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ライフログ ―桜の少年の戦い  作者: 浜辺海
一章
2/12

桜の少年

 少女、リラが人ならざる異能――幽力を持つのなら、少年もまた同じく異能をその身に宿した者だった。その中身は単純。相手の幽力に依存してその人物の時を視ることができ、同じ能力を引き出すものであった。


 少年はすかさず地を蹴り、リラとの距離を詰めにはかる。


 条件はすべて整った。増援の気配は無し。唯一の懸念であった敵の能力による包囲は見事にこちらの誘いに乗せられて排除された。後は敵の本丸へチェック(王手)をかけるのみ。だがその前に最後の障害を取り除かねばならない。少年の生み出した花と相殺にはなったものの、体にまとわりつく煩わしい蔦も、無数の花も粉々に切り裂かれていた。相手の驚愕に染まった顔を見るに次の手はない。冷静に立ち返るのに僅かにラグがあるだろう。そうなれば後は単純。


 こちらの手には武器があり、あちらの手にはそれがない。それがこの先のすべて。がら空きの胴体に向けて剣の切っ先が突き立とうとする。


「申し訳ございません……」


 消え入るような言葉が届く。少年にはそれが抵抗する術を失い漏れた最期の独白に聞こえた。


 ――だが反抗の一矢は予想外の場所から放たれた。


 少年の一撃が到達する寸前、唐突に彼の体を横殴りの衝撃が襲った。リラへの攻撃を軌道ごと吹き飛ばされるほどの強さだった。


「がっ……!」


 苦悶の呻きを吐きながら突風に吹かれる落ち葉の如く地を転がる。そんな中でも自分の武器を放さずその手に握っていたのは大した根性と言えるが……。


「ぐぅ……」


 少年は地に伏したまま立ち上がらなかった。いや、立ち上がれなかった。痛みや負傷によってではない。むしろ体は不自然なほど傷が見当たらない。彼が動けない理由はもっと直接的、何かに押さえつけられているような圧力によってだった。静寂が再び空間に蘇る。


「残念だけれどここまでね」


 そこに切り込んだのは透き通る声。目をやればそこには二人を静観するかのように腕組みをしている女性がいた。少年はなんとか頭だけ動かしてその姿を睨みつけた。日のあたらない陰になっていてぼんやりとであるが、確かに人の影がある。


「ありえない……」


 この“仕事”をこなす際にもっとも警戒すべきは伏兵。己と目標以外の第三者の介入である。まさに先ほど刃を交えたあの少女がそれに該当するのであるが、息を殺し、気配を潜めていても存在というものは消せはしない。彼女についてはその存在をもとより認識できていたため問題ではなかった。だからこそ正確な対処ができた。だがこの女はどうか。たとえ身を切り刻むような赤い花刃に包囲されていても少年は常に周囲に気を配っていた。この場では自分以外はすべて敵なのだから。


 ――であるのに。


(いったいどうやって――)


「かわいいヒットマンを送ったものね」


「!」


 声が近づいてくる。ヒールのある靴を履いているのか、床を小さく打ち鳴らす音が規則的に響く。ついには少年の眼前、射光の下へと姿をさらした。その顔は若く、そして美しかった。唯一の光を受けて輝く絹のような金色の髪と、それに一切引けをとらない品格を兼ね備えた魅惑的な顔立ち。人を惹きつけるほどの美貌であるが、少年は別の理由でその顔から目が離せなかった。


 この者こそ彼の最優先事項――葬るべき存在。それを認識してからの少年の行動は野生動物じみた素早さだった。


「シルフィ・ヴァロール!」


 ゴズ・ボルドの時と同じくその瞳が紅く染まる。体の奥底から得体の知れない何かが湧き出る感覚を受ける。あらわれる万能感。声を荒げながら背にかかる重圧を力ずくで押し返しぎりぎりと錆びついたロボットのように立ち上がろうとする――だが、


「だーめっ」


 幼児を叱るような言葉とともに少年の体がさらなる衝撃に襲われた。再び地に磔にされる。今度は押さえつけられる程度のもののではない。首から下が氷の中に閉じ込められたかのように指先すらピクリとも動かせない。


「そんな……」


 隠し切れない動揺、真紅の眼が焦燥にゆらぐ。


幽層(ゆうそう)に作用できるみたいだからもしかしてと思ったけれど、やっぱり超越者(アセンダント)だったのね」


 女が少年に話しかける。少年は何も答えない。それでも女は淡々と言葉を続けた。


「まさかアセンダントを差し向けるなんて何を考えているのかしら。それも使い捨てみたいに単独で……ねえ?」


 あくまで少年に言葉を向けることを変えないが、やはり何も返ってこない。


「……ロメリア・ヴァーミリオンはもう当主の座から墜落したわ」


「――っ!」


 少年に反応があった。瞳に幾分かの気力が宿ったようにも見える。シルフィ・ヴァロールと呼ばれた女はそれを楽しげに見ていた。


「あら、やっと目が合った。驚いた? 自分の飼い主だもんね。どうやらクーデター紛いの出来事があっちで起こったみたいよ。まあ私もちょこっと絡んでるんだけど」


「でたらめを言うな」


「証拠はこれ」


 シルフィは胸元のポケットからひとつの朱に染まった指輪を取り出した。光を受けて美しい輝きをみせる指輪を見て少年はみるみるうちに表情を変化させていく。困惑とわずかな諦めが入ったような、総じて不安の色を露にする。そんな二転三転とする彼の顔色が可笑しかったのかシルフィの口端が緩んだ。


「ヴァーミリオン家当主に代々受け継がれる“|朱色の呪い《Curse of Vermilion》”。実物をこうしてみるのは初めてだけれど、加工した跡も見えないし綺麗なものね。当主を受け継いだその瞬間から当主の役目を終えるその時までずっとはめていないといけないんだっけ。……それで」


 指輪を日にかざして眺めていたシルフィが少年に告げた。


「私を狙っても意味がないと理解していただけたかしら?」


 だがまともな答えは返ってこなかった。かわりに、


「…………お嬢様はどうなった」


 とだけ発するのみだった。


「そのお嬢様が誰を指しているのかは知らないけれど。大丈夫なんじゃない? 私はただ当主ロメリアのみとおはなし(・・・・)しただけだから。……そもそもあなたがゴズ・ボルドを手にかけるまで私が誰に狙われているかなんて分からなかったのよ。あの蝙蝠男、ヴァロール家とヴァーミリオン家双方と繋がりを持ちながらそれを隠していたの。それを自分の身に何かあったら保険として片方にもう片方の情報が流れるように仕組んでたってわけ。結果として本当に死んじゃったから元も子もないけどね」


「……そうか……奴が……」


 忌々しげに口を滑らせるシルフィとは対照的に、少年の声に覇気はなかった。瞳から焔が消え、本来の黒へと戻っていく。それを観念したと見たのかシルフィは小さく息をついた。同時に少年を抑えていた圧力が和らいだ。敵意が失なわれた今、最早脅威ではないということなのだろう。少年は体を起こし、その場にへたり込むようにしている。シルフィは彼の様子を満足そうに眺めていたが、やがて視線をその後方で縮こまって直立するリラに移した。


「リラも、ご苦労様。侵入者の相手なんて大変な役目押し付けちゃって」


 ねぎらいの言葉を投げかけたが対するリラはさらに恐縮した様子で、


「お手数をお掛けして……」


 と、か細い返事を返すのみだった。命じられた役割を果たせなかった悔いがあからさまに透けている。


「まさかアセンダントなんて流石の私も面食らったし仕方が無いわ。ほら、さっさと機嫌直して。これからもやることがあるんだから」


「はい……」


 リラがとことこと小さな歩みでシルフィの元へ寄る。その途中でいまだに座り込んだ少年を一瞥して、


「つきましてはこの者の扱いはどういたしましょう」


「そうねえ……。ねえ、あなたはどうしたい?」


 呼びかけたのはリラではなく少年本人にであった。少年は顔を下に向けたままであったが、しばらくして投げやりな言葉だけが返ってきた。


「煮るなり焼くなり、好きにすればいい」


「ふぅん。死んでもいいってことかしら?」


「ヴァーミリオンに仇なす者を排除する。そのために作られ育てられ、殺せ殺せよと命じられ生きてきた。でもたった今失敗した。あまつさえ僕が始末したやつが原因で本家の位置が漏れるなんて……。とんだ失態だ。ヴァーミリオン家が僕を許すはずがない。役目を果たせぬ機械は処分されるだけ」


 投げやりにつらつらと言葉をつづってから、ふと少年が小さく鼻で笑った。それが自嘲によるものだと理解するのはシルフィにもリラにもさほど難しくはなかった。二人とも何か言いたげな素振りではあったが実際に口を開いたのはシルフィだった。


「生きる意味がなくなったと言いたいのかしら」


「そもそも僕は生きていると言えるだろうか」


 少年が顔を持ち上げてシルフィと目を合わせた。それはついさっきまで彼女を睨み見上げていた時のものとはまるで異なる、人形に埋め込まれたもののような気色のない眼差し。力なくだらりと脱力した体も相まって糸の切れたマリオネットのようだった。シルフィはその不気味とも言える眼から逃げるように背を向ける。


「――――うん」


 そして何かを決心したらしい。振り返り少年に向き合った顔には自信に満ちる凛とした表情と、どこか包み込むように柔らかい、優しさをはらんだ眼差しがあった。


「私の弟になりなさい」


「……は?」


「え?」


 少年とリラが虚を突かれたような声を上げる。当然といえば当然であるが……。


「“実存は本質に先立つ”、知ってるかしら」


「哲学など……」


「あら物知りなのね、話が早い。刺すため、切るためという目的――つまりは“本質”が先にありフォークやナイフといったモノ――すなわち“実存”は生まれる。でもあなたや私という人間はそういった“本質”を持たずして真に裸のまま“実存”を得た。私が言いたいことが物知りさんには理解できる?」


 それはつまり生きるために、生きる目的というものは必ずしも求められてはいない、ということであった。少年もシルフィの意図に至ったがそれでもなお、躊躇したような、泳ぐ眼の動きを隠せないでいた。シルフィは膝を折り、少年の顔に自らの顔を近づける。彼の瞳と視線がぶつかる。


「もしもあなたが理由なしに生きられないというのなら、私があなたの理由になってあげる。私のために生きて、私が死んでからあなたも死ぬの」


 悠然とそう言い放つシルフィ。その姿には冗談で言っている様子はいささかもない。少年が失ってしまった絶対的な自信と、それに裏打ちされた器量の大きさをひしひしと感じる。彼の中で雁字搦めになっていた思考の糸が解れ、妙な感覚が生まれた。目の前でこちらをのぞき込むこの人にすべてを預けて寄りかかってしまいたいような、彼が今まで思うことのない気持ちだった。


「……おかしな人だ」


「よく言われるわ」


 少年から二度目の笑みがこぼれる。それは一度目のものとは真逆の意味合いをもっていた。あわせてシルフィも微笑みをたたえ、


「それで、生きてみる気になった?」


 少年に手を差し伸べた。彼は数秒ほど逡巡した様子であったが、最後にはしっかりと力を取り戻した眼をしていた。


「……よろしくおねがいします」


 自らの手をシルフィのものに重ね、自身の足で立ち上がった。


*


「はぁ……」


 少年のある意味の降伏宣言を聞いていたリラが力なくため息をついた。少年を背後から抱きしめて話をしていたシルフィはリラに顔を向ける。こうしていると事情を知らない者からは多少年の離れた姉弟にしか見えない。


「何よせっかく家族が増えたのに、ねえ?」


「はい……」


 シルフィが少年の頭上越しに話しかける。少年も顔を上に向けてシルフィに答えた。いまだ戸惑いが残っているのか、もしくはこちらが素であるのか、彼はシルフィの提案を受け入れてから非常にしおらしく、彼女にされるがままになっていた。


「自分の命を狙いに来た暗殺者(ヒットマン)を赦すどころか家族の一員に招き入れるだなんて前代未聞ですよ。奥様の知るところとなれば何とおっしゃるか……」


 リラが非難の意を最大限表明しながらシルフィを咎める。対して当事者であるはずのシルフィはあっけらかんとして、


「おおばか娘、じゃじゃ馬、昼行燈、底抜けの楽観主義者。お次はどんな称号を与えられるのかしら、楽しみねー。ま、この子がアセンダントだって一点押しすればあの人も首を横には振れないでしょう」


「まあ奥様も利に聡い方でおられますが……。事情が事情ですので……」


「私があの人を最終的に説き伏せられなかったことってある?」


「……ありません」


「決まりね。それじゃとりあえずこの子を――、そういえば」


 シルフィが少年の肩に手をやり、くるりと自らに向き直させる。


「あなた、名前は?」


「……コード・ナイン――ロメリア様が当主になって九番目の従者だからナイン。皆僕をそう呼んでました」


 思っていた内容とはいささかずれた回答にシルフィは困り顔になる。


「うーん、それは名前ではないわ」


「でも僕を僕と認識できる呼び名はそれしかありません。僕には名をつけてくれる親がいなかったので」


 それを聞いたシルフィはわずかに顔を強張らせたが、すぐに優しい微笑みを取り戻し、


「なら私が名前をつけてあげる。そうねえ……あなた大和人よね、もしくは大清連邦?」


 シルフィは少年の髪と瞳が共に黒いことから人種の特徴に当てはまりやすい極東の島国、そしてそれに並立する巨大な連邦国家の名を出した。


「遺伝子的には大和人だと聞いています。生まれまでそうであるかは分かりませんが」


「うんうん。なら大和らしい名前にしないとね――あら?」


 シルフィが何かに気が付いた様子で少年の頭をくしゃっと撫でる。するとその手に一片の花びらがつままれていた。薄紅色の、鮮やかな花。少年がリラの幽力を真似て創り出したものの残滓。それを見て、


「そういえば大和はこれがもうすぐ咲く頃ね。そうだ!」


 閃いたとばかりに手を叩くシルフィ。


「オウカ――桜の花と書いて桜花(オウカ)。あなたの名前よ」


「オウカ……」


 少年は与えられた自分の名をつぶやく。そしてシルフィに最大限彼ができる笑顔を作って。


「ありが……とう」


 ぎこちない感謝を示した。この日、少年は――オウカは本当の意味で生まれたのだった。

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