1の八 部活勧誘と譲れない想い
授業中にある生徒が魔法を暴発させ、ライラは入学以来、初めて防御魔法を使った。
学年末試験ーーー12月が近づけば近づくほど、授業の難易度も上がり、「事故」の件数が増えるらしい。倒れ伏した生徒を医務室に運んだ後で、アルフが苦い顔で語っていた。
アルフが一瞬いなくなっただけで、授業は続行された。これくらいの規模の事故は、本当によくあることらしい。
そんなことがありつつも、ライラはいつも通り授業を終え、図書館棟へと歩き出したところでーーーアツムに捕まった。
アツムはデニスのエルダーだ。
正直、自分に何の用なのかと困惑したのだが、つい先日、授業の課題にアドバイスをもらったこともあり、とりあえずは誘いに乗ることにした。
ーーーいや、実のところ、はじめライラは断った。課題が終わっていないからと。
しかし、アツムの方が一枚上手だった。
「課題は俺が手伝ってあげるからさ?」
にこりと笑ったアツム。場所は校舎を出たすぐ、玄関前だ。
多くの生徒が帰宅のためか行き交う中、アツムとーーー当然ながら会話しているライラにも注目が集まっていた。
ライラは色めき立つ周囲の反応を感じーーー思わず、アツムの胸に輝く二つのサークルペンダントを…特に黒魔石でできているのか、眩い光を放ちながらもどこか高貴な印象を受ける竜をかたどったような精巧な作りのペンダントを、じっと見つめてしまった。
ライラも流石に感じていた。どうやらアツムは有名人らしいと。
そして、先ほどからライラの方に「なんでこいつなんかが?」という視線が送られているのだ。
ライラは正直逃げたかった。自分と関係ないですこの人は、と。
しかし、アツムが見逃してくれる気がなさそうなのだ。
はああ、とため息を吐きたいのを我慢し…嫌がっているライラの反応を見て、楽しそうに笑うアツムを見返した。
ライラの声が、少しばかりうらめしそうなになってしまったのは仕方がないことだろう。
「わかりましたーーーーあ、五教科分お願いしますね?」
せめてもの仕返しとばかりに、溜まっている課題を全て手伝わせようとするライラ。
アツムは一瞬固まったものの、笑顔で了承していた。
ーーーデニスが欠席してるうちに済ませないと。あいつ赤属性だし怒らせたら怖いしな。
などとアツムは考えていた。デニスは三日間ほど欠席している。
ライラは、まさかデニスの欠席の理由が自分にあるなどと思っていないので、なんでいないんだろう、などと呑気に思っているのだった。
早速、南側ーーー部活動棟のある方に歩き出そうとしたアツムをライラが止めた。
図書館棟の方を指差す。
「ーーー対価が先ですよね?」
一瞬二人の間に火花が散ったように見えたと、その場にいた生徒は語る。
アツムがまいりましたとでもいうように、両手をあげた。
そんな仕草でさえも、嫌味でないのだから、美形は得だななどとライラは内心思った。
「ーーーライラが見た目通りの気弱なニュートじゃないことだけはわかった。いいよ、おにーさんこう見えても優秀だから、見せてみ?」
○
自分で言うだけあってアツムは賢かった。
ライラがわからないところを丁寧に説明してくれ、あっという間に課題が終わった。
教科書全部頭に入っているのでは?とライラは疑ったくらいだ。
それくらい説明までもが完璧だった。
課題を済ませた二人は移動プレートで四角い建物の前まで来ていた。
その建物は五階建てなのだが、なぜか、上階の方が大きい。
素人がレンガを適当に積み上げたのかと心配になるほど、酷くアンバランスな上に、入口には巨大な絵画がかけられている。
存在感抜群の絵画に描かれているのは黒竜だ。
図書館以外にも黒竜の絵画があったのかとライラは驚く。
「ーーーここが部活動棟でーす。ここにいる、絵画に魔力を当てれば扉が開きまーす。」
アツムはそう言いながら、青の魔球を作り出し、ためらいなく絵画にぶつけていた。
その魔球がかなり大きかったため、ライラは絵画が破壊されないかと冷や冷やしながら見守ったのだがーーー絵画に描かれた黒竜は、大きく口を開けて、青の魔球を飲み込んでしまった。
次の瞬間に、横にあった扉が、ゴゴゴ、という音を立てながら開く。
絵画の中で、満足そうにもぐもぐとしている黒竜を見て、ライラは思わずぽかんと口を開けた。
茫然と絵画を見つめているライラの姿を見て、アツムが笑う。
「そんなにびっくりした??ーーーふふふ、部室は三階だからまだ歩くよー。」
スタスタと先に行ってしまったアツム。
ライラは、そんなアツムを見て、慌てて足を動かす。
ライラは入学以来はじめて部活動棟に足を踏み入れた。
汗の匂い、薬品の匂いーーーライラは足を進めながら、そういえば自分は学生だったなと今更ながら実感していた。
入学以来、課題をこなすことに一生懸命すぎたライラは、いわゆる「青春」と表現されるような学園生活とは程遠い生活を送っていた。
だから、なんだかしみじみとしてしまったのだ。
しかも、連れてこられた部室名を見てーーーライラは思わず笑ってしまった。
「ここがボードゲーム部です!ーーーどうした?急に笑い出して。」
「ーーーいえ、父とよくボードゲームをしたなあと思って。」
ーーー本当は前世も「囲碁将棋部」なるものに入っており、ボードゲームばかりしていたために、まさか転生してまでやることになるとは、と笑っていたのだが…ライラは今世での自分の境遇を、自分が周囲からそう言った目で見られているのかを忘れている。
そして、サークルペンダントの件もありライラが両親と死別しており、ついでに親戚で浮いていることまで実は有名な話だ。
全校生徒が百名程度なのだから仕方がない。
色なしのライラは何かと目立つ存在だったのだ。
結果として大きな誤解が生まれた。
ーーーライラは亡き父親とのことを思い出して…なんでもないように笑ってるけど、やっぱり辛いのかな。
アツムが若干気まずそうな顔をする。
しかし、当の本人は誤解が生まれていることなど気づくはずもない。
必死ににやけそうになる表情を真顔に戻していた。
「ーーーライラ、今更だけど、やめとく?」
心配そうに、ライラの顔を覗き込むアツム。
しかし、ライラはその金色をパチリと瞬かせた。
「え?ここまで連れてきてですか?対価いただきましたし、話くらいは聞きますよ?入部希望者が足りないんでしょう?」
「え、よく知ってるね?」
ーーーわかるよ、部員が足りなくて部費が足りなくなったり、かといって新入生を積極的に勧誘するほどコミュニケーション能力がなくって困ったりするよね!
ライラは非常にボードゲーム部に失礼なことを考えていたのだが、ともかくアツムは自分に折り合いをつけたらしい。中にライラを誘導した。
アツムに手招きされ、ライラは室内に足を踏み入れる。
そして、思わずこぼした。
「お邪魔しまーす…なんか、思ったのと違う。」
ボードゲーム部は、非常に煌びやかな部屋だった。
勝手に前世のような囲碁将棋部の部室を想像していたライラは、輝くボードに、そして同じくいかにも上流階級っぽい部員たちに、ひどく違和感を覚えたのだ。
ライラが知らなかっただけなのだが、グレイトブリテン建国物語に登場するゲームとして、また幼い頃から戦略的思考を身につけることで優秀な魔法使いになれると言われており、魔法使いのような上流階級にこそIGOは人気が高かった。
ライラの反応に首を傾げるアツムを適当にごまかし、ライラは魔力灯の魔素でキラキラと輝くゲーム盤の前に腰を下ろした。
部員たちが突然の来訪者に驚いたのか、問いかけるようにアツムとライラを交互に見ている。
そんな視線に応えるわけでもなく、ひらひらと手を振っただけで、ライラの正面にアツムが座った。
「これ、IGOってボードゲームなんだけど、ライラちゃん経験ありそうだね?」
「ええ、父とやってましたので。」
ちなみにこの発言は嘘だ。ライラの父親は、脳味噌まで筋肉でできているような人だった。この世界の上流階級で嗜まれているIGOをやるようなタイプではなかった。
ライラとIGOをやったのは、初等部で仲が良かった教師だ。前世の知識の賜物ーーーというか、転生者がいたとしか思えないくらい同じルールのゲームだったので、ライラは最初からかなり強かった。
なんだったら強すぎて教師の度肝を抜いた。
ライラは、その時にも同じ嘘をついて、教師を涙目にさせている。
「そ、そっかーーーじゃあ、俺とやってみない?入部は気が向いたらでいいからさ、文化祭だけ出て欲しいなあ、なんて。」
アツムいわく、入部者はそれなりにいるそうだ。
このボードゲーム部ーーーというかIGO部だが、IGOが王宮関係者にとって社交必須スキルになっているらしく、兼部の生徒が多いそうだ。
「兼部が多すぎて文化祭の時に人手不足ってわけ。」
ハハハ、と笑うアツムを見てーーーライラは首を傾げる。
先ほどの様子を思い出していた。
「人気者」のアツムなら、すぐに部員の一人や二人、集められるのではないかと。
ライラの疑問に、アツムはーーーニンマリと笑った。
欲しいのはただの部員ではないらしい。
それじゃつまんないじゃん、とまで言い切った。
自分のファンを「つまらない」と言い切るアツムをライラはジト目で見た。
笑って流されたが。
「俺さ、面白そうなこと大好きなんだよねー。情報収集するたびに普段愛想よくしてるって言っても過言じゃないし。…ライラ、デニスに気に入られたじゃん?しかも、あのビリンガム嬢にもーーー俺の面白センサーがビンビンに反応してる。」
ライラは、はあ、と気の抜けたような返事を返した。
内心、野次馬根性すごいな、などという失礼なことを考えている。
「課題を手伝ってくれるのなら入部しますよ。ーーー文化祭は…今年は来れないと思いますが。」
ライラはミシェーラと文化祭当日、一緒に回る約束をしていた。
ライラにとって、ミシェーラの優先度はかなり高い。
全く迷うそぶりなくアツムに返している。
ライラの返事に、文化祭の件を残念がりつつも、入部を承諾したからか、アツムはよっしゃ、などとわざとらしく言ってガッツポーズなどしている。
「文化祭来れないのか。じゃあ、入部届けは暇なときに持ってきてねー。よし、新入部員くん、早速一局打とうか?ーーーハンデは…」
そう言って、ライラに先番を渡そうとしたアツムをライラが制す。
そして、ハンデなしでやりませんか?と提案した。
ライラの発言にーーーアツムがまた、ニヤリとした。
「へー?結構腕に自信ある感じ?俺、一応この部ではかなり強い方なんだけど…とりあえず、じゃあ置き石なしね。」
○
アツムはニコニコとしながらライラの横で、移動プレートに座っている。
ライラと行ったIGOとの対戦で、アツムはご満悦のようだ。
二人の実力は拮抗していた。
ライラはアツムの実力を正直舐めていたと思わざるを得なかった。
しかし、アツムの方でも、ライラがここまでの打ち手だというのは予想外だったらしい。
いつでもいいと言っていた入部届を、その場で書かされた。
「俺が相手欲しくなったら呼びに行くから、待っててね。」
ーーーという言葉の通り、好敵手を見つけたと思ったらしい。
まあ、実力が近い者との勝負に燃える気持ちはライラにもわかったので、課題お願いしますねと言って頷いておいた。
そして、門限ギリギリになったため、アツムが寮まで送ってくれている。
ありがたく同乗させてもらっていた。
なんだかんだと言いながら、連日ジーゴプレートに乗っているライラ。
この速度に慣れてしまうと、ケイマプレートが遅く感じるようになってしまいそうだ。
そして、ライラはふと気がついた。
そういえば、ジーゴプレートに乗っている生徒がなぜいるのか知りたかったのだ。
早速アツムに尋ねるとーーー呆れた顔をされた。
普通入学一週間で知るようなことらしい。
「俺、黒薔薇団のメンバーだからね。ーーーもしかして、ライラ知らない?」
アツムはほら、と胸につけた薔薇を象ったブローチをわざわざ外して見せてくれる。
ブローチを受け取って光ににかざしつつ、黒薔薇団という聞き慣れない言葉に、ライラは首を傾げる。
アツムはそんなライラの反応を見て、本気で驚いている。
そして、アツムの説明を聞いて、ライラもようやくピンときた。
「随分と純度の高い黒魔石ですね…ああ、やたらとみんなが騒いでる『生徒会』のことですか。」
「セイトカイ?その呼び方ははじめて聞くけどーーーさすがに聞いたことあるか。王族の方々が中心になって、イベントの運営とかやっちゃう集団だよ。」
アツムは返却されたブローチを付け直しつつ、ライラの言葉に頷く。
ライラは王族の方々が全員所属している組織があると聞いて、少し調べたのだ。
自分が所属できそうもないとわかった時点で興味を失ったため、正式名称さえわかっていなかったが。
「ーーー推薦人30人を集めて教師の許可を得たもの、でしたっけ。アツムさん人気者ですね。」
「あはは。全然羨ましくなさそうでうける。みんな、いいないいなって言うのに。」
けらけらと笑うアツムにライラは苦笑いする。
人気者どころか、かなりの数の生徒たちから嫌われているんじゃないかと思っているライラは、「いいな」という感想など抱けなかったのだ。
なれると思っていないから、なれたらいいななどとは思わない。
そして、時間もないしな、などとライラは冷静に考えている。自分が人気がないという事実に特に落ち込んでいる様子もない。
そのような意味のことを言われたアツムはーーー苦虫を噛み潰したような顔になった。
いつもニコニコとしている彼にはかなり珍しい表情だった。
ライラは首を傾げる。
そんな年下のニュートを見てーーーアツムは深くため息をついた。
「自分が嫌われてるって話をそんな何でもないようなことみたいに話されても困る。それに悲しい、俺が。」
アツムがそう言ったところで、ちょうど移動プレートが寮の前に到着した。
門限までにアツムが帰るとなると、時間はかなりギリギリだった。
自分が乗っていてはまずいと慌てて、降りようとしたライラを引き留めたのはアツムだ。困惑顔でライラが問いかかけるもーーー
「門限?ーーー俺、門限ないから大丈夫。」
ーーーライラは思った、黒薔薇団、入りたいなと。
門限なし。移動プレートの自由利用。しかも、聞くところによれば王族のいる特別寮での生活ーーー。
全く興味がなかったにも関わらず、いざ聞いてみるとあまりに魅力的な待遇に、一瞬入りたいなと考えてしまったのだった。
なるほど、「みんながいいなと言う」はずだ。
ライラが内心納得していると、アツムが「それで?」と催促してきた。
ライラは意味がわからず首を傾げる。
「おにーさんが、ライラちゃんのために一肌脱いであげよっかって。ーーー嫌われてる原因とかわかる?」
なんだかんだといって、生徒を代表する集団に入っているアツムだ。
少し捻くれてはいるものの、面倒見がいい性格のようである。
心配そうにライラを覗き込む青い瞳と目が合う。
ライラは笑った。
そして、キッパリとその申し出を断った。
意外そうな、そして少し不満そうな色の乗ったアツムの表情を見てーーーライラが済まなそうな顔をした。
しかし、ライラの決意が覆ることはない。
ーーーというのも、ライラには、一部の生徒から嫌われている原因がはっきりとわかっていたのだ。
そしてライラは、その生徒とは、自分で蹴りをつけると決めていた。
「あいつはーーー親戚なんで知り合いですけど…私の大事な人たちをバカにしたんです。だから、私はあいつが嫌いだし、向こうが嫌っても何とも思わないんです。」
そう言ったライラの顔は見たこともないほど冷め切っていた。
このニュートは、こんな顔もできるのかとアツムは少し驚いた。
感情を殺し、ガラスのようになった瞳。
ライラの無表情が、ライラの怒りを表していた。
アツムはそこでこれ以上聞くのをやめてあげよう、などと考えるタイプではなかった。
「面白そうなこと」の予感がしたのかもしれない。
「大事な人たちに何をしたの?」ーーー目線でライラに、先を促す。
ライラはそれ以上を言葉にするかためらった様子だった。
しかし、アツムが一向に帰る気配を見せないことで、観念したのだろう。
ポツリポツリと話し出す。
「死んだ両親のことを、無駄死に、って言われたんです。二年前の黒竜の咆哮で起きた事故に巻き込まれたんですがーーー最期まで、下級のハンターを庇ったんです。そんな二人を、あいつは笑った。しかもーーー黒竜に両親を殺されたようなものなのに、よく王族に仕えたいなんて言うねって。」
一発殴ってやったんですけど、逆にボコボコにされました。
そんなふうにハハハ、と笑ったライラ。
しかし、ライラの瞳には、淀んだ黒が漂っている。
底無し沼のような色にーーーアツムは思わず身震いした。
そんな自分に少し驚く。
こんな、「色なし」に自分が一瞬でも恐怖したのだ。
最上級生を威圧する、それだけの凄みが今のライラにはあった。
すぐに、いつもののほほんとした雰囲気に戻ったが。
アツムは思わず唾を飲み込み、再度問いかける。
「じゃあ、自分で、やり返すんだ?」
「ーーーええ、他の人の手は借りません。私が、自分の手で、仕返しします。…とはいえ、向こうは普通に優秀な魔法使いになりそうなんで、今のままじゃ返り討ちにされるだけなんですけどね。」
ーーーでは送っていただきありがとうございました!
礼儀正しくそう言って、寮の扉へと消えて行ったライラを見送ったアツムは、自分の寮へと移動プレートを動かしていた。
「よくもあんなに抱えて、普通に笑えるものだねー。」
アツムは誰に聞かせるわけでもなくつぶやいた。
やりきれなかったのかもしれない。
ライラは平気そうな顔をしていたが、アツムには理解ができなかった。
ーーー周囲に自分はこんなにかわいそうなんだと泣きすがって、悲劇の主人公になったり…あの子はしないんだろうなあ。
「両親を亡くし、魔法が使えないのに魔法学園で日々生活?さらにさらに、頼りになるはずの親戚からは嫌がらせ…。」
言葉にしてみて、アツムはゾッとした。
自分だったら笑えない。
ライラみたいに、王族に仕えたいと、夢を語って笑うことができるとは思えない。
ーーーデニスは思った以上に見る目がありそう?
ライラが単なるニュートではないことを確信し、それに目をつけたのであろう後輩を思い出してアツムはニンマリしたのだった。