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Clear Lance_大魔戦記_候補生編  作者: 一木 樹


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Episode17.目醒め






 すっきりと目覚める朝と、そうじゃない朝がある。

 目を覚ました瞬間に視界が鮮明に見えて、すぐにでも朝日を浴びたくなり、カーテンを開ける。すると窓からは太陽の輝きと、緑のざわめきと、鳥のさえずりがいっぺんに私の全身へ降り注ぎ……まるで全てが一日の始まりを祝福しているように感じられる。

 そんな朝が続いてくれれば良かったのに。

 

 あの日から、私の朝に祝福なんてものはない。

 目が覚めるたびに悔やむ――ああ、どうしてだろう。

 カーテンを開けるのも億劫で――私はどうすれば良かったんだろう。

 ぼやけそうになる視界を必死にまばたきで誤魔化しながら。これから、また、一人で過ごす一日が始まる。

 櫛が引っかかると、それ以上は億劫になって髪を梳かすを途中で諦める。

 朝食も食べずに寮を後にする。

 バジル様を迎えに行って「おはようございます」と声をかけることすらできなくなった。

 そんな私の鬱屈とした一日の始まりが、延々と繰り返されていた。


 気が付けば一日を終えている。その間に、授業の態度や、課題の出来や、訓練の評価でたくさんの教官に叱咤された気がする。心配して声をかけてくれた同期もいた気がする。

 けれど、バジル様がこちらを見てくれたことはなかった。

 気が付けば訓練は苛烈を極めてゆき、とても、ついていけるような精神状態じゃないことは、自分でもわかっていた。

 だから、これで終わりにしようと決めた。

 延々と続く道程。丸一日かけた行軍の最中、私は黙々と歩みを進めながら決心した。

 この実地訓練を最後に、私は候補生学校を去ろう。


 私は一人で生きてゆく術を知らなかっただけだ。

 物心つく前からグレーバー家で奉公として務めた。その後も、一番尊敬するバジル様と一緒にいたかった。

 私に魔術の才能があったことは、僥倖だった。

 私にとって魔法や魔術なんてものは、大切な人のそばにいる手段であり、それ以上でもそれ以下でもない。

 “魔術師の持てる義務ノブレス・オブリージュ”なんて、そんな気高さなど無い。

 バジル様のために尽くせないのならば、私がここにいる意味はないのだ。

 だからもう候補生学校を去ろう――そう、決心した翌日だった。




 Episode17.目醒め




 ――鮮血が舞った。

 私の目の前で、同期の首が裂かれた。

 口から血を吐き出しながら、彼は力無く地面に倒れて、そのまま動かなくなった。

 同じチームに配属された二人のどちらもが、殺された。

 私の順番が最後だったのは、単純に一番後ろを歩いていたからだろうか。

 恐れや悲しみはなかった。思考する気力がなかったからか、絶望的な現実を処理しきれなかったからか。

 だが頭を掴まれた痛みは、鮮烈なほどにリアルだった。

 軽々と持ち上げられて足が浮く。

 頭蓋が軋む。

「ん~、ねぇ。ねぇ、コイツかな? 殺さないとヤバいってヤツ。コイツかなぁ、ねぇミハイル」

 同期の一人目を殺した奴だ。

 その巨体は、2メートルを優に超えている。すらりと伸びた身長の割に体格は細い。だが、それはあまりに長身過ぎるゆえにそう見えるだけだ。筋力に乏しいからではない。

 その証拠に、このノッポは一人目を叩き潰して殺した。・・・・・・・・

 現に装備を含めて60㎏以上ある私の体を、掴んで持ち上げている。

 想像したくもない握力だ。

 渇いた音を立てて、砕ける胡桃を想起する。

「おいウゴール! あんまり口走ってんじゃねえよ! こんだけウジャウジャしてるガキどもの内、一人だけなんだぜホントの標的はよぉ。誰だかわかんねぇ肝心のヤツに逃げられたらどうすんだ、ああぁ!?」

 ノッポの尻に蹴りが入る。

 もう一人の獲物は腰に差した2本のナイフだ。同期の二人目の剣戟を潜り抜け両手の腱を斬り、首を裂いた奴。

 粗野な言動に似合わず繊細な動きから、技量は伺える。

 兵士にしては軽装。深く被った鉢型兜バシネットで視線は追えない。獣のような鋭い犬歯が下品だ。

 体格はノッポの隣にいるせいで小さく見えるが、私より二周りは大きいだろう。

 ノッポと犬歯。

 会話を聞くに、どちらも頭は良くない。肝心の情報が筒抜けだ。

 おそらく――彼らの標的はセウロだ。

 セウロ・スペード。

 何の変哲もない無能兵士。

 しかし、本当のところは事情が違う。

 私は彼をしつこく追跡して、秘密を知ってしまった。


 英雄を待つ剣ラハット・ハヘレヴ


 それを抜いたのが、彼だということを。

 こいつらは王国に本格的に戦争を仕掛ける前に、最大の不安要素である“英雄”を殺しにきたのだろう。

 開戦もしていないのに他国の領地を侵し、正規兵でもない候補生を一方的に虐殺した。如何にルール無用の戦争だろうと、とても倫理的に許されることではない。

 それほどまでに、始祖の予言が恐ろしかったのだ。

 これが今回の強襲の真相だろう。

 ……とんだ無駄足だ。あんな男に、英雄の才覚などないのだから。

「うぅ……ごめんよ、ごめん。すぐにコイツも殺すから。ね、全員殺せば、いいんでしょ? そういうことだよね?」

「おうよ! 誰だかわかんねえ。でも必ずこの中にいる。全員殺せば間違いねえって寸法よ」

 私の頭を握る指先に、力が入った。

 マナの収束を感じる。ああ、このノッポは無属性の魔術師だ。手のひらに集めたマナを物理的に運用するタイプらしい。

 どこか他人事のように、私は私が殺される様を俯瞰するように観ていた。

 飽きるほどに悲観してきた。だからだろう。

 どうしても抗う気になれなくて、数秒後には脳漿を撒き散らしながら握りつぶされる自分の頭に、無様だなんて無意味な感想を抱きながら、ああ、せめてもう一度だけでも、バジル様とお話がしたかったとか、そんな、淡い希望を想像して――



 ――山を崩す轟音が、周囲に鳴り響いた。



 地響き。

 周囲の森から一斉に野鳥が飛び立つ。。

 突然の出来事にノッポの手が緩む。私は地面に落ちた。

 ふと、見上げると北東の空に巻き上がる砂塵が見える。木々に阻まれ詳しい様子は見えないが、ここからそう遠くない山肌がえぐれていた。

 あの部分だけ山をスプーンで掬って、かき混ぜたみたいだ。

 あれが大規模な魔術によるものだということは、ノイズだらけでかき乱されたマナ探知によって容易に理解できた。

 一体、誰があんな大きな魔術を使ったのだろうか。

「おいおいおい、特派隊長サマ調子に乗ってんな!! あんなの喰らわせてどうすんだよ! 俺らも巻き込まれんぞ!」

 犬歯が大げさに吠えた。

 確かに、あんなものを繰り出さなければならないほどの魔術師は候補生にいないだろう。私たちを殺すなら、もっとコストは抑えられるはずだ。

「うん、カワイソウに。イグナート隊長の相手させられてるやつ、ロクな死に方しない」

 ノッポも同意した。

 その言葉に、少しだけ興味が湧いた。



 一体誰が、あんな化け物染みた魔術師の相手をさせられるのだろうか、と。


 山が鳴動するほどの魔術は誰に向けられたものだろうか、と。


 彼らの言う“特派隊長”とやらに今から殺される相手は誰なのだろうか、と。



 私は、今から殺される私よりも、もっと不幸な奴がいるかもしれないだなんて、そんな邪な希望を抱いたのかもしれない。

 風に流れる土埃。

 時間経過と共に、大規模な魔術にかき乱されたマナ探知も、鮮明クリアになってゆく。

 距離は2kmほど。

 先に見つけたのは、“特派隊長”。なるほど、これは化け物級だ。王国魔術師団の師団長と比べても遜色はない。

 恐怖はない。他人事だからだ。

 無感情にマナ探知を続ける。

 その化け物の目の前で、ひとつの小さなおこりがあった。

 探知の乱れ収まり、二人の兵士が相対する全貌が観える。

 圧倒的強者と比べるとか細い生命核アニマの輝きは、私にとって――



 ――この世界で最も大切な、たったひとつの輝きだった。



「バジル様……?」



 それを知覚した瞬間に、自分の心臓が大きく跳びはねた気がした。

 急に思考が冴えわたる。

 状況への理解が正しく処理されていく。

 死と生。

 目の前にその境界があると気づいた。

 同期が2人死んだ。これから私も殺される。

 早鐘を打つ胸を掴む。

 だめだ、だめだ。生きろカチュア・リラート。

 私はまだ死ねない。

 私はこんなところで死んでいる場合ではない。

 私は生きて、あそこへ行かなければならない。


『いつまでそうやってるつもりなんだ』


 私の腕を掴み、非難する視線を想起する。

 ああ、うるさい。

 けれど無視できない。

 腹立たしいことに、思い浮かんだのはあのとき私を叱責したセウロ・スペードの言葉だった。

 言われなくても、もうわかった。

 今やるべきことだけは手に取るようにわかっているんだ。


「――ひとつだけ、訊いても構いませんか?」

 今にも自分を殺そうとしていた二人の兵士相手に、対話を試みる。

 情報が欲しい。

「あ? オイオイ、さっきまで人形みてえに無反応だったくせによお、急にどうした? 命乞いなら受け付けてねぇよ?」

 犬歯が私の髪を掴んで、頭を持ち上げる。みっともなく口を開いて、餌を待ちきれない駄犬のよう。

 ノッポはその背後でオロオロと、こちらを様子をのぞき込んでいた。

「“特派隊長”とやらと貴方たち二人が戦ったら、どうなりますか?」

 場の空気が凍った。

 あまりに突拍子もない質問だったからだろう。

 だが私は、あの化け物の強さを測る物差しが欲しかった。

「あの野郎、まさかの精霊化・・・に成功しちまったからなぁ……」

「そ、だね。きっと僕ら二人が一気に襲っても、2分も持たないだろうねぇ、ね? ミハイルそうだよね?」

「勝手に見積んなデカブツノッポ! 3分は持たせるわアホめ!!」

 犬歯が私の髪を掴んだまま、またノッポに蹴りを入れた。

 反動で視界が揺れる。

 意見は割れたが、大差はない。

 だいたいの算段はついた。

 浅く息を吸う。

 決断は静かに。行動は迅速に。戦いは効率的に。

 帯剣の柄を静かに握る。



「礼を言います。ではバジル様なら5分は持ちますので――私は3分で貴方たち2人を殺して、残り2分でバジル様の加勢に馳せ参じます」



 剣を抜いた。

「――あ?」

 まずは一振り。

 乱暴に私の髪を掴んでいた、躾のなっていない左腕を切り落とした。

 眼前がこぼれる血液で覆い尽くされる。

 汚い、なんて目障りなのだろう。

「早く退いてください。邪魔です」

「アッ、アアアアアアアアアアアアアァぁああァあアアアアアぁッ!!!?」

 犬歯が失った腕の先を見つめて無様に叫び声を上げる。

 たたらを踏んで後ずさるのと入れ替わりで、巨躯が飛来する。

 ノッポはすぐさま詠唱を唱え、掌にマナを収束させた。

 このままでは、あの同期のように背骨が粉々に折れて、平たくされてしまう。

 順当な対処は回避だ。

 けれど、ちんたら避けてなんていたら、目標タイムを切れなくなる。


 素早く唱えた。

Netzachネツァク-perペー-Hodホド

 私の周囲で、炎が踊るように円を描いた。

 それは段々と収束し、密度の高い火焔になる。回転の基軸は、私の右手に掲げた帯剣だ。

 突きの構えを目いっぱい引き絞る。

 鋭くうねる炎の嘴。

 圧殺せんとする剛腕の掌。


 光と音の乱舞。衝突があった。


 互いに一歩も引かない拮抗。

 私を叩き潰そうと迫っていた手のひらが、火焔の刺突に押し返されて小刻みに震える

 ノッポが表情を歪めた、次の瞬間だった。

 貫通。

 巨大な手に焼け焦げた穴が空き、でかい図体が一歩下がる。


「――勝手に逃げないでください」


 素早く懐に潜り込んだ。

 私の攻撃は終わっていない。

 帯剣を中心に渦を巻く火炎は、まだ煌々と揺らめいていた。

 ノッポの顔色が凍り付いたように蒼白になる。

星火エトワール一射ベック

 炎の嘴が今度は無防備な腹に直撃した。



 ここまで、カウントは30秒だ。



 さて、生き残りの方向はマナ探知で把握している。

 目の前に自分が歩く影が伸びる。背後で燃え上がる炎に照らされて。

「オイオイ……オイオイオイ!! 何死んでんだよオイ、ウゴール! 鎚掌(アルクス・マルクス)の堅さとタフさがお前の売りだろ冗談じゃねえぞ!!」

 木の影に身を隠していた犬歯が姿を現して喚く。

 切り捨てた腕の傷は布を縛って止血したらしい。

 仲間意識があったらしく、犬歯は怒りを露わにした。

「許さねぇぞ小娘! ウゴールはなぁ……ああ見えて根は優しい奴だったんだ。軍服のポケットでこっそり小さいウサギを飼って可愛がるような、ピュアな奴をよくも殺してくれたなぁ!?」

「……あの、巨大な手でウサギを? 可哀想に。ウサギは常に怯えていたでしょう」

「そりゃウサギは半日ほどでくたばっちまったが、ウゴールが優しくてピュアなことには変わりねえだろうが!!」

「それは優しいではなく我儘、ピュアではなく幼稚です」

 駄弁を交わし、残った敵へ迫りながら方針を考える。

 犬歯の武器は小回りの利くナイフ2本。白兵戦で同期を殺したため、まだ手の内まじゅつを晒してない。

 こちらが火力のある大技で攻める前に、相手の魔術が何かを先に確かめなければ、想定外の反撃を貰う可能性がある。

 帯剣をゆらりと振る。

「手合わせ願います。兎狩りは、弱いモノ虐めみたいで好みじゃないんです」

「誰が尻尾巻いて逃げるかよ……決めたぜ、腕の礼にテメェの顔をめちゃくちゃにしてから殺してやる!!」

 距離10メートル。犬歯が駆けだすと同時に、彼の残った右腕が素早く振られた。

 投擲だ。

 眉間に迫るナイフ。

 避ける時間すら、私には惜しい。

 左腕を眼前に配置し、ナイフを肉で受け止める。

 予期していてれば、耐えられる程度の激痛。

「ハァ!?」

 痛みを置き去るように駆ける。

 減速なく突進する私の一振りは、犬歯の想定よりも早く届く。

 後ろ手にもう一本のナイフが取り出され、上段からの振り下ろしが受け止められる。

「こんのイカレ女ぁ~腕を差し出して突っ込んでくるとか、頭おかしいんじゃねえのか……!」

「腕のない貴方へのハンデです。謝礼は結構」

 鍔迫り合いは互角だ。筋力では劣るが得物が大きい。

 膠着の一瞬で自分の腕に刺さったナイフを抜き取り、犬歯の残った腕へと振り下ろす。

「危ねぇなァ!?」

 刃が弾けて距離を取られる。ナイフの切先は空を斬ったが、間髪入れずに踏み込んで、帯剣を振り上げる。

 攻めるのは弱点となった左腕側。手首が無いと不便そうだ。

「ケッ、舐められたもんだなぁ。手負いには魔術も不要ってか!?」

 断続的に音が響く。ぶつかり合うナイフと帯剣。踏み鳴らされる落ち葉の絨毯。痛みに耐える悲痛な息遣い。私の鼻を抜ける山の清涼な空気。剣さえ持っていなければ、私たち二人は激しく踊っているように見えただろう。

 綻びはいくつもあり、それを突くのは容易いことだ。

 帯剣と奪ったナイフで隙を狙い、敵兵にひとつまたひとつと浅い切り傷を増やしていく。

「ガキを殺して回るだけの楽な仕事だった……はず、だろが……!! 何だよこの有り様は、何なんだよテメェはぁ!!」

 取りあってあげることはない。

 私には戦闘中に敵とお喋りする趣味はないからだ。

 敵の傷は10を超えた。さっき切断した腕と合わせて、ずいぶんと血を失っているだろう。

 そろそろ、手の内を明かしてくる頃合いか。

 その気の緩みが、隙を生んでしまった。


 赤黒い血が噴き出す。


 私の放った左一文字斬りを受け止めたのは、犬歯のナイフではなく、先を失った左腕の腹だった。

「ッツァ効くぜぇ……だがよぉ、失血狙いのぬるい剣には骨で十分だなぁ!?」

 自由になった右腕のナイフが私の喉を目がけて襲い掛かる。

 奪っていたナイフで咄嗟に軌道を逸らし、何とか傷を最小限にとどめた。

 浅い出血。通り抜ける腕。その奥から飛び込んでくる犬歯の膝。

 私の胸の中心に、膝蹴りが直撃する。

 地面を転がるが、すぐに立ち上がって構える。

「チッ……後方に跳んで威力を殺したか。でも入った位置は良いぜぇ~」

 息が乱れている。鳩尾みぞおちへの衝撃は肺や心臓へと直結だ。

「チャンスですよ……ハァ……今なら、そのナイフも私の首に届くのでは……?」

「いや、テメエをぶっ殺すのはこのナイフじゃねえ……この隙ならよぉ、呼べるぜ・・・・

「このマナ……まさか!?」

 犬歯が地面に跪き、詠唱を始めた。



『其は従順なる人形。木偶の坊ども枝条から根底まで働け働け――ウッドゴーレム!』



 固有召喚詠唱。

 とんだ奥の手が隠れていた。

 刻血契約。術士の血族と契約した精霊や召喚獣を呼び出し使役する。召喚術士の特権だ。

 周囲の木々が痛みに悶えるように捩れ、呻き、形を変えてゆく。

 土が盛り上がり顔を出した根。幾重にも紡がれた(それ)が足を象る。

 木の葉を散らして暴れる枝。捩じれて押し固まったのは巨大な拳か。

 2、3と言った少数ではない。私の周りにある全ての木々が、人型へと形を歪めてゆく。

「お勉強してるかぁ? ゴーレム系の召喚獣は1体1体は精霊に劣るが、数を呼べる。本来は小娘に使うもんじゃねえ、山では軍隊相手でも戦える召喚獣よ。標的が逃げるときに囲いとして使うつもりだったが……テメエみたいなクソガキを、完膚なきまでに叩き潰すにはちょうど良いよなぁ!!」

 ウッドゴーレムたちの体躯は元になった樹木に由来する。もちろん、私よりも何倍も大きな個体ばかりだ。

 不思議な感覚だ。さっきまで背景、フィールドだと認識していた山が、丸ごと敵に回っている。

 包囲網を狭めてくる山林てき

 木漏れ日が向こうから迫ってくるなんて経験は、滅多にできない。

Chesedケセド-kuphカフ

 だが、なんてことはない。

 単体で見ればさっき丸焼きにしたノッポと、大差はない。

 敵は手の内を明かした。ならばこちらも出し惜しみは必要ない。

「-Netzachネツァク-perペー-」

 大きな足が地面を揺らす振動が響く。

 私が踏みつぶされるまであと2歩。

 だがもう少しだけ待とう。射程範囲内に全ての人形ゴーレムが入るまで。

 大きく息を吸い、周囲のマナを意識する。

 目の前を木の葉が舞い落ちた。

 今だ。


Hodホド――星火エトワール燎原クレマシオン


 火-変化-活動の二連節詠唱。

 火焔の激流。

 それが私の周りでつむじ風の様に暴れまわった。

 発声器官の有無は気になるところだが、うめき声と木々の爆ぜる音が四方八方で鳴り響く。

 それは嵐の夜に似た不気味なざわめきと、煌々と辺りを照らすまばゆさの、両極端を内包する宴。

 後に残ったのは、しぶとい立ち木の燃え跡と、焼け焦げた山肌だった。 

 信じられない、という顔の犬歯と目が合った。

「……こいつはたまげたな。だが、流石に身に余る技だったんじゃねぇのか?」

 犬歯がナイフを私に突き付ける。

 鼻先から何かが伝う感覚がして、手で拭った。

 鼻血だ。

「“出来る”と“やっていい”は違うぜぇ候補生ルーキー生命核アニマの容量に見合わない大技の代償は、手前の命だ」

 汗が頬を流れ、息苦しさを感じる。

 確かにあれほどの魔術を本気使ったのは初めてだ。体に負担がかかっているのが分かる。

「講釈垂れて時間稼ぎですか。召喚獣を一手で封じられたのがそんなに痛手でしたか?」

 敵を目がけて剣を構える。

 すると、下品な口元が吊り上がった。

「だから候補生ルーキーだって言ってんだ。どれだけ燃やし尽くそうが……コイツには関係ねえんだよ!」

 無精な髭面から不潔な唾を飛ばしながら、犬歯は吠えた。

 さっきよりも一回り遠くから、幹のひしめく音が近づいてくる。

 揺れる木の葉。燃えカスの積もる地面から顔を出して束ねられてゆく根。

 再び紡がれていく樹人形ウッドゴーレムたち。

 なるほど、ゴーレム系は元から存在する個体を呼び寄せるのではなく、周囲の素材をもとにその場で創り上げられる召喚獣のようだ。いくら焼き尽くそうが、山林というフィールドでは無意味らしい。

「身を削ってまでの大層な魔術、ご苦労だったなぁ……労いのアンコールをくれてやるよぉ! 木さえあればウッドゴーレムはいくらでも生み出せる。山を丸ごと灰に出来るってんなら、是非ともやってみやがれ!!」

 再びにじり寄る木漏れ日。背後から鞭を打つように蔓がしなる。正面のゴーレムが枝の拳を握り、大きく振りかぶる。

 回避しなければ潰される。

 地面を跳ねると、さっきまで私のいた場所に、拳と鞭が殺到した。

 上がった土煙越しに、下卑た笑み。

 直接攻めたいところだが、召喚術士の前には数本の樹木。

 起動した樹人形ウッドゴーレムは攻防の二つの役割に分かれているようだ。

 首を絡め取ろうとした根を、しゃがんで避ける。

 現在、100秒。

 時間が惜しい。早く犬歯の首をはねるか燃やすかして、決着を着けなければならない。

「本来であれば貴方の失血を待ってあげるところですが、生憎先を急ぎますので、次で仕留めます」

 犬歯は嬉しそうに顔を歪めた。

「ぬかせよ、クソガキ。20体以上ものゴーレムを突破できるわけがねぇんだ。気の利いた命乞いでも考えた方がいいぜ」

 思考を乱す雑音。話しかけたのは私だが、余計な提案を聞いてやる義理はない。

 投げ槍のように投擲された枝を3つ躱し、1つを斬り払ってウッドゴーレムの群から距離を取る。

 まず前提として、召喚術士を倒せばどんな召喚獣であろうと精霊であろうとこの世界との繋がりを失って消滅する。だから、犬歯に最短距離で届くように、最小限のゴーレムだけを倒して進む。

 生きてバジル様の元へ加勢に向かうには、大技の連発はできない。

 狙いは決まった。

Chokmahコクマー-daletダレット-Binahビナー

 火-不動の詠唱。

 魔術を決める最低限の基礎は6つの属性と3つの性質だ。

 すなわち、火水風雷土無×活動・不動・変化の18種。

 不動の本質は、生み出した魔術を『固定・維持・蓄積』するところにある。

 最短ルートで数体だけを燃やすなら、手元に強力な火種が1つあればいい。

 先ほどまで乱発していた火焔を、今度は私の武器に集中させる。

 熱が自分の身を焦がすリスクはある。この剣も長くは耐えられないだろう。火は常に扱いに細心の注意が必要な暴れ馬だ。

 裏を返せば、最も攻撃力の高い属性。それが火。


星火エトワール天降フィラント


 刀身を、鍔から切先までゆっくりと撫でる。

 帯剣に燈る高密度の炎を、閉じ込めた(・・・・・)。

 陽炎が空気をも焦がす、高熱の武装。

「生木といえど、これだけの熱量相手にどこまで耐えられるでしょうか?」

 魔術の極点集中。良質な炭のように赫灼と輝き、熱を内包する刀身。

 距離を詰めて襲い掛かってきたウッドゴーレムのどてっぱらに、帯剣を突き刺した。

 剣に抵抗感はなく、切っ先が幹を突き抜ける感覚が手に伝わる。

 よく煮た野菜にナイフを突き立てるのと変わらない。

 直後、あまりの高熱に耐えかねて、樹木は内側から発火した。

 苦しみ、悶えて暴れる。

 駄々をこねる幼子のように、地面をのたうち回った。

 目障りなそれを更に両断。幹を境に根と枝葉の塊が地面に転がって、激しく燃え上がった。

 犬歯が怯えるように一歩足を引く。

 何やら喚いているがそれを遮るようにウッドゴーレムが殺到する。

 正面右の一体を縦に両断して、その間を駆け抜けた。

 思った通りだ。

 犬歯は星火エトワール燎原クレマシオンでの一網打尽を避けるためにゴーレムを縦列に配置した。しかしそれでは私に同時に仕掛けられるゴーレムは精々3体が限度。穴をあけて残りは無視して進めば、倒す敵は7体程度で済む。

 ゆく手を塞ぐ生きる木々。

 私を目がけて、伸びる蔦。しなる枝。打ち付ける幹。

 そこから先は単調な作業だった。


 薙ぎ払う。


 焼き払う。


 斬り拓く。


 焼き拓く。


「く、来るなああああああああああああああああああああ!!!」

 伐採作業を終えて、いつの間にか目の前には無様にナイフを振るう犬歯の姿があった。

 やけくその投げナイフが跳んでくるが、赫灼の刀身で斬り伏せた。

 もう終わりだ。大きく踏み込んで、上段から帯剣を振り下ろす。

 犬歯の頭を守る鉢型兜バシネットに帯剣がぶつかり、そして、私の剣は粉々に砕け散った。



「――え?」



 飛び散る破片の奥で、お互いが驚愕の表情を見せあった。

 人形を斬るのは最小限に抑えたはずだ。だが、それでも刀身にかかる熱の負担は想像を超えていたらしい。私の帯剣は、私の魔術の熱量に耐えきれず砕けたのだ。

 次の瞬間、私の喉元には敵の爪が鋭く食い込んでいた。足元を崩されて背後に転倒する。

はしゃぎ過ぎたなァ」

 馬乗りになった犬歯の勝ち誇った顔から、荒い吐息が降りかかる。

 息が出来なくて嗚咽が漏れる。首を絞める手を剥がそうとするが、全身全霊の握力には敵わない。

 地面が揺れる。そうだ、ウッドゴーレムは10体以上残っている。

 方針転換だ。私は腰に手を伸ばし、そこに納めていた借り物のナイフを抜き取って、犬歯の腕に突き刺した。

 出血が顔面に降りかかり、気道が解放される。

 ナイフの刺さった腕を恨めしそうに見つめる犬歯だが、それを抜く左手はない。今度は残りのウッドゴーレムを睨むが、亡骸の炎が延焼し飼い主への道を阻んでいた。

「クソ、クソクソクソクッソ! こうなりゃヤケだ、ウッドゴーレム!! ここで産まれろ!!」

 犬歯は腕の痛みに耐えながら、馬乗りの体勢を固持した。この体重差では返せない。

 それでももがいていると、右腕が何かに巻き取られた。目を向けると、根が絡みついている。

 瞬く間に地面から根が突き出してうねり、だんだんと犬歯と私を包み込んでいく。足、首、腰、頭と固定されて、身動きが取れなくなる直前、咄嗟に残っていた左腕を犬歯の首へと伸ばした。

 思いっきり掴んでいるが、私の片腕の握力では敵を窒息させるほどのパワーは残っていない。

「どうした……限界かぁ? 仲良く人形の内側で潰れちまおうぜ? それともテメエの首筋が近づいてくれば、思いっきり噛み切ってやるのもいいなぁオイ!」

 この戦闘意欲だけは称賛に値する。両腕が使い物にならなくなっても、この敵兵はまだ私を全力で殺しに来ている。

 私も、まだ諦めるつもりはない。 

「貴方のような下品な男と心中なんて、お断りです」

 お互いの全身に根が巻き付いて、だんだんと周囲も埋め尽くされていく。

 このままでは、ウッドゴーレムの内側に取り込まれて圧死だ。

 浅く息を吸い込んで、覚悟を決める。

 そうなるくらいなら、この左腕を犠牲にしたっていい。



Netzachネツァク-perペー-Hodホド



 火属性-活動の魔術詠唱アレフヴェート

 持てる武器は使いつくしてしまったので、残っている自分の左腕ごと、思いっきり火焔で包んだ。

 犬歯は絶叫した。

 当然だ、首元から発火し、顔面を丸ごと燃やされているのだから。

 ゴーレムに圧死させられるのが先か、それとも召喚術士の頭蓋を燃やし、ゴーレムが消えるのが先か。

 1秒を争うこの状況で、火加減は出来ない。

 当然、私の左腕にも火傷の痛みが殺到する。だが私はそれを、カウントダウンに集中することで無視することにした。

 現在、168秒、169秒、170秒、17ッぁくあああぁああッ!!?

 私の燃え盛る左腕に太い根が伸びて絡みつく。いや、締め上げる。

 もし腕に万力を絶え間なく敷き詰めたなら、こんな痛みを味わえるかもしれない。

 折れる。

 確信した。

 そこでようやく私は、自分の戦い方が間違いであったと気づいた。

 帯剣に負担をかける魔術は悪手だった。

 功を焦るばかりの先走りだったと。無傷ではいられないと。即座に敵を殺すことは叶わず、腕は取り返しのつかないことになると。

 ああ、失敗した。



 ――けれど、それがなんだと言うのだ。



Netzachネツァク-perペー-Hodホド!!」

 最後の力を振り絞って再びマナを込める。

 たったひとつの間違いごときが。


「私とバジル様の邪魔をするなァッ!!!!」

「さっさと絞め殺せウッドゴーレムゥッ!!!!」


 二人の絶叫が山間にこだまする。

 直後に、私の腕の骨が砕ける音がした。口に含んだ氷を、かみ砕いたときのような音が、2度、3度、4度と続いて。負けじと炎が敵の頭と根と左腕を一緒くたに焼いてゆく。痛覚が腕から全身を浸蝕し燃やし尽くしていく。

 鈍痛と疼痛が交互に暴れながら全身を駆け巡る。異常が五感をも支配する。

 赤々と、煌々と、ゆらゆらと揺らめくなにか。視界に何が映っているかもわからなくなる直前に、背中に衝撃があった。

 周囲には全身を包んでいた根が、力なく地面にうなだれている。

 腕に巻き付いていた十数本の木の根が炭と化し、ぼとりと解けて地に落ちる。その炭の先に、頭部が真っ黒になった人体が転がっていた。


 勝ったんだ。


 私は根の中から立ち上がり敵の死体を跨いで先へ進む。

 余韻など必要ない。

 腕をぶら下げて、短い一歩を繋いでいく。

 大丈夫だ。

 これならバジル様を助けに行ける。

 敵の親玉らしい、“特派隊長”とやらにだってきっと2人なら対抗できる。

 私が戦う理由は今も昔も変わらない。

 たった1つ――バジル様を守るために戦う。

 あの人のことが大切だからずっと、ずっとずっと戦ってきた。

 お屋敷の中でも。住まいがボロ屋に移り変わっても。追い出されても。奉公を終えても。

 私はずっと、バジル様のために戦ってきたんだ。



「バジル様……私、あなたのことを、お慕い申しております……」



 進む。

 ずっと言えなかったあの言葉がふと口を突いて出た。

 進む。

 ここから全力で急げば2分ほどだ。

 間に合う。

 間に合わせないと。

「すぐに、カチュアが参りますから」

 視界が明滅する。

 マナの欠乏を感じる。上手く呼吸が出来ない。また鼻血が垂れてくる。

 あんなに大仰な魔術を何度も使ったのは初めてのことだった。

 左腕に激痛が走る。

 複雑骨折と大火傷。一歩歩くたびに、突き刺した千本の釘をかき混ぜられるようだ。

 そんな些細なことは、どうでもよい。

 私は、私の存在意義はひとつ。私の生きる理由はひとつ。

 それが脅かされようとしている。

 だからお願いしますバジル様。

「ど、うか。お願いです、どうか……どう……か…………」

 視界が明滅する。

 頭痛が止まない。

 うまく歩けない。

 空の青と、木々の緑と、地面と枯れ葉の茶が捩じれて混濁する。

 どろりとした黒色が徐々に、目の前を覆い尽くして――――





 ――どうか、私が行くまで……ご無事でいてください、バジル様。





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