Episode18.結実
「息巻いたくせに、また防御か?」
目の前に創り出した壁が、呆気なく粉砕された。
壁の破片の奥に現れたのは拳を突き出した白銀の全身鎧。
詠唱すらない。
帝国の特派分隊の隊長イグナートは感応詠唱装甲鎧で、暴風のカウンターを利用して簡単にボクの防御を突破してくる。
だがそれでいい。
「ここが狙い通りの位置だ!」
Gevurah-Lamed-Tiphereth。土-活動の詠唱で、得意の石柱を量産する。周囲の地面から全身鎧を目がけて殺到する10本の石柱。ボクが同時に運用できる最大値だ。
イグナートはその猛攻の中で、諸手を挙げて涼し気に歩いている。
鎧のカウンターに砕かれた破片が舞う。10本すべてが脆いガラス細工のように砕けていく。
ここまでは予想通りだ。この程度の攻撃が効かないことは百も承知だ。
ボクは石柱と同時に駆け出していた。
姿勢を低くし、伸びる石柱の間を潜って接近する。
石柱の攻撃ルートをコントロールして、唯一の抜け道のような隙間を作っていた。その隙間を駆け抜けて、相手の背後に滑り込む。
目指すはセウロが見つけた弱点その1。相手の鎧の繋ぎ目を狙う。
石柱の陰で視認はされていないはずだ
イグナートは苦も無く石柱を吹き飛ばして、油断しているはず。
降りしきる破片中で、ボクは脇の下を狙った逆袈裟斬りの切り上げを思いっきり振り抜いた。
「おい、舐めてんのかお前」
目が合った。
兜の奥の相貌は、冷たく鋭くボクを貫いた。
次の瞬間、暴風が吹き荒れボクの両腕は見えない何かに思いっきり引っ張られて、身体ごと後方に吹き飛んだ。
上下左右を見失う程に転がり、内蔵が暴れて吐き気が込み上げてくる。
そこでようやく、帯剣を蹴り飛ばされて、暴風のカウンターを受けたと理解した。
どうして、反応されたんだ……。
「さっきまで俺が半死人に翻弄されていたのは、アイツがマナ探知に引っかからないからだ。加えてお前の機動力、剣術の腕はアイツ以下。今の策は奇襲でもなんでもない、凡庸な一手だ」
足音が近づいてくる。
まずい、早く立て直さないと……!
「土属性ならもっと大技で楽しませてくれるかと思ったが……お前から引き出せるものはもうないな。終わりにしよう」
イグナートが地面を蹴って、猛スピードでこちらに接近する。
その手に握られた両手剣を上段に構えている。
「Gevurah……、Lamed-Tiphe……」
めまいと吐き気でうまく詠唱できない。早く、壁を創らないといけないのに。
間に合わない。
「バジル様に、近寄るな」
背後から、炎の塊が通りすぎていった。
イグナートは迫りくるそれを両手剣で両断し、新手を警戒してその場に静止した。
この炎の魔術とさっきの声は間違いない。
ボクは背後を振り返って、その姿を探した。
「……カチュア!!!」
「バジル様、信じておりました。貴方なら必ずご無事でいらっしゃると」
彼女の顔を直視したのは、すごく久しぶりのことだ。
まずは彼女が生きていたことに安堵するが、その顔色は優れない。
急いで彼女のもとへ駆け寄ると、カチュアはボクの胸に倒れこんできた。
「遅くなってすみませんバジル様。加勢に参りました」
「謝ることはない! ボクもお前に伝えたいことが山ほどあるが……まずは、ここを切り抜けてからだ」
彼女はボクを見つめて健気に加勢と言った。しかし、とても戦える様子には見えない。
左腕は添え木がしてあるため、おそらく骨折しているのだろう。皮膚は焼けただれている上に出血も酷い。
マナ探知してみると、カチュアの普段の様子とはかけ離れたようなか弱い生命核が感じられた。おそらく魔術の過剰行使によるマナ欠乏症状態にある。貧血に近く、無理やり魔術を使うと寿命に関わる。
「すごいなその嬢ちゃん。ウゴールとミハイルは中々の手練れだが、一人で殺ったのか。でももう限界だな。こんなとこに来ないで、大人しく逃げてりゃ良かったのに」
イグナートは余裕そうにつぶやいた。カチュアの状態を見て、脅威はないとわかったのだろう。
カチュアはボクに寄りかかりながらも自分の足で立って、敵を見据えた。
「私がバジル様を置いて逃げるなんて、天地が引っくり返ってもあり得ないことです」
「覚悟決まってんのな。それじゃあ遠慮なく畳みかけるぜ」
白銀の全身鎧が両手剣をつかみ、詠唱を始める。
まずい、イグナートが詠唱するのは、山崩し級の魔術を使う時だ。
「Cochma-vav-Chesed――嵐鋭虎口ッ!!」
暴風が山肌を削りながら迫ってくる。
カチュアの肩を強く抱きしめる。
何のために魔術師を志したか、よく思い出せ。家族を、仲間を、守るためだろう。
セウロの死が脳裏を過った。
カチュアだけは絶対に守る。
詠唱に力が入る。
「Gevurah-Lamed-Tiphereth!」
単なる壁では粉砕されてしまう。だから、今回は創ると同時に削る。
足元の地面をへこませて、その中にカチュアと2人で飛び込んだ。嵐の余波を避けるため、地上の壁も蓋を閉じるように強固に創り上げる。
地面を揺らすほどの暴風が2人の頭上を駆け抜けていった。
山肌を削る威力はあったが、深く掘った穴の奥までは届くことなく何とか耐えられたらしい。
「やるな。機動力がないときの最適解だな、地中」
頭上から敵兵の声がした。
血の気が引く。同時に、攻撃に備えて再度詠唱を始めた。
「じゃあ今度は進行方向を地面にしてみようかぁ!」
イグナートが足元の地面を思いっきり殴りつけた。
同時に球体のイメージで防御壁を展開する。
地面が爆発する。
周囲の土が根こそぎ抉り取られる中で、土の防御球体が空中に投げ出された。
ふわりと身体が浮いた。周囲の景色は全く見えない。閉じた球体の内側の疑似的な無重力空間。
地面に落ちるまでの間、腕の中でカチュアがか細い声を出した。
「……バジル様、私も戦います」
「馬鹿を言え、武器はないし、そんな体で何が出来る!」
「……囮に使ってください。バジル様のためなら限界を超えて2発、いや。3発程度なら、火炎を放てます」
カチュアの瞳を見つめると、その眼は覚悟が決まっていた。おそらくボクがどれだけ説得しても聞かないだろう。それならば、それぞれが勝手に動くより2人で息を合わせて戦う方がいい。
「お前の頑固さには慣れているぞカチュア……いいだろう、即席だが作戦がある」
さっき大嵐を凌いだ防御方法のように、土属性には味方となる素材が文字通り山ほどある。
「地面そのものを攻撃に転用するには、膨大な量の土を動かす必要がある……時間がかかる技だ。ボクの手数では足りない。お前の攻撃があるということを敵に認識させて、時間を稼ぐぞ」
カチュアは大きく頷いた。
「バジル様の作戦なら、絶対に成功します」
さっきセウロを失ったことで潰えた自信が、少しだけ戻ってきた。ボクが短期間で成長したわけではない。ボクを盲信してくれるこの娘の言葉で、前を向くことが出来るようになっただけだ。
もう二度と、失敗は許されない。
着地の際は地面を柔らかい砂に変えた。地面に落ちて、土の膜の防御球体が崩れる。
太陽の光が差し込んだ瞬間に、ボクらは二手に分かれて走り出した。
カチュアは火の魔術の詠唱を始める。
「Netzach-per……」
「へぇ、その状態でよく動くな。それに詠唱まで」
イグナートはカチュアのことを脅威と思っていない。当然だ、重症でマナ欠乏症の魔術師なんて恐れるに足らない。
白銀の全身鎧は地面を蹴って、カチュアに迫った。直接叩くつもりだ。
「やらせないぞ! Gevurah-Lamed-Tiphereth」
今度の詠唱は防御ではなく、回避のための魔術だ。
カチュアの足元から石柱が真上に伸びる。彼女はそこに両足を乗せた。
初手の山崩しを避けたときと同じだ。
カチュアが3mほど伸び切った石柱の上でイグナートを見下ろす形になる。
「上に逃げたところで、折ってしまえばすぐに……」
「させないと、言っているんだ!!」
敵兵の側面から切りかかる。
上空を見ていたイグナートは咄嗟に両手剣でボクの帯剣を受けた。
やっぱり思った通りだ。
2vs1であれば注意が分散されて、対処が一歩遅れる。
「チッ、見飽きたんだよ。お前程度なら簡単に吹き飛ばして終わりだ!」
イグナートが剣戟の間でボクを殴りつけようと拳を振り上げる。
そこへ、カチュアの詠唱が降って落ちてきた。
「Netzach-per-Hod!」
火炎が降り注ぐ。イグナートはそれを鎧のカウンターで振り払わざるをえなかった。
その間も剣を振り続ける。剣と剣がぶつかり合う音が続く。
敵の一撃は吹き飛ばされそうなほど重い。セウロのやつは、こんなのと打ち合っていたのかと感嘆する。
でも喰らいつけている。カチュアが敵の注意を幾分か引いてくれているからだ。
狙っていた膠着状態が作れた。
「ここからどうするつもりだガキ共……ん、待て、何だその詠唱は……!?」
ボクは初めに斬りかかった瞬間から詠唱を始めていた。膨大な量の土を動かすには、時間がかかる。一人で格上を相手にしながらそんな魔術を使う余裕はない。だからこれは、カチュアが作ってくれた勝機だ。
再び火炎が頭上から降りかかる。敵兵はそれを難なく鎧のカウンターで吹き飛ばすが、その時周囲の景色が目に入ったらしい。
イグナートは周りを見渡して、完全に状況に気づいたようだ。
周囲の地面が高く盛り上がっているように見えるが、実態は逆だ。
ボクとイグナートを中心として、地面の中へと沈んでいっている。
ボクはニヤリと微笑んで、鍔迫り合いの向こうにいる敵に聞こえるように言った。
「鎧のテストでも、山に飲まれたことはないだろう?」
既に深さは5m以上。
その後、目の前の敵兵は笑い出した。
「いいじゃねぇか! 心中覚悟で一緒に埋まろうってか、やっと試し甲斐のある攻撃だぜ!」
これまで何度も攻撃の応酬をしていたが、イグナートが心から喜んだのはこれが初めてだったように思う。
この攻撃が決まれば勝機がある。そう確信した。
「バジル様と心中なんて、許しません」
3度目の火炎。これがカチュアの限界であり、合図だ。
ボクは土属性-変化の詠唱を続けながら、剣戟の手を緩めた。
イグナートは火炎に対処するため隙が出来る。
「利用させてもらうぞ、その鎧の風を」
ボクは右の拳を強く握りしめ、イグナートの腹部目がけて突き出した。
「なにっ!?」
当然、暴風が吹き荒れてボクの体は吹き飛ばされた。
これでいい。穴の最深部から離脱できた。
上下もわからないほどに転がるが、カチュアの生命核の位置だけは見失わない。
すぐに立ち上がって、穴の縁に向かってジャンプする。
カチュアが伸ばした右腕をつかんで、穴から脱出した。
振り返った背後で、最深部からこちらに数歩進んだイグナートが見えた。
間に合う。
「Cochma-he-Tiphereth……山喰鯨呑!!」
鯨が大きく開けた口を閉じるように。瞼が瞳を覆い隠すように。
目の前の大穴が閉じて、その中にイグナートを閉じ込めた。
カチュアが息を切らして、ボクに寄り添う。彼女ももう限界を超えている。
「バジル様、作戦成功です! よく白兵戦を耐えてこんな大技を……」
「まだだ! あの怪物相手に油断はできない!」
追加で詠唱を始める。足元の地面を押し固め、圧縮していく。
敵の感応詠唱装甲鎧がどれだけ有能で、枯渇が無いとしても、四方八方を土に埋められたことはないはずだ。鎧機能の損傷、自らの暴風による圧死、地中での窒息死、なんでもいい。人間は地中深くで生き永らえるなんてあってはならない。
「……頼む、これで終わってくれ……これ以上は……」
身体に残ったありったけのマナを注ぎ込む。
祈る様に地面に両手を触れる。
掌から、振動があった。
次の瞬間、目の前の地面が吹き飛んだ。
舞い上がる砂塵。その中心で、這い上がってきたのはさっきまで対峙していた敵兵に他ならなかった。
容赦のない暴風が周囲に吹き荒れて、白銀の全身鎧が見えた。
違いがあるとしたら、その右肩部分の鎧が砕けており、腕から血を流しているところだけだ。
「すげえよ、よくやったじゃねぇか! 風のカウンターが止まんねえから、鎧と腕が耐えかねて壊れちまったよ。まあ、それで地中に出来た空間で大技を打つ余裕が出来たわけだがな」
イグナートは嬉しそうに言った。
腰が抜けて、その場にへたり込んだ。
格が違い過ぎる。
こちらが命がけで編み出した作戦も、相手にとっては腕を噛まれた程度の些事に過ぎなかった。
「土の中に閉じ込めるっていうアイディアは最高だ。でもそれをもっと早くやらないといけなかったな。疲弊した今の出力じゃねぇ……俺様は簡単に山を崩せるんだからよ、こうやってさ」
イグナートの剣にマナが収束し、風が集まっていく。
紡がれる詠唱。至近距離から山崩しの一撃が来る。
もう、防御が出来るだけの余力は残っていない。
なけなしの詠唱で、目の前に小さな土の壁を作る。すぐに壊されることは明白だった。
最後の力を振り絞って、ボクはカチュアの前に立って、敵に背を向けて庇う様に彼女を抱きしめた。
「バジル様……? ダメ、です。私なんか置いて、早く逃げないと」
お互いにもう一歩も動けない。魔術も使えない。
カチュアはか弱い力で、ボクを突き放そうとした。
「まだわからないのか。本当に、僕らは不器用だな、カチュア」
ボクはカチュアと顔を合わせた。
訣別を決めて、カチュアに別れを告げたあの日以降、ボクらはまともに会話もしていなかった。
だからせめて最期くらいは、笑顔で本心を伝えたかった。
「さっき言ってくれただろう。『ボクを置いて逃げるなんてあり得ない』と……同じなんだ。ボクだってお前を置いて一人で生き延びるなんて……そんなの、死ぬよりも恐ろしいことだよ」
その言葉に返事はなかった。ただ、ボクの背中を掴んだ右腕が強く震えていた。
カチュアに対して謝ったり、伝えたりしたいことがもっとたくさんあった。しかしそんな暇は与えられるわけもなく、背後で敵の詠唱が終わった。
土の壁は虚しく紙切れの様に破壊された。
迫る暴風が、まもなくボクらに到達する。
「――無:0」
カチュアを抱きしめ、強く目を閉じていたが、そこに攻撃が届くことはなかった。
聞き間違いだろう、と思った。
すぐ近くから耳慣れた声がしたから。
その声の主は先ほど敵兵に殺されたはずだったから。
だから信じられずに、ボクは振り返って目を見開いた。
「無事か? バジル、カチュア」
暴風が失われたことで引き寄せられた風の残滓が、ふわりと声の主の髪を揺らした。
セウロ・スペードが、五体満足でそこに立っていた。