リッチグラウンド
リッチグラウンド、かつての“大崩壊”による都市の壊滅地点が放置されできた自然の地のことを言う。
「つまり、このアーベリア学園のある場所こそ、かつて公都アーベリアを壊滅させた“大崩壊”の中心であるのです」
ジェーンはそのリッチグラウンドを踏みしめながらオウカにこの地について説明していた。人工物の見当たらない、まるで人の踏み入っていないような大自然を二人して歩く。
「そしてリッチグラウンドのみに幽核、そしてデュラジウムは存在します。その理由が分かりますか?」
「分かりません」
まるで教師と生徒、そんなやり取りをしながらもオウカはジェーンの先導についていくしかなかった。
「それは幽力というものが“大崩壊”を引き起こしたエネルギーに他ならないからです。そしてその強大なエネルギーはいまだこの地に渦巻いています。だからこそリッチグラウンドには幽力が幽核やデュラジウムとして自然に具現化する現象が起きるのです」
「……つまりここではまだ“大崩壊”が続いているということですか」
オウカは自分なりに理解しようと努めた。幽力自体の理論などはかつてヴァーミリオン家にいたころに叩き込まれたのだが、リッチグラウンドというものそのものを知らないためジェーンの話すことはすべてが初耳だった。
「半分正解といったところでしょうか。正確には幽核やデュラジウムといった恩恵のために“大崩壊”を維持しているという表現が正しいのです」
その時、オウカの耳に重く、張り裂けるような破裂音が連続で轟いた。ヴァーミリオン家にいたころには日常だった音。それゆえ、脊髄反射的にオウカは姿勢を低くした。それに驚いたのはジェーンの方だった。彼の反応が予想外だったのだろう。
「ええと……大丈夫ですよ。今の銃声はこちらを狙ったものではありませんから」
オウカはしまったと思った。今の行動は明らかに普通ではないものだったからだ。しかしジェーンはそれ以上彼の手慣れた行動に触れることはしなかった。代わりに、
「今の銃声はヒューマノイドが壊獣を処理した音です」
「壊獣……?」
「“大崩壊”によるエネルギーに汚染された動物のことです。汚染された彼らは種の交配や生存のための活動を通常通り行いますが、死の間際に汚染されたエネルギーを周囲の特定の鉱物に放出するという特性があります」
その話を聞いてオウカははっとした。
「もしかしてデュラジウムって」
ジェーンは深くうなずいた。
「理解が早いですね。その通り、デュラジウムとは壊獣の放出した“大崩壊”のエネルギーが凝縮されて結晶化したものなのです」
それからジェーンは様々なことをオウカに話した。
なぜ壊獣を狩らなければならないのか、それはリッチグラウンドの維持のためであるということだった。リッチグラウンドは“大崩壊”のエネルギーを保持しているために生まれている。そのエネルギーは動物のような生命活動を行う生物を汚染し、遺伝的に受け継がれ、死の際には周囲にそのエネルギーを吐き出す。ジェーンら科学者はこれらの汚染された生物を総称して壊獣と呼んでいる。
「壊獣はそれ自体が我々幽術師のように幽力を行使することができるという研究結果もあります。生態系をかく乱するような攻撃的な壊獣が確認された場合、優先して狩りの対象になります」
「なぜです? 壊獣を自動で狩りをしてくれるようなものでしょう」
「先ほど言ったように、安定した幽核とデュラジウムの供給のために我々はこのリッチグラウンドの“大崩壊”を繊細なバランスの上で維持しなければなりません。例えばあの擬似太陽光、あれは幽核を大量に多重共鳴させることで創り出しています。だからこそ、この地下であっても生物は地上同様の生活を営めるのです。自然の摂理がリッチグラウンドが消失する方向へと向いているのだとしても、最早人間の世界はこのリッチグラウンドの恵みなくしては成り立たないのです。」
そのために、過剰に壊獣が減ることを抑止しなければならない。ジェーンが意味しようとすることはオウカにも理解できた。ジェーンはオウカが沈黙しているのを何か勘違いしたのか、
「安心してください。壊獣はそれぞれテリトリーがあります。現在は狩猟任務を与えられたヒューマノイドがそのテリトリーを侵している時間なので、私たちに壊獣が襲い掛かることはないでしょう」
「そうですか……」
緑は深く、かなり奥地に進んできた。定期的に聞こえてきた獣を狩る銃声も、耳に届かなくなってくる。あるのは二人分の土を蹴る足音と、時折吹く耳触りの良い柔らかな風の音だけだ。
リッチグラウンドの存在ををシルフィは知っていたのか。またはアーベリアに影響を強く持つハフベル家やシュナイド家は知っているのか。そんな疑問がふとオウカの脳裏をよぎった。そしてそれを見透かしたかのようにジェーンが振り返って、
「言い忘れていましたが……、リッチグラウンドに関するあらゆる情報は口外無用です。あなたのように学生がこの地に足を踏み入れることは超特例な措置なのですから」
「誰にでも?」
「誰にでもです。例え相手がリッチグラウンドを知っていても、です。秘密というのは口に出すだけで漏洩の危険性があるのですから」
オウカに強く釘を刺したところで、ジェーンは足を止めた。そこにはいままでの道のりには見られなかった、人工物の姿があった。均等に成形された石畳のフロアが彼らの前に広がっている。白い柱がそれを取り囲むように所々に打ち立てられていた。そして中央に鎮座しているのはかつて東方の国を闊歩していたとされる武者だった。
「これは……」
いや、よく見ると武者の風貌の鎧だった。赤褐色の鎧と兜、両腰に刀をこさえ、顔の部分には同色の鬼の形相をした仮面がはめられており、まるで本物の武者がそこあるかのような威圧がある。それはまるで君主から下賜されたかのように一振りの刀を両手に乗せ、掲げるように突き出しひざまずいていた。それがまったく同じ体勢のものが三体並んでいる。
ジェーンは鎧の圧倒的な存在感に目を奪われているオウカを見ながら、ふふんと鼻を鳴らした。
「これはB.Dの時代では最新鋭の戦闘用ヒューマノイド“水雲”。当時の大和が誇った技術の結晶です。性能を追求しすぎてコスト面が釣り合わなくなり、数えるほどしか生産されなかったと聞きますが……。三機もあるなんてよほど金を持て余していたようですね。まあそれは今はどうでもよいことです。この辺りなら見つかるでしょう」
「見つかる……」
「忘れちゃいましたか? あなたに必要な物――すなわち空の元素に反応できるデュラジウムですよ」
そういえば、とオウカは手紙に書かれてあった内容を思い出した。ここに来るまで知らないことだらけで翻弄され、本来の目的を見失っていた。
ジェーンが言うには、元素測定に用いられるデュラジウムはいかなる元素にも反応していない生まれたて――ニュートラルの状態のものを選んで使用されていたという。つまりリッチグラウンドを探せば壊獣の幽力の行使によって反応済みのデュラジウムも存在している。しかしオウカには疑問があって、
「自分で言うのもあれですが……、空の元素なんて珍しいですよね? それもかなり」
「まあそうですね。壊獣も様々な個体が観察されてきましたが、空の元素を操れると思しき個体は一度たりとていませんでした」
「なら……」
「だからこそ、この場所に来たのですよ。このグリフォン・ファン・アーベリア公の邸宅に」
ジェーンが足で石畳の地面を叩いて強調する。その姿はもう見えないが、彼女の話によるとこの人工物はかつてのアーベリアの君主グリフォン公の住んでいた跡地らしかった。
「どういうことです?」
「“大崩壊”は幽力のエネルギーによるものだと話しましたよね。そしてここがその爆心地だとも。ではなぜ現在のアーベリアが“空都”と呼ばれているのか、もうお分かりですね?」
「まさか……、アーベリアで起きた災害って空の元素の……」
ここまで説明されるとオウカもすぐに考えることができた。
「かつてのアーベリアに起きた現象はまさに、昨日あなたがデュラジウムに起こした反応と同じだったでしょうね」
その言葉はデュラジウムがまるで自身の姿を忘れたかのようにボロボロに崩れた光景をオウカに思い起こさせた。
「観測データによると、この一帯の建造物は全滅、地面さえもえぐられるように無くなっていたそうです」
「しかし、全滅と言う割にこれは残っているじゃないですか」
オウカは目の前の邸宅跡を指して言った。確かに彼女の話とこの光景は矛盾している。邸宅跡は屋根や壁こそないが、その人工物らしさを十分に残しているからだ。ジェーンはその問いを待っていましたとばかりによどみなく答えた。
「それこそ、私たちがここにいるわけなのですよ。なぜここだけが無事なのか。その理由がもしも、空の元素による“大崩壊”のエネルギーを吸収できる何かがあったからだとしたら……」
「空の元素のデュラジウムがあるかもしれない?」
「ええ。おそらくは……、デュラジウムのもとになる鉱物が使用されたものがあるはずなのですが、柱の部分かもしくは……」
ジェーンは無言で鎮座する水雲に目を向けた。オウカもそちらに目をやる。何かにかしずくようにしてたたずむ三機。誰かを待っているかのようにオウカには見えた。
「探す方法とかないんですか?」
「もちろんあります。だからあなたを連れてきたのですよ」
「僕ですか?」
ジェーンは頷く。そして懐から一輪の花を取り出した。いや、オウカはもうそれを見間違えない。デュラジウムだとすぐに見分けがついた。
「ここでもう一度デュラジウムを反応させてもらえますか? もしも空の元素のデュラジウムがむき出しであるのだとしたら、あなたの幽力に共鳴して反応を示すはずです」
オウカは無言でデュラジウムを手に取り、昨日したように幽力を行使する。やがてあの現象が起きる。手の中のデュラジウムが崩れ始め、天に昇る。それをジェーンはどこか恍惚とした表情で見ていた。
「かつてアーベリアで起こった“大崩壊”を目の当たりにした人々はその光景を美しい、もしくは恐ろしいと両極端な感想を持ったようですが……。私はどうやら前者の人間のようです。あなたはどうですか?」
「僕は……」
とオウカが答えようとした時、彼の体を不思議な感覚が襲った。急に口を閉ざしたオウカを怪訝そうにジェーンは見ていた。
「……どうかしました?」
「何かに呼ばれたような……」
引き寄せられるようにオウカは足を踏み出した。その歩みはまっすぐと水雲の方へと続く。ジェーンもそれ以上口を挟むことなく彼の行動をうかがっている。三機ならんだ水雲の右側の機体が持つ刀を自然と手にする。ジェーンがようやく言葉を発した。
「それが……、空の属性のデュラジウムなのですか?」
「分かりません。分からないけれど……、これを持っているとすごく安心するような――」
非常に手に馴染む。初めて手にしたはずなのに、オウカはその刀がもとより自らの所有物であったかのような感覚すら覚えた。ジェーンは何か考えているような素振りを見せたが、
「とにかく見せてください。花の形以外のデュラジウムは聞いたことがありませんが、それが本当に元素のこもったデュラジウムなら異なる元素の幽力に何かしらの反応を示すはずです」
とオウカを急かした。オウカもそれに従ってジェーンのもとへ戻ろうとした……だが、
「え――」
目の前の水雲が一瞬にして体勢を変化させた。右腕を自身の右腰にあてている。それが腰元の刀に手を伸ばしているのだと理解すると同時に、オウカはとっさに手にしていた刀を構えた。次の瞬間、ギラリと鋭く光る刃がオウカに迫る。
「ぐうっ」
鉄と鉄がぶつかり合うような音が響く。受ける体勢が完璧でなかったのもあるだろう。オウカは手に伝わる衝撃にこらえきれず刀を手放してしまう。刀はそのままそびえたつ柱に突き刺さった。
「パワー供給もされてないのにどうして動けるの!?」
ジェーンが声を荒げる。彼女にとっても想定外の出来事のようだ。動き出した水雲は腰元から抜いた刀を両手で握りながら、その切っ先をまっすぐにオウカに突き付けている。狙いは彼のようだった。