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Episode3.出逢い



 まったくもって、不愉快極まりない。

 ボクの心は怒りに支配されていた。

 怒りだ。この上ない怒り。

 セウロ・スペード。アイツが関わると、いつもボクの心はこんな風に苛立つことになる。

 ――遠い記憶を想起した。

 7年の歳月を経たとしても、やはりボクの気持ちが薄れることはなかったのだ。

 だって、ボクらグレーバー家の受けた仕打ちは心身に刻まれたモノ。

 決して忘れることの出来ないコトなのだから。




 Episode3.出逢い




「カチュア! どうしてセウロ・スペードの謹慎がボクよりも1週間も短いことを黙っていたんだ!!」

 候補生学校に来たのは実に2週間ぶり。入学式以来のことだ。

 食堂で起こしたセウロ・スペードとのひと悶着。食堂から逃げたセウロを追ったボクは、結果として彼を捕まえることは出来ず、王宮の近衛兵に捕縛された。

「申し訳ありません、バジル様」

 カチュアは深く頭を下げる。

 往来のある廊下だが、お互いの言動を気に留めることはなかった。

 彼との決着がつかなかったことも腹立たしいが、それよりも頭に来るのは、2人とも停学による謹慎処分を食らったというのに、その期間はボクの方が長かったということだ。そして、毎日登校していたはずのカチュアはその事実を黙秘していた。

「お前に謝罪など求めていない! 問題は謹慎処分における差異そのものだ。いいかカチュア、これは王国魔術師団の真価が問われる問題とも言える。自国内、兵士同士の争いはいけない。そんなことは百も承知だ。喧嘩両成敗ならば納得とはいかずとも了承できたものを……よりにもよって、ボクの方が処分が重いとは何たることだ! 魔術師団が聞いて呆れる! 先に手を出したのはあっちの方だっただろう!?」

 声を荒げる。

 まったく不愉快だ。廊下を通りすがった人の避けるような反応も一々癇に障る。

 この候補生学校は魔術師団の管轄だ。とするならばもはや師団に落ち度があると言わざるを得ない。もしやまだ四大貴族の威光でも差しているというのか。

 この先自分がこの学校に鍛えられ、選別され、着任する未来に一抹の不安さえ覚える。

「誠に僭越ながら、この件に関しては私が自らの判断で報告を控えていました」

「なに……? いいだろう、その理由を聞こうか」

 思わずカチュアをにらみつける。

「バジル様はこの処分に異議を申し立てると予想されましたから」

「もちろんだとも! こんなことがまかり通ってもらっては困る! 何なら今から師団総帥に文句を言いに行ったっていいくらいだ」

「だからです」

 カチュアの目はいつにも増して真剣だった。

「私はバジル様の意思を尊重します。そして同時に私はバシル様のために身を尽くします。そこでバジル様のためには、こんなところでこれ以上立場を悪くすべきではない、という考えに至ったのです」

 その剣幕に思わずたじろぐ。

 この少女は、いつもそうだった。

 カチュア・リラート。

 商家であるグレーバー家に奉公として出された、ボクと同じ歳の少女。

 カチュアは要領が良く働き者で、不愛想だけれども女の子に恵まれなかったうちの家では大層可愛がられた。まるで本当の家族同然で、家を継ぐ兄とボクにとっては妹のような存在。

 ……つまり、ボクにとっては守るべきかけがえのない存在だ。

 彼女はボクの意思を尊重するとも言ってのけた。

 つまり、ボクのためにボクを説得しようというのだ。

 このように彼女はグレーバー家のことになると、時に当人であるボクらよりも苛烈だ。

「くっ……仕方ない。納得などしたくもないのだが……カチュア、お前に免じて今回のところは引き下がるとしよう」

 遺憾ではあったが渋々そう言うと、カチュアは少しだけ、ほんの少しだけ、顔を綻ばせた。

「ありがとうございます。バジル様のお役に立てたのならば、何よりでございます」

 ここまで自分の身を案じてくれる者がいて、その期待を無下にするというのは出来ない話だ。

 カチュアにはこれまでたくさん迷惑をかけてきたと思う。

 だからこそ、ボクはカチュアには失望されたくはない。

 怒りに支配されていた心は、彼女のおかげで幾分か落ち着いた。


 だが、ここで改めて別の問題について認識する。

「……なあ、カチュア」

「はい。何で御座いますか、バジル様」

 この娘は、縛られ過ぎているのだ。

「いいか、15歳になったボクとお前は、もう奉公先の息子と奉公人という関係じゃないんだ」

 カチュアは、本当によく働いた。

 あの忌まわしきスペード家のせいで、グレーバー家が廃業寸前に追い込まれた時だって、この娘は本当にグレーバー家のために尽くしてくれた。

 あの時のことを思い出すと、やはりスペード家の者を許せないという気持ちになる。

 創生機構ツリーの理を顕わにし、魔術体系を一般化させた四大貴族の嫡男であるセウロが、魔法・魔術の才能が一切無いなんて皮肉めいた境遇であることも、その後スペード家が没落したことも、相応しい天罰だと思ってしまう。

 グレーバー家はそれほどに酷い有様だったのだ。


 幼いボクは、ただただ歯痒かった。

 雇っていた使用人が一人、また一人と消えていく中で、最後に1人ですっかり広くなった屋敷を隅から隅まで掃除していたのは、まだ年端もいかないカチュアだった。

 満足な見返りも期待できないというのに、彼女は自分の食い扶持まで別に見つけて、更には家にお金を入れる始末。

 きっと、カチュアがグレーバー家に残ってくれなかったとしたら、うちは本当に廃業して、一家離散。箱入り息子だったボクら兄弟なんて首都アーゼルの路頭で行き倒れていたことだろう。

 一番小さなカチュアが、一番にグレーバー家を愛していたのだ。

 だからボクら家族は折れなかった。

 諦めずに商売を続けた。

 仕事を成り立たなくさせていた証拠の無い噂は、いつの間にか立ち消えていた。

 父や母が努力する姿を、きっと誰かが見ていてくれたんだろう。

 今では、没落したスペード家に引きずられる形で力を落としたフェアファンクス家を抜いて、アーゼルで5本の指に入るほど成功した商家になった。

 ここまでは大まかに美談だ。

 ここからは細かい部分の問題。

 彼女は身分という鎖に縛られているせいで、いつもボクらに奉公することが使命だと思っている節がある。

 でももう、それも終わったのだ。

 彼女が15歳になる今年の頭に、「そろそろ自分の人生を歩みなさい」と暇を出された。

 だからもう、カチュアはボクらとは上下のない関係になる……はずだった。

「……何を言っているのですか、バジル様?」

 きょとん、とした顔でカチュアが首をかしげる

 本当にわかっていない様子だった。

「だからだな、お前がボクと一緒に候補生学校へ来てくれたことは素直に嬉しい。だが、ボクらはここでは対等な候補生同士だ。候補生の目的は兵士としての力を高め、魔術師団に配属されることだ。互いに切磋琢磨するならまだしも、ボクに仕えるようなマネはしなくていいんだぞ」

 これ以上、ボクらグレーバー家が彼女の人生を奪うことは許されない。

 身分なんてものを超えた恩義がある。

 カチュアには、そろそろ自分の幸せとか、自分のための人生ってものを考え始めてもらわなきゃならないんだ。

「バジル様」

 厳しい声で、ボクの名を呼んだ。

 その目は、一点にボクを見つめている。

「貴方の考えていることは、私にはよくわかりません。ですが、バジル様が私のことを考えてくださるように、私もバジル様のことをお慕……いえっ、その……想っているのです」

 珍しく、カチュアの言葉に熱がこもった様な気がした。

 しかし直ぐにいつもの不愛想な彼女に戻る。勘違いだったか?

「私は、バジル様の優しさにいつも触れてきました。10年近くお供させていただいた私にはわかります。バジル様の持つ怒りは、いつだって優しさの裏返しでしたから」

 突然のことで、思考が固まった。

「な、何を素っ頓狂なことを言っているカチュア……!!」

「だから、私は私の意思でバジル様に付き従っているのです。私の敬愛の念は、バジル様を想う気持ちは、たとえバジル様であろうと、止めることは出来ません」

 しばらく、言葉が出なかった。

 2人の間を時間がゆっくりと30秒は流れただろう。

「……勝手にしろ、カチュア」

 たったそれだけの短い言葉を、ようやく絞り出すことができた。

「ええ、勝手にさせていただきます」

 ボクがこれだけ葛藤しているというのに、カチュアはちょっとだけ満足そうな顔でそう告げるのだった。

 それを、嬉しくないと言えば嘘だ。

 これ以上甘えてはいけないという自立心と、カチュアが傍にいてくれる安心感が交互に波打つように心を襲う。

 ただ、口を突いて出るのは素直じゃない言葉ばかりだ。

「いいか、カチュア。お前がボクのことをどう思おうが勝手だが、現実と理想が違ってもボクに文句は言わないでくれよ」

 反抗したい気にかられる。

「問題ありません。私がバジル様のことを見紛うことなどありえません」

 カチュアにしては珍しくよく喋る。しかも乗せれらている気がして、更にヒートアップしてしまう。

「だ、だいたいこの前の一件のことだってある。処分を食らったボクと一緒にいるとお前まで評価が落ちるぞ! これからだって、ボクはあいつ等に対して怒りを収めることは未来永劫出来そうにな――」

 まくし立てるように言いつけていた、その最中。



「おいユージーン。早くしろよ、食堂混むだろ」

「はいはい。ああ、そうだ食堂と言えば、バジルの停学解けるの今日じゃなかった?」

「あー……別に、興味ない」



 少し先の廊下の角から、姿を現した二人組がいた。

「――興味が無い、だと?」

 ふと、沸き上がった憤怒が言葉になってこぼれる。

 気づいたときには一歩踏み出していた。

 背中からカチュアの声が聞こえたが、ボクの頭は怒りと、苦い記憶で溢れかえっていた。

 ボクらを苦しめたのはアイツの血族だ。

 父が、母が、兄が――そして、カチュアが涙を流したのは、アイツらのせいだ。

 ついさっき思い出していたせいで、余計に怒りが募る。

 ついでに入学式の日の借りもある。

 呼び止めて、胸ぐらを掴んで、今度こそは決着をつけなければ気が済まない。

 大股で進む。

 視界には2人の――セウロとユージーンの――背中しか見えない。

 もうすぐ手が届く。

 間合いに入る。

 一気に走り出そう。

 そう、全身に力を込めた瞬間だった。



 廊下の影から飛び出してきた人影に気付いたのは。



「セウロ、ユージーン、私もごはん――」

 時すでに遅し。

 ボクの体は駆け出しており、誰かの背中にぶつかって倒れこんだ。

 どしゃあ、と石畳の廊下に2人分の衝突音が響く。

「いったたた……びっくりしたー」

 相手は辛うじて咄嗟に受け身を取ったらしい。

 体を預ける形になったボクも、ほとんど痛みはなかった。

 だが、ボクの頭には血が上っている。

 つい寸前まで怒りに支配されていたのだから、そんなに簡単に気が変わるということもない。

 視界を狭くしていたボクの過失だったというのは明らかだ。

 だというのに、突いて出ようとした言葉はまだ、怒りに支配されたままで――


「えっと、大丈夫ですか?」


 目の前に、女の子の顔があった。

 その距離は、まさに目と鼻の先。

 その体制は、仰向けの彼女に、覆いかぶさるようなボク。

 ボクの右手は反射的に何かを掴もうとしたようで、彼女の左肩をしっかりとつかんでいた。

 その柔らかい感触に、今頃気づいた。

 左手を置いた石畳が殊更に強調するように、女の子というものは、柔らかく、自分よりも遥に華奢で、突然それが頭から離れなくなった。


「あの、大丈夫かな……もしかして、どこか打ったりした?」


 今まで経験したことのないほどの近距離にいる女の子が、おーい、なんて言って手を振ってみせた。

「あ、ああ……」なんて生返事をしながら、ゆっくり体を起こした。

 その肩から、手を離すことが名残惜しいなんてことすら脳裏に過った。

 立ち上がった女の子は、制服の埃を払い落として、座り込んだままのこちらに手を差し伸べる。

「ごめんなさい、あたしの不注意で……ケガ、してない?」

 真昼の太陽が照らす彼女は、異常なまでに輝いて見えた。

 どうにもうまく口が動かなくて、出来の悪い人形のようにぎこちなく首を縦に振ることしか出来ない。

 恐る恐る伸ばした手が触れたものは、やはり驚くほどに柔らかくて、この世のものではないような気すらした。

「うん、良かった」

 立ち上がると、彼女は笑顔を見せ、安堵したようにそうつぶやいた。

 その後は二、三言会話をしたらしいが、まったくもって内容は頭に入ってこなかった。

 彼女は別れを告げ、そのまま行ってしまった。

 ボクはついぞ、彼女の背中が小さくなっていくのを、一歩も動けずに目で追っていた。

「バジル様! お怪我はありませんか!?」

 駆け寄ってきたカチュアが衣服の汚れを払い落としてくれる。

 だが、ボクは放心したまま、自分ではどうすることもできない。

 脳裏に焼き付いた彼女の姿が、笑顔が、どうしようもなく消えない。

「バジル様になんてことを……あの無礼な女、パトリシアとか言いましたね。すぐに追いかけて、正式な謝罪を……」


「――可憐だ」


「え? バジル様、いま、なんと……?」

「可憐だと言った……なんだこれは。なんだこの、気持ちは」

 彼女の肩と手に触れた右手を見つめる。

 隣でカチュアが信じられないものを見るような顔をしているが、こっちこそ信じられないという話だ。

「さっきまで怒りに苛まれていた心が、嘘みたいに澄み渡っている。ハ、ハハハ……おぞましいほどに晴れやかな気持ちだ。一体何なんだ……何が起こったというんだ……!?」

「バ、バジル様! 気をしっかりお持ちください!」

「いや待て……そうか、わかったぞ……! カチュア!!」

 その両肩をがっしりと掴む。

「ボクはよわい十五にしてようやく出会った……いや、この表現は正しくない。そうだな……落ちたんだ」

「な、何に、落ちたというのですか……?」

 わなわなと震えているカチュア。どうやらボクの喜びを一緒に感じ入ってくれているらしい。

「決まっているだろう、落ちると言ったらあれしかない」

 思えばボクの人生にはそれが足りなかった。

 何の変哲もない廊下が、彩りの貧相な中庭が、華やかだと見違えるほど劇的な心変わり。

 歓喜に打ち震える声で、カチュアの目を真っすぐに見据えて、告げた。

「“恋”に落ちたんだよ。あの子に一目惚れしたんだ、カチュア……!!」

 ボクの心は、時を重ねるほどに先ほどの女の子で埋め尽くされていく。

 ああ、名をパトリシアと言ったのか、彼女は……。

 彼女は何を愛で、何を目指し、何を大切に思うのだろう。

 怒りではよくあったことだが、その正反対とも言える感情で、自分を制御出来なくなるのは初めての経験だ。


 瞳を閉じて感動するボクの近くで、誰かが虚ろに何かを呟きながら膝から崩れ落ちる音がしたものの、今のボクには気にしている余裕などないのだった。





 

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