておいてくれないかと。
「目が気に入らないからよ。黄の属性もないくせに、お前の金色の目を見ると虫唾が走る。」
ーーー理解不能だった。そんな、くだらないことのために、両親や侮辱され、自分は嫌がらせを受けるのかと。
いかにも非力そうなライラをいじめることは、ビバリーにとってのストレス発散なのだろう。
弱いものを見つけて痛みつける。それに愉悦を感じる。
それが周囲に愛され、影響力を持つような人物だったら、最悪だ。
弱いものは、ただ耐えるしかない。
そういう人間は一定数いる。前世でもいた。ライラも頭では理解している。
その思考回路は絶対に共感できるようなものではなく、吐き気がするが。
ライラにとっては天災のような存在のビバリーには、できるだけ、関わり合いを持たないようにしていた。
今はまだ、復讐できる力がライラにはなかったから。
しかしこうして、視界に入ってくるのだ。
ライラは入学直後からいつか来るだろうと思っていたため、遅かったなという感情を抱いた。
ーーー実はミシェーラが抑え込んでいたため、ビバリーは思うほど動けていなかったのだ。
ミシェーラとビバリーは、一年生のアイドル的存在としてクラスでの人気を二分していた。
そんなミシェーラがライラを守っていた。
だから、ビバリーはクラスの半数程度にしかライラへの陰口を吹き込めていなかった。
簡単に掌握できた親戚の大人たちとの違いに、ビバリーは舌打ちしていた。
ビバリーが苛立ちを募らせる中、まさかの知らせが入った。
ライラが、あのパーシヴァルの宝石をもらった、というものだ。
パーシヴァルのことは、ビバリーも把握していた。
人間嫌いの彼のことは学園でも有名だったのだ。
部活動発表会での活躍は、実際にビバリーも目にしていた。
エゲート王子はレイモンド以外の生徒とは一切関わらない。
綺麗だけど、外から愛でるだけの存在、下手に手を出すと噛まれる。
それが魔法学園での常識だった。
ライラがパーシヴァルの周りをうろついていると聞き、内心バカにしていたのだ。
色なしが、この国で二番目に黒に愛された方に相手にされるわけないだろうと。
ーーー現実はビバリーの予想とは大きく違った。
ライラの腕に輝く腕輪を見て、ビバリーは舌打ちした。
そして、物申してやりたくなったのだ。
ついでに魔力の一発でもお見舞いしてやろうと思っていた。
ライラに張り付いているーーーライラが張り付いてる、の間違いかもしれないが、とにかくいつも一緒にいるミシェーラの存在は無視できない。
だから、放課後になって、ライラが一人になる時間を狙ったのだ。
3対1で気が大きくなったのだろうか。
ビバリーが、一見すると綺麗な笑みでライラの方に踏み出す。
その後ろで、魔力を一人がためている。
紫の魔力の気配にーーーライラは舌打ちしたくなった。
精神系の魔法はタチが悪いのだ。記憶をいじられたりしたら最悪である。
ライラは抵抗ぐらいしてやると胸ポケットに入れてある杖を取り出しかけーーー視線を向けた先である人物の存在に気がついた。
高まる緊張感。
そしてビバリーが口を開こうとしたところでーーーなぜか、ライラが声をあげた。
見物人たちを含めーーーライラ以外の全員が唖然とした。
明らかに喋ろうとしていたのに、今声を上げるか?と。
しかし、ライラはそんなことにかまっている場合ではなかった。
ビバリーの人気を舐めてはいけない。
しかも、ビバリーは「嘘泣き」という特技があることをライラは祖母の家にて知っていた。
早めに手を打たないと、いつの間にか言いがかりをつけられて、なぜかライラが悪者にされるかもしれない。精神魔法の心配もある。
こういう時、周囲と普段仲良くしていないことが裏目に出るなとライラは冷静に思っていた。
まあ、ライラにとって「ちょうどいい人」が通りがかったので、呼び止めたのだ。
ーーーおこちゃまの癇癪に付き合っていられるほど暇じゃねえっつうの。
内心で舌を出しつつーーーちょうど、通りがかったアツムに大きく手を振る。
「アツムさーん!今日ボードゲーム部行きたいんですけど、一緒に行きません?」
まさに通り過ぎるところだったアツムは、まさか野次馬の中心にいるのがライラだとは思わなかったのだろう。
驚いた顔をしたもののーーーライラの顔を見ると、悪い顔をして笑った。
すぐに、優等生のような優しげな顔になったが。
そして、アツムのために自然と開いた道を歩いてくる。
このライラの咄嗟の作戦はライラが期待した以上の効果をもたらした。
アツムの人気がライラの想像以上だったからだ。
アツムの存在を目にした何人かのフィメルが目を輝かせ、アツムに手を振った。
そう言った扱いに慣れているのだろう、アツムは笑顔で手を振り返したりしている。
ライラは、意味ありげに「黒薔薇団の証」とかいう魔石のブローチなんてつけているし、有名人なのだろうと当たりをつけただけなのだがーーーアツムの登場に湧き立つ周囲の反応とビバリーが頬を染めたのを見て、下級生にまで浸透するほどアツムが有名人なことを知った。
ーーーなぜ、アツムさんと一年生が知り合いなんだ?
ーーーあいつ、よく見たら「腕輪の子」じゃん。やっぱ有名人同士、知り合いな感じ?
空気感が変わった。
ライラはほっと胸を撫で下ろす。
このまま、なぜか加害者にされる事態は避けられそうだったからだ。
アツムはニコニコとしたまま、ライラの横に立った。
「そうしたの?ライラ、そんなにIGOがやりたくなった?」
わざとらしく問いかけるアツムに、ライラも珍しく笑顔になっていった。
「ええ、でもーーーこの人たちがなぜか道を通してくれなくって。」
「この人たち、ねえ?ーーーもしかして、これが、例の?」
アツムがライラの耳元でささやく。
周囲からは悲鳴とも歓声ともつかぬ声が上がったがーーーライラは苦笑いしている。
「ーーーどこまで勘がいいんですか。」
「んー?だって、ライラが怒ってるのなんて珍しくって。大体のことどうでも良さそうじゃん?」
なかなかに失礼なことをのたまうアツム。
助けてもらいたいライラは、大声で文句をいうのもためらわれたのだろう。
アツムの肩を、コツン、と叩いただけだった。
その態度が周囲からは「非常に仲良く見える」ことも気づかずに。
まあ、ビバリーの空気が張り詰めたのを見て、自分の失敗に気づいたようだが。
存在を無視されるような形になったビバリーは、プライドが傷つけられたのだろうか。
さっきよりも感情を昂らせーーーなぜか、涙目になった。
ライラはげんなりとした顔になる。
ハイ出たー!嘘泣き!と内心では思っている。
冷めた目でライラがビバリーを見つめているとーーーたっぷりと間を取った後で、ビバリーがおもむろに口を開いた。
アツムは、そんな両者の反応を見てニコニコとしている。
「ラ、ライラは私のこと嫌いなの?エゲート様に紹介してって頼んだのにいつまで経っても取り合ってくれないし、自分は宝石までもらえたんだから顔合わせぐらいさせてくれてもいいじゃない!」
悲痛に叫ぶビバリー。
しかし、当のライラは黙ったままだ。
なんで何も言ってくれないの?ーーーと言って、今にもビバリーの瞳から涙がこぼれそうになったところでーーー助け舟を出したのはアツムだった。
「あー。よくわからないんだけど、学園の問題を解決するのも一応俺たちの仕事だから口を挟ませてもらうね。…ライラ、本当にお願いはされたの?」
アツムの問いかけに、ライラは首を傾げる。
「ーーーたぶん、頼まれていません。」
「え?たぶんってどういうこと?」
アツムの疑問はその場にいた全員からのものだった。
しかし、続いたライラの言葉に、絶句することになる。
「毎日、呪いの手紙みたいなーーー死ねとか退学しろ、みたいな無記名の手紙が入っているので、ミシェーラが怒って届くもの全部捨てるんです。だから、ビバリーが手紙で言ってきていたらわかりません。」
「「「「「「…。」」」」」」
その場にいる全員ーーーある意味健気に、鼻をすすっているビバリー以外の全員が固まった。
しかし、ビバリーは強かった。
変わらず主張を続ける。
「そんな、嫌がらせを受けるなんて可哀想に…でも、いとこからの手紙くらい読んでくれてもいいんじゃないの?」
「その、いとこが私に手紙を送ってるんじゃないかって思ってますからね。ーーー麻痺の魔法薬、自室に投げ入れたの忘れてないからな?」
ライラの声のトーンが下がる。
「言いがかりはやめてよ!ーーー私はただ、エゲート様と一言お話ししたかっただけなのに…。」
涙を潤ませるビバリー。
なまじ顔が可愛いビバリーの泣き顔を見て、ライラのことを非難するように見る生徒もいる。
ライラはそんな光景を温度のない瞳で見ていた。
しかし、そんな暗い空気をアツムがパンパン!と手を打つことで霧散させた。
アツムは自分に注目が集まったのを確認すると満足そうに頷いた。
そして、ビバリーに近づいていく。
一見優しげに見える表情で彼女の目線の高さまで屈んだ。
ビバリーは、憧れのアツムが自分のところに来てくれた事実に歓喜しーーー次の瞬間凍りつくことになった。
その目が、彼の青い目が、全く笑っていなかったからだ。
口元だけがわざとらしく歪められている。
声色はいつものままなので、近くにいたビバリーとその取り巻きたち三人しかその違和感には気づけなかっただろう。
アツムは三人を目で軽く威圧しながらーーーいつもと変わらぬ穏やかな口調で語りかける。
「あのね、君たちはまだ入ったばっかりだからわからないかもしれないけど、王族に紹介する人を決める権限はライラにはないの。だからね、頼んでも無駄。無視したとしても、ライラの判断は正しい。ーーーとはいえ、かっこいいからね、憧れちゃう下級生が多いのはわかるよ。」
ウンウン、とうなずくアツム。
アツムの目線がそれた三人はほっとしたのだろうか、息をついている。
問題解決の空気に、野次馬が散り始めた。
ライラとアツムも、さっさとその場を立ち去ろうとする。
そんなアツムをビバリーが呼び止めた。
そして、頬を染めながら笑いかける。
「アツムさん、お話聞いてくれてありがとうございます。また相談乗ってくれませんか?」
そう言って、魔力通話を取り出すビバリー。
ライラはそんなビバリーの変わり身の早さにドン引きしていた。
さっきまで泣いてたじゃんかと、その辺の整合性はいいのかと。
しかし、アツムの反応は酷いものだった。
ライラが思わず吹き出してしまったほどだ。
「ごめん、俺、魔力通話持ってないんだよね!ーーーライラ、早く部室行こう。さっき、連絡したら、三年の奴らがライラと対局してみたいって。」
ビバリーはアツムのまさかの対応に、ぽかんと口を開けていた。
魔力通話を持っていない生徒など聞いたことがない。
しかも、仮に持っていないのだとしたらどうやって部員に連絡するのかと。
口に手を当て肩を震わせている笑いを抑えきれていないライラとーーー相変わらず目が笑っていないアツムは、今度こそその場を後にした。
後に残されたビバリーはうまく笑えていなかったらしい。
珍しく怖い顔をしていたと、後から噂になっていた。
アツムの魔力プレートに乗ったライラはーーー大笑いしていた。
どうやらツボに入ったらしい。
クスクスと笑い続けるライラの横でーーーアツムは渋い顔だ。
先ほどから、ぶつぶつと文句を言っている。ライラの対応にだ。
なんでもーーー
「ライラはさ、ああいうのに、なんでガツンと言わないの!?黙ってるから調子に乗るんだよ?やり返さなきゃ!」
そう言って自分の代わりに怒りアツムを見てーーーライラは苦笑いした。
ーーーやり返す、そういう力があるのって、結局強い人だよなあ。
ライラは、自分が魔力だけでなく、決して心が強い人間ではないこともよくわかっていた。
怒りが沸いても、どこか諦めの気持ちが先に来てしまうのだ。
そういう自分を変えたくて、「いつか仕返しする」と公言してはいるのだが。
アツムはしばらく怒っていたがーーー部室棟についた頃には、それ以上文句を言う気はなくなったらしい。
今の最大の面白いことである「エゲートの腕輪」について、これでもかというほど問い詰められ、ライラは目を回すことになるのだった。