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野良御曹司と雇われ令嬢  作者: 孤迄 真仁
3/6

疲労困憊の帰宅


「ただいま~……」


 結局首を縦に振ってしまった。着ていた服はプレゼントだとかで貰った。流石に化粧と髪型が普段着に合わなくて着たままに帰宅。あの後幸いにもあの野性味溢れる――いや、見た目は完璧に王子様なのだが――慶一郎とかいう男とは会うことなく帰宅することが出来た。


 高い服を買いに行く服がないだろうとのことで、大量に服やらバッグやらアクセサリーやらを持たされて別邸とかいううちより大きな家に連れて行かれた後、一度実家に帰ることを許された。


「あらあら、もう朝よ? 若い娘が朝帰り? 彼氏とは順調みたいね~」


 時刻は4時だ。母さんもこんな時間なのに既に着替えて家事をしている。


 自宅の安い玄関マットの感触が心地いい。安物の陶器の犬の視線に癒やされる。庶民とはこういうものだ。高いものもいいはいいが、やっぱり分不相応な物に囲まれていると疲れてしまう。


 庶民の実家、最高。


「母さん~、もう疲れたよ~」


「お疲れ様。でも、うふふ、もうすぐ若菜の花嫁姿が見れるかしらね。母さん楽しみよ~」


 そういえば母さんにはデートすっぽかされたことを伝えていなかった。


 母さんはダイエットスリッパの重心をうまいこと使いながらクルッと回転すると、ぱたぱたと台所に駆けていく。


 母さんも見た目はそれなりに若いとは言え25の娘がいる主婦だ。子供の頃と比べれば年をとったと思うし、時折昔はできていたことができなくなったりしている。私が代わりにやったりもしているが、それを見る時の母さんの視線は、娘が成長したことに喜び半分、自分が老いていくことに対する悲しみ半分といったものだ。母さんと私を置いて逝った父が時折憎らしい。


 そして、今回私は母さんを連れて行くことを許されなかった。


 ばさりと行く時に着ていた服のはいった紙袋をソファに置く。


「ねえ、母さん」


「なあに? お味噌汁に卵入れる?」


「うん。……あのね、」


「並べるの手伝って。ちゃんとした話なら座って聞くから」


 母さんは振り返らずにそう言う。


 母さんは天然が入っているし、今でも少女趣味のものが家を占領していたり、本人の趣味も手芸などで若い頃の写真は身内の私が言うのも何だが美少女だ。さぞやちやほやされてきたとも思う……が、私は知っている。


 母さんは強い。


 私が心配していることなどいとも容易く何とかしてみせる強い女性だ。父がいない家庭で、ゆるふわの彼女が一人働きながら私を育ててきてくれた。分かりきっている。母さんは強い。誰よりも私が知っている。母さんは強い。


 でも。


「あらあら。ご飯あとにする?」


 私は弱い。


 そんな彼女を一人家に残して、大丈夫だと信じることが私には出来ない。もし母さんに何かあったら? もし私がいれば何とかなったことで母さんを傷つけたり、もし、もし万が一――。


 私が一人になりたくない身勝手なのかもしれない。


「あのね、若菜」


「……うん」


 振り返って驚いた顔をした母さんはエプロンを解いて私をソファに座らせる。


「やりたくないことはやらなくていいわ」


 ……この言葉は、小学校の頃、いじめにあって塞ぎ込んだ私に、学校に行かなくていいと言った母さんの言葉と重なる。


 この後母さんは、転校だけでなく、徹底的に戦った。当時の親友だと思っていた子たちからのいじめだったから、ママ友とか言う、表面上だけしか母さんを見ていなかった人間はだいぶ面食らっていたと思う。普段ゆるふわで、にこにこしているだけの母さんが吐いた「うちの子供を不幸にして筋も通さないやつが幸せでいることを絶対に許さない」なんて言葉は、大人げないのかもしれないが親友だった子たちを泣かせるに至ったし、その親達までたじろがせた。


 結局教育委員会とか、弁護士まで巻き込んで『子供のいじめくらいで』という親やその親まで引きずり出し、いじめっ子たちとその親全員に謝らせることが出来た。でも、母さんは相当傷ついた。


 もともと嫌われることを人一倍嫌がる母さんが、私の分まで陰口を叩かれて、大人げないと指を刺されて、それこそ私が折れればいいのにという教師の言葉すら受けて矢面に立ってくれた母が傷つかないわけがなかった。ただ母だと言うだけで、彼女は私が受けるはずだった全て、それ以上を背負ってみせた。


 その母さんがこう言うのだ。


「若菜は母さんの可愛い子どもなんだから」


 ……それじゃあダメなんだ。


 母さんを支えたいのに、楽にしてあげたいのに、いつまでも“母さんの可愛い子ども”に甘んじていてはダメなんだ。自分の足で立たなきゃいけない。自分で自分のことは何とかしないといけない。母さんがそれを望んでいなくても、私は子どもでい続けてはいけない。


 しかもこれは、本当に、母さんには関係ない私の、会社の、仕事の、問題なんだから。


 だって、あの時戦った母は、今の私と同じ年齢だったんだから。


「あのね、母さん」


 隣に座る母さんは私の手を握って黙っている。


 その目は伏せていて、私の手をじっと見つめているようだった。


「私ね、家を出ることにする」


「……うん」


「彼氏とは順調だよ。それでね、お試しって言うと聞こえが悪いけど……同棲というか、一緒に住むことになって」


「うん」


「彼、何だかお金持ちだったみたいで、それで、今日からすぐって」


「うん」


 母さんを心配させたくないがためについた嘘だった。


 あの慶一郎という男とは付き合うつもりもないが、それでも全てが終わったときには私はこの家に帰ってこられるし、その時は円満に別れたことにすればいい。母さんに嘘を付くのは気が引けるが、これから一人で家に残される母さんにこれ以上の心配事を残したくはない。娘は何の心配もなく幸せにやってるって思っていてほしい。


 なるべく早く済まそう。なるべく早く、あの男を都会人として育て上げて、良い女性と結婚させるなり壬生弦太朗の跡を継がせるなりして、母さんのもとに帰ろう。


「若菜。……いつでも帰ってきていいからね」


 娘を嫁に出す気分にはちょっと早いわね、なんて言いながら、母さんは笑って立ち上がった。


「それにしても、同棲する上で、挨拶にも来ないのはちょっとこれからが心配よ? 母さんは」


 そう言った母さんの涙声で、私まで泣き声になってしまう。


「そこはほら、母さんが思ってるよりずっとフランクなお試しだからさあ」


「人の娘をお試しって、その人は父さんよりいい男なのかしら~?」


「父さんのこと覚えてないからわからないって」


 母さんがせっせと食卓に食事を並べるのを手伝いもせず後ろについて回って眺める。


 「手伝ってよ」と拗ねたように言う母さんに「母さんが家事してるのが見たいの」なんてわがままを言うと、今度こそ母さんは泣き出してしまった。つられて私も止められないくらいに泣いてしまう。


「でも、若菜が決めたんだもんね……」


 そのまま二人で年甲斐もなく抱き合って泣いて、目をパンパンに腫らした後、今度は箸が転げるのが面白いとでも言うくらい何かにつけて笑いながら二人で朝食にした。




 ◇  ◇  ◇




 6時半を過ぎて母が働きに出ると、今度こそ私は荷造りをして外へ出た。結局一睡もできなかったけれど、どうせあの豪邸に行ったら自分磨きだの何だのと称して好きにできるのだから何ということはない。


 母も私の連絡先はチャットアプリにも電話帳にも入れているし、いざというときには本人かその時必要に迫られた人間が連絡をよこすだろう。母は機械に強いし、操作がわからないなんて言うこともない。


 結局の所、安心させられているのは私なんだ。


 空が思いの外澄み渡っている。遠くの方で雲がキラキラと輝いて眩しい。まるで私の門出を祝しているかのようにも思えるが、それは全くのありがた迷惑だし勘違いだと思いたい。


「はあ、お嬢様って言ったってなあ」


 どちらかと言うと都会人として育てろとのことだったし、私がお嬢様お嬢様しなくともいいのだろうか。まあ、このご時世破天荒なギャルみたいなのが社長令嬢だったりするしな。


 おそらく都会人になってはじめて社交の場に出せて、好きな子でも見つけて礼儀を覚えてくれることを期待しているのだと思う。


「さて、あの屋敷に戻るかあ」


 キャリーバッグとその上のボストンバッグをを引き摺って、屋敷の方角へずるずると歩いていく。


 もう少し家に残っても良かったが、何となく母が出勤したのと同時に家を出なければ二度とあの屋敷へ向かえないような気がして、早朝から散歩を決め込むことにした。


 ……と、思ったのだが。


「お嬢様、お迎えに上がりました」


 隣にブレーキ音を鳴らして止まったのは、黒塗りのベンツだ。ヤクザか、ヤクザなのか。


 運転席にはスーツと白手を装備したびっくりするほど顔がいい運転手がニコニコとこちらに微笑みかけている。慶一郎とかいう男がハンサムなら、こっちは紛うことなきイケメンだ。三浦なんたらとかいう俳優に似ているかもしれない。


 その男が、私に「お嬢様、お迎えに上がりました」とか抜かした事実に頭がついていけない。


「……誰?」


「ああ、申し遅れました。間中翔平と申します。昨晩お嬢様と旦那様の会食にお供しましたハウススチュワード・間宮徹の次男にございます」


「言葉もわからないような馬鹿を部下にした覚えはないんだけど」


 その言葉に男の目が細められる。乙女ゲームで案外すぐ裏を出してくるタイプのチョロ男だな?


「これは……失礼いたしました。わたくしはお嬢様に“宛てられた”世話役兼執事でございます」


 宛てられた、の部分に嫌味な響きを含ませながらも、男はようやく自分が私にとって何たるかを説明した。ちょっとお嬢様っぽく返してみたけど何だか結構うまいのでは?


「歩きたい気分だからいいわ」


「いけませんよ。“仮にも”ご令嬢なのですから」


「近所でこういうことされるの迷惑」


「お嬢様、“契約期間”なのですよ」


 早足で振り切ろうとする私の横をノロノロと徐行しながら笑顔でスライドしてくるイケメンが割りかしうざくて殴りたくなる。


 ガラガラ ザリザリ とキャリーの引き摺られる音が朝早い住宅街に響き渡る。


「……じゃあ荷物だけ積んで行ってよ」


「お嬢様も、です」


 間髪入れずに答えた間宮とかいう男のにこぉ顔。イケメンって、過ぎると異性でも腹が立ってくるもんなんだなあ。昨日のお坊ちゃんはひたすらドキドキしたのに。


「ていうかあんたいくつよ」


「今年で28になりました」


「その年でよく女のケツ追っかけてられるね。年上なんだしあんたに敬語使われると寒気がするからタメでいいよ」


「仕事ですので」


 つれない。


 結局2時間もした頃には足が痛くなってしまって、間宮翔平の運転するベンツに乗ることになってしまった。最大5人乗りには代わりはないけれど広々とした空間とふかふかのクッションが心地良い。随分とおしゃれだ。


「なんだかおしゃれなベンツだね」


「……ありがとうございます」


「なんでお礼言うの。壬生弦太朗のなんでしょ」


「いや俺のなんで……」


 早速崩れた口調にハッとして早口にまくしたてる間宮にこの男は多少信じても良いのかもしれないと安心する。


「あ、ああ、いいえ、この車は大旦那様から業務のために買い与えられたと言いますか、業務と私用のどちらでも使って良いと……ええ、お嬢様が“ご卒業”された際にはそのまま頂けるとのことで、内装にも一層こだわったと言いますか……」


「お兄さん、馬鹿でしょ」


「執事は馬鹿ではなれませんよ」


「やっぱり馬鹿だ」


「……」


 まあ、私が一般家庭の女で、威厳もなくて言葉もまともに飾れなくて今の格好もその辺のOLがよく着てそうなきれいめのパンツスタイルだから、気が抜けてしまったのだろうと思う。


 まあ下手に気取ってる男よりは、この間宮とかいう男は随分とやっていきやすいだろう。


「私もお仕事頑張るから、これからよろしくね 翔平」


「……ハイ、よろしくお願いいたします」


 挨拶もそこそこに、私は心地いいクッション素材にもたれかかって目を閉じた。

一応ストックは尽きました。

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