高すぎる壁
八重の刀が鋭くオウカの胸元を穿とうと迫る。オウカはそれに応じて剣の腹で受け止める。続けざまに八重は水平に斬り裂くように刀を振るった。オウカもそれに反応して縦に垂直に剣をぶつけて鍔迫り合いに持ち込もうとするが、一転して八重は刀を引っ込めそれからもう一度別角度から攻撃を繰り出す。
「くっ……!」
すんでのところで体を後ろに下げて回避に成功するも、オウカは内心舌打ちしたい気分だった。先ほどから攻めの主導権を常に八重に握られているからである。それを可能にしているのが八重の反応の速さ。例えば今、オウカは回避から攻撃に転じようとするが、
「おっと」
と八重はすかさずそれに先んじて的確に突きを入れる。するとオウカとしては攻めを諦めて防御に徹するしかない。この機先を制する戦術を有効にしているのは八重のオウカの身体の動きや雰囲気から攻撃の意志を察知する観察眼と、実際に敵の行動を上回る反応速度だ。そしてオウカは知っている――、
(試されてる……。白雲の時はまだまだ、こんなものじゃなかった)
彼女の速度はまだ上があることを。
「どうした。遠慮するな。全力を見たければ全力で来い」
そのオウカの考えを見透かしたかのように八重は彼を挑発する。八重もまた、オウカにはまだ戦う手立てがあることを知っているからだ。彼女はそれを見たがっている。
オウカは意を決してもう一度八重の間合いへと踏み込んだ。当然カウンターで八重から先手の一撃が飛んでくる。迫る切っ先がオウカに到達しようとする間際、彼の身体から青白い人影が分離するように出で、その剣尖を手に持った剣で受け止める。可能性の自己――、オウカが操る空の元素によって影響された幽層のオウカが防御を行った。そして残された彼自身は初めて攻勢に移り、八重の横っ腹を狙い薙ぎ払った。
だが八重は素早く刀を引き戻しオウカの剣に当てた。それは今日オウカが見た中でも一段上の速度だった。八重の口角がずいと上がる。
「可能性の自己。そうだ……、これとやりたかった!」
(やはりこちらの動きに合わせていたな!)
明らかに、彼女はオウカの行動のレベルに合わせて自身の強さをセーブしている。越えるべきハードルを段階的に上げていると言えば、それは生徒を教練する教師としては正しいかもしれない。しかし戦う者としてはいささか腹の立つ行為だった。
「ちぃっ!」
とはいえオウカも八重に食らいつくのがやっとというのも事実である。彼は蛇のようにまとわりつく八重の斬撃を可能性の自己でやり過ごしながら次の手を探っていた。
決闘場外では戦闘不能判定を受けた生徒らが二人の戦いを観戦している。ロキとカノンもその中にいた。
「おいおい、オウカの奴ここまでやれるのかよ」
「うん。口ぶりからそこそこ戦えると思ってたけど……、でもあの八重って先生はもっと化け物じみてるかも」
「ああ、結局俺もお前も手玉に取られて手も足も出なかったからな。あれが俗にいう達人ってやつだな」
「それに……」
カノンはどこか不思議そうにオウカの姿を見ていた。
「なんか……、オウカ君やりづらそう」
オウカから可能性の自己が現れ八重の刃と自身の刃を打ち鳴らす。しかし八重は返す刀で即座に二の太刀を放ち、可能性の自己が猛烈な突きをくらい霧散する。オウカの顔面、その真横を刃が突き抜けた。八重は次第にその速度を上げ、だんだんとオウカの操る可能性の自己でも対処が追いつかなくなりつつあった。
(さてどうする……、このままでは押し切られるが……)
技量と技量のぶつかり合いではオウカが不利であることはくつがえらない。このまま続けていればいずれ八重の刀はオウカに届くだろう。
(王道では無理。だったら!)
オウカの瞳が紅蓮に輝く。それと同時に彼の構えに変容が起こった。先ほどまでは刃を前方に向けて剣主体の剣士といった構えだったのに対し、今は剣を逆手に持ち、まるで盾であるかのように構えている。八重はその彼の変化を目にして楽しそうに言った。
「ほう……、まだ手変わりがあったか」
それはまさに戦う者の喜悦に他ならなかった。そのまま身に感じる喜悦を表現するかのように八重はオウカに向けて鋭い一撃を打ち込んだ。
「――はっ!」
それをオウカは逆手に持った剣で返しながら、流れるように身体を八重に密着させる。そしてパンチを彼女に叩き込んだ。これは八重も反応して上半身をそらし回避する。と同時に自身の刀の間合いを保持するために数歩後方へ下がった。だがそれをオウカは許さない。すぐさま前進し、やってくる攻撃を己の獲物で捌きながら体術が届く距離感。刀を振るうのに煩わしい距離感を維持する。
「これはこれは……」
八重はそれでもひらりひらりとオウカの体術に対応する。だがそれまでと異なり反撃の出が遅くなっている。オウカが詰めた距離は刀で戦うには近すぎるからだ。やがてオウカの拳は八重を捉える――。
「そこっ!」
オウカの渾身の拳が八重にぶち当たる。八重も辛くも自身の腕で防御しインパクトを抑えてはいた。しかし今の流れはオウカにとって重要な意味を持っていた。攻めのテンポを握られた状態から何とか一矢報いたのだ。
(ようやく触れられた……!)
だがその手ごたえを噛みしめる暇はない。瞬く間に八重から首を刈るかのような手刀が飛んでくる。すぐさまオウカもそれに応え彼女の手首を掴み、それ以上の脅威を阻止した。すると掴まれた腕をそのまま支点にして、八重は鋭い回し蹴りを放つ。
「ぐうっ……!」
これはかろうじてもう片方の剣を手にした方の腕で受け止めるも、その衝撃を殺しきれず掴んだ八重の腕を放してしまう。
(やはり体術も一流……)
八重が優れた剣士だというのは疑いようもないが、それは格闘技術についても例外ではないようだった。再び距離を開けた八重だがすぐさま攻撃を放つことはなく、なにやら考え事をしているようにも見えた。そしてオウカに向けて言った。
「ふむ……。今の戦い方は……、中華連邦の対幽術師特務戦闘部隊《鋼龍》の初代隊長朱劉帆が得意としていたものだな」
「――!」
オウカは心中驚いた。八重が彼の戦い方の出所をずばり指摘したからだ。さらに八重は言葉を続ける。
「しかし朱劉帆はかつて私が出会った時にはいい年の老人。さらにその後まもなく亡くなったという。弟子を抱えたという話も耳にしないが……」
そこで八重はふと何かに気がついた表情をし、やがて意味ありげな笑みを浮かべた。
「そうかライフログ――、朱劉帆の記憶を読んで我が物としたか」
それは答えそのものに他ならなかった。彼女の言う通り、オウカのライフログは記憶をただ読むだけではない。読んだ者の蓄積した知識と経験をまるで本人であるかのように扱うことができる。これこそロメリア・ヴァーミリオンがオウカをコード・ナインとして重用していた理由だった。本来人間が死すことで無へと帰すはずのその者だけがもち得る知識と経験。それを表現できるということは大きな価値である。
(まさか刃を交えただけで見破られるなんて)
相手に知見がある可能性を無視して得た経験をそのまま露わにしてしまう。それは確かにオウカのミスでもある。しかし驚くべきは表舞台に昇るはずのない特殊部隊員である朱劉帆の戦法を知る八重の経験だろう。
「驚きました。まさか朱劉帆を知っているなんて」
オウカは素直にそう話した。八重は手にした刀をくるくると回しながらどこか自分を恥ずように言った。
「まあ……、かつては強いやつと戦うために中々やんちゃをしていたからな」
「やんちゃで済む話ではないような……」
「それを言うならお前こそ。秘匿された某国の戦闘部隊、一介の学生が知り得ることかな?」
「……っ」
オウカは思わず周囲に視線を向けた。先ほどからの八重との会話はそれほど大きな声で行われてはない。ロキやカノン、他の生徒たちには聞こえてはいないはずだ。八重はそんな彼の様子を察したようでこう言った。
「安心しろ。私は別にお前の事情に深入りするつもりはないし、吹聴する趣味もない。ただ生徒の実力を評価するというのがこの時間の意義だ。それに……、強いやつと戦うのが私の生きがいでな。何を言いたいかわかるな?」
「…………出し惜しみをするなということですか」
「フッ――」
嬉しそうに笑みをこぼすと共に、八重が刀を振るった。それは一直線にオウカへと向かう。オウカも返しに剣をぶつけて両者は鍔迫り合いの形になった。
「ではその全力、見せてもらおう」
八重の言葉にオウカの顔にも笑みが浮かんだ。
「応!」
戦えば戦うほど、オウカは八重がいかに傑出した人物であるかを思い知った。
「これは風都ヴェルディグリスを拠点にした傭兵団《迅風の牙》、前団長ユーゼルのものだな」
オウカが繰り出すのはどれも戦闘においては達人と評される者たちの戦術である。ライフログによる再現は実物そのもの、生き写しに等しい。
「これは大和国に存在した裏闘技場の王、片瀬北翼のだ」
八重がオウカよりも速度で勝っているように、実力の差があるのは否めない。しかしそれにしても八重はオウカの刻々と変化する動きに完璧に対処してみせている。
(格が違うとはこのことか……)
何度武器を振るおうとその刃が彼女を捉えることはなく、何度攻撃を防いでもその攻めが止まることはない。疑いようもなくオウカは今、場外で固唾を呑んで戦いを見守る生徒たちの誰よりも強いだろう。しかし八重の強さはさらにそれを置き去りにして遥か高みにあった。
「それでも――」
「いいぞ。次は何だ!」
それでもオウカは大きく息を吸って彼女に立ち向かう。彼我の差を痛いほど思い知ってもなお、彼の心の中には一つの意志が渦巻いていた。
(勝ちたい――、この人に勝ちたいんだ)
強敵に対する闘争心、それが今のオウカを満たしていた。入学する前の彼は自分がそんなものに支配されるとは考えもしなかっただろう。オウカは再び勝つために剣で斬りかかる。八重も寸分違わぬ精度で斬り返して言った。
「その顔……。私も昔はよくその顔をしたものだ。最初に会った時はどこか冷めた奴だと思っていたが、ちゃんとそういう人間らしい顔もできるじゃないか」
その言葉にオウカははっとした。
(そうか、今の僕は人間らしいか)
人間らしさ――、それはオウカがヴァーミリオン家に仕えていた頃には決してもつことを許されなかったものだった。命じられるままに任務を遂行するよう教育されていた彼にとって、戦いとは遂行するべき任務の一つであり、勝利することが当然だった。それ以上の意味はなく、シルフィの暗殺に失敗した時のように戦って勝利できなければそこで自身の価値は存在しなくなると考えていた。もしもそのような人間らしさが芽生えたきっかけがあるとすれば――、
(――シルのおかげかな)
オウカは生きる意味を与えてくれたシルフィのことを思い浮かべる。だがそれが集中の切れ目へと彼を誘った。一瞬、わずかにオウカの動きが鈍くなる。それは戦いを見る生徒らも、評価を下す教師らも、誰も気がつかなかっただろう。ただ一人を除いて――。
「もらった!」
八重が刀を素早く動かし、オウカの剣をすくい上げるように払った。
「しまっ――」
己のミスを自覚した時にはもう遅い。オウカの剣は彼の手を離れて遠くへと飛んでいった。残ったのは得物を失ったオウカと、彼に刃をまっすぐ向けた八重だけだ。
(ここまでか――)
負けを覚悟したオウカの紅蓮の瞳が黒へと戻る。これ以上ライフログを行使することはないということだろう。八重も最後の一撃を彼に加えようと今にも飛び出そうとしていた。だが、
「うん?」
一人の闖入者によってそれは中断される。両者の間を遮るようにふわりと降り立ったのはオウカにとって馴染のある人物だった。
「リラ……?」
「お前は……、学園長の付きの者か。何のつもりだ」
八重はいらだったようにリラを睨み据えた。リラはそれにまったく物怖じすることなく淡々と告げた。
「千歳先生。あなたにはまだ見るべきものがあります」
「二人の選士の戦いに水を差しておいてか?」
リラはオウカへと振り返る。
「……あなたのそんな必死な姿を見られるとはね。シルフィ様のおっしゃった通り」
「シルは僕がこうなるとわかってたの?」
「千歳八重という高い壁に対峙すれば、負けん気のひとつでも出るでしょうって」
「はは……、敵わないなシルには」
オウカは観客席を見上げる。そこには多数の教師たちがいたが、自然と瞳がシルフィを見つけて止まる。観客席のシルフィがオウカと視線を交わして微笑んだ。
「シルフィ様からの伝言よ。すべてを出し切って戦いなさいって」
「それって……」
「許可よ。あなたにはまだ戦う術がある。そうでしょ?」
それを聞いたオウカは顔を引き締め、何かを決意したようにうなずいた。リラはオウカへと近寄り八重に背を向けたまま言う。
「千歳先生にもシルフィ様から伝言があります」
「ほう?」
そしてリラは顔だけ八重に振り向き、こう告げた。
「あなたの負ける姿が見たい」
次の瞬間、オウカの瞳が再び紅蓮に燃える。それと同時にオウカから相手の幽力を借り受ける際に発する幽力の鎖が現れ、リラの胸元へとつながった。リラは静かに目を閉じ、ただそれを受け入れている。オウカは右腕を真横にまっすぐと伸ばし、そしてゆっくりと空を切った。するとその腕は空間を裂き、亀裂を入れた。その裂け目からは何も見えず、ただ暗く深い闇が広がっているだけだった。オウカはそこへ自身の腕を臆する様子もなく深々と差し込んだ。それと共に二人とつなぐ鎖が砕ける。
「んんっ……」
リラが苦悶とも、悦楽ともとれるような声を漏らした。オウカはそれを意に介さず腕を裂け目から引き抜く。そして引き抜かれたその手には一振りの剣が握られていた。すらりとした刃の長い、全体が白銀に煌めく剣だった。
一連の出来事を経て、闘技場内に驚きが広がった。大部分の者は人から剣が現れたという光景に、そして残りの者はそれが意味することに対しての驚きだった。一部始終を最も近くで見ていた八重は後者。彼女はリラが決闘場から場外へと出ていくさなか、ある考えに思い至ったようだった。
「……は、はははっ! なぜ……、なぜ今まで気がつかなかったのか。幽術師が扱う幽力はこの世界を構成する五つの元素で表現される。それはつまり、五大元素によってこの世界に現象としての存在を確認できるということ……。ではライフログ――、人の記憶は表現される現象なのか。答えはノーだ。そして今、お前は世界の摂理の外から物質を持ち込んだ」
八重はそう言って刀を構えなおす。そして湧き出る喜悦に身を震わせて続けた。
「ああ――、今日は良き日だ。久々に味わった心躍る戦いに――よもや超越者と相まみえることができるとはな」
オウカが同じく白銀の剣を構える。彼は静かに、それでいて透き通る声で語り掛けた。
「今度こそ……、届かせてもらいます」
「受けて立とう――」
そして二人は激突する。雌雄を決するために。