Episode6.試験と因縁
すう、と。
短く息を吸った。
二歩後退。
直後、鼻先を帯剣の切先が通り過ぎて、ふわりと風が届いた。
相手の剣は速い。少なくとも、自分よりも上だ。
図体も、自分より一周り大きい。剣戟を受け止めるのには苦労するだろう。
技術だって、おそらくは敵わない。二度三度、剣の振り方を見れば、それくらいはわかった。
けれど、恐怖はない。
負ける気はしなかったから。
上段から、追撃が落ちてくる。
僕には避けきる自信がある。
ふう、と。
短く息を吐いた。
半身になって、一歩と半分右へ移動。
目の前を刀身が流れる。
かすりもしない。
理由は簡単だ。
僕は7年間、ひたすら剣を振り続けてきた奴の、相手をさせられてきたんだから。
地面すれすれまで降ろされた剣を、思いっきり足蹴する。
剣士との戦い方なら、嫌というほど理解っているんだ。
バランスを崩したところに、全体重を乗せて叩き込んだ。
かろうじて、一撃は受け止められてしまう。
体重差は簡単には覆らない。
でも、二本の剣を挟んで突き合わせた相手の顔に、浮かんでるのは焦りの表情だ。
とても勝者の顔には見えない。
相手は力任せに剣を振り払う。巻き込まれるのはごめんだ。
力を抜いて、刀身を添えつつ流す。
返す剣が迫りくる。今度は横薙ぎ。
すう、はあ、と。
呼吸。
一歩後退。
間合いの把握。それは、武器と武器をぶつけ合う白兵戦において、時に武器以上に武器になるものだ。
顎のすぐ下を、剣が通り抜けた。
今だ。
敵の体勢は最悪。
無計画に踏み込まれた右足と、つま先だけがかろうじて地面についている左足。
身体が硬直する一瞬。
体重移動の隙間。
もがくことすらできない刹那。
力任せに振り回した代償だ。
振り抜いた剣は、まだ戻ってこられない。
惜しむらくは、剣ではここから一歩は踏み込まなきゃ届かないって点だけれど、幸いそれだけの余裕はある。
思いっきり、地面を踏みしめた。
キィン、と甲高い金属音が鳴って――僕の模造剣が、相手の鎧を銅薙ぎに叩き付けた。
「そこまで! この試合、ユージーン・フェアファンクスの勝利とする!」
試験官の笛が鳴って、模擬戦は終了となった。
地面に両手と尻もちをついている相手へと手を伸ばす。
本来の僕の獲物だったら4本は取れていたかな、なんて思いながら、僕は剣術試験の第二試合を終えたのだった。
Episode6.試験と因縁
ただ今、候補生学校は中間試験の真っ最中だ。昨日は筆記の試験。そして二日目の今日は模擬戦による剣術の試験。明日には魔術・魔法の試験が控えている。
模擬戦は全部で3回。そのうち勝敗はもちろんのこと、剣の扱いや身のこなし、攻防のやり取りなど十の項目で採点されている。
たった今二戦目を終え、自分の最後の試合まではまだ少し時間があった。
休憩時間は、体を休めながら、他の模擬戦の様子を見学してもよい。
用意された水筒をひとつ手に取り、面白い対戦はないものかと試験会場を見渡して物色しているところだった。
「ユージーン!」
振り返ると、パトリシアが手を振っていた。
「お疲れさま! どう? 成績のほどは」
彼女も二試合目を終えて休憩時間のようだ。
「おかげさまで。二戦二勝だよ」
「どーりで、涼しい顔してるわけだ。次の模擬戦も自信アリ?」
「うん。そりゃもちろん。いつだって、やるからには勝つ気でいくさ」
当たり前のことを言ったつもりが、パティにはきょとんとした表情をされてしまった。
「意外。ユージーンって、温厚な兄貴分ってイメージだったから……ちゃんと負けず嫌いだったんだね」
「……ふ、はははは!」
つい、笑ってしまった。
確かに、そういう自覚はあった。
けどそれは相対的に、だ。
周りの見えない無鉄砲がいつも隣にいたら、きっと誰だって温厚で面倒見が良くなるに違いない。
「それはありがたいけど、過大評価だね。僕は剣も魔法も平凡だけど……それでも、男の子ですから」
笑ってみせる。
にこやかな笑顔は、それこそ、セウロのしかめっ面の緩衝材だと思う。
僕だって、好戦的な顔ができないわけじゃないんだ。
「勝負事には、少しくらいムキになってもいいでしょう?」
別に、セウロの腰巾着でここまでついてきたわけじゃない。
剣を握ったきっかけはセウロだったかもしれないけど、セウロと一緒に稽古を続けたのは僕の意思だ。
僕は僕なりに、強くなりたくて、守るもののために戦いたくて、ここにいる。
だから、試験であろうと戦いに負けるなんていうのは、真っ平御免だ。
真剣に、勝つつもりで取り組む。
「ふふふ。いいね、男の子って」
パティは楽しそうにほほ笑んだ。
……そういえば、僕が熱くなっている理由は、それだけじゃない。
「そうそう……それにさ、次の対戦は、僕の因縁の相手なんだ」
「因縁……?」
パティの疑問には、敢えて語らず、ほほ笑みで返事をした。
「ところで、パティのほうは? 模擬戦どうだった?」
話題を逸らそうと質問すると、途端に表情が曇った。
どうやら、結果は芳しくなかったようだ。
「んー、全然ダメ。ユージーンと真逆の二戦二敗よ」
ふてくされたように僕から水筒をさりげなく奪ってあおった。
「そっかぁ……剣術の練習、悪くない仕上がりだったと思ってたけど」
彼女はそのまま、やけくそのように水筒を一気に飲み干してしまった。
「ふはぁ。ん、そうそう! せっかく魔術を見る代わりに、ユージーンに剣の方手伝ってもらったのに!」
戻ってきた水筒は空っぽ。
「男女混合だからね。力負けするのは仕方ない……パティ先生なら明日の魔術・魔法試験できっとチャンスがあるさ」
水筒をのぞかせるように見せて肩をすくめると、パティは指を立てて短い詠唱を口ずさんだ。
Kether-gml-Tiphereth。水の魔術詠唱だ。
指先に集まった水の塊が、空の水筒へと飛び込む。
パティはどちらかと言うと魔術・魔法寄りの戦いが得意だ。そして僕はどちらも平凡。強いて言うなら剣の心得は以前からあった。そこでギブアンドテイクということで、お互い不得意な部分を補いつつ、ここ1週間ほど一緒に試験対策をしていたのだった。
たまにバジルが混ざってこようとしたり、その様子をカチュアが茂みからにらんできたりと、集中できない時間はあったものの……パティの剣筋は十分成長したと思う。少なくとも、女子相手なら一勝はできる程度には。
「……慰めてくれてるみたいだけど、残念。1試合目の相手は女の子でした」
なんと。
出来立ての水を飲みながら、目を見開いた。
ふと、脳裏を過ったのはあのとき茂みから覗いていた鋭くかつなんだか怒ってるっぽい視線……。
「それは失礼……ねえ、もしかしてその相手って……カチュア?」
「正解」
なるほど。
「彼女なら納得だよ。正直、カチュアが相手だったら僕も勝てないかもしれない」
入学式の日の騒動を思い出す。
今更な嫌味をつらつらと続けるバジルとそれに耐えられなくなったセウロ。ついに冗談じゃすまない喧嘩を始めてしまった二人。僕はセウロを逃がすために割って入ったけど、さらにそこに割って入ってきたのがカチュアだった。
鋭く、迷いのない剣。
あのときは直ぐに教官が駆けつけてきたから、決着はつかなかったけれど……僕らの実力は互角だった。
入学直後、まだ伸びしろのあった彼女で僕と互角だ。
剣を半ば諦めている僕が今やったら、本当にどうなるかわからない。
「うーん、それにしてもすごかったなぁ……不自然なくらいに……」
「ん? どうしたの?」
パティが首をひねっている。何やら納得のいかないご様子だ。
「いや、カチュアさん。私と戦うとき、普段と違ってすっごい剣幕でさ。あの子、私相手ならあんなに必死にやらなくても、らくーに勝てたと思うんだよね。なのに斬り合いがさ、それはもう徹底的で息をつく暇も無いほど激しくて」
再び、脳裏を過るのは授業中遠くからパティと彼女に話しかけるバジルを覗く鋭くもなんだか怒ってるっぽい視線。
「ははは、まるで君に何か恨みでもあるみたいだねぇ」
ごめんよパティ。この問題は僕が口出ししてもうまく解決するとは思えない。
人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んでしまえ。と言うがこの場合、誰に手を貸してもどっかの馬に蹴られる算段になる。掛け値なしに底なしの泥沼だ。
本人が一番大変だろうけども、ここは自力でどうしかしてくれ。
「うそ!? なんだろう、なにかしちゃったかなぁ……数少ない女の子同士、仲良くしたいのにな……」
「そうだねぇ……三角関係って、ややこしいよねぇ……」
「ん? ちょっと、話そらさないでよ!」
一人で納得してうなずく。
パティは何やら文句ありげだけれど、これ以上は勘弁してもらいたい。
彼女の視線から逃れるように、顔を背けたところだった。
渦中の二人が目に入ったのは。
「カチュア。模擬戦の相手は無作為に選ばれる。そして相手と直接戦いながら、成績を測る大切な試験だ。いいか、ボクは今から戦う相手がお前であろうと、一切手加減はしないぞ。お前もそのつもりでくるんだ」
「はいバジル様。胸をお借りする気持ちで、僭越ながら対戦相手を務めさせていただきます」
休憩所から出てきたバジルとカチュアが、試験官が待つ模擬戦の枠内へと歩いていく。
眉間に皺をよせたバジル。
いつも通り、いや……僕らが近くにいるときよりも、気が緩んでいるカチュア。
二人の温度差が、嫌でも感じられた。
「えっ……あの2人って……!」
「どうやら、3戦目の組み合わせのひとつは、バジルとカチュアみたいだね」
僕らにとっては同期のどんな実力者よりも注目の対戦カードだ。
パティと顔を見合わせてうなずく。
僕らは2人の模擬戦がよく見える位置へ移動した。
「では、これより模擬戦第三戦Aを開始する。バジル・グレーバー、カチュア・リラート、用意!」
柄を握りしめ、ゆっくりと鞘から模造剣を取りだす2人。
沈黙。
相手を見つめるだけの時間が流れる。
怒りの混じらないバジルの真剣な眼差しというのは、見ていて少し不思議な気持ちだ。
直後、お互いに下半身へ力が籠ったのがわかった。
試合開始の、笛が鳴った。
踏み込み。
模造剣が響きあう。
初動は、全く同じ袈裟切りのぶつかり合いだった。
興味深い一戦だ。
彼らは僕にとって嫌でも目に付く存在。候補生学校では特に、彼らの成績を少なからず気にしていた。敵対意識と呼べるほど大層なものじゃなかったけれど、自分と彼らの実力を比べるうちに、僕は気付いたことがある。
それは、元主従関係である彼ら二人の実力差がそれに反して――
――再び金属音。弾けた鍔迫り合いと2人の距離。
戦況は止まらない。
バジルが再び素早く距離を詰めながら、剣を振り下ろす。
速度のある一撃。
避けるのは困難だと判断したのか、カチュアは剣を寝かせて受ける。
コン、と。
気の抜けた音がした。
フェイクだ。
バジルの片手は剣。そしてもう片方は地面について、低い軌道の蹴りがカチュアの足を狙う。
だが、ワンテンポ遅い。
カチュアは軽い身のこなしで下半身を縮める様に跳び、足元の払いは空を切る。
攻防一転。
弓の弦を引き絞るような溜め。
跳躍最高到達点での静止。
時が止まったかのような一瞬。
直後。
空中のカチュアから矢のような突きが繰り出される。
捉えた。
と、思った次の瞬間に、バジルの体が不自然にスライドした。
絡繰りは彼の姿勢。
体を支えていた片腕を地面から離し、重力が彼を救った。
切っ先は紙一重のところで、頬すれすれを通り過ぎる。
回避の直後、バランスを崩したバジルはうまく地面を転がって追撃を避け、同時に距離をとった。
一太刀入っていてもおかしくないやり取りだった。
「あっれー……おかしいなぁ? 私てっきり、バジルくんはユージーンの3戦目の相手かと思ってたよ」
観戦の途中。
拮抗する剣戟に目を向けたまま、パティがおもむろに話しかけてきた。
口元に手をあてて不思議そうにしている。
「え? どうしてだい?」
「だってユージーンさっき、次の模擬戦は因縁の相手って言った」
「ああー、なるほど。うん、バジルも確かに因縁には違いないね」
彼女はなにやら不安そうな表情だ。
心当たりは一つしかない。
元四大貴族の一角だったスペード家。その協力関係にあった商家のフェアファンクス家。
そして、元協力関係にあった、商家グレーバー家。
この3家を巻き込んだ因縁は、確かにある。
パティは無関係でいるにも関わらず、セウロや僕、そしてバジルやカチュアと親しい間柄になってしまった。
嫌でも、僕らのいがみ合いに気付いているだろう。
気の毒に。
彼女は、気まずそうにこちらへ目を向けた。
「……大丈夫だよ」
その因縁は、もう掘り起こしたって仕方のないことだと、僕は思う。
セウロだって自分自身の過去と、うまいこと決別して、今は前を向いているみたいだし。
僕は元々そこまで気にしていない。
バジルにとっては幸か不幸か、パティへ声をかけるようになってからは、僕らに噛みついてくることも減った。もしくは素直に謹慎が効いたのか。
ともかく現在の僕らには、候補生学校で今しか体験できないようなことが溢れていて、それに押し出されるように傷跡が過去として流れてゆこうとしている。だというのに、またそれを因縁だと言って持ち出すことは、したくない。
忘れないことと、執着することは別物だ。
特に、ここで親しくなったパティには、言う必要のない因縁だと思う。
――誰かが、悪いように吹聴しなければいいんだけど。
今のバジルの様子なら大丈夫だと信じたい。
「ま、その話は置いておいてさ。せっかく知り合いの試合だし、じっくり観戦しようか」
作った笑顔は、今度は温厚なものだった。
パティは少しだけ、納得できないという顔をしたけど、すぐに諦めたようにため息をついた。
「そーだね。まだ自分の試合も残ってることだし、後学のためにも!」
うんうんとうなずいて、前を向いた。
模擬戦は、決着も間近という様相を呈していた。
2人とも息が上がっている。
特に辛そうに見えるのは、カチュアだ。
それは剣を交えるたびに顕著になっていく。
こうしてよく見てみると、バジルは剣の扱いが巧い。細やかな技術というよりは、もっとも基礎の基礎、一振りに体重を乗せるという所作が徹底されていた。
剣を振るたびに、お互いに全身の力を乗せている。
けれど、体重差で劣るカチュアは、剣を受け止めた直後に再び地面を踏みしめて、剣を両腕で押し返して、ようやく対等だ。
試合時間が長引くほどに、それは見えないダメージとなって蓄積されていく。
ねちねちと粘着質なまでにしつこいのは、実に彼らしい。
だがこの基礎に忠実な性格だからこそ、さっきのようなフェイントが活きてくる。
ひと振りが重いと、そう思わされた時点で、もう嵌っているんだ。
再び、大振りがカチュアを襲う。
すでにカチュアの体は、反射的に剣を全身全霊で受け止める用意ができてしまっていた。
今度は横薙ぎの一撃だが、仕組みは全く同じ。
見せかけの模造剣は、軽い音を立ててぶつかる。
その音を聞いてカチュアが、「しまった」と言わんばかりに視線を落とす。
が、もう遅い。
低い軌道からの蹴りが、綺麗にカチュアの足元をさらった。
ふわりと。
空中に浮いた彼女の胸ぐらを、バジルの腕が掴む。
そして、容赦なく地面へと叩き付けた。
押し潰された肺から、中の空気が口を伝ってあふれ出る。
衝撃と呼吸困難に目を閉じたカチュアを、さらに模造剣が襲って――
「まいり、ました……ッ!」
――その切っ先が、顔の真横の地面に突き刺さった。
「そこまで! この試合、バジル・グレーバーの勝利とする!」
模擬戦終了の笛が鳴った。
「お見事!!」
隣でパティが拍手する。
確かに見事な手腕だ。きっとバシルの実力は、候補生の中でも平均以上の部類だと思う。
周囲から歓声や評価の声が雑多に響く。
けれど、僕はそれどころじゃない。
二人の様子から目が離せない。
地に仰向けで倒れたまま、息を荒げるカチュア。
それを真剣な眼差しで、見下ろしたまま動かないバジル。
せっかくのパティの拍手も耳に入っていないようで、その顔には、複雑な感情が見えた気がした。
「バジル様、流石です……私などでは、手も足も出ませんでした」
上体を起こして、息を整えるカチュア。
バジルが、唇を強く噛むのが見えた。
彼は次に何かを言いかけたけれど、それを、すんでのところで押しとどめた様だった。
手を差し出すこともせずに、踵を返す。
「……ボクは、明日に備えて休む」
勝利への喜びも、健闘を称える様子も見せることない。
普段のバジルらしくもなく、彼は感情を押し殺したような表情で足早に立ち去った。
「すごかった……けど、なんだかバジルくん、あんまり嬉しそうじゃなかったね」
パティの拍手を終えた手が、行き場を失ったように胸の前で握られていた。
「そうだね……」
気の利いた言葉を探したけれど……きっと、僕がバジルの立場でも、同じようなことをしただろうから、安易に同意も否定もできない。
もしも――信頼している人物に、真剣勝負で手を抜かれていたとしたら。
あの場で、声を荒げて相手を糾弾しなかっただけ、バジルは大人だったと思う。彼は昔から、例の因縁以外では実は抜け目のない、賢明なヤツだ。
だからそう、きっととっくに気付いていたんだ。
彼我の実力差なんてものには。
試合場では一人黙々と立ち上がり、服装を整えたカチュアが、審判に礼をしてバジルの後を追っていく。
その顔も、決して明るくはなかった。
空の試合場。
もう、観るものはなくなった。
散っていく観衆の中、隣を歩き出したパティに聞こえないように、小さくつぶやいた。
「……どうやらまだ、過去から抜けられない人も残っているらしいね」
そもそもだ。
あの子の剣捌きなら、真正面から全ての体重を受けに行くようなマネをする必要は、全くない。
だから一手目で気付いた。
始めに、バジルの全力を敢えて受け止めるように、全く同じ形の袈裟斬りを繰り出した時点で、違和感しかなかった。
彼女はずっと言い訳をしていた。
全ての剣戟を受けながら、「バジル様の一撃は重くて、受け止めるのに精いっぱいです」と、自らサンドバックになることを選びながら表現していたんだ。
敵の攻撃を避けて鋭い一撃の反撃に絞る、彼女のスタイルを放り投げて。
候補生生活はまだ四半期だ。先は長い。
カチュアは、これから思い知ることになるだろう。
彼女が思っているよりも、バジルは弱くはないことを。
その行為が、彼にとって悩みの種であると同時に、最大の侮辱であるということを。
◇◇◇◇◇
「これより剣術試験、模擬戦第三戦Bを開始する! 生徒は準備をしなさい!」
「それじゃあ、最後の試合、お互い頑張ろっか!」
模擬戦に向けて気持ちを整えていたパティが、ぎこちない笑顔で言った。
「うん」
こちらも短い返事に気持ちを込める。
ただ、目の前の彼女があんまりにも緊張気味だったので、もう一声かけることにした。
「パティ、お水ごちそうさま。美味しかったよ」
まばたき三度。目をぱちくりさせた彼女は、満足気に笑って親指を立てた。
一緒に訓練した彼女が、最後にひとつ勝ちを拾えると良いなと素直に思った。
身支度を確認し、歩き出す。
それぞれの模擬戦へ向かおうとしたところで、パティが思い出したように「あ」と声をあげた。
彼女は急いでこちらへ振り向いて。
「待ってそういえば! バジルくんじゃないのなら、ユージーンの因縁の相手って一体誰……」
「おーい!! 早くしろよ、ユージーン!」
背後から、聞き慣れた声がした。
ちょうどパティに返事をする手間が省けたので、「行ってくるね」と手を振った。
踵を返す。
ここからは気を遣う必要もない。
自然と、顔に出てしまう。
「今行くよ。セウロ」
規定の位置に足をそろえて、肩幅に開く。
模造剣を差した鞘を、確かめるように握った。
「ひっさしぶりだな、こうやって真剣勝負するの!」
確かに懐かしい感覚だ。
7年前、フェアファンクス家に引き取られたセウロは、1ヶ月もの間、死んだようにふさぎ込んだあと、突然吹っ切れた。
小さい体には身に余る重い剣を、毎日気が狂ったように振っていた。
「俺のせいだ」「俺がやるんだ」「全てを失った」「全てを取り返すんだ」
そうつぶやきながら剣を振り続ける彼を、僕や両親は何度も止めた。でも、止められなかった。
豆がつぶれて血だらけの手で、剣を握るんだ。
食いしばった歯からギリギリと音が聞こえるんだ。
今にも泣きだしそうな顔して、セウロは止まらなかった。
そんな彼を、僕は、見ていられなくなって。
そして、その隣で剣を振り始めた。
そこから、セウロと僕の真剣勝負が始まった。
「そうだね。ここに来てから、誰かさんはずーっと僕をほったらかしにして、一人で稽古してるんだもの」
「いや、そりゃあその……悪かったってば」
そう、しかも僕ら家族がどれだけ説得したって聞かなかったくせに、いつの間にやら、復讐染みた眼は濯がれている。
結局、僕に“約束”とやらの話はしてくれないまま。
ずっと肌身離さず持っていた指輪を、今更はめた説明もないまま。
無我夢中に、逃げるように、自分を苛め抜くように、剣を振っていたセウロを、僕らはどうしようもなかったってのに。
あれだけ毎日稽古に付き合ってあげた僕に無断で勝手に解決したらしく、清々しいって面さげて、僕に向けて模造剣を構えてなんていやがるんだコイツは。
「いいや、許さないよ」
鞘から模造剣を抜く。
「だから、剣で決着をつけよう。いよいよもって今日こそは、キミに勝たせてもらう」
苦節7年。
自然と顔に出てしまう。
笑み。
抑えられるわけなんてない。
心の底から、ワクワクしているんだから。
「いいぜ。ユージーンには悪いけど、剣じゃあお前に負ける気はしない」
鏡写しに、楽しそうな顔が、そこにある。
そう、僕は一度だってセウロ相手に、剣と剣の真剣勝負で勝ったことがない。
7年間、一度もだ。
だからこれから始まるのは、紛れもない、僕の、超個人的な所感だけの、因縁の戦いなのだ。
抜刀。
構え。
見飽きた姿がそこにある。
――試験官が息を吸って。
模擬戦の開始を告げる笛の音が、今、向かい合う僕らの間を駆け抜けた。