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野良御曹司と雇われ令嬢  作者: 孤迄 真仁
2/6

その令嬢、雇われ


「で、受けてくれるか」


 最早その問いは問いであるのかさえ疑問だった。


 今私の目の前には、私の年収ですら手の届かない値札のつくレベルの着物を身にまとった老人が、長い机の向こうに座して器用にナイフとフォークを使って分厚い肉を食べている。


 見渡さなくとも目に入る豪奢な、しかし嫌味でなく私が言うのもおこがましいがセンスの良い調度品が行儀よく並べられ、壁には私でも知っているような有名な絵画がかかっている。こんなお屋敷、物語の中でしか見たことないってくらいの金持ちの屋敷だ。


 かくいう私は綺麗な、正直言うとずっとずっと欲しくてお給料を溜め込んでいたそのワンピースを身にまとって、髪もメークも美容師に仕上げてもらって、それこそどこのご令嬢かというほどの出で立ちでその向かいに座っている。


 客人として迎えたにも関わらず、相手は完全に上座だし、私は紛うことなき下座だ。でもそれも仕方がない。当たり前だ、だってこの人は……。


「何、簡単なことだ」


 ロマンスグレーの老人は、かちゃりとシルバーを置くとこちらをひたと見据える。その目は多分、私なんて小物は見ていない。一瞬不思議そうに歪められたものの、その視線が見ているものを私は知っている。


「君はただ首を縦に振ってくれればいい」


 私に選択肢などないことを私の骨の髄にまで染み込むその視線が語っていた。




 ◇  ◇  ◇




 彼氏に可愛いと思ってほしい一心で奮発して買ったブラウスとスカートのそのど真ん中をおおよそ赤色で汚された私は、放心状態で自分の乗った車が信号でもなく停止したことだけを頭の何処かで理解した。


 隣では私の腹の上に吐き散らした阿呆がぐっすりと寝ていて、時折がくがくと頭が揺れるのが不快で仕方がなかった。


 どうしてこんな事になってしまったんだろう?


「本当に……本当に申し訳ありません……。大旦那様がお話したいとのことで、お着替えも勿論用意しております、お会いしてくださいませんか」


「え、ええ……いいですけど……」


 後部座席の扉が外から開かれて、先に降りていたスーツの一人が謝罪と何か大旦那様がどうのとか言っている。もしかして家元か? 坊っちゃんとか言われてたし、まさかこいつボンボンなのか?


 私はスーツが案内するままに車を降りると、初めて目に入ったその光景に愕然とする。


「う、っそでしょ……」


 豪邸だ。一言で言えば豪邸。それ以外にどう表現したら良いのか分からない。庭に噴水がある家の敷地内に初めて入った。


 季節的に咲いてはいないが恐らく薔薇だと思われる生け垣が噴水を中心に辺りに広がっていて、所々馬や白鳥の形の木がある。本当だよ。気が触れたわけじゃない。そういう風にカットされてある木だ。


 噴水は派手に吹き上げているわけではないが綺麗に整備されていて、水が常に吹き出している。


「どうかしましたか?」


「あ、ああ、いいえ? えっと、大旦那様? が、お呼びで?」


「はい、大旦那様はこれよりお食事なされるので、僭越ながらこちらで用意させて頂いたお洋服に着替えて頂きたく……」


 ああ、もう服代なんてどうでもいいから今すぐ家に帰してくれ。


「こちらへ」


 そう案内されるままに庭園――庭園なんて言葉初めて使ったかも――を抜けていくと、少し遠くに見えていたこれまた大きな屋敷の扉の前に来た。これもしかして開くの? 飾りとかじゃなくて?


 スーツが私に頭を下げて扉を開けると、ずらりと両側に並んだメイド? が一斉に頭を下げる。おかえりなさいませお嬢様、とかは言わなかった。ちょっと期待していたのに。


 後はされるがままだ。酒気帯びなのになぜか――ゲロ吐かれたからだが――メイドに風呂に連行されて、一通りいじくり回された。めちゃくちゃいい匂いのする高そうな石鹸とか、めちゃくちゃ肌スベスベになる入浴剤とかたんまり使われて、ここはエステか? なんて思ったら次は美容師にあっちこっち引っ張られて服も無理やり着せられた。超好待遇だ。今まで生きてきてこんなに丁重に扱われたことないが、それにしても割合無理やり着飾らされた。


 あっという間にこれまたどでかい、外国の超高身長バスケット選手も通れそうな扉の前に立たされると「大旦那様がお待ちです」と覚悟も決める前に扉を開かれた。


「ああ、待っていた。かけ給え」


 ああ、なるほど。あの男のおじいちゃんだ、この人。


 声が似ていた。というより、若かったら同じ声だったんだろうなという声。その声が、あの男のものよりずっと冷たく私を出迎えた。


 執事っぽい人が椅子を引いたのでなし崩しにそこに座る。


「慶一郎が世話になったようだが」


「ええと、訛りのすごい黒髪の……?」


「そうだ。礼を言う」


 礼を言うと言ったくせに頭も下げないその老人に、なんて偉そうとか思いつつも、その待遇を受けている身としては何も言えない。十分すぎるリターンを既に貰っている。しかもこれから美味しい料理も出てくるんでしょ。最高だ、もっと偉そうにしてくれていい。


 運ばれてきた料理は明らかに美味しそうだ。絶対美味しい。負けたらその芸人が全員の分を自腹で払う番組で見たことあるような料理だ。私ずっとあれ見ながらもやし食べてた。


 老人は「壬生の恥を他人に見せるのは気が引けるがね」と言うとこちらをちらりとも見ずにナプキンを首につけて、さっさと食事を始めた。私もなんとなく何もしないでは居心地が悪くてシルバーに手を付ける。


「慶一郎が標準語を話したらしいね」


 唐突に老人が言う。視線をそちらにやれば、肉を見つめたまま身じろぎもしていなかった。そもそも老体でこんな肉食べてるのだいぶ強いよな、なんて思いながら、切ったばかりの肉を名残惜しく見つめて私は口を開く。


「ええと、息子さん? お孫さん? が、私の訛りの通じないのを哀れんで標準語を使ってくださったんですよ」


 そこでようやく肉を口に入れた。は~~美味い! うっそでしょ。とろけるのにちゃんと肉! っていう歯ごたえもあって、肉食べてる~! って気分にさせてくれる。やっぱ牛なのかな。どこの肉なんだろう。


 そう聞くと老人は何か考え込むように腕を組む。


 ……そう言えばこいつ「壬生」って言ったか?


「……壬生?」


「ああ、名乗るのが遅れて済まないね。君の会った若いのが孫の壬生慶一郎。そして私は壬生玄太郎という」


 老人は座したまま頭を下げる。


「え、ええ、え、壬生玄太郎!? 壬生財閥!? 壬生!?」


「ああ、君はうちの孫会社系列で働いてくれてるんだったね。存じてくれていて嬉しいよ」


「働いてなくたって知ってますよ! あ、え、えと、私は――」


「いや、結構だ」


 既に私のことは調べつくされているらしい。嘔吐事件から3時間も経ってないだろうに、金の力の為せる技か。それとも“壬生玄太郎”の為せる技か。


 しかも私の親会社の親会社の大株主であり代表取締役、そして何より創始者だ。起業してから彼が代表取締役ひいては取締役の再任を受けなかったことはない。会社起ち上げから50余年だが、100年以上経営している諸企業にも遅れを取らない、うちの会社グループの名実ともにトップ。つまり他所の会社員ですら圧力かけてクビに出来るこの人の前で、孫会社系列の会社員の私は彼の視線一つでクビになる。彼が何か言えば甘んじて操り人形に下るしかない。ていうかこのじいさんだったら他所の役員だったとしても竦み上がって言うこと聞くかもしれない。


 うちの会社は今や手広くやりすぎて何の会社だか分からないが、確か創立当初は輸出入業だったはずだ。


「そうか、そうか。いやはや、それなら話が早い」


 ほら来た。


「君には折り入って頼みたいことがあるんだよ」


「……頼みたいこと、とは」


 繰り返して言うが、この後彼が何と言おうと――死んでくれ、とさえ言わなければ――私には断るメリットがない。その時点で私はクビだ。よくて閑職行きだろう。まだ3年しかOL出来てない。信用に金を払っているからか、社内規則さえ守っていれば給料と比較してそこまで大変ではない業務でいい暮らしが出来ているし、何より母子家庭だ。母親にこれからもっと孝行だってしたい。今クビになる訳にはいかない。


 あと単純にこの年齢で職なし女はモテない。


「令嬢になってみたくはないか?」


「……は?」


 勿論なりたいですとも。


 いやいや、美味しい話には裏がつきものだ。脊髄反射で話に乗る訳にはいかない。もしかして今までの超好待遇は味を占めさせようって魂胆か。この爺、やりおる。それに私にそこまでするメリットだって正直ないんじゃないかな。


 言ってしまえば今のは“報酬”の話だ。私のやる“業務”の話をまだ聞いてはいない。


「魅力的ですが、それ以上のことを頼まれそうですね……」


 私が頬を引きつらせてそう言うと、老人はおどけたように驚いてみせた。


「ほう? いいではないか。そうだな、これで飛びついてくるような女に孫は任せられんよ」


「任せる?」


「ああ、そうだ。君に頼みたいこと、それは――」


 シャンデリアの灯りが異様に眩しく感じる。光量は変わっていないはずだ。なのに、これから何を言われるのか私は何となく察している。


 だってあの訛りの酷い男だ。そして「標準語を話したらしい」という言葉、手を焼いているらしいスーツたち、金持ちの男孫、それに見合わない振る舞い。


 目眩がする。……しつこく繰り返すが、私はこの頼みを断れない。


「――令嬢として、君には教育を受けてもらう。そして、それを以て慶一郎と接し、上流階級の……とまでは言わない。東京ひいては都会で社会人として通じる程度の礼儀や知識を仕込んでほしいんだよ」


 そうして話は冒頭に戻るわけだ。




 ◇  ◇  ◇




「私が断れる立場にないことは重々承知ですが……いくつか質問をさせてください……」


「ああ、勿論だ。……断ってくれてもいいんだけどね」


「そこも含めてです……」


 もう食欲もなかった。メイドに頼んで食事を下げてもらった私は、横から差し出された水のグラスを受け取ると、名も知らぬ彼女に礼を言う。


 メイドは驚いたような表情を浮かべると、居づらそうにそそくさと立ち去った。


「まずこれは、私の業務を“壬生家跡取りの教育係”に差し替えるということですか? 会社への在籍は?」


「ああ、そうだ。会社へはこのまま在籍してもらって構わない。出勤はしてもしなくてもいい。ただ慶一郎のことを最優先とし、慶一郎には君が令嬢だということにしてほしい。会社へは私が全て手を回しておこう」


 多分、もう既に手は回されてるんだろうな……。


「……なぜまた令嬢に、と聞くのは野暮でしょうか」


「いや、意見のすり合わせは会議で最も大事なことだろう。慶一郎は私の跡を継ぐことになる。今からそれなりの階級の人間と接することに慣れ、そしてより階級を意識した行動をとってほしいと思ってね」


 つまり庶民となんか接させられるかボケ、ということだ。私も庶民なんだけど。


「そうであれば……何も私でなくとも良いのではないですか。それこそ将来的に慶一郎さんの婚約者として大旦那様がご用意した女性とか」


 ピクリと壬生玄太郎の眉が跳ねる。おっとこれやっちまったか? 地雷踏んだかもしれない。死にたくない。


「……もうやった。無駄だった。むしろ先方のお嬢さんを泣かせてしまってな。取引が一つ潰れた。まあ自分の知らない言葉を話す猿みたいな挙動の男と、箱入りの令嬢がまともにコミュニケーションを取れるわけがなかった」


「じゃあもっと社会的地位のある方とか」


 壬生玄太郎は私の察しの悪いことに焦れているのか、露骨に態度に出してこちらを威圧してこようとする。察してるけど察したくないわ。だって御曹司の教育係とか荷が重すぎる。もし私が提示したことをまだ試してなくてそっちに関心を惹かれてくれるならどんなにいいか。


「慶一郎にはマナー講師をつけた。標準語も教えているはずだが、今まで話したことはなかった。だから外で君にわざわざ言い直していると部下から連絡が来たときは驚いたよ」


「…………つまり現時点で私しか適任がいないから、しかたなく令嬢として付け焼き刃でも教育すると言うことですか」


「そうだ」


 楽しむ余裕もないのか、それともこんな庶民の小娘に頼らざるを得ないのが情けないのか、壬生玄太郎はグラスのワインを呷る。あっあっ、あのエチケットロマネコンティかよ……ひえっ……。


「……では、2つ目ですが、あの言葉、どこのものなんですか」


「土佐だ」


 土佐。ああ、道理で聞いたことがあった訳だ。実家で母親と龍馬伝を観たことがあった。『日本の夜明けぜよ!』だ。でもあれ、たしか結構昔の言葉遣いだったはず。


「地元の年寄りでももう使わないような言葉だ。にも関わらずあいつは……高知の更に田舎も田舎というところで見つかってな、どうやら年寄りたちの昔話を聞くうちにすっかり感化されたらしい。使わないとは言っても、向こうでは通じるからな」


「私もドラマで聞いたことある程度ですね……」


「そうだろう。だからまず目先の目標として、君には慶一郎が標準語を常に話すように教育してほしい」


「最後に――」


 私はもう一度水を飲み、深呼吸する。ここまで聞いたらもう後戻りはできないのは自明だけれど、この先を聞いたらもうそのまま業務へGOだ。


 ああ、神様。普段信じてなくてごめんなさい。許して。


「――どこまで経費で落ちますか」


 その言葉を聞いて壬生玄太郎はむせ返った。しばらく笑い声だか咳だかわからないような声を上げた後、彼は恥じらうように静かに咳をした。


 辺りを使用人たちがおろおろと駆けている。近くの執事らしき人間が、水を持って壬生玄太郎の背中を擦っている。


「君は面白いな。給料ではなく経費と来たか。そうだな……間中、あれを」


 執事らしき人――間中というらしい――が部屋を出ると、すぐにトレーを携えて戻ってきた。


 ……あー、なんか、カードみたいなものが見える。


「今回のことに先立って、これを君に用意した。慶一郎に関することなら……それこそ慶一郎に会うための服、アクセサリー、食事、はたまた慶一郎に魅力的に思われるためのエステ代でもなんでも、好きにこれを使って用意するといい。限度額はない」


「ブラック――」


「君の任期は慶一郎が結婚するか、私の跡を継ぐまでだ。いい雰囲気の女性がいたら協力してやってほしい。相手は勿論こっちでも精査するがね。慶一郎を惚れさせるのは構わないが、これはあくまで仕事だ、君を慶一郎の相手として迎えるつもりはない。肝に銘じておいてくれ。君には私の別邸を一つ貸し与えよう。そこで生活してくれ。すべてが終わった後には、君の在籍している会社の役員に召し上げよう」


 ああ、もう私の意見なんて聞いてなんていない。


 私の腹の上に吐いた男の、言ってしまえばみんなが中学生か高校生で通過してくる恋愛シミュレーションゲームの相手になれってことでしょ? はたまた学校で出来た好きな子のために、言葉遣い考え直したり、身なりを整えたり、そんなことをする偶像になれって――ああ、神様、本当に……私はどうなってしまうんでしょうか。

各方面知識を必死に集めておりますがモチベーション中心に一息にしたためたものでありますので、お目汚しの際には改めた文章と共にご一報頂ければと思います。

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