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Episode2.決意と風

 人差し指の上に、水たまりがふわふわと浮かんだ。

 幼いあの日。

 魔法が使えた! と母に嬉々として伝えたあの日。

 母は時が止まってしまったかのように唖然としたまま、零れる涙で頬を濡らし、力なく膝を折ったあと、私を力いっぱい抱きしめたのだった。




 Episode2.決意と風




 “あの人”の息子がいると知ったのは、初日に停学なんて耳を疑うような話題で、二人の候補生の名が学校中に知れ渡ったとの同時だった。

 つまり、私の耳に入ったセウロ・スペードの名は、入学式当日に食堂で乱闘騒ぎを起こした上に宮殿への無断侵入なんていう、とんでもない悪名だったということだ。

『安心しなさい、パトリシア』

 大洋を連想させる懐の広さと、肌寒い日の暖炉のような温もり。それらを含んだ大人の男性の低い声で私の名を呼んだあの人とは、大違い。

 しかしその血筋故か、話題性だけは随一で、不思議と微笑ましく思ったものだ。

 それから一週間が経った。

 あの騒動からそれだけの時が流れて、候補生としての生活、寮で寝起きする一日に慣れてきたかな、なんて思い始めたこの頃。

 彼の自室謹慎が解ける日が来た。



『お母様、どうして泣いてるの?』

 魔法使い・魔術師は、率直に表現するなら国にとって軍事力そのものだ。

 人間ひとりが持ち得る力の上限が跳ね上がったことで、戦争の常識は変わった。

 少数精鋭。才有るものを鍛えぬくことで最大限に能力を発揮させる。

 魔法使いを重用した国が世界を席巻した。

 そうして彼らは国の要職につき、貴族として矜持を高め、そして自ずと使命を負った。

 “魔法使いは、国のために戦うものだ”という使命を。

 まだ幼かった“あの日”の私には、そんなことは関係のないことだったのだ。

 王国南部に領地を任されたシャントルイユ家。魔法ちから無き古い貴族は首都から追い出されるのが、条理だった。

 そんな僻地に追いやられた落ち目の貴族は、田舎でそれなりに土地を治め、政治手腕で負けてなるものかと観光になんて力を入れたり、祭や収穫に砕身したりと地味ながらも地道に辺境伯ライフを謳歌していた。

 そんなところに生まれたのが、私だ。

 才能は遺伝する。しかし、両親だけでなく世界樹からも命を貰ってこの世界に生まれ落ちる私たち人間の中には、突然変異的に、魔法の才能に目覚める人もいる。

 生まれて初めて魔法を使えるようになったあの日、母は悲しみの余り泣いたのだ。

 娘が自分のもとから旅立たねばならぬ運命を。

 娘が兵士とならねばならぬ過酷を。

 娘が国のために戦わねばならぬ使命を。

 想って哀哭し、私を抱きしめた。

『パティ、せめて……少しでも長くあなたの傍に居させて……』

 旧貴族にとって武力と統治が切り離されてしまったこの時代。

 私には魔法使いというものが何なのか、全くわかっていなかった。



 食堂の傷跡は、綺麗さっぱり消え去っていた。広間を二分していた壁や床に転がっていた土石は跡形もない。

 騒ぎの翌日に訪れた第三魔術師団の魔術師が土の詠唱を2つ、3つ呟きながら食堂を一周しただけで、事は済んだらしい。

 あんなに滅茶苦茶にされてたのに、まるで何もなかったみたいだなぁ、なんて食堂を見渡していたときだった。

「セウロ、君このままだと友達できないよ?」

「ごふぅ!?」

 探していた顔が、苦しそうに胸を叩いて水を流し込んだ。

「……急に何を言い出すんだよ、ユージーン」

「だって、入学初日に騒動起こして停学。一週間謹慎。もう授業は進んでるし同期は顔見知り程度になってるし、今さらセウロに話しかけようなんて奇特な人、いるかな」

「……べ、別に今更友達とかいらないだろ!」

「ここ、候補生学校。このままぼっち貫いてると、戦場でもぼっちになるよ」

「ぐ、それは困るか……」

 事の深刻さを噛みしめた顔で、フォークを強く握る彼。

「第一から第五魔術師団まで配属先があるんだから、いつまでも僕と同じだと思ったら大間違いだよ。せめて同期くらいは背中を預けれられる関係になっておかないと」

「そりゃそうだけど……でも謹慎うんぬん抜きにして、そもそも良い話題のない俺と仲良くしたい奴っているか?」

「うん。いないと思う」

「即答するなよ、おい」

 その後も二人はどうしたら同期と打ち解けられるかについて会話を続ける。

 なんとなく、微笑ましいなと思った。

 そして、打ってつけな話題だなとも思った。


「――ねえ、ここ空いてる? 私も仲の良い同期が欲しんだけど……良かったらお昼、一緒にいいかな」


 セウロ・スペードという人に興味があった。

 二人はきょとんとした顔を見合わせて、その後すぐに笑顔で快諾してくれた。



 7年前。

 私の家に駐留したのは、南部遠征任務道中の第二魔術師団。

 “あの人”が家に入って来たとき、私は初めてマナ探知というものの感覚を得た。

 春風が窓から吹き込むような。

 暖炉の光に照らされるような。

 小川のせせらぎを聴くような。

 伏した大地に包まれるような。

 感覚。

 マナを体感する技術。

 一般的に大きな生命核アニマを持つ魔法使いほどその技術は高く、裏腹にその強さを隠すこともできない。

 感じ方は、その相手の生命核アニマによって変わるもの。

 あの日、不躾にも応接間の扉を勢いよく開けた私に吹いた薫る風は、実に心地の良いものだった。

 そして、その風の源は、大きな体に似合わず優しく私にほほ笑んで

『ああ、君だったのか。ずっと遠くから聞こえていた波音は』

 当時の第二魔術師団長、チェスター・スペードはそう言って私の頭を撫でてくれた。



「私の名前はパトリシア・シャントルイユ。愛称はパティ。水の魔術が得意なの。二人の噂はかねがね。よろしくね」

「ユージーン・フェアファンクス。あまり得意なものはないかな。こちらこそよろしく」

「……セウロ・スペード。剣以外は得意じゃない。よろしく」

 簡潔な自己紹介が並んだ。

 それからは世間話がしばらく続いた。

 出身はどこだとか。得意科目はなんだとか。十二使徒の中で一番尊敬する魔法使いは誰だとか。選べるとしたらどこの魔術師団がいいかとか。

 ユージーンの方は人付き合いには慣れているようで、好感の持てる青年に思えた。とても石柱を真っ二つに吹き飛ばして、食堂の机の四分の一を大破させたようには見えない。

 セウロは始めこそ緊張していたものの、魔術師団への憧れは強いらしく、その手の話題では得意げに目を輝かせながら語ってくれた。一瞬、不自然に言葉に詰まる場面もあったけれど。

 実に他愛のない、微笑ましい談話だったように思う。

 食事も終えて、昼休みも終わりに差し掛かっていたところだった。

 ユージーンが、それまでの世間話と全く同じ口調で私へと話しかけた。

「ああ、そろそろ授業の時間だね。それじゃあ最後に聞いておきたいんだけど――パトリシア、君、セウロに本当は何の用?」

 場が一瞬で凍り付いた。

 セウロは驚いた顔でユージーンを凝視していたけれど、それに取りあう様子はない。

 ユージーンは少し冷めた目で、私を捕えて離さない。

「おいユージーン、なんだよ突然そんなこと」

「セウロもわかってるでしょ。このタイミングで何の打算も無しに、僕らに話しかける人間なんていないよ」

 それでセウロも押し黙るしかなかった。

「悪いけど、心無い輩に絡まれてからまだ日が浅いんだ。少しだけ警戒させてもらうよ」

 だめ押しだった。その言い方はずるい。

 こんな本質に関わることを、いきなり訊ねるつもりなんてさらさらなかったのだけれど、言わないわけにはいかなくなってしまった。

 恐る恐る、口を開く。

「……ひとつ、純粋に訊いてみたいことがあったんだ」

 セウロの目を見る。

 その色素の薄いオレンジ色の瞳は、やっぱりあの人と同じだ。

「貴方はどうしてそこまでして、戦おうとするの?」

 オレンジ色が、まばたきをした。

「苦しむとわかっていながら、貴方は、どうして諦めずに戦い続けられるの?」




 ゆっくりと、まばたきをしたオレンジ色の瞳は、幼い私へと真剣に向き合ってくれた。

『怖いんです。』

 心中を、吐露するのは初めてのことだった。

『兵士になって戦うことも。誰かを傷つけることも……お母さんを、また、悲しませてしまうことも。』

 たった一人。

 何を間違ったのか地方ののどかな街に生まれ、領主の娘として不自由なく育てられてしまった私は、突然降って沸いた魔法使いの使命を二つ返事で背負うことなんて出来るわけもなく、そんな悩みを相談する相手どうるいさえいなかった。

『魔法が使えるだけで、それだけで、どうしてその先にある大きなお話も全部、背負わなくちゃいけないの?』

 私はずっと、戦う決意ができなかった。

 手のひらに浮かべた水たまりを見つめて、そして耐えきれなくなってそれを手のひらに崩す日々を繰り返していた。

 指の隙間から、目尻の端から、不意にこぼれる何かが止まらない。

 誰も喜んでくれないのなら。

 家族を悲しませることしかできないのなら。

 誰かと傷つけあうことになるのなら。

 魔法なんか、使えなくても良かったのにな、って。

『――僕もね、怖いんだ。』

 はっ、と伏せていた顔を上げた。

『悲しませたくない人がいる。その人たちを悲しませてしまうことが、どうしようもなく怖い。』

 オレンジ色の瞳が、愛おしそうに私ではない誰かを遠くに見つめていた。

『だから、戦うんだ。』

 風が一層薫った。

『守りたい人がいる。僕にとってはそれが一番で……こういうことはあまり言ってはいけないんだけど、生まれ持った魔法に義務を感じて戦うことなんて、僕には向いてない。きっと僕は、魔法が使えなくても戦っただろうから。』

 あの人はそう言ってほほ笑んで、

『安心しなさい、パトリシア。僕には僕の理由があるように、君にも君の理由が見つかる日がくる。』

 私の頭を撫でてくれた。

『誰もが持ち得る義務や責任感ではなく、キミだけが守りたいもの、成し遂げたいことを見つけたとき――そのとき、真に剣を握ればいい。』

 7年前のあの日。

 私は、私だけが持つ大切なもの気付いた。

 私のために泣いてくれた母のために。

 私のために喜んでくれた父のために。

 私を育んでくれたこの街のために。

 私しか持ってない、大切な宝物のために。

 それを守る力があることに感謝して。

 剣を握ったけついした


 あの人の言葉が、候補生学校ここまで私を連れてきてくれた。



「貴方はどうしてそこまでして、戦おうとするの?」

 オレンジ色が、まばたきをした。

「苦しむとわかっていながら、貴方は、どうして諦めずに戦い続けられるの?」

 セウロ・スペード。

 私と違って持つべきだった者。

 握る剣を、持っていなかった者。

 私に剣の握り方を教えてくれた、あの人の息子。

 そんな彼が、諦めずに剣を掴もうとしていると知って、訊かずにはいられなかった。

「その理由が知りたい」

 無礼だとは思ったけれど、思い出せばあの人と出会った時も遠慮なんて忘れていた。

 私を警戒していたユージーンも、黙ってセウロを見つめていた。

「理由……か」

 口が固く、ぎこちない。

「少し前までは……その、がむしゃらだった。がむしゃらにしてないと、二度と動けなくなってしまいそうなことが怖かった。自分には何も残っていないことに、気付かないように必死になってた。戻ってこないことは承知で、でも失ったものを取り戻そうとするフリをして足掻いてた」

 ゆっくりと、まばたきをしたオレンジ色の瞳が、私へと向けられた。

「でも今は違う」

 ふわり、と。

 かすかに、風を感じたような気がした。

「長い間忘れていたけど、思い出したんだ。俺にも――俺にしか守れない約束ものが残っていたことを」

 オレンジ色の瞳が、その声を届けるように私ではない誰かを遠くに見つめていた。

「その約束を果たす」

 どこか嬉しそうにはにかんで、

「これが俺の戦う理由だ」

 彼はそう自信あり気に笑った。


 彼が本当に魔法を使えないであろうことは、言葉を交わさずともわかった。

 私のマナ探知では、生命核アニマは感じられなかった。

 けれど、かすかにあの人と同じ風が薫った気がしたから。

 あの人と同じ温もりが、暖かさが、熱意が、その薄いオレンジ色の瞳に見えたから。

 きっと、彼なら成し遂げられるだろうと思った。


「……うん、わかった」

 私は大きく頷いて、

「納得した!」

 と大満足で頬が綻んだ。

「いいのか、これで?」

 セウロは不安そうに呟く。

「いいのいいの! これで私の訊きたかったことは終わり! ……というわけで、これから改めてよろしくね、セウロ」

 そう言って右手を差し出す。

 怪訝な顔だったけど、手を出してきたので少し強引に握手した。

「……おいユージーン、いいのかこれ。大丈夫なのか」

 構わずつい嬉しくてぶんぶんと強めの握手。

「んー? 自信満々にあれだけ語っといて今更僕に確認されましてもねぇ……っていうか、そもそもその約束うんぬんの話、僕聞いてないんですけど」

「あっ」

 セウロのしまったという顔。

 細かい話は私には関係なかった。

「ユージーンも! これからよろしくね」

「ああ。よろしくねパティ」

 ユージーンもセウロに構うことなく握手。こちらは素直だ。

「ユージーン、お前あんだけ突っかかっといてこれでいいのか……!?」

「うるさいよセウロ。こんな無垢に足がついたような少女を捕まえて、しつこく疑うなんて失礼だよ。それに君にはわからないだろうけど、生命核アニマには感情もよく反映されるもの……いや、マナ探知なんてしなくても、セウロにだって顔を見れば企みがないことくらいわかるでしょ」

「ユージーンもマナ探知得意なの? ねえねえ、私の生命核アニマってどんな感じか訊いてもいい?」

「あっ、ずるいぞそういう俺に伝わらない話するの!」

 予鈴が鳴る。

 昼食を片付けながら、談笑それでも止むことなく。

「パティの生命核アニマは――」

「あ、やっぱりそうなんだね~。ユージーンのは――」

「待て、ちょっと待てお前ら! 俺とも仲良くしよう!?」

 セウロの寂しそうな叫びが廊下にこだまして、私たちは次の授業へと向かうのだった。




 こうして私は2人の仲の良い同期を得て、

 尊敬する恩人の風が、微かに息づいていること知ったのでした。

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