二つの雲
「カカカカカカカカッ」
まるで高らかに笑い声を上げているような駆動音を鳴らしながら斬撃をくりだす。
(くそっ……)
何が何だかわからないまま水雲の強打を受ける状況にオウカは内心で悪態をついた。立ち上がった水雲の図体はオウカの体躯をゆうに上回る。その大きさはもはや斬るというよりも上から叩きつけると言う方が正しいだろう。
振り下ろされた刀が地を打つ。その衝撃は石畳を割る。
戦うしかない。そう思うと同時にオウカは駆けだした。動いてない水雲の手の上から刀を取った。感触的にそれはただの石でできたものだと分かったが、オウカは構いはしなかった。
(幽溌外装……いける!)
剣を水雲の攻撃に合わせてぶつける。今度は弾き飛ばされることはなかった。
幽溌外装――幽術師が皆行うことができる、幽力の層を身に膜のように発露させる技。与える力はより強く、そして受ける力をより弱くするという幽層と現実世界の間にある法則そのものを身にまとう能力。これこそが幽力を行使できる者がそうでない者に対して身体的な能力を飛躍的に上回ることができる理由だった。
幽層に直接作用できるオウカはこれを刀にも与えることで、石の刀であっても所持するオウカが無事である限りはいわゆる名刀と遜色ない強度を持たせていた。
「カカカカカ!」
まるで声帯があるかのような音を震わせながら水雲は攻勢を止めない。互いの刃が幾度となく閃光を散らす。戦いの趨勢は互角ではあった。しかし、
(さすがは大和の最新鋭だった機体。パワー出力が桁違いだ)
水雲の力はオウカの知るどのヒューマノイドよりも格段に上だった。現代のものと比べても数世代遅れをとっているはずだ。それなのにオウカは幽溌外装を以ってしても片手で刀を握る水雲を押しきれないでいた。
「やっぱり!」
ジェーンの声が聞こえる。彼女はオウカの視界の端のあたりで何やら動かない方の水雲を調べているようだったが、詳しいことはオウカには分からない。それを気に掛ける余裕がないからだ。ジェーンはそんなオウカの耳に届くほど大きな声で言った。
「こちらの水雲にはパワーサプライがなされていません!」
オウカも刀を押し込む腕に力を込めながら声を張り上げた。
「それが何だっていうんですか!」
「周囲の環境を見てもこの三機は長らくエネルギー供給がされていません! それなのに動けるということは……」
「ということは?」
「おそらく空のデュラジウムの発するエネルギーを蓄積しているんです! その機体は!」
「――!」
その声をまるで聴いていたかのように水雲が動きを変え、左腕――刀を握っていない腕を横から振るった。
(いけない!)
その意図が判るよりも先にオウカは脳の発した危険信号に従い、競り合う刀を引きはがし上半身を可能な限りそらした。
強い風が眼前をかすめた。先ほどまでオウカの首があった箇所を水雲が瞬時に抜いたもう一振りの刀で薙ぎ払ったのだ。
「二刀流……」
両手にそれぞれの得物を持つ独特な戦闘スタイル。それぞれに攻防の役割を適宜分けることで相手を圧倒する制圧力を誇る。しかしながら片手で武器を振るう筋力、そして使いこなすためにはなにより左右で異なる動きを要求されるという難しさ。これらの要因で完璧に使いこなせるのは一握りの剣豪と言われている。
しかし、その使い手が機械ならばどうなるか。水雲のパワーは先ほどから嫌と言うほど体感している。そしてヒューマノイドほどの機体が左右の腕に異なる命令を下す程度の並列処理を苦手なはずがなかった。
(まずいな……)
一方の刀でオウカに攻撃を加え、もう一方の刀で的確にオウカの一撃を受け止めてくる。打ち込みどころがない――水雲が二刀流に戦術を切り替えてからオウカは防戦一方になりつつある。振り下ろされる斬撃の重さ。それを受けるオウカの顔が強張る。
と、その時オウカと水雲を白煙が覆った。
「何だ?」
突如として視界を遮る煙にオウカは身の危険を強く感じた。彼からは水雲の姿は見えない。しかし、水雲はヒューマノイドに搭載される各センサーでオウカの姿を捉えているはずだからだ。舌打ちの一つもしたくなる状況にオウカは身構えた。
――だが予想した一撃はやってこなかった。代わりに、
「こっち。こちらに」
ジェーンの声と共に、腕が引かれた。そうしてオウカとジェーンは煙幕の中を通って近くの柱の陰に隠れた。
「今の煙はあなたが?」
オウカが尋ねるとジェーンは筒のようなものを彼に見せた。
「万が一、壊獣に遭遇した時のためにと持っておいた煙幕弾です。あなたがお困りのようでしたのでこれで水雲に認知エラーを起こさせました」
「認知エラー?」
「水雲を含む第二世代型戦闘用ヒューマノイドが持つ致命的な欠点の一つです。この世代の戦闘用ヒューマノイドは常に周囲で何が起きるかを計算、予測しながら機動しています。なので一般的な出来事に対する反応は素晴らしいものがあるのですが、彼らは自身が監視している周囲の環境で予想の範疇外の現象が起きると、演算処理のリソースをその現象解明に注力するという性質があるのです」
「つまり……その間は性能が落ちる?」
「少なくとも今のように脱する余裕ができるくらいは。しかし水雲はこの煙幕のからくりをすでに学習しているでしょう。もうこの手は使えません」
ジェーンは煙幕弾をポケットにしまい込んだ。オウカは先ほどまでの戦闘で上がった息を整えつつ彼女に問う。
「一応聞きますけど……僕と一緒に戦えたりは……」
「できたらとっくに加勢していますね」
だろうなと予想通りの答えに心中で相槌を打ちつつ、そんな彼女にどことなく余裕があるようにオウカは感じた。極度なまでの楽観主義者なのか、もしくは……。
「とにかく、あれの予想外のことをすれば動きを鈍らせることができるんですね」
「おや、何か勝機が?」
「……まあ、なるようになるでしょう」
突然、オウカの背後で石を打ち合わせたような音が響いた。振り向くと柱に横一文字に亀裂が入っていた。すぐさまオウカとジェーンはその場を飛びのく。
「ジェーンさんは遠くに!」
オウカは柱の陰から飛び出して水雲に立ち向かう。
「逃げないのですか?」
どこまでも冷静なジェーンがそう聞いてくる。オウカもさっさと逃げ出したいのは山々だったが、
「こいつを連れていくわけにはいかないでしょう!」
水雲は明らかにオウカを狙っている。これをどうにかしなければ暴れられる場所がここでないどこかになるだけだった。
(要はこいつをびっくりさせればいいんだろ!)
オウカは水雲の懐に飛び込んだ。当然彼目掛けてまずは左から一撃が飛んでくる、刀と刀がぶつかり合う。だが勿論、水雲はそれだけでは終わらない。続いて右から一閃がやってくる。それは一直線に無防備なオウカの体を引き裂く……はずだった。
オウカの体から剥がれるようにして青白い人影が現れ、水雲の一撃を受け止めた。間違いなくオウカと水雲しかいなかったはずの戦闘に登場したそれに認知エラーを起こした水雲の行動が止まる。そこをオウカは見逃さない。
「まずは一発!」
オウカの斬撃が水雲の胸を斬り裂いた――。深々とした斬り口から切断された大小様々なケーブルが姿をのぞかせている。
(違うか!)
オウカは心中で舌打ちをした。ヒューマノイドの核である演算機構を決め打ちで狙ったのだが、心臓部にあるという予想が外れた。ダメージを受けたことで優先順位がオウカに切り替わったのか水雲が再び動き出す。踏み込まれた距離を引きはがすかのようにオウカに向かって両刀を振るう。オウカの体からまたも青白い影が現れ、彼自身と影で二つの斬撃を受け止める。しかし今度は水雲は動きが止まるようなことはなかった。
両腕の攻撃が防がれれば次は足だとばかりに蹴りが放たれる。横腹を穿つような鋭い蹴りが叩き込まれた。オウカは素早く刀をくるりと逆手に持ち替えて蹴りを受ける。
「ぐっ……」
凄まじい衝撃が彼の全身を揺さぶる。骨身に染みる威力だ。幽溌外装が無ければどうなっていたことか、想像に難くない。しかしオウカも怯みはしない。刀を構えなおして巨体に立ち向かう。
オウカと水雲、両者の刃が躍る。その戦いの様相は相変わらずオウカの防戦一方……ではなくなっていた。戦闘意志こそ見せてはいるものの、水雲の動きに明らかな鈍さが混じっている。受けた機体ダメージによるものだろう。機体を戦闘不能にさせることこそできなかったが、あの一撃は確実に有利を築いていた。そしてオウカもその機会を逃しはしない。
「そこ!」
二つの刀をかいくぐったオウカの刃がまた一つ届く。水雲の腹部に裂傷が生まれる。このままでは攻撃を捌ききれないと判断したか、ついに水雲がよろめきながら後退し始めた。体はあくまでオウカに向けながらもじりじりと下がっていく。その動きにオウカは思うことがあった。
(もしかして……。だとしたらいける!)
勝機と判断したオウカは続けざまに攻勢をかける。両手の刀を最早防御のためにしか使わなくなった水雲を追いつめる。オウカの瞳が獲物を狩る獣のように鋭く光り、一撃、また一撃と機体に凶刃が襲い掛かる。両者の刃が音を打ち鳴らし舞う中でその時はやってきた。状況を打開するためか水雲が羽虫を追い払うかのように刀を振るった。それをオウカは待っていた。またも青白い影が現れて正面から受け止る。オウカ自身はくるりと身をひるがえして水雲の背後を取った。
「背中を見せるは武士の恥なんだってね!」
そう言葉を発しながら水雲の背中目掛けて縦に大きく斬り下ろした――。
「カカカ――」
オウカの手に確かな手ごたえがあった。それと同時に水雲が膝から崩れ落ち、動きが完全に停止する。中核である演算機構に刃が届いたのだ。
「はあっ、はあっ」
肩で息をしながらオウカはその場に座り込んだ。体力、気力ともに疲労でいっぱいだった。ジェーンが柱の陰からひょこっと現れオウカに近づく。
「お疲れ様です。何とかなりましたね」
「ええ、おかげさまで」
「さてさて、それではデュラジウムの採取といきましょうか」
そう言ってジェーンは水雲の機体のあちらこちらを嬉々としていじり始めた。オウカはその様子を息を整えながら眺めていた。
「楽しそうですね」
「それはもう。空のデュラジウムなんて初めてお目見えするものですから。あなただって自身の専用デバイスに繋がるのですから喜ばしいことでしょう?」
「まあそうですけど」
命のやり取りをしたオウカには、沈黙していても水雲がまだどこか恐ろしく見えていた。
「それにしても流石はかつての最新鋭機。見事な機体ですね~。まあ水雲だけで“白雲”がいないのが残念ですけど……」
「白雲?」
「ええ、水雲と同時に設計された機体があるんですよ。現在でも珍しいヒューマノイドを統括するためのヒューマノイド。水雲が兵士だとしたら白雲は指揮官のような関係です。水雲を命令統括する権限や緊急時のエネルギー供給もできたりするんですよ」
「へえ……」
ジェーンは話をしながらも探る手を止めない。しかし想像する結果は得られていないようで不満そうに声をもらす。
「ううん……。見当たりませんねえ」
「……ちなみにどうやって探し当てるんですか?」
「簡単ですよ。微量でいいので幽溌外装を身にまとうだけです。後はデュラジウムの方が外装の幽力に反応を示すはずです」
「人力ですか、意外と地味な手法ですね」
「デュラジウム自体が見つかって間もなく、いろいろと模索中なので仕方がないことだと思います」
そんなやり取りをしていると、ふとオウカの頭をよぎった考えがあった。それは先ほどのジェーンの言葉、白雲についてのものだ。
(ん……、エネルギー供給ができるだって?)
今になって白雲のその能力がひっかかった。目の前にあるのは水雲が三機のみで上位機のはずの白雲がいない。そして動けるだけのパワーがあったにもかかわらず、見つからないエネルギーの供給源らしきデュラジウム。これらをまとめて考えると……。
「まさか……!」
オウカがそう声を荒げるのとほぼ同時に、大きな振動が二人を襲った。
「地震!? こんな時に!」
揺れの強さに立っていられずにへたり込んだジェーンが驚きを露わにする。オウカは何かを確信した面持ちでとっさに姿勢を崩しているジェーンを抱きかかえてその場を離れた。
『カカカカカカ!』
高笑いのような音と共に、ジェーンがいた石畳が一気に隆起した。地が裂け何かが地面を押しのけるように姿を見せる。オウカによって窮地を脱したジェーンがその姿を確認して言った。
「あれは……、白雲!?」
赤褐色の武者の鎧の形をしていた水雲とは異なる白いボディー。その胴体は水雲よりも一回り大きく、両腰には計四振りの刀を帯刀しているのが見える。
「やっぱり」
オウカの考えは的中していた。破壊された水雲のエネルギーはデュラジウムから直接与えられていたのではなく、白雲を介して供給されていたのだ。すなわち真にデュラジウムを保有しているのはこの白雲ということになる。
(破壊しないと)
身の安全のため、空のデュラジウムのために白雲を停止させなければならない。そう結論づけたオウカは戦闘態勢に移る……が、
(しまった――!)
得物である刀をジェーンを助けるのに必死でその場に置いてきてしまったことにたった今、気が付いた。
「カカカカカカ!」
対照的に白雲が鋭利な刀を抜き、両手に構えた。その刃はぎらりと妖しく輝きを見せている。
(こうなったらやむを得ない。力を使って――)
オウカがある決意を示そうとしたその時だった。一陣の風がオウカを包んだ。合わせて、
「どいていろ」
という声がオウカの耳に届く。次の瞬間には立ちはだかるようにオウカと白雲の間に一人の女が割って入っていた。背を向けられているが、黒いスーツに後ろに束ねた黒い髪、そして何よりその手に持たれた黒い鞘に収まる一振りの刀が目についた。
白雲が突如現れたその者を脅威と判断したのか、素早く彼女に向けて一撃を放った。だが、
「ふっ」
女が小さく息を吐く音が聞こえたと思えば次の瞬間には白雲の右腕が吹っ飛んでいた。見ればいつの間にか女のその手には鞘から抜かれて鋭く光る刀があった。
(速い!)
瞬く間の斬撃だった。白雲もオウカが苦戦した水雲と同じく二刀流。片方の刀で守りの構えを見せていたにもかかわらず、純粋な速度でその守備を打ち砕いたのだ。
白雲は腕を斬られた衝撃でその巨体をよろめかせながらも残る方の腕を振るった。だが先ほどの一撃で両者の間に明らかな差を目にしたオウカには、それがまるで子供が駄々をこねているようにしか見えなかった。
「ふっ」
またも女が小さく息を漏らす。瞬間、三つの閃光が続いた。鋭い破壊音をたてながらその閃光は残った白雲の四肢を斬り落とした。胴体のみになった白雲はズンという音と共に地を這うように崩れ落ちる。女は悠然と白雲に近づき、その背に向けてゆっくりと刃を突き立てた。
(こ、今度は何とか見えたけど……。いくら幽溌外装があるからって、常人のスピードじゃない)
剣士で言うなら達人の領域だろう。オウカの前に現れた危機は達人の一息によってあっさりと吹き飛んでいった。
「オウカ・ヴァロールだな。私は学園付きの選士教官、千歳八重だ。お前とそこの招かれざる客人を重要地域リッチグラウンドの無許可侵入から連れ戻しに来た」
女は自身をそう語る。キリっとした精悍な顔つきに凛とした佇まいは大和人らしき名前と相まってオウカの考える、かつて大和を闊歩していたとされる侍のイメージそのものだった。
「無許可侵入って……、空のデュラジウムが必要だから学園がジェーンさんに採取してくるように言ったんじゃないんですか?」
オウカのその弁を聞いて八重は呆れたようにため息を吐いた。
「やれやれ、どういうことか説明していただけますか。ネメシア・フレイヤ博士」
「え?」
八重がジェーンであるはずの彼女を呼ぶ名前、それはこの世界で最も有名かつ高名なヒューマノイド研究の権威、フレイヤだった。