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短編 大学生恋愛 ~幻想の恋~

作者: 大野奈知

そんなに明るい話ではないですが最後まで読んでいただけると幸いです。

 最初に彼が改札を出てきたときから、違和感があった。

 というのも、彼は一年前までは秋恵と同じクラスにいて、男子も女子も関係なく誰からも話しかけられるような爽やかな王子様キャラだったはずなのだが、その爽やかな空気は全く感じられず、むしろ曇り空のようなだるそうな雰囲気をまとっていた。

 林秋恵は頭の中で、彼と会った瞬間きっと私は久しぶりに好きな人と会えてうれしさと緊張で心臓がうるさいくらい鳴りやまないんだろうな、などと乙女チックな妄想しかしていなかったので、全く想定していなかった自分の気持ちに困惑した。

 秋恵の心の中に冷蔵庫を開けた時の冷気みたいに広がっていったのは、ときめきではなく不安だった。

 彼は秋恵を見つけると、作り笑いを浮かべ、手を振った。先に待ち合わせ場所についていた秋恵もすぐに手を振り返す。

 彼が自分の方に歩いてくるのを見て、秋恵は自分の顔が他人向けの顔に反射的に変わっていくのを感じていた。違和感や波長が合わない人に対して体が本能的に作ってしまう笑顔。

(ちがう!もっと自然に笑わなくちゃ!朝山君に好きになってもらうために、家でいっぱい練習したじゃん!)

 自分の意志で動かせるはずの顔は、秋恵の指示を完全にシャットアウトしているらしい。

 朝山は秋恵のもとにやってくると、「待った?」などとは聞かずに、「じゃあいこうか」とだけ言ってすぐに、会う前にラインで二人で行こうと言っていた店の方へ歩き出した。

「うん!」

 秋恵は飼い主の後を追いかける犬のように朝山の後ろについていく。本当は今日のために精いっぱいおしゃれしたことを少しは褒めてほしかったのだが、彼とはまだ付き合っていないので、そのような考えを持つ権利は自分にないな、と一人で勝手に納得した。

「朝山君、今日は何してたの?」

「俺?今日すげえヒマでさ、友達とラインで電話してた~」

「そうなんだ!私はね…」

 朝山の言葉に、秋恵の脳内で瞬時に思考回路が嫌な方向に回った。

(じゃあ私が朝に送ったライン、もっと早く返してくれればいいじゃん。なんでもっと早く返してくれなかったんだろう…)

やっぱり脈ナシ、という言葉をかき消すように、急いで言葉を紡いだ。

 「い、家の掃除してたんだ~!」

 「へぇ~、そうなんだ」

 (ああ、やっちゃった…)

 なんで家の掃除なんてリアクションのしにくい回答をしてしまったんだろう。料理してた、とかだったらもっと家庭的な女子だってアピールできたのに。

 だが、一度声に出してしまった言葉は消せない。朝山は秋恵の話に特に乗っかろうとはせず、本気の笑顔なのか作り笑いなのか判断しにくい微笑を終始浮かべていた。秋恵は秋恵で、せめてレストランに着く前に話を盛り上げようと朝山にいろいろ質問するが、彼に一言で返されてすぐに会話が終了してしまい、目的地に着く前には身も心も緊張と嫌われてしまうのではないかという不安ですっかり冷えきってしまっていた。

 レストランはショッピングビルの九階にあり、二人はそこへ向かうためにエレベーターに乗り込んだ。エレベーターに入ると、秋恵は会話をするための質問の内容を思いつかなくなってしまい、とうとう黙り込んだ。その間、不機嫌になっているように思われてはダメだと思い、ヘラヘラと笑っていたのだが、彼はエレベーターが上がっていくごとに点滅するボタンを凝視しており、そもそも秋恵のことなんて見ていなかった。秋恵はその彼の横顔を眺めて、また脈ナシという言葉を連想し、目をぎゅっと瞑って文字を脳内から搾りつぶした。

 目当てのイタリアンの店は客が全然おらず、二人はすぐにテーブル席に案内された。

 本来なら秋恵はここで、想い人である彼とほとんど二人きりの空間になれたので喜ぶはずなのだが、もっと客がいてくれればよかったのに、と緊張で肩を強張らせた。

 「ご注文がお決まりになりましたら、お呼びください」

 若い男の店員は足音も立てずにそそくさと奥に引っ込み、秋恵には店内のジャズのビージーエムがいつもより大きく聞こえた。

 「何にする?」

 秋恵は朝山にメニューが見えやすいように向きを変え、手渡しした。

 「んー、じゃあおれはピザのマルゲリータ」

 朝山がそんなにすぐに注文を決めるとは思っていなかったので、秋恵はすぐに

 「えっと、じゃあ私はカルボナーラにする!」

 とマルゲリータの次のページの一番上に書かれていたパスタを急いで指さした。本当はカルボナーラは好きではないのだが、あまり待たせてとろい女だと思われたくなかったので、そうした。

 呼び出しボタンを押すとさっきの店員はすぐにやってきて、オーダーを聞くとまた奥に引っ込んだ。

 「お客さん、少ないね」

 「そうだね」

 「ねぇ、朝山君は大学に入ったら、入りたいサークルとかってあるの?」

 「…あー、俺、サークル入るつもりないんだよね」

 「あっ…そうなんだ…!私、てっきり、どこかに入るのかと思ってた!あはは!」

 何も面白くないところでつい適当に笑ってごまかしてしまう自分を、秋恵はどうしようもなく情けなく感じた。

「…あっ、ほら、朝山君さ、一年浪人して今年からやっと大学生じゃん?なんかさ、これが一番やりたいって思ってることとかってある?」

 「…やっぱ勉強かな。俺、春休み中にプログラミングとか独学で勉強したいって思ってるんだよね」

 「へえ~……そうなんだ……」

 やっと朝山が少し身を乗り出して回答をしてくれたというのに、秋恵はプログラミングのことで話を盛り上げる自信がなかった。

 ならば聞き役になろうと意気込んだ瞬間、

 「お待たせしました~、マルゲリータとカルボナーラです~」

  店員がテーブルに料理をどんと乗せ、朝山はいただきますと言ってすぐにそれを食べ始めた。

 秋恵も慌ててカルボナーラに口をつける。

 「おいしいね!!」

 「うん」

 「…………」

 「…………」

 二人の沈黙の比率が大きくなるほどに、秋恵は今すぐ帰りたいという強い衝動に駆られた。朝山は沈黙が平気なのか、もくもくと気にせずピザを綺麗に平らげていく。

 秋恵の脳内シミュレーションでは、この場面でもっと会話が弾むはずだった。秋恵は去年現役で私立の大学に現役で合格しているが、彼は浪人して超難関国公立大学に今年合格したので、それを秋恵が労い、彼が照れ笑いし、そしてこれから始まる彼の大学生活についての話に花が咲くはずだったのだ。

 そもそも秋恵が彼を好きになったのは、高校一年生の時だった。朝山と同じクラスだった秋恵は、彼がクラスの中心的メンバーの一人で、クラスメイトのみんなを笑わせたりする姿を見かけるたびに憧れを抱いた。そしてあまり目立つタイプの女子ではない自分にも、朝山は毎朝おはようとあいさつしてくれ、ますます彼のことを好きになった。二年生の時はクラスが別々になってしまったけれど、三年生でまた同じクラスになったときは心の中で大きくガッツポーズをした。結局告白なんてできなかったが、秋恵は彼を見ているだけで何度も自分の胸が炭酸みたいに淡く弾けるのを感じていた。まぎれもない、恋のはずだった。

 だが今、彼を前にして自分の中に渦巻いている感情は、そんな清らかで美しい青春の色とはかけ離れている。

 朝山は、改札を出てきた時からあの頃の爽やかな青年ではなかった。

 もしかして、彼は浪人生活を通して人柄が変わってしまったのだろうか。

「俺、明日から大学なんだよね」

 水をゴクゴクと飲み干しながら朝山が言う。

「そうだったの?」

「うん。友達できるかすげえ不安」

「またまた~!朝山くん、高校の時いっぱい友達いたじゃん!一年の時も三年の時も、クラスの中心の人ってイメージだったよ!」

「それは、みんなの前で()()()()からだよ」

彼の感情のない黒目が秋恵の瞳をまっすぐに射抜いた。秋恵は魔法にかけられたみたいに体を石のように固まらせ、息をすることを忘れた。

頭の中に、突然声が響いた。


 あんたは、俺の何を知ってんの。

 朝山の声だった。


 停止していたのは一秒程度だったはずなのだが、秋恵には永遠に感じられた。彼はまだ話を続けていたが、秋恵の耳には彼の声が全く届いていなかった。


 秋恵が恋をしていたのは、彼ではなかった。

 秋恵は、秋恵自身の理想である《みんなの人気者で王子様キャラな朝山くん》に恋をしていたのだ。

 思えば、さっきから会話が続かないのは、秋恵自身が朝山についてあまり詳しくないことも一つの原因になっていた。

 秋恵は、朝山が一番大切にしている友達の名前を知らなかった。受かった大学の学科名を知らなかった。彼が高校生時代にどの大学をもともと目指していたのかを知らなかった。彼の好きな食べ物を知らなかった。得意科目を知らなかった。どこに住んでいるのかを知らなかった。趣味も、休みの日に何をしてるのかも、部活のポジションも、そして誕生日も知らなかった。

 秋恵は朝山に興味なんてなかった。自分で作り上げた理想の朝山に恋心を抱き、恋をしている自分に満足していた。一年後に意を決して彼を誘ったのも、同窓会で久しぶりに彼を見かけ、彼が作っているいわゆるみんなの前で演じている立ち居振る舞いが自分の理想に近く、そんな彼氏を手に入れたいという自分の欲望のためだったのだ。

 その事実に行きついた秋恵は、ただただ自分が作り上げていた恋が静かに崩れ去っていくのに呆然とし、彼に対して自分がいかに失礼なことをしていたのかという事実に愕然とした。

 彼はすっかりマルゲリータを食べ終わってしまい、秋恵がパスタを食べる様子を感情の読めない顔で眺めていた。秋恵は自分がパスタをもごもごと噛んでいる音が店中に響いている気がして、また首を縮めた。そして何も話さずに、無駄に弾力のあるパスタを噛み砕くことに意識を集中させ、あまり音を立てないように注意深く丁寧に呑み込むようにした。緊張、罪悪感、絶望感が入り混じった胸中では、パスタをおいしく感じることはとうてい無理だった。食べ終わるまでが苦行のように感じられた。

 「じゃあ、でよっか」

 「…うん!」

 秋恵は精いっぱいの笑顔をなんとか取り繕ったが、朝山に全て見透かされている気がしてきまりが悪かった。

 行きと同じようにエレベーターに乗り、一階へと降りる。エレベーターから出ると、朝山が

 「林さん、何線?駅まで送るよ」

と申し出た。はっと朝山の顔を見ると、彼はクラスにいた時のにこやかな笑みを浮かべていた。

 さっきまで取っていた仮面を、つけたのだ。

 「ありがとう……でも、いいや。ここまでで大丈夫」

 エレベーターから出てくる人たちの邪魔にならないように端の方へ移動する。

 朝山くんは私の気持ちに気づいていて、わざと本当の自分とクラスで演技してる時の自分との違いを見せてくれたのかもしれない。まあ単純に脈がなかっただけかもしれないけど。と秋恵は一人で思った。

 秋恵はふいに、朝山の前で自分をかわいくみせるためにわざと上げていた声のトーンをいつも通りに戻した。

 「ありがとう」

 朝山の黒目を見据えて、秋恵自身も仮面を取る。そしてこの五文字に、すべての気持ちを、この五文字だけじゃ伝えきれないことを無理やり込めた。

もうこれ以上余計なことを言わない方がいいと確信した。

朝山は何も言わずに、仮面の笑顔のまま頷いた。そしてそのままくるりと向きを変え、駅の方へと向かっていった。

「じゃあね」

その背中に、人ごみにかき消されない程度の声で、伝えた。心の中で、さよなら、と付け加えた。

朝山に聞こえていたかどうかはきっと永遠にわからないだろう。秋恵はこれが朝山と会う最後の日だと悟った。

また同窓会が開かれても、成人式の前日にクラスのみんなで集まることになっても、私たちが会うことはきっとない。なんとなくだが、そんな気がした。

秋恵は自分の駅の方へと歩き出した。まだ夕日が沈みきっていない空には、太陽があるほうと真逆の方に金色の星がぽつんと光っていた。

その光を見つめながら、彼女は屋外にある駅のホームへと、振り返ることなく足を速めた。 





最後まで読んでいただきありがとうございました。

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