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「あなたと似合いそうな人がいる」
それが、友人の最初の言葉だった。彼女の交際相手の友人だというその人は、どこか不思議なおとなしさがある人だということだった。
「ね、一度だけでいいから会ってみて」
友人はそう言いながら手を合わせて彼女に頼み、友人二人と紹介される二人の四人で呑み会をやろうと誘ってきた。彼女には断る理由も特になかった。紹介される相手とどうこうする気はなかったが、一度一緒に呑むくらいなら構わないかと思い、友人の誘いに頷いた。友人は大仰に喜んで、紹介する予定の男性を色々な言葉を尽くして褒めた。
「彼なら、きっと大丈夫だと思うの」
友人は最後にそう言った。
当日、彼女は友人と行き慣れていない居酒屋へ行った。奥のほうの座敷へ案内してもらい、メニューを広げる。彼らはもう少し後になってから来ることになっていた。
「お腹すいてない? 先に御飯済ませちゃおうか」
友人はメニューをパラパラとめくりながら食事系のページを探し、軽食を適当に選んでいった。彼女もそれに合わせてチャーハンを頼み、軽いサワーも一緒に頼んだ。
「今日紹介する人ね、彼が連れてきて私も一緒に呑んだことがあるんだけど」
注文を済ませておしぼりを広げながら、友人が切り出した。
「いい人なんじゃないかなと思うの。あなたと、どこか似たところがある気がする」
「私と?」
「そう。おとなしい雰囲気が似てるっていうか。どこか消極的なところって言ったら褒め言葉じゃなくなっちゃうかな。でもそんな感じ。よさそうな人だよ。無理せずのんびりやっていくには、いいんじゃないかな」
「ふうん。……でも私は」
「そんな気になれない?」
訊き返され、彼女は返事に困ってうつむいた。友人はおしぼりを見つめて手を拭いながら、ぽつりと呟くように言った。
「でもさ、あなたは生きてるわけでしょう。生きてる限り、生きなきゃいけないわけでしょう」
友人は彼女が高校の頃に交際相手を殺されていることを知っていた。彼女はますます返事に困った。
「考えてみて。少しだけでいいから」
でないと、あなたはいつか思い出と心中することになってしまいそうな気がする、と付け加えて友人はおしぼりをたたんだ。
彼女は結局、何も言い返せなかった。友人が言わんとしていることは痛いほど分かっているつもりだった。出会いがないから、と言ってごまかしてきた時間は、既に何年になるだろう?
彼女はその場を持て余すように、おしぼりをもてあそんだ。広げ、たたみ、くるくると巻いて、また広げた。注文した物はいつ来るのだろう。後から来ると言った彼らは、いつ来るのだろう。
少しの間、二人の間で沈黙が続いた。互いに、周りの喧噪を聞くともなく聞いているような沈黙だった。
その沈黙を破ったのは、新たな声だった。
「悪い、待たせた」
注文した物より早く到着するとは思っていなかった彼女は、少し驚いて声の方を見上げた。片手をあげてちょっと頭をさげ、後ろを向いて靴を脱いで上がってきたのは、友人の交際相手だった。動きがはきはきしていて明るそうな印象があった。
「もう何か注文した?」
「私らの御飯とサワーだけ。あ、メニュー見て。御飯まだだよね?」
「うん。腹減ったあ。とりあえずメシとビールかな」
二人がなだらかに会話を進めている。その後ろで、紹介される予定の男性だろうか、軽く会釈して、おとなしそうな感じで座敷に上がってくる人がいた。
「お前もメニュー見ろよ。ここって何がうまいんだっけ」
「知らないよ、俺はこの店初めてだし」
とりあえずビールと簡単そうなものなら間違いはないんじゃないの。そう言いながら、広げられたメニューを覗きこむ。声は見た目による予想よりも細く、やや低めだった。友人がおとなしい感じだと言ったのは、この声で納得がいった。彼は声の出し方が控えめだった。
彼女はその様子をぼんやりと眺めた。向かいの席に座った彼は、友人の男性とメニューに見入っている。どうやらお好み焼きと生ビールの中ジョッキに落ち着くらしい。
「あ、そうだそうだ。紹介」
店員を呼んで注文を済ませたところで、友人の交際相手から口を開いた。
「こいつなんだけど。ほらお前何か言え」
「いきなり何か言えって可哀想じゃない? ほら、彼女も戸惑ってるし」
「いいじゃん、四人だけの内輪の席だし」
なあ? と彼に同意を求めながら改めて促すと、彼が少し遠慮がちに「はじめまして」と言った。
「あ、……はじめまして」
「こいつには、いつもお世話になってます」
そう言ってはにかみながら、隣に座る友人の交際相手を指差してみせる。「それじゃお前の紹介にならないって」と素早く切り返された。
「あ、はい。私も、彼女にはいつもお世話になってます」
調子を合わせながら、彼女は頭の中で少しずつ彼の印象をまとめていこうとする。
彼は、確かに彼女と似通ったところがあった。
「だからさ、俺が言ったじゃん。自己紹介の練習しておけよって」
「そうだっけ」
「そうだよ。お前人の親切心を忘れたのか。ひどい奴だなあ」
「ごめんって。でも自己紹介って言われてもなあ……だって、ある一人の姿はその人を見る人の数だけ存在してるものだし」
「や、お前ここまで来て屁理屈こねるなよ。何よりその消極的な態度はいけないな、何ごとも第一印象が大事だろ?」
「……まあ、確かにそうだろうけど」
男性二人の会話は、友人の交際相手が突っ込み専門というか、リードしているようだった。彼は常に後手に回っていた。
彼は笑う時に僅かにうつむき、何かを含むようにして低く笑った。理由は分からないけれど、笑うことにためらいながら笑っているようにも見える。万事において控えめで、基本的に受け身な人だと彼女は思った。話す時は相手の目を見ようとして、けれど相手に見つめ返されると目をそらしてしまう人。
そういう人がどんな人間なのか、彼女には分かる気がした。
彼は自分に近いものを持っていると彼女は思った。拒むつもりがなくても、踏み出すことができない人。
おそらく、心に鉛のような重い闇を養っている人。