枕になる
「次の方、どうぞ」
「失礼します」
「こんにちは。こちらにお掛け下さい」
「はい……あの、」
「緊張されていますね。お楽になさって頂いて大丈夫ですよ──確かに病院の精神科というのは一般的にまだ敷居が高いですが、来院される方は年々増えています。風邪をひいたのと同じ感覚でいらして頂いて良いんです。体と同じように、心の病気も早期発見が大切ですからね」
「そうなんですか」
「それで、今日はどうされました?」
「先生、私……枕なんじゃないかと思う時があるんです」
「何ですって?」
「時々、枕の気持ちになってしまうんです」
「……枕に、ですか」
「これって、多重人格障害というものでしょうか?」
「枕に人格があるかどうかはともかく、そういうことかもしれませんね」
「私、どうしたらいいんでしょうか?」
「枕になっている時は、どのような気分ですか?」
「枕の気分としか言えませんわ」
「眠っている状態に近いですか?」
「枕は眠りません」
「その時あなたは幸せですか?」
「幸せでも不幸せでもありません……枕です」
「我に返った後はどう思いますか?」
「どうして枕なんかになったんだろうって……不思議で仕方ありません」
「枕になる前に何か兆候のようなものはありますか?」
「ありません。……だから、とても恐ろしいんです」
「そうですか。でもあなたは、枕になっている最中にも意識はあるわけですね?」
「はい。でもボーッとして……自分自身を支配できない感じです」
「通常、人格交代の際には他の人格は眠っているんですよ」
「はあ」
「でもあなたは覚醒している。つまり、あなたが枕になるのは本当の人格交代ではないんですよ」
「というと?」
「あなたは無意識下で枕になることを受け入れている、つまりあなたは自ら進んで枕を演じているんです」
「どうしてでしょうか」
「自分を捨てて別のものになりたいという逃避願望ですね。……枕は少々突飛ですが」
「私が何かから逃げているということですか?」
「おそらくは。その『何か』を見つけ、解決することが回復の鍵です」
「それは何でしょうか」
「今後はそれを探るため、あなたの無意識を調査していきましょう」
「今後は?」
「準備が必要ですので、また来週のこの時間にいらしてください」
「あの、今日そこまでやって頂くわけにはいきませんか?」
「残念ですが、次の患者さんが控えているので」
「誰もいなかったじゃないですか」
「予約されている方がそろそろ来院されるはずなんです」
「うまいこと言って……先生、あなたいつもそうですね」
「はい?」
「いつもいつも、診察はここまで。次も最初から同じ問答を繰り返す。何度来ても私のトラウマを解決してくださらない」
「はて、あなたは今日が初めての診察のはずですが」
「いいえ違います。もう何度目かわかりませんわ。聞きかじった知識で本物の医者ぶっちゃってさ」
「あなたが何を仰っているのかわかりません」
「わかってるくせに」
「さあ、診察の時間ですよ」
「ああ、予約の患者さん来られましたか」
「え? ……ああ、またお薬飲み忘れましたね?」
「薬? 処方した覚えはありませんよ」
「大丈夫よ。さあ立って、診察室へ行きましょうね」
「何を言っているんです? 診察室はここですよ」
「いいえ、ここは病室よ。さあ、ここを出ましょう──いつまでも枕とお話ししていては病気は治りませんよ?」