1の十一 オネエさんからのアドバイス
図書館棟で、ライラはシャロンと話し込んでいた。
正確にはライラの腕輪を見て、シャロンが色々とライラに教えていたのだ。
失くしたら大変だからと、固定の魔法陣まで描いてくれたシャロン。
王族の話にやけに詳しい彼に、ライラは疑問を持ちじっと見つめてみたが返ってきたのは何も読み取れない綺麗な笑みだけだった。
ライラはそれ以上尋ねるようなことはしなかった。シャロンが何も話す気はないことが感じられたからだ。
シャロンは腕輪の宝石をしばらく観察した後、腕輪の宝石の大きさからライラはパーシヴァルの側近になったわけではない、と冷静に判断してくれた。
与えられた石が小さすぎるのだそうだ。
ライラも「パシリですからね。」と冷静に返して、シャロンを吹きださせている。
そんな二人のもとにデニスがやってきた。
デニスの頬に見事な紅葉ができていて、ライラが飲んでいた紅茶でむせた。
デニスは笑われて膨れていたが、そんな表情もツボにハマったライラには笑いを誘う仕草にしか見えなかったようだ。
涙まで浮かべて笑うライラに、膨れた顔をしながらも少し嬉しそうな様子のデニス。
そんな二人を見ながらシャロンは微笑む。
ーーーライラが笑うのは確かに珍しいけど…これはまた惚れ込んだわねえ。この前までガキだったのに、マスキラの顔するようになって。
図書館棟の私室をライラに貸し出していたシャロンは、入ってきた瞬間のデニスから向けられた視線を思い出して、くつくつと笑った。
デニスがシャロンを睨むが、仔犬にじゃれつかれているようなものなのだろう、その態度さえもがシャロンを喜ばせている。
シャロンはデニスを見るとつい意地悪をしたくなるのだ。
デニスは燃えるような赤い髪と瞳をした少年だ。
スッと通った鼻筋、切れ長の瞳…はっきり言おう。見た目がシャロンのタイプだった。
気に入ったものには構いたくなるのがシャロンの習性だ。
笑いすぎて咳き込み出したライラに、自分の持っていた水筒からコップに紅茶を注ぎ、ストローをライラの口元へ持っていく。
「ふふふーーーはあ、苦しい。お、シャロンありがと。」
ライラははじめ、コップを受け取ろうと手を出してきた。
しかし、笑顔でその手を拒否し、シャロンはストローを口元に持っていく。
ライラは一瞬呆れたような顔になったが、ちゅうとためらう様子もなく、そのままシャロンの手から紅茶を飲む。
「んー、今日もシャロンの紅茶は絶品だね。もっとくれ。」
いいわよ、なんて返事をしながらデニスの方を見ると…彼はわざとらしく顔を背けていた。
しかし、瞳に浮かぶ隠しきれない苛立ちを読み取り…シャロンは吹き出した。
膨れるデニス。
生徒をからかって遊ぶシャロン。
どちらにも気付いているくせに、いそいそと受け取った水筒を鞄にしまう、美味しい紅茶を優先したライラ。
ーーーきっとこの場にミシェーラがいれば、デニスのフォローをしたのだろうが、生憎彼女は部活動の日だった。
シャロンはニヤニヤしながらデニスにも紅茶の瓶を置いて立ち上がった。
…紅茶に関して、デニスはいらないと言ったのだが、じゃあわたしにちょうだいとライラが発言したため、デニスは結局受け取ることになったのだ。
デニスはその紅茶がやたらとおいしいことに再度舌打ちしたくなった。
シャロンが他の司書に連れられいなくなると、室内は二人だけになる。
ライラは机に広げていた資料から視線を上げ、デニスに向き直る。
「でさ、さっき話しかけた内容なんだけどーーー」
「ま、待て、その前にさっきの態度を謝らせてくれ。」
「さっきの態度…?ああ、黄昏れてるところを邪魔しちゃった時のこと?全然気にしてないし、むしろ私が聞きたい。ミシェーラ何を言ってデニスのこと叩いたの?」
デニスはぽかんと口を開けた。
ーーーえ、傷付いたってミシェーラが。実際、ちょっと悲しそうな顔してなかったか?
きょとんとした顔のライラと、デニスはしばし見つめあった。
時間にして、五秒ほど。
デニスは大体の事情を察した。
ライラと話したミシェーラが突っ走ったのだと気がついたのだ。
とはいえ、先ほどのデニスの態度が褒められたものではなかったは確かである。
ミシェーラに文句の一つも言ってやりたくなったがーーーそれはライラといる今考えることではない。
デニスはさっさと思考を切り替えた。
「なんでもねえ。気にしてないならいいんだ。ーーーそれで、話って?」
「あのね、パーシヴァル様に頼まれて、シエキジュツシの勉強をしたいんだよ。でも期限が一か月しかなくてさ。ーーーミシェーラにデニスの家はシエキジュツシに詳しいって聞いたんだ。何かいい方法を知らないかなって。」
ーーーパーシヴァルって…エゲート様のことか!ジュエリーもらったって話題になってたのはこれ関係か。
ライラの周りに意外とライバルが多い事実を知り、デニスの笑みは引きつる。
そもそも、「人間嫌い」で有名なパーシヴァルとどうやって知り合ったのか。
使役術師について早く知りたそうなライラには悪いが、どうしてもその点がデニスは気になった。
ーーーまさか、向こうから言い寄られて?
そんなデニスの思考に、予想外すぎるライラの答え。
「なんでって、お近づきになりたかったから、周りをわざとウロウロしたからだよ。」
「え?」
「黒竜さまを助けたいなら王族の方にまずは聞かないとと思ってね。図書館棟の五階、噴水広場ーーーはじめは偶然見かけたんだけど。はあ、パーシヴァル様って本当に美しいんだよ。」
黒竜さまの次くらいに美しいと思わない?と笑顔で聞くライラに、そもそも黒竜が美しいのか知らないと言いたくなったがーーーさすがに思いとどまったデニスは偉かった。
黒竜は今の王族の祖先に黒魔法の加護を与えた信仰の対象である。ライラに向かってデコピンしただけで済ませた。
痛そうに顔をしかめたライラを見てデニスは少し溜飲を下げた。
マイペースすぎるライラに振り回されっぱなしなのだ。
多少の仕返しは許されるだろう。
話を戻そう。
「それでストーカーした結果、ちゃっかり宝石と専属使役術師のチャンスをもらったのか…なんでもやってみるもんだな。」
「ちょっと、デニスまでストーカーって言うなよ。地味に傷つくから。」
少しだけ不満そうな顔になったライラをデニスは鼻で笑った。
ーーー内心、あー、拗ねた顔レアだな。かわい。などと考えているが…ここ数日で彼も自分の感情を隠すという術を身につけ始めていた。
「でも、ひと月って無茶じゃねえ?使役術師の修行って十年単位で時間をかけるって聞いたけど。」
「じゅ、十年単位…!」
ライラはこの世の終わりのような顔になった。
そして、机に突っ伏し、ぴくりとも動かなくなった。
ライラのあまりの落ち込みように、デニスも慌てる。
「と、とにかく、今俺より詳しい父親…は仕事か。母親に通話繋ぐから自分で聞いてみろよ。使役術師紹介してくれるかもしれないし。」
ライラはうめいただけで、デニスの方に視線さえ向けなかった。
デニスはため息をつき、実家に魔力通話をする。
「ーーーああ、兄さん?母様に代わって。急ぎだから、早くしろよ。」
デニスはその後、二、三言電話口で話すと、ライラに電話を突き出した。
ノロノロと起き上がったライラは、電話を受け取った。
「ーーーはじめまして、ライラック=ガブモンドです。ええ、そうです、あのガブモンドです。」
ライラは、はじめのうち淡々と返事をするだけだったが、やがて瞳に色が乗りはじめ、蒼白だった顔にも色が戻りはじめた。
ーーーどうやら母様はライラに希望を抱かせることができているようだ。
通話が長引きそうな予感を察し、デニスは明日の授業の予習にでも取り掛かることにした。参考書探しのために席を立つ。
今までは、適当に授業中に教科書を流し読みして、当てられるときは友人に頼るという、典型的な、やる気のない生徒だったデニス。
しかし、王族にどこまでもついていきそうなライラに、ぼーっとしていると置いていかれる。そんな予感がしたのだ。
それこそ、今年卒業するはずのパーシヴァルに早く追いつくために、飛び級するのではないかとまで思った。
ーーー守りたいならそばにいることが最低条件だ。
今のライラの成績では飛び級は無理だ。
でも、先ほどからの熱の入れようをみると、安心できなくなった。
参考書の場所を手っ取り早く近くの司書に教えてもらおうとして…薄紫の頭とバッチリ目があった。
「げ。シャロン先生。」
「ーーーあらあら、ずいぶんな態度ね。ふふふ、さっきはごめんなさいね。ちょっとデニスが可愛かったから。…何かお探し?」
さっさと距離を取ろうとするデニスに、シャロンは長いコンパスを活かして追いつく。
デニスの舌打ちにも、おかしそうにうふふと笑うだけだった。
デニスは諦めてため息をつき、参考書の場所を尋ねる。
デニスにとっては意外なことに、シャロンはとても親切に参考書の場所だけでなく、高学年になると必要になる応用書の場所まで教えてくれた。
「ーーーこの辺を予習しておけば、いつでもライラに教えられるわよ。この実技なんて、手取り足取り教えられるから、すごいおすすめね。」
教師とは思えない発言をするシャロンにデニスはギョッとした。
そんなデニスを見て、シャロンはまたおかしそうに笑う。
ーーーどうやら自分はずっとからかわれているらしい。
不機嫌そうに黙り込んだデニスにーーーシャロンが意地悪そうな顔で聞く。
「真面目な話、この辺の科目は生徒がペアになってやるのよ。ーーーライラが違うマスキラとペアになって、放課後一緒に魔力を合わせて、複合魔法の練習をしてーーー気分悪くない?」
「ーーーっ。どれすか。応用編の教本全部借りていきます。」
「素直でよろしい。ーーーでも、本気でライラにマスキラとして見てもらいたいならもう少しスマートさを身につけるべきね。」
「…スマートさ?」
怪訝そうにシャロンを見上げたデニス。
シャロンはそんなデニスの素直な反応を微笑ましく思いつつもーーーそれではいけないと首を降る。
「そう、スマートさ。一生懸命さ、優しさ、誠実さーーーどれも一般的なフィメルにはウケがいいでしょうね。あなた、初等部で結構人気あったんじゃない?」
見透かすようなオレンジ色の瞳に覗き込まれ、デニスはなんとなく視線を逸らす。
ーーー確かに、デニスは周りから好かれるタイプだった。ニュートの子供だけでなく、少し年上のフィメルからも、可愛がられてきた。
「ーーーライラが俺に興味ないのはわかってますよ。」
「拗ねないの。そういうところが子供だと思われてるのよ。ーーーアタシは可愛くていいと思うけどね?」
デニスはげっそりとした顔になった。
このオネエと話していると疲れる。
参考書も教えてもらえたし、はやくライラの元に戻りたかった。
「でも、ライラはそういう態度だと、恋愛対象から外されちゃうわよ?あの子大人びてるから。ーーーもっと賢くならないと。」
デニスは内心「黒竜さまを助けたい」とあちこちで言っているため、同級生から変人扱いされているライラが大人びているという点に引っ掛かったがそれよりもーーー
「かしこく?」
「そうよ、その教本だって読んで、ただただ試験でいい成績残そうとしてるでしょ?それじゃダメなの。」
デニスにはシャロンの言葉の意味がわからなかった。
先ほど応用魔法の教本を勧めてきたのはシャロンのはずだ。
それなのに試験でいい成績を残すのは違うと言う。
「本気でライラを落とすならーーーアタシなら長期戦でいくわ。押しすぎても避けられるだろうから、さりげなくサポートするの。さっきの話に戻ると、来年からは授業分けが少人数の成績順になるでしょう?そこで、ライラと同じチームを狙うのよ。」
「は?それってーーー」
「だから、ライラが得意そうな科目は全力でいい点をとって、苦手そうな科目はセーブするの!クラス分けは三分割よ、そこまで難しい話じゃないわ。」
デニスはようやく意味を理解した。
そして、唖然とした。
「あの、それ、先生が言っていいんすか?」
「ダメに決まってるじゃない。教師、シャロン=ベローとしては、意欲ある生徒のために応用魔法の参考書を勧めたの。その後は、マスキラの先輩のハナシとして聞いてちょだい。厄介なのに捕まったかわいそうな少年へのアドバイスよ。」
ーーー色々と突っ込みたいことがデニスにはあった。でも、一番気になったことを聞く。
「先生から見ても、ライラって厄介なんすか?」
「ええ。正直見たことがないタイプね。すごく嫌われているのかと思ったら、ごく一部の目立つ生徒からはとても気に入られているし。そのくせ本人は王族以外に全く興味がなさそうだし。ーーー全く掴めないわ。」
ーーーそこがあの子の魅力よね、と言ってシャロンは笑ったが…デニスは頭を抱えた。
この、いかにも曲者な、シャロンにまで掴めないと言わしめる、ライラ。
ーーー本当に自分はとんでもないのに捕まったのかもしれない。
そんなデニスの内心を見透かしたかのように、シャロンが笑う。
「辞めれるなら今のうちに手を引いておいたら?」
しかし、デニスは笑うことなくシャロンを見返した。
その瞳には、赤属性らしい、勝気な色がのっている。
「ーーーバカ言わないでくださいよ。本人から言われない限り離れるつもりなんてないっす。」
「そういや、あんたブライヤーズだったわね。ふふふ、あそこのマスキラはフィメル運が悪いっていうか、それなのに一途だから、みんなして振り回されてるイメージだわ。」
過去を思い出しているのだろうか、シャロンが少し遠くを見るような顔をする。
ーーーシャロンはどうやらデニスの兄たちのことも知っているようだ。
いつも自分をからかっていた兄たちも、同じように苦労していたのだということだろう。
今度からかわれたら、反撃してやろうとデニスは心に決めた。
やられてばっかりは性に合わない。
デニスはついでに、このシャロンも利用することにした。
散々からかわれたのだ。遠慮など必要ないだろう。
「じゃあ、せんせー、かわいそうな俺のために有益なアドバイスくださいよ。私室貸し出すくらい、ライラと仲良いんでしょ?」
ニヤリと笑ったデニスを見て、シャロンが目を細める。
「開き直ったわね。ーーーうーん、でも生徒を売るのはなあ。」
「お願いだよーーー多少の対価なら払うから。」
わざとらしい上目遣い。
しかし、不思議とデニスがやると嫌味にならない。
シャロンは心の中で天秤にかけーーー自分の欲求を優先することにしたようだ。
本日一番の笑顔で笑い、言い放った。
「えー、じゃあ、写真撮ってもいい?デニスの顔タイプなのよね。」
「あんたほんと教師かよ…他人に渡さないならいーよ。撮っても。」
シャロンは半分からかうつもりで言ったのだがーーー呆れながらも、デニスからはあっさり許可が出た。
驚いたシャロン。
しかし、デニスの容姿が気に入っていたのは本当のことだ。
遠慮なく撮影することにしたらしい。デニスを近くの部屋に連れ込んだ。
すぐにデニスを座らせ、化粧ポーチを取り出す。
いやそうな顔をするデニスの頬にクリームを塗りつけた。
ーーーモデルとして、頬の紅葉は不必要だった。
その後、シャロンは悪ノリしてポージングまで求めたがーーーなんと、デニスは応えてみせた。しかも、かなり様になっている。
とった画像を見ながら、思わずシャロンがこぼす。
「ーーーデニスって、モデルかなんかやってたの?」
「いや、正式には。でも小さい頃から商品宣伝の広告写真とか、学校の制服のモデルとか、よく頼まれてたから撮られることには慣れてる。」
さらっとカミングアウトするデニスの顔を、シャロンは改めてまじまじと見た。
確かに整った顔立ちをしているし、何より髪と瞳の赤が見事だ。
シャロンは、自分がひと目見て気にいるはずだと再確認していた。
シャロンはきれいなものーーーそれは人に限らず、魔石や魔獣、景色まで、すべての美しいものの写真を集めるのが趣味だった。
いい写真が撮れたと内心喜びつつーー本人的にも大盤振る舞いしてくれたのであろう、デニスにきちんと対価を渡してやる。
「アタシ特性の軟膏よ。その頬に塗ってもらいなさいよ、ライラに。アタシからライラにデニスに塗ってあげるよう頼んであげるから。」
ほっぺのクリームをタオルでゴシゴシとこすっていたデニスが目を見開く。
そして、嬉しそうに破顔した。
ーーーやっぱり人は恋した時が一番いい顔するわね。
シャロンは内心そう、ごちりつつーーー長居しすぎた部屋から出る。
ライラ宛のメモを渡しておくのも忘れない。
司書たちがシャロンのことを探しているだろう。行ってあげなくては。
出ていこうとするシャロンをデニスが引き止める。
「せんせー、俺の写真あれだけ撮ったんだからもっと対価欲しいなあ。」
「ーーーずいぶんわがまま言うようになったわね。…また今度、アドバイスしてあげるから、今日はお姫様のとこに戻りなさい。」
「ーーー約束な!」
年相応の嬉しそうな顔をして去っていく少年の後ろ姿を見送り、シャロンも仕事に戻る。扉を開ける前、一瞬だけ、胸元を抑えた。
いつも隠されている彼の首のチェーンの先には、黒の宝石が光っているのだがーーーそれを知るものはこの学園にはいなかった。
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