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ライフログ ―桜の少年の戦い  作者: 浜辺海
一章
1/12

時を読む者

 楽な仕事だった。


 まぬけな大人たちの警備をすり抜けてターゲット、ゴズ・ボルドに接触する。


「なんだお前。ど、どうやってここまできた!?」


 堂々と正面の無駄な装飾だらけの扉から入ってきた闖入者を見たゴズ・ボルドは驚愕に顔を歪ませていた。よく肥えたその体を侵入者からなるべく離れようと部屋の隅へと動かす。


 相手は少年だった。あどけなさの抜けない幼い顔立ち。体格においては恐怖の色を露にしているゴズの方が一回りも二回りも勝っている。であるのに捕食者の前の草食動物さながらにゴズは逃げ惑う。対する少年は自らが絶対の強者であることを自覚しているようなゆっくりとした足取りで確実に距離を詰める。


 ――逃げられない。


 ゴズがそれを理解するのに時間はかからなかった。唯一の脱出口である廊下に繋がる扉は目の前の少年を挟んで向かい側にある。通してもらえるはずがない。そうなると次にゴズが打った手は交渉に他ならなかった。


「ま、待ってくれ。お前が欲しいものは分かってる」


 ゴズは転がりそうな勢いで、やはり無駄に絢爛な装飾まみれの机に走り寄る。天板の裏をごそごそと弄ったかと思えば天板が中心から割れ、左右に開いた。そこにはアナログな金庫が埋め込まれていた。ゴズにとって相当な精神的支柱であるのか、その金庫を見て彼はいくらか平静さを得たようだ。


「儂ではなく、儂の持つこれが目的だな。そうだろう?」


 相手にとっての自分の価値を最大限アピールする。ゴズの縋った手段がそれだった。


「こ、この金庫には電子系統は一切組み込まれていない。ハッキングは不可能。正しい手順を踏まなければ一生開くことは無い。この意味が分かるか」


 少年はなおも足を止めない。一歩一歩ゴズへと近づく。


「先ほど警報も作動させた。儂の近衛がやって来るのも時間の問題だが……条件次第では開けてやらんこともない。お前、一人でここまで来たということは“幽力”を持っているのだろう。儂はそのあたりに深いパイプがある。お前の対応次第では駒のように使われている今より良い思いをさせてやれる。ここは互いに賢い選択をしようじゃないか、なあ?」


 少年がその声を一切無視して片手で黒色の眼を覆うようにかざす。わずかな時間の後に手がどかされるとそこにあったのは紅蓮に変化した瞳。そして少年が覆っていた手を横に突き出すとまるで空間が切り取られるようにして一振りの焔のような真紅の剣が現れた。


「お前……まさかアセンダントか!?」


 矢継ぎ早な話をしているうちに余裕を取り戻しつつあったゴズの表情が再び一変する。しかし今度は恐れの色はほとんど混じっていない。純粋な驚きが浮かんでいたが、それも束の間。


「ひいっ!」


 少年が手にした剣を突きつけられて慌てふためく。


「よ、よせ。そんなことをして困るのはお前――いや、お前の飼い主だぞ!」


 ゴズがその言葉を発した瞬間少年の目がスッと細められる。ゴズはそれを見て諦めた様子で、


「後悔するぞ……」


 とだけ言い残した――。




 部屋には金庫に向かう少年だけがいた。正確には少年と、数分前までは意識をもっていたゴズ・ボルドという名の肉塊だ。ゴズはとうに絶命していた。奪ったのはやはり、となりにいる少年によってだ。だが不思議なことにゴズの体には死に至った傷跡や血痕は一切見られない。ただ眠っているだけだと説明されても知らない者からすれば分からないだろう。その奇妙な命の奪い方をした彼はゴズの亡骸には目もくれず金庫の解錠にいそしんでいた。その手つきは試行錯誤というよりも明らかに慣れが含まれていた。まるで所有者であったゴズ本人が扱っているかのようで――。



「……!」


 少年の顔にほんの少し変化の色が表れた。と同時にズンと重たい音を立てながら金庫が口を開く。まず目に付いたのは幾ばくかの貴金属。持ち主の冨と力を象徴するかのように光を受けて輝いていたが、少年の瞳にはいささかも魅力的には映らなかったようだ。鬱陶しそうにそれらに手を突っ込んでかきわけると奥底の方から手のひら大のキューブを探り当てた。目的のものだったのか彼はすぐさまそれを懐にしまい、代わりに小さな耳に装着するアクセサリー、イヤーカフを取り出して片耳にとりつけた。すると、


『――終わったか?』


 冷たい女の声が響いた。部屋にではない、少年の耳にだけだ。どうやらイヤーカフに見えたそれは通信機らしい。


「……回収しました」


 少年が初めて声を発する。


『奴の記憶も?』


 なにやら妙な言葉が返ってくる。少年は感情のこもっていない眼差しをゴズの骸に投げかけ落ち着いた声で、


「その点で少し気になることが……」


 とだけ答えた。すると小さく息を吐く音が聞こえ、続く女の様子には幾分か穏やかな変化が窺えた。


『なら一度帰ってきなさい。あの子があなたがいないいないってうるさいから』


「分かりました」


 以降女の声は届かなくなった。通信が切れたのだろう。それから少年は金庫を手順を遡って閉じ、机の隠し仕掛けも作動させなおした。自らの目的を隠すかのようだった。そして腰元に手をやるとそこからナイフを取り出した。興味を示さなかったはずのゴズに近づきナイフの刃先を胸元に当てる。数秒後、少年の手におおよそ人間が味わいたくない感触が伝わった――。



*



 楽な仕事のはずだった。


 ゴズの持っていたキューブはセキュリティの施された記録媒体だった。とはいってもあの堅牢な金庫とは違って典型的なパスワード式のロックであったため解読にさしたる労力は要らなかった。中には地図座標データのみが記録されていたらしく、少年にその地点へ向かえとの命が下る。行ってみればそこには一邸の館が待っていた。ここは誰が主なのか、少年は知らない。いや、教えてもらっていないと言うべきか。教えられたことはここに住むある人物がターゲットであるという一点だけだ。


 ゴズに対する警備に比べればこちらはざると言う他なかった。人がいないわけではない。使用人の礼服を着た老若男女があちこち歩き回っているし、庭園には小型無人機が巡回している。しかし人影があれど侵入者がいるなど夢にも思っていない緩慢な雰囲気で、機械による巡回は完全なパターンであったため少年には何の障害にもならない。


『お嬢様はまだあちらにおられるようで』


『困ったお方ですこと』


 使用人らしきしわがれた老婆と中年の婦人のそんな言葉が聞こえてくる。それほどの距離をすれすれに入れ違うようにやり過ごしても彼の表情に揺らぎはない。動く速度を落とすことなく素早く中を抜けていく。データはこの莫大な敷地の中心を指している。実際に辿り着いたそれは中庭のど真ん中。手入れの行き届いた花壇に囲まれた小さな離宮――とはいえ本館との相対的なもので一般的な一軒家ほどはある――を示していた。


 扉を音も立てずに引き、体を滑り込ませるように中に入る。そこには広間らしき空間が広がっていた。外界から射し込む日差しほどしか明かりがなく薄暗い。床に等間隔に伸びる窓の形をした光が幻想的であるとともにどこか不気味に思える。しんと静まりかえった内部は一見すると無人、殺風景で目を惹くものがない。だが少年の感覚は人の気配、姿を潜める何者かを感じ取っていた。だからこそ彼は堂々とまっすぐに自らを進ませる。合わせて蠢動する気配。一つや二つではない。ゆっくりと、しかし確実に彼を取り囲むように移動している。そしてその歩が中央へとさしかかろうかという瞬間に窓の光がほんの少し遮られた。それが人影によるものだと頭が理解する前に彼の体は反射的に動く。その手には瞬時に剣が収まっていた。回転する勢いをそのままに背後目掛け振りぬく。相手の得物との激突に響く鋼鉄の弾ける音。襲い掛かってきた影が衝撃で大きく吹き飛んだが姿勢をくるりと宙で整え華麗に着地する。


「――――」


 暗闇に溶けこむ漆黒の装甲服。肌の一切を漏らすことなく覆う、同じく真っ黒なマスクに機能性だけを重視したようなゴーグル。暗器の一種だろうか、両腕に鉤爪を装着したものが六人。少年を中心とするように円を描いて包囲していた。対する少年は不動。剣をだらりとぶら下げたまま闇の中を一点、見つめている。


 数秒、先ほど彼に吹き飛ばされた影が一直線に走り出す。それと寸分のずれも無く反対側の、ちょうど彼の背後を取っていた位置にいた者も駆け出した。人間の視野が後方をカバーできない常識を突いた典型的な挟撃。これを少年は真っ向から受けた。対面のひとりに常人のそれではない速度で矢のように飛び込み胸を横に切り払った。しかし相手も獣じみた反応速度を発揮する。低く鈍い激突音がまたも響く。すんでのところ爪で胸元を庇えたものの衝撃を吸収しきれず守りの構えのまま転がり崩れる。少年はそれを一瞥すらせず返す刀で背後を突く。やはりこちらの者も反応が早い。片手は攻撃の姿勢を保ちつつ機敏な動作でもう片方の爪で防御の意思を見せた。しかし鉤爪が剣の切っ先を受け止める寸前、剣の向きが変わった。


「――――!」


 痙攣する影。背中から剣の先が貫通している。少年の剣は鉤爪の合間を通り抜け胸元を穿っていた。そのまま力任せに少年は剣を横に振るうとその姿は装甲服ごと両断された。


 二つに分断されぴくりとも動かなくなった“それ”からは生を感じさせる鮮血も、人体を構成する臓物も見られない。代わりにどろりとした透明の液体と、金属質のパーツが断面からのぞかせていた。


(戦闘用人造人間(ヒューマノイド)……)


 少年がそう心で呟いた頃、残されたヒューマノイドたちがブレーキが壊れたかのように次々に彼に襲い掛かる。


 そして数十秒後――。


 切られ貫かれ、それらは無残に残らず地に倒れていた。機械の屍の中心に立つ少年は傷ひとつとして負っていない。何の感慨も浮かんでいない瞳をやはり先ほどと同じ闇の中へと向けている。剣の矛先を狙いを定めるようにゆるりと暗黒に向けて突き出す。射抜くような視線。少年の眼は何かを捉えて離さない――が、人間が避けられない、刹那の間景色がシャットアウトされるまばたきという現象。それは僅かに、一秒にも満たない瞬間的な暗転でしかない。だがその瞬間で少年の眼に映る世界は一変した。


 赤、赤、赤。


 真っ赤な絨毯が敷かれたかと錯覚するほどに足元一面が染まっている。それが大量の花弁であることに彼が気づくのに時間はかからなかった。


(ばらの花……か?)


 そんな考えがよぎったのも束の間、鋭い針の如き殺気が彼を貫く。同時に大量の花弁が宙に舞った。風も吹いていないのにそれそのものが意思をもっているかのように少年に向けてそよぎ、流れる。花弁の通った道中に崩れていたヒューマノイドの残骸が鋭利な刃物で斬りつけられたようにズタズタに切り裂かれていた。それを見るや彼は瞬時に足を動かした。獣じみた速度でばらの敷き詰められた床を一直線に駆けていく。目指すは殺気の源。その勢いに任せて弾丸のように突っ込んだ。後を追った花弁も続々とそこへなだれ込む。さながら巣を護るスズメバチである。数秒の間があり、二つの人影が光の下へぶつかりあいながら飛び込んできた。


 一人は当然少年だ。相手をその手にした剣で徹底的に追い込んでいる。その相手……もう一人は女――というより少女、女の子と言ったほうが正確である。少年よりもさらに小柄、年齢も大体同じくらいだろう。本館にいた者たちと同じ紺を基調とした使用人の服を着ている。苦しげな表情を滲ませ襲い来る斬撃を両手に持った短刀で受け流すことに徹している。の髪の切れ間からのぞく額には汗が流れている。趨勢は明らかに少年が有利であった。一方的に追い詰めつつあるが、彼は同時に自らと少女を取り囲むようにばらの花びらが静かに暗闇の中を走り、ドーム状に展開しつつあるのを見逃さなかった。


(断ったのか、退路を)


 *


(これで逃げ場はなくなりましたよ)


 彼女――名をリラと言うが、目の前の招かれざる客に向けて心の中で告げた。一定の範囲において自在に植生を変化させる。それがこの少女のもつ人ならざる能力だった。


 狙いは分かりきっている。この離宮に侵入した時点で目的はひとつしかない。だが流石に最初にその姿を見たときは驚いたものだ。自分のことは棚に上げても単独で送り込まれた刺客としてはあまりにも幼いと思った。


 鋭い剣筋がリラに迫った。射光を反射しながら流星のように差しこまれる攻撃をすんでのところで受け止める。その体躯からは想像もできない衝撃が耳をつんざく轟音と共に彼女の身を覆う。


「ぐっ……」


 無論、見た目で実力を測るほどリラも愚かではない。そもそも先にけしかけたヒューマノイドが軒並み撫で斬りにされた時点でそんな気も起きないというものだ。正直なところ自分のほうが単純な格闘能力では明らかに劣っている。それはこうして打合っているだけでひしひしと思い知らされている。


(だからこそ、この一手だけは――)


 二人をぐるりと包囲するばらの赤い刃。勝ちの芽はこれしかない。だが決まればそれですべて終わる。さながら象をも殺す蜂の一刺し。それゆえ最適なタイミング、これ以上ないという瞬間でなければそのまま踏み潰されるだろう。だから待つ、必ず来る最大の隙を。


「……!」


 ついに猛攻に耐え切れなくなった手から短刀が二振りとも弾き飛ばされた。少女は得物をかまうことなくただ可能な限り後方に跳び退いた。これがとどめとばかりに剣先がリラに向けて構えられる。そのまま貫くような突きが迫る。自らが狩る側であると信じて疑わない、勝ちを確信した大きな一撃。だからこそ彼女はそれを待ち望んでいた。


(狩人は得物を撃つ時に一番の隙が生まれる)


 心の中でそう言い聞かせると同時に鋭さを増し、凶器と化したばらの花が一斉に襲い掛かる。少年はそれに即座に反応する素振りを見せた。攻めることも、守ることもできる距離。だからこそ迷いが生まれる。このままなりふり構わず突っ込めばまず間違いなく彼の一撃は少女を穿つだろう。しかしそうすれば無数の花に襲われ我が身も無事ではいられない。


「……」


 その迷いを裏打ちするかのように少年が構えを変化させた。足も止まり、完全に勢いが停止する。


(やはり手練れ)


 しかし彼女は、ともすれば怖気づいたとも見える少年の対応をそう評した。理由は単純で、あの少年にとってこの戦闘自体が望まぬものであるからだ。リラは狙われているのが彼女自身ではないことを知っている。だからこそ相打ちならば万々歳……だったのだが相手も冷静だった。今でも彼は最優先目標のためにこの状況を打開しようと試みているだろう。しかし撃鉄は既に起こされている。逃げる余地もないほどに展開された凶器たる花弁が迫る。さらに、


「チェックメイト」


 自身に宣言するかのようにか細い声でささやく。それだけで世界はさらなる変化をみせる。周囲を警戒して構える少年の足元から植物の蔦が無数に現れ絡みついた。まるで囚人を拘束する枷のように彼の身動きを封じる。そこに立て続けに花の刃が次々と着弾した。その直前、不気味な青白い雷に見えたものが少年の方からリラへ打ち込まれたが彼女は一切気にしなかった。たとえそれが彼女に致命傷を与えるものであったとしても、代わりに守りを捨てた少年も死ぬ。であればリラの本来の目的――ある人物を護ることは達成されるからだ。


(獲った!)


 雷はリラの体に一切の傷を負わせていなかった。到達するまえに相手が息絶えたのかは定かではないがリラの表情に安堵の笑みが浮かんだ。――だが同時に、彼女はこの瞬間だけは自分の言葉を失念していた。


 狩人は得物を撃つ時に一番の隙が生まれる。


「なっ……」


 赤いひとつの球体とも見紛うほどにひとりの少年に集っていたばらが空気の詰まりすぎた風船よろしく内側から破裂した。その内部から別の色。薄桃色の花弁が一輪の大きな花が開花するかのように爆発的に広がる。


(私の幽力(ちから)を!?)


そこにはリラの幽力、自然を操る力をそっくりそのまま行使している少年の姿があった

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