正常な異常
幽力に関する基礎的な教育は幽術師ならば所属する国家に関わらず、中等教育までには済ませているのが通常である。それは知っておかなければ身に危険が及ぶというのが一番の理由だからだ。そこで学ぶことは大まかにまとめれば一点に集中する。
シード無しで幽力を行使してはいけない。
これが単純かつ最重要なことであった。
オウカたちは今、幽力に関する専門的な授業をダリアから受けていた。教壇で教鞭をとるダリアは次々に大型のモニターに資料を映し出して話を進めている。
「なぜシード無しで幽力を行使してはいけないのか。その理由は簡単なことで、幽力による影響が術者に逆流することを軽減するためです。逆流に術者が耐えられなくなると死を招くばかりか、場合によって命尽きるまで幽力を引き出し続ける幽力特異点となることにもなるのです。これを防ぐため、シードに組み込まれた幽力に反応する幽核やデュラジウムを利用して逆流する幽力を安定化させることで人体への影響を限りなく低くするという手法が確立されました」
(だからシードを持たない幽術師はいない。いてはいけない)
オウカは心の中で続く言葉を補足した。その通りシードを持たずに幽力を行使することは非常に危険な行為であり、それ自体を犯罪行為として禁止している国も少なくない。
「またシードは安全を確保するだけでなく、発生する幽力の増幅も行います。小さな負担で大きな効果を得られるため効率的な面でも必須と言えます。ちなみにこの学園においてシードを装着せずに幽力を行使した場合、最悪退学となるので決して行わないよう注意してくださいね。と言っても皆さん重々承知のことでしょう、今までそのような人は一人も出ていません。何かで一番になりたい人は今が狙い目ですよ」
教室にささやかな笑い声が広がった。ダリアの少しおどけた口調の可笑しさが半分、もう半分はそんなことをする馬鹿はいないだろうという思いだろう。しかしその中でオウカだけは違った。
(気をつけないと)
彼には身に覚えのある言葉だった。やむを得なかったとはいえ、リッチグラウンドでは実際にシード無しで幽力を行使していた。コード・ナインとしてヴァーミリオン家に仕えていたころもシードなどという便利なものは与えられなかった。そのため普通の幽術師と異なりシード無しで幽力を扱うことに抵抗がないのだ。万が一今後そのようなことがあって退学するようなことがあれば、シルフィにも迷惑がかかる。オウカは一層ダリアの話を反芻して肝に銘じたのだった。
*
事の発端はカノンだった。いつものように三人で昼食を取った後の休憩時間。カノンがいいものを見つけたと二人を連れてとある場所へとやってきた。
「ほら! ここ、この前ぶらぶらしてたら見つけたんだ」
「……幽力測定室?」
そこは幽力測定室と書かれた部屋の前だった。
「気になるでしょ?」
「まあ確かに……、だがそもそも俺たちが入ってもいいところなのか?」
ロキがもっともなことを言う。彼の言うとおり、学園内は所々に生徒立ち入り制限の部屋がある。その最たる例がリッチグラウンドの入り口にあたる部屋だ。その部屋がリッチグラウンドに通じていること自体は生徒には伏せられているが、重要な設備があるという体で生徒の立ち入りを禁じている。無論、制限を破れば相応の罰が待っていることだろう。
「うーん。とりあえず入ってみればいいんじゃない?」
(ええ……、なんて行動力)
カノンが部屋の入室パネルに手をかざす。学園の教室はすべてこのパネルによる開閉システムになっている。開閉の状況は遠隔地で確認できる上に、遠隔操作によるロックなども可能である。つまり、この部屋が立ち入り禁止だった場合、即座にばれるということになるのだが、カノンはそんなことを気にはしない。
ドアがシュっと音を立てて開いた。カノンはそれを見て、
「ほら、開くってことは、入ってもいいってことでしょ?」
とどこか誇らしげに胸をそらして言った。オウカとロキはカノンに苦笑を浮かべながら部屋の中の様子をうかがった。授業を行う教室のような机と椅子が並んだ部屋ではなく、まるで射撃訓練場のような複数のレーンと機械設備が並んでいた。
「おー、何人か人がいるな。上級生っぽいが俺たちも入って大丈夫のようだな」
「みたいだね」
ロキの言うように、中には複数人の生徒がおり、ここが生徒立ち入り禁止ではないことがわかる。三人は中へと足を踏み入れた。すると一体のヒューマノイドがやってきて彼らに話しかけた。
「測定室へようこそおいでくださいました。オウカ・ヴァロール、ロキ・シュナイド、カノン・ハフベル、確認しました。三名とも新入生ですが、こちらは初めてですね?」
「うん、そうだよ。ここが何の部屋なのか教えてくれるかな」
オウカはヒューマノイドに優しい口調で聞いた。ヒューマノイドは情緒の感じられない無機質な声で応える。
「こちらは幽術師が現在どれほどの幽力を行使できるか。それを数値にして測定することができる幽力測定室になります」
「僕たちでも利用できるの?」
「はい。この学園の生徒であればどなたでも」
そこまで話を聞いていたカノンが目を輝かせて会話に入った。
「じゃあじゃあ! やってみてもいい?」
「ええ。どうぞこちらへ、方法をお教えいたします」
カノンはヒューマノイドに連れられて複数あるレーンの一つに立った。
「これから計測用のボールが現れますので、それに向かって幽力を流し込んでください」
「流し込むって……、前にデュラジウムにやった感じでいいの?」
「はい。受けた幽力からその出力を分析することができますので。さあ」
その言葉が合図だったのか、地面から半透明な球体が出現した。カノンの胸の高さまで浮かび上がって静止するそれはカノンの次の行動を待ち受けているかのようだった。
「それじゃいくよー」
カノンの雰囲気が変わった。両手を突き出して球体を包みこみ、集中しているようだ。
(カノンの周囲の幽層が動いてる)
幽層に作用する空の元素を操ることができるオウカのみにその揺らぎはわかった。それはまさに今彼女が幽力を行使しようとしていることを意味していた。
「はっ!」
カノンの手から幽力が流し込まれたのか、球体がその色を鮮やかに変えていく。やがてそれは再び元の半透明さを取り戻して何事もなかったかのように佇んでいる。どうやらこれで終わりのようだ。カノンが手を放して振り返る。
「……これでいいかな?」
「上出来でございます。後はそちらのパネルに測定結果が表示されますのでお待ちください」
その結果とやらが表示されるのにさほど時間はかからなかった。カノンは液晶パネルをのぞき込んで不思議そうに言った。
「105EP……って、これじゃわかんないよ」
「これってどのくらいなんだ?」
一緒にしてパネルを見ていたロキが振り返って尋ねた。
「EPとはElemental Powerを表しています。参考までに、これまでの統計で言えば一年生の平均は75EPほど、三年生では100EPあたりになります」
「じゃあカノンはすでに上級生クラスの幽力の操り手ってことか」
オウカのその言葉を聞いたカノンがどうだと言わんばかりのしたり顔になる。
「次はどうする。オウカ、先にやるか?」
「いや、いいよ。ロキが先にやりなよ」
「んじゃ、遠慮なく」
ロキはカノンと位置を入れ替わり、同じように球体に手を触れた。ロキの周囲の幽層が揺らぐ。そして、
「そらっ!」
ロキの掛け声とともに幽力が球体に注ぎ込まれた。それからはカノンと同じ工程をたどり、結果が表示される。
「107EP……えー、私より大きい」
「いや、誤差みたいなもんだろ。そんじゃ、最後はオウカの番だ」
オウカはロキと交代でレーンに着いた。先鋒の二人がやったように手を突き出して球体に添える。そして幽力を自身に引き出す。いつもそうしているように、体の奥底から何かが引き抜かれるような感覚と共に、幽力が対象に流し込まれる。
「ふう」
測定は終了した。後は結果を待つだけだ。とその時、オウカらの背後から声がかかった。
「おやおや、誰かと思えばシュナイドのお坊ちゃんじゃないか」
妙に鼻につく声だった。振り返るとそこには三人の男子生徒がにやにやと下卑た笑みを浮かべながら立っていた。話からしてロキの知り合いのようだ。ロキは彼らの姿を確認するやいなや、鬱陶しそうに眉根をひそめた。どうやらあまり歓迎したくない相手らしい。
「レボルス……、何か用かよ」
レボルスと呼ばれた三人の中心に立つ生徒がさらに一歩、ロキに近づく。
「たまたま部屋をのぞいてみたら見知った顔があったからなあ。挨拶するのが筋ってもんだろ?」
オウカにはかろうじてロキが舌打ちする音が聞こえた。間にいるカノンも同様だろう。こうも露骨に不快感を露わにしているロキをオウカは初めて見る。
「ならもう用は済んだだろう。さっさとどっかに行ってくれないか」
「つれないねえ。ま、そのくらい強情でないと亡国の盾は名乗れねえか」
「なんだと……」
「父上がよくおっしゃっている。シュナイド家は護る家を失った番犬だと」
ロキが拳を握り締める。そして憤りと苛立ちの混じった声で言った。
「アーベリア公国は確かに崩落したが、我々が護るべきアーベリアの大地は残っている。お前たちこそ、その薄情さがグリフォン公から不興を買っていたとなぜ気がつかない!」
「なにっ!?」
「だからグリフォン公はお前たちロンウェー家を遠ざけた!」
「違う! 我々は公国の統治体制に限界を悟り自ら離れたのだ!」
ロキの言葉に、今度はレボルスが怒りを示した。
(まずいな)
明らかにエスカレートしている。オウカはまさかロキが口撃に応じるとは思っていなかった。おかげで両者の雰囲気は一触即発となった。流石にロキの方から手を出すようなことまではしないと思いたいが、レボルスの方はどうかわからない。オウカは相手を刺激しないように若干膝を曲げて身構える。万が一、暴力沙汰になるのを抑えるためにいつでも飛び出せる体勢をとった。だが救いの手は外部からやってきた。
「君たち、休み時間はもうすぐ終わるよ。そろそろ教室に戻ったらどうだい」
少し年を召した教師らしき男性が彼らに声をかけた。確かに時間はもうすぐ午後の授業の開始時間が迫っていた。いつの間にか部屋にいた他の生徒たちもいなくなっている。
「……ちっ、いくぞ」
レボルスは仲間の二人にそう告げるとロキをひと睨みして部屋から去っていった。彼らが出ていくのを最後まで見据えてからロキは深呼吸を一度吐き、握っていた拳をほどいた。それからオウカとカノンに振り返ってわざとらしい笑みを作った。
「悪かったな。変なことに巻き込んで」
カノンはやれやれといった風に肩をすくめる。オウカは深くうなずいて言った。
「この学園に通う生徒同士、そういうしがらみがあるってことくらい理解してるよ。ロキやカノンみたいな家柄になると猶更ってこともね」
「……そう言ってもらえると助かる」
オウカたちも測定室を後にして教室へと戻る。その道すがら話題は自然と先ほどのやり取りについてになった。
「話は聞いてたと思うが、あいつはレボルスってんだ。ロンウェー家っていう元はアーベリア公国に名を連ねた貴族なんだが……、その跡取りでな。昔からうちとは折り合いが悪いんだ」
「ていうか向こうが一方的に絡んできてるだけでしょ」
カノンがすかさず横槍を入れた。オウカはそれを聞いて気の毒そうな表情になった。レボルスのあの血気盛んそうな性格を考えればさもありなんといったところだろう。
「それは……大変だね」
「本当に厄介な縁だよ……。同じクラスじゃなくて良かったぜ」
うんざりといった様子でぼやくロキだった。
オウカたちが教室に戻るとほぼ同時に授業開始のチャイムが鳴る。急いで席に座り、授業の用意をする中でオウカはふと気がついた。
(あ……測定結果、見るの忘れてたな……)
*
午後の授業開始のチャイムが鳴る中、オウカやレボルスたちに戻るよう促した教師は測定室の機材のチェックをしている。その中で測定結果を表示するパネルを見ていた。
「……うん? リージュ、測定結果にエラーが混じっているじゃないか。最後の測定の部分だ」
リージュと呼ばれた、オウカらを案内したヒューマノイドは相変わらずの抑揚のない声で応えた。
「本日の測定はすべて正常に完了しましたが」
それを聞いた教師は首をかしげて言う。
「しかし……、測定値240EPは明らかに異常だろう。いったい誰が……」
記録に添えられた測定者の名前はオウカ・ヴァロール。それを見た教師は顎に手を当てて考える素振りを見せた。
「ふむ……。いや、これはエラーだ。測定結果を除外し統計に入れないように、いいね?」
「承知しました」
こうしてオウカの出した正常な異常値は人知れず暗闇の中へと消えていった。