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Episode4.噂



「はい、ではみなさん。先日カリキュラムの基礎を終えたので、今日はそのおさらいといきます。世界樹と魔法の関係・魔法と魔術の仕組みについて、指名するので当てられた人は回答してください」

 候補生学校に入学して3週間。座学は初歩の部分を終えた。

 内容は退屈なものだった。この程度の知識は魔法に興味がある人間であれば、常識の範囲内と言っても過言ではない。特に世界樹に関しての部分は、教養ある市民なら誰しも頭に入っているレベルだった。“実戦”には関係の薄い、退屈な時間だ。

「それでは確認の意味も込めて、授業の大半に出席できなかったバジル・グレーバー。世界樹がどういうもので、どういう仕組みなのかについて述べてもらおうかな」

 バジル様だ。教師は無礼にもバジル様を疑っているようだが、ぬかりはない。座学の板書は完璧な状態でバジル様の分を複製しておいたし、目を通したバジル様も「初歩とはいえ、この程度か」と一蹴したのだから。

 無言のまま、バジル様が立ち上がる。

「……世界樹とはこの世界の万物の源である。自然や生命は全て、マナを基に形作られる。そのマナを唯一創り出し、循環させ、世界をマナで満たしているのが世界樹セフィロトである。セフィロトの内部は10個のセフィラと22個の小径パスによって体系化することが可能。これが生命を産み出す仕組みとされ、創世機構ツリーと呼ばれている」

 小さく何度も相槌を打つ。完璧な解答だ。簡潔かつ明瞭。教科書に載せたいくらいに洗練されている文言だ。思わず頬がほころぶほどに。

「よし、欠席してた分の復習は間に合ってるみたいだな。これから置いて行かれないように。それじゃあ次の魔法の仕組みのところは同じく欠席していたセウロ・スペード」

 チッ、と舌打ちが聞こえたような気がした。

 そして直後に、セウロ・スペードのわき腹へと、隣に座っていたユージーン・フェアファンクスが笑顔のまま肘鉄を入れる。

 最も警戒するべき2人。

 私個人的に恨みはないが、彼ら――スペード家とフェアファンクス家――のやったことは、グレーバー家に、バジル様に、癒えない傷を残したのだから。

 わき腹を抑えながら立ち上がった彼は、しぶしぶといった様子で解答を始めた。

「魔法とは生命核アニマ創世機構ツリーを持つ人間が使うことのできる、言わば小規模な自然現象のことです。マナをツリーに通すことで発現します。通り道に選ぶセフィラとパスの組み合わせよって火・風・水・土・雷・無のそれぞれの属性と性質が付与されます。ツリーを持つ人間は限られており、特に10個のセフィラと22個の小径パスを完全な形で持っている人間は歴史上にも数えれらるほどしかいません。これらを扱う力を持った人を、魔法使いと言い…………」




  Episode4.噂




 突然、授業の内容が全く持って耳に入ってこなくなった。

 理由は簡単。

 先ほど解答を終え席に着いたバジル様が、黒板ではなく一人の女子生徒の方を向いているからだ。

 パトリシア・シャントルイユ。

 愛称はパティ。

 どこからどう見ても、目を奪われている。


 時が止まったような感覚。

 息をすることも忘れる。

 そして気づくのだ。

 今自分の中に、何か得体の知れない感情が渦巻いていることを。

 その“何か”に、心を支配されかねないところまで追いつめられていることを。


 こんなにも心が荒れているのは、人生で初めての経験かもしれない。

 スペード家の非情な裏切りによってグレーバー家が廃業寸前に追い込まれた時でさえ、こんなにも心が乱れたことはなかった。

 ……いや……違う、一度だけあったかもしれない。

 このままでは、バジル様と離れ離れになってしまうと、そう思った時だ。

 本当に廃業してしまったら、自分はここにはいられない。いさせてもらえない。

 これまでずっとグレーバー家の人たちのために尽くしてきた。

 我が子のように愛してくれた旦那様と奥様を敬愛した。

 兄弟のように接してくれた、お二人のご子息と過ごす時間は幸せだった。

 そしていつも、身を挺して使用人なんかの自分を庇ってくれたバジル様に、心を奪われていた。

 劇的なドラマなんてものはない。

 だけれど、あの日々は本物だった。優しさに、私は満たされていた。

 バジル様の普段の素振りだけを見て、彼に仕える私に同情をした人がいた。けれどもそれは大きな間違いだ。

 例えばある日。荷物持ちとして同伴した買い物の帰り、私は大きな紙袋をおぼつか無い足取りで抱えていた。隣を歩くバジル様がちらりとこちらを盗み見るたび、ご迷惑をかけてはいけない! と必死に取り繕ったのを覚えている。ふと、隣から手が伸びた。それは紙袋の一番上で今にも転がり落ちそうなリンゴをつかみ取って、バジル様は興味なさそうな顔で一口かじったのだ。

 「マズイ」「今年は豊作とはいかなかったようだな」「あの店の質も落ちたものだ」「カチュア、代わりに食べろ」「ん……? 受け取れないのか」「いい、荷物をよこせ。お前の仕事はこっちだ」

 私には一言も許さない勢いで、荷物を即座に奪い取ったバジル様。

 私は、どう考えても一級品で蜜のしたたるリンゴを恐れ多くも美味しく美味しくかじらせていただきながら、照れ隠しにそっぽを向くバジル様の横顔を見入っていた。

 途轍もないほどに不器用。

 でもだからこそ、満たされる。

 嘘偽りのない優しさだと信じられる。

 

 きっと他の人にはわかりっこない。

 とっくに自分たち家族の食事さえままならないというのに、「お前がいると僕の食べる分が減るから、この家から出ていけ」と、涙を堪えながら心を鬼にして私を追いだそうとするバジル様の良いところなんてものは、きっと他の人にはわかりっこない。

 途轍もなく不器用だけれど、それ以上に、優しい心の持ち主なのだ。

 他の誰も知らないけれど、私だけは知っているのだ。

 だから、ついていくと決めた。

 私だけはこの誰よりも優しい人を、傍で支えようと決めたのだ。

 

 それが……廊下でたまたまぶつかっただけの女にバジル様の心を奪われてしまうなど、考えられるだろうか。

 あの女は新手のスリか何かだろうか。

 心を奪う凄腕のコソ泥なのだろうか。


 恋敵だなんてつもりはない。

 私はバジル様と一緒になれる身分ではない。

 商家とその使用人の関係だ。元より、家族のように扱ってもらうことすらおこがましいことだ。

 傍に身を置けるだけでも僥倖。身に余る幸せというところ。



 だが……だというのに……この心の荒れ模様はなんなのだろう……。



「――あ! そうそう思い出した! 二十二個目の小径パス! 『タヴ』だ!」

 思考を吹き飛ばすように、セウロ・スペードの声が教室中に響いた。

「はい……よくできました。次からは躓かずに10のセフィラと22のパスを暗唱できるようにしておきましょう」

 当たり前すぎることを教師が言う。

「魔術を使うためにもそうですが、相手が魔術を使うとき、予備動作とも言える詠唱や所作から、その魔術を事前に察知し、対処することも可能です。全ては同じルール上に成り立っているのですから、何事も基礎からですよ」

 魔法、魔術の類が使えないセウロに対して、教官なりの配慮だったのかもしれない。

 だが、いくら使えないとは言え、この程度の常識にも言いよどむなんて目も当てられない。

 警戒しているこちらが馬鹿らしくなってくる。


『――ね、さっきのって例のスペード家の……だよね? 謹慎中だろうに、宮殿の方へ何の用だろう』


 数日前に、噂を耳に挟んだ。

 謹慎中のはずのセウロ・スペードの姿を見たという噂が、それも複数。

 この件に関しては、謹慎期間の違いに加えて、必要以上にバジル様を焚きつかせてしまうかもしれなかったので、報告は控えておいた。

 何より、そんな不確かな噂ごときで、バジル様を一喜一憂させるなんてありえない。

 伝えるのならば、確固たる証拠、もしくは事実を掴まなければ。

 もちろん自分なりに調査をしてみたが、どうやら信憑性は高い。それに謹慎が解けたあと、ここ数日の放課後もどこかへと姿を消している。

 候補生は許可なくこの学校の敷地から出ることは許されない。特に、先日のひと悶着で候補生が宮殿へ迷い込んだことから、境界線は殊更に警戒されている。

 だが彼は、確実に敷地外へと赴いている。

 わかっているのはそこまで。

 私がいまいち詳細な調査ができていないのは、内容が内容だからだ。不用意に彼を追って敷地外へ出たことで、自分までもが処罰を受けるのは避けたい。謹慎にでもなって、バジル様のお側についていられないなど以ての外だ。


「では少し応用問題。火属性の魔法・魔術を発動させる代表的な創生機構のパスを三つ、答えてもらいましょう。ではカチュア・リラートさん」

「活動のpheフェー、不動のdaletダレット、変化のchaphカフです」

「せ、正解……即答ね……」


 ものの数秒で席に着く。

 ちらり、と再びバジル様を盗み見たが……こちらに、目を向けてくれることはない。視線は忌々しいあの女に釘づけだ。

 教官は私の回答に目を見張っていたがそんなことはどうでもいい。

 ついでにセウロとユージーンの二人を観察するが、「さっきの、セウロわかった?」「ひとつ目を思いつく前に三つ言われた」などと気の抜けた会話をしている。

 

 あはは、と朗らかに笑うユージーンが、こちらを向いた(・・・・・・・)。

 

 突然のことで、眼を逸らす暇もなかった。

 こちらに一瞬だけ突き刺すような眼光を飛ばした彼は、笑顔を崩す瞬間に不敵な笑みで、ウィンクして黒板へと向き直った。

 今のは、威嚇だ。

 蛇に睨まれたカエルを連想する。

 直後に、敗北感に襲われた。

 さらに最後に、悔しさがこみ上げてくる。

 ユージーン・フェアファンクスは鋭い男だ。

 入学式の一騎打ち。バジル様とセウロの代理戦。

 あのとき、互いに決着をつけるつもりはなかったものの、剣を合わせた感触は本物だった。

 勝負勘に冴えた男。力技で押し切れない技術や場数の差が見え隠れしていた。

 その実力は、悔しいが自分を上回るかもしれない。


「それでは最後に、次回の範囲を伝えて授業を終えようかな。次からは『魔法・魔術を用いた戦闘の基礎』という分野に入っていくよ。さて……少しだけ時間があるから、予習が十分そうな人に一問だけ答えてもらおうかな?」

 教官が教本をめくる。

 慌てて、自分もページを追った。

 まだ習っていない内容を指名するとは、中々意地の悪い教官だ。流石にこれから先の分野は常識とは言えない。軍としての一面を持つ魔術師団ならではの知識になる。

「魔法・魔術戦闘の父と名高い、十二使徒アンドレイ・S・エイヘンバウムによる“魔術戦闘教義マギカ・ドクトリン”について。名前を呼ばれた人は7項あるうちのどれでもいいから、ひとつ暗唱して、解説してもらおうかな」

 それじゃあ、と教官が名指ししたのは、ちょうど私が今一番警戒していた男だった。

 セウロが同情に近い顔で、隣の男の背中を叩いたが、返ってきたのは涼しい表情だった。

 ユージーンは落ち着いた様子で起立した。

「では、教義其の四『行動部隊を最小化せよ 一網打尽を避けるべし』について。

 これは現代の戦闘陣形に関する教義です。大規模な魔術の一撃にはこの兵舎をも丸ごと吹き飛ばす威力があります。密集陣形なんて、的にしかなりません。それは旧態依然の戦闘隊形だった国が尽く滅んだことから裏付けられています。一般兵の消滅、火力の向上と共に部隊はどんどん細分化されて、昨今王国魔術師団では五人一組の“隊伍”が最小かつ最良の編成と言われています」

 何食わぬ顔で、彼は説明を終えて着席した。

 なんともいけ好かない男だ。

 教官が納得した表情でひとり拍手を送り、みんなも来週にはこれくらい説明できるように予習しておこうねと呼びかけている。その隙を見てセウロが肘をユージーンのわき腹に食い込ませた。

 身をよじる優等生。

 いいぞ、もっとやれセウロ・スペード。

 ……ついエールを送ってしまった。私にとってはどちらも敵である。

 その後教官が予習の範囲を示し、取るに足らない注意をしたところで、ちょうど時計の針が進んだ。



 鐘が鳴る。



 授業は終わりだ。

 席を立つ候補生たち。その中で、私は並んで座る仇敵二人を見つめていた。

 謹慎中にも関わらず、目撃情報のあったセウロ・スペード。

 その例の噂にユージーン・フェアファンクスの名はなかった。

 ――これは、もしやチャンスなのではないだろうか?

 二人でいるときならまだしも、セウロ・スペードの謎の噂は、どうやら彼の単独行動らしい。

 鋭いユージーンが不在で、セウロ一人であるなら、彼の行動を気付かれずに監視することは容易い。

 そもそもアニマが貧弱で、マナ探知ができるわけもない彼一人なら、楽な仕事だ。

 敵の情報は、多いにこしたことはない。

 さらに、規則にも触れる内容の証拠を掴めたら、相手の失脚にもつながる。

 決断した。

 今日動く。セウロを尾行し、噂の真実を自分の目で確かめる。

 リスクは承知だが、勝算は高い。

 何があろうと、自分はバジル様に恩義がある。

 仕えると決めたんだ。

 バジル様のためになることなら、迷うことはない。


 ふいに、視線を動かした。

 そこにあったのは、パトリシアに意気揚々とお声掛けするバジル様の姿。



 痛みなど無い。けれど無意識に、胸をおさえた。

 ……この調査は、バジル様がパトリシア嬢に四六時中かかりきりで、全然構って貰えなくて、そんな胸を締め付けるような辛い事実から目を背けるために何でもいいから別の何かに専心しようというとか、セウロ失脚のネタを掴んでくればきっとバジル様も私を褒めてくれるに違いないとか、そんな不純な動機ではない。



 断じてないのだ。






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