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野良御曹司と雇われ令嬢  作者: 孤迄 真仁
1/6

聖なる夜のバーにて浴びるはカクテルか、それとも……


 ずっとずっと憧れていたものがあるとして、そのどれもが一度は手に入りかけたとして、結局は指の間をすり抜けていってしまったことがある人は多いと思う。そもそも手に入りかけたことがない人だって、若い人なら当たり前に、成熟した大人にだってそこそこいるはずだ。


 実を言うと私だってそうだ。こうやって独りバーでジュースみたいにカクテルを飲んだくれて、名も知らぬバーテンダーに子供みたいにダラダラと愚痴をこぼす。


 25歳、独身OL、彼氏なし。いや、厳密にはさっきまで彼氏はいた。いいや、もしかしたら今でも彼氏いるのかもしれない。でも、仕事だって言い訳してすっぽかしたクリスマスイブに他の女と腕組んで歩いている男は果たして彼氏として換算してもいいものだろうか?


「ねえ~バーテンさんさあ、彼女とかいるわけ?」


 最早呂律すら回り損ねる舌を懸命に動かして、ボタンを押してなきゃ浮上しないゲームの飛行機みたいな視線を必死で操作する。飲んだくれの、それこそ性別さえ違えばセクハラ……いや、男女平等が謳われるこのご時世、性別もクソもない。これは立派なセクハラだ。


 バーテンダーは苦笑というより引きつらせたような笑顔で、私に「飲み過ぎですよ」と暗に帰宅を催促する。そりゃそうだ。こんな着飾って今にも彼氏とデートですよ、なんて格好の女がバーで一人飲みしてたら、明らかに面倒事の気配が漂うし私なら関わりたくない。それでも仕事として接客しなきゃいけないなんて、クリスマスイブなのにバーテンダーも可哀想に。……あ、イブに仕事してたら彼女いないか。


「いや~私もさあ、彼氏いるのかなあ!? これはいると考えていいのかなあ……だって仕事だって言ったのに――」


 不意にガランガランと派手な音を発てて扉が開く。静かな――私の声だけが響いていた――バーにがなり声が侵入してきた。


「こがぁな夜にあいたぁこいたぁかったしいちゃこらしゆうきのう! まっこといられる、人をわやにしゆうがか! おぉのもう! けんど、わしはいぬりとうない!」


 低く唸るような声なのに、なぜか心揺さぶるような響きを持っていた。何と言っているのかまでは分からないけど、良い声だな……いやしかし訛り酷いなどこの言葉だ聞いたことあるな……なんて、自分の言葉を遮られたことも忘れたのか単に関わりたくないだけなのか、続きの言葉をグラスにほんの少し残っていたブランデーと一緒に啜った。


 横目で入口の方を見やると、だいぶ酔った風の長身の男が、部下なんだか何なんだかスーツの集団に囲まれてふらふらと店内に入ってきていた。時折大声で喚きながらも、最後には尻すぼみになって、不安そうに見える。スーツたちを押して一人で立とうとしたところで視界から消えた。


 背中越しにガタガタと椅子を揺するような音がして、ふと動物園の格子を揺する猿を思い出して、ふふふっと笑みが溢れる。それが彼の耳に障ったのか気に触ったのかは分からないが、「あ?」と声が聞こえるやいなや、どすどす床を踏み鳴らす音が向かってきた。


 まずい。


「ちょっと坊っちゃん!」


「……おんしゃぁ、わしをわろうたか?」


 背もたれもない椅子の上で肩を強く掴まれて、そのまま床にひっくり返りそうになる。


 あら、いい顔、なんて呑気なことを思わせるのもきっとアルコールのせいだ。つやっつやの黒髪に瞳は……やや緑がかって見える。肌もこれでもかってくらい綺麗で唇も薄く男にしてはちょっと色っぽすぎじゃない? なんてくらい薄紅滲ませたみたいな色だ。私もこれくらい美人だったら今頃クリスマスを大いに楽しめていたのかな。


 世の中は多分アルコールが体内を巡るようにアルコールで回ってる。そうじゃなきゃ、こんな虚しい思いを誰がどう飲み下せよう。


「そがぁにわしがとぎもおらんが面白いがか!?」


 ああ、いけない。酒が入ってるとつい自分の中で完結しそうになって、職場の飲み会でもお局に睨まれかけるんだよね、私。


「何て言ってるかわからないけどお兄さん、もうちょっと標準語うまくなったら顔もいいし絶対もてるよ」


「……標準語かたけ、こうべってからに」


 なんとなくお兄さんが寂しそうな眼をしているのがどうにも犬っぽくて、耳の後ろに手を添わしてわしわしと掻いてやる。


「よーたんぼ! おこつるなや! 犬やない!」


「イブに男の大所帯で彼女いないのかもしれないけどさあ、私も彼氏が浮気デート真っ只中だからなんか話付き合ってよ」


「おまん、わしの言葉がわからんやいか」


「もしかしたら私が浮気相手なのかも……」


「にゃあ」


「あ、猫派だった?」


 耳の後ろから顎の下へ手を持っていこうとすると流石に手を掴まれた。


 腕白盛りの子供でも相手にしたみたいな疲れた顔をしている。息もだいぶ上がってない? 大丈夫? お酒飲みすぎたのかな。


「お前 これなら わしの言ってること 分かるのか」


「あ、分かる分かる! ここ東京だから軽い関西弁か標準語じゃないと伝わらないからねえ! 勉強熱心なのえらいえらい!」


 そう言って今度こそ頭をわしわし撫でると、諦めたように床の上に胡座をかいて私を見上げた。


「おまん、浮気されちゅうがか?」


「うん?」


「お前 浮気 され てる のか」


 私に分かりやすく言ってくれてるのか、それとも自分が混乱しないようにゆっくり言っているのかはわからないものの、男はなんとか標準語を話すことにしてくれたらしい。時折方言が出るものの、私が聞き直せばしばらく考えて標準語に直してくれる。寂しいクリスマスイブを過ごしている私にとって、誰かが私のために何かをしてくれているという事実が嬉しくて、にこにこと話を聞いてしまう。


「そうなんだよね~仕事だって言って私とのデートを当日の待ち合わせ時間過ぎてから断ったくせに、帰るのも何だからふらふらお店見てたら知らない女と歩いてたの。腕組んで。大方昨日一緒に過ごしてて『行かないで~』って駄々こねられたんだよ。それにしても私との待ち合わせ周辺で浮気とか、豪胆なのか馬鹿なのかって思わない?」


「お前が わかんねえ」


「そう?」


 そんな風に私が嬉しそうにしているのが気になるのだろうか。時折ちらちら見上げながら、膝に頬杖をついて顔を隠すように男は話す。


 いつまでもそんな風にしているのが気になって隣に座るように促すと、意外にも男は素直に隣に座ってくれた。彼の背後ではスーツたちがひそひそと何か囁き合って、どこかに連絡をとっている。


 それにしても様になっている。バーがよく似合っている、とは言っても、単にチャラいとかこなれているとかいう意味ではない。なんというか顔がいい。さっきのがちがちの方言がその口から出てくるなんて一体誰が思おうかというイケメン……いや? ハンサムだ。体躯も引き締まってて、頼りになりそうな雰囲気だ。これなら本当に標準語が使いこなせれば女の子たちが放っておかないだろう。


「わしゃあ、上京したばっかりじゃ、ちんもおらんき、東京のことはようわからんがの。そがぁな男はさっさとふてちょき。なんちゃあじゃない男やき」


「ヘイシリ 方言 標準語変換」


 と言って男の頬を酔った勢いのまま突っつくと男は「いたっ」っと言ってその手を振り払った。でも何だかちょっと嬉しそうに見えて、この人もなんだかんだ言って寂しかったんだろうなと思うと少しばかり怖かった印象も薄れた。


「上京 したばっかり で、友達もいない から、東京じゃ どうするか 分からないけどな、そんな大したことない 男はさっさと 捨てろ」


「捨てられたのはきっと私なんだけどなあ」


 バーテンダーにおかわりを要求すれば怪訝な目で見られたものの、男が隣にいて自分が介護する可能性が薄まったからか渋々といった感じでグラスを差し出してくれる。男も同じものを頼むと香りも大して楽しまずに一気に呷った。


 見た目はだいぶお酒弱そうなのになかなかやるな。


「は~お兄さんお酒強いんだ~ だいぶ酔ってる風だったのにブランデーストレートイッキはやるねえ。もったいないけど」


 男が私の肩に手をかける。流石にきつかったのか、それとも完全に出来上がってしまったのか、真っ赤な顔で目を潤ませて、上目遣いにこちらを見る。正直言ってちょっとドキドキしてしまう。だって私面食いですよ? それも彼氏に浮気されてる寂しい独身女ですよ? それが、クリスマスイブに、こんな――。


「すまんちや……」


「えっ、ちょっ、ちょっと!」


 結構高めの椅子から二人で床に転げ落ちる。男が私の頭と腰を守るように抱きしめていてくれたからか――そりゃ痛むけれども――大したことはなかった。けれどこの状況は一体何なんだ。一体何が起こってるんだ。


 男の息が首筋にかかる。正直くすぐったいどころじゃない。近くで見るとこのジャケットもしかしてアルマーニか? なんてそんなことはどうでもいい!


 男がぐったりと身を持ち上げる頃には、私の顔は真っ赤通り越して紫だったかもしれない。アレルギーって摂取し過ぎで起こるって聞いた気もするしハンサムアレルギーになるかもしれない。


 男は鳩のように首を前後させている。あれ? ちょっと待って……まさか――。


「おぼ、うえ……」


「うわー!! ちょっと待ってええ!!! この服おろしたばっ――」


 私の静止も虚しく男は私の腹の上に胃の中身を全部吐き出した。全部だ。夕飯に多分オムライスをこいつは食べたに違いない。その他様々な液体やら細かい固形物を被った私を、男の保護者かなにかだと思われるスーツが何度も何度も謝りながら拭いたり何だりして、彼らの車に乗せた。あ、もしかして奢り? なんて思いながらも、服とのあまりの採算の合わなさと虚しさに少しだけ泣いた。


 隣で男が寝ている、なんて言い方次第な最悪なクリスマス。聖なる夜に私は他人のハンサムの汚物に塗れる事になった。

2019/01/01 土佐弁編集

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