Episode16.共闘
ずっと、心の奥底に沈んでいたのは、澱んだ暗闇の塊のような気持ちだった。
それを何と呼ぶのだろうか。
わからないまま、ボクはずっと、それを無視するように魔術の研鑚に勤しんだ。
滲みだす暗闇の色が、だんだんと心を埋め尽くしてゆく。それに抗うようにして、剣を振り続けた。
逃げ続たとしても、この心が晴れ渡ることはないという確信はあった。
けれども、勇気を持つことが出来ないままボクは。
ボクと言う臆病者は。
今日という日を迎えてしまったのだ。
Episode16.共闘
息を切らせて、山中を無我夢中で走る。
『大事な人を、生半可な気持ちで助けになんて行くな』
ついさっき、ユージーンに言われた言葉だけが、頭の中をぐるぐると回り続けていた。
その言葉は、ボクを諫めるのに正しく満点のものだっただろう。
ずっと、ずっと、ずっと。
カチュアと訣別したあの日からずっと。
ボクは心の中に重く横たわっていた気持ちを、見て見ぬフリをし続けていた。
そんなボクを叱責するのに、あれ以上の言葉はない。
何もこんな切羽詰まった、九死に一生の状況でやらなきゃいけないことだろうか?
無論だ。
ボクが魔術師団を目指すのは、降りかかる理不尽から自分や家族を守るためだ。
これは訓練ではない。実戦の場で、その信念に背くようなことはするべきじゃない。
だから今なんだ。
ボクがカチュアを失ったことに対する後悔と向き合うのは、今しかないのだ。
ボクはこれからカチュアを助けに行く。
そしてちゃんと伝えるんだ。
本当はあの娘には、もっと自由に生きて欲しい。
今のままじゃ真逆だ。
カチュアは何も手につかず、生気を失った抜け殻のようだ。
ボクなんかよりもずっと、ずっと才能に満ちていて、ずっと努力家で、ずっと心優しい。そんな彼女が、このまま腐っていく姿なんて、許さない。
カチュアの生命核を感じる方向へ駆ける道中。
ふいに感極まって、視界がぼやけてしまうほどに、涙があふれ出してきた。
息切れに嗚咽が混じる。
ダメだ。こんな情けない顔は見せられない。
咄嗟に袖で涙を拭きとる。
その、瞬間だった。
「――おい! 止まれ!!」
危機。
それだけは理解した。
一瞬で思考がクリアになった。目の前に敵がいる。ただそれだけのことにすべてが集中した。
こんなところで足止めを食っているわけにはいかない。
視界はまだぼやけているが、敵兵はすぐ目の前に突如現れた。
まだ、相手は構えていない。
走る足を止めることなく、逆に加速させる。
やるなら先制だ。腰に提げた帯剣の柄を、握る。
抜刀。
目の前の敵に一気に近づいて、剣を振り降ろす!
「って、おいおいおい!? 何すんだよ、バジル!!?」
金属音。
そしてその直前の慌てふためいた声は……妙に聞き覚えがあった。
鍔迫り合いの手は緩めないまま、まばたきを繰り返す。
徐々に鮮明になってゆく視界に浮かび上がった敵兵――もとい、セウロ・スペードの顔は信じられないようなものでも見たかのような表情を浮かべていた。
「って、キミかセウロ紛らわしいわ!!!!!」
と、いうわけでボクが切りかかったのは敵兵ではなく、王国魔術師団候補生同期のセウロ・スペードだった。
今日はあまり見たくもない顔に二連続だ。運が悪い。
「いきなり斬りかかってきておいて謝罪も無いのかお前は……? 非常時とは言えバジル、やっぱりお前とは決着つけておいた方がいい気がしてきたぞ」
「やかましいなセウロ。間が悪いんだキミの間が。しかも無能故にマナ探知に反応無しと来た。伏兵と間違われてもやむおえまい」
こちらとしてもさっきの一撃で斬ってしまいたかったところだ。
「なにおう、まるでこっちが悪いみたいな言い方だな!?」
憤慨するセウロ。
普段なら相手してやるところだが、生憎時間がない。
カチュアの元へ、少しでも早く駆けつけなければいけない。
「仕方ないな……屈辱的だが、今日のところはボクの非を認めよう。だからそこをどけ」
「……は?」
ボクの物言いが意外だったようで、セウロは呆けたような面を晒す。
「驚いたな。お前らしくもない……いや、この非常時で呑気に喧嘩してる場合じゃないか」
コイツ、どうやら今までボクと呑気に喧嘩をしていたらしい。こっちは常に本気だというのに、まったく腹が立つ……が、ここは抑えなければ。
非常時と彼は口にした。マナ探知を使えないセウロでも、この状況を把握はしているらしい。つまり少なくとも一度は直接襲われたというわけだ。
ならば話は早い。
「セウロ、キミは早く下山して第三魔術師団分隊に状況を伝えるんだ。ボクは生憎手一杯でね。この大役、キミに任せよう」
「なっ……おい、お前、どこ行く気だよ!!」
するりと脇を抜けて走り出そうとしたが、肩を掴まれた。
「ええい! こっちは一刻を争うんだ! 離さないかセウロ!」
「馬鹿言え、そっちにどれだけ敵兵がいると思ってるんだ!! 2人や3人の騒ぎじゃないんだぞ!」
「わかってるさ! だからこそ助けに行くんじゃないか!」
向き合った瞬間、がっつりと胸ぐらまで掴まれた。
離す気は無いと、馬鹿力が胸を締める。
「何しに行くって? 死ぬぞ!? それこそ魔術師団の救援を呼びに行った方がいいって話だろ!」
「それじゃあ間に合わないかも知れない! は、な、せ……お前に構っている暇などな……ん……!?」
突き放そうとするボクと、掴んで離さないセウロ。
額をぶつけ合う二人。
意地の張り合いの果てに、我慢より先に制服が千切れるのではないかと憂慮した。
そんなにらみ合いの最中――あまりにも膨大なマナの塊が、探知に引っかかった。
「待て、黙るんだセウロ」
「はぁ?」
あまりも規格外だが……これは、魔術の反応か?
心なしか、何かが焼けるような臭いがする。
一瞬遅れて、遠くから轟音が響いた。
荒々しい慟哭。山の鳴動。
胸ぐらを掴んでいたセウロの手がほどける。揺れに耐えようと膝を少し曲げて姿勢を低くする。
二人して顔を見合わせた後、傾斜の上を見上げた。
あまりにも巨大すぎるそれは、全容を認識することすら困難に思えた。
山崩れ。
――巻き込まれる。
視界に映った大木が、風に舞う藁のようにいとも簡単にひしゃげるのが見えた。
脊髄反射的に身体が動く。
魔術詠唱を最短で口ずさむ。
間に合ってくれ。
「Gevurah-Lamed-Tiphereth!」
土-活動。
今度はボクがセウロの胸ぐらを掴み、ぐっと引き寄せる。
直後、山道の足元から造り上げた不出来な石柱が勢いよく競りあがった。
「跳ぶぞ、セウロ!!」
「ちょ、え!? 嘘だろおおい!!?」
石柱の上昇に合わせ、加速するボクら。
自分の身体機能を増強させるような使い方は、土の魔術師ならではの技だ。
石柱が2階建ての家屋ほど伸びる。
そこから勢いをのせて跳躍。
周りの木々よりも高い位置にたどり着く。
最高到達点。一瞬の空中浮遊。その最中ボクらが垣間見たのは、足元の何もかもを土石流が破壊し尽くしてゆく姿だった。
圧倒的な災害が、眼下のすべてを飲み込んだ。
浮遊が終わる。
唖然としている暇はない。この高さから、もみくちゃになった二人が無事に着地をしなければならない。加えて、破壊の跡が残る足場は非常にコンディションが悪い。
落下と同時に詠唱。
「Cochma-he-Tiphereth」
今度は土-変化。
地面に激突する寸前。やわらかい砂が、僕ら二人の体を包んだ。
「ごほっ……うぉえ、砂飲んだ……」
なんとか窮地を脱し、大きく息を吐く。
「無事だなセウロ。ボクが世話してやったんだ。無事でなきゃ許さないぞ」
「言い方どうにかなんねぇのか。まあ、今のは助かった。ありがとな、バジル」
ぞっとする。セウロに感謝されるなんて鳥肌モノだ。
「止めろ、気色悪いから礼など言うな」
「……オーケー。二度と言わないからな」
覚えてろよと指を指してくるセウロ。助けるんじゃなかったとは言わないが、着地くらいは地面にぶつけておけば良かった。
「ところでなんだよ今のは。考えたくないが、山崩れなんて早々出くわすもんじゃないよな?」
「当たり前だ。起こり得る災害だが、今考えるべきは……」
そうだ、ボクは思い出した。
元々はこの山崩れが起きる直前に、山の上から強大なマナを感じたんだ。
この山崩れは、人為的に起こされた可能性がある。
そう、口に出そうと、顔を上げた瞬間。
莫大な生命核を、頭上に感知した。
「セウロ、敵が来る!! かなり強いやつがッ」
「……! どこだバジル。どこからくる!」
「上だ!!」
衝撃が落ちてきた。
「――あれ、二人いたのか」
ボクとセウロの間の狭い空間に、それは降り立った。
沸き立つ土ぼこりの隙間に見えたのは、白銀の全身鎧。
目が合った気がした。
茫然とした。いや、圧倒されていた。人間とは思えないほど、余りにも強大な生命核に。
何もできず視界を映すだけのボクの瞳に、全身鎧の背中ごしに斬りかかろうとしたセウロが見えた。
次の瞬間。
土ぼこりを裂いて飛び出してきた裏拳が、セウロの肩に直撃した。
暴風。
荒れ狂う風に土ぼこりが一瞬で晴れ渡るのと同じ勢いで、セウロはボクの視界から消えるように吹き飛んだ。
一瞬の出来事で、ボクにはどうしようもなかった。
目が追った先には、荒れた山肌を超えて吹き飛び、遠くの樹の幹に直撃するセウロ。
彼はそのまま地面にずるりと落ちて微動だにしなくなった。
「ああ……なんだよ。俺様の山崩しを捌いた奴がいると思って跳んできたのに……この程度かお前ら。しょーもな」
こちらに振り返る敵兵。その拳には、力が込められていた。
詠唱が口をついて出た。
「Kether-aleph-Cochma」
防衛本能だ。
目の前に創り上げた土の壁は、その役目を1秒で終えた。
砕け散った壁。
その穴から吹き荒れる暴風。
衝撃で身体は宙を浮いて、山の斜面を無様に転がった。
「へえ、土属性の割には早いな」
痛みは軽微だ。咄嗟の判断、土の壁一枚が命を救った。
敵はおそらく風属性の魔術師。生命核は桁違いに莫大だが、属性の相性はこちらに分がある。風属性は同量のマナから生成できる重さ、つまりマナ比重が最小に近い。比べて土属性は最大だ。
転がってる場合じゃない、物量で押し切るんだ。
「Gevurah-Lamed……」
立ち上がるよりも早く詠唱を始めた。
「Tiphereth!」
構えると同時に周囲の土砂が動き出し、塊となって敵兵へと襲い掛かる。
「戦意も残ってるな」
白銀の全身鎧は、嬉しそうに呟いた。
両手を広げ、無防備のままで。
攻撃が届いた瞬間、風が吹き抜けた。
飛び散る土塊。
攻撃が直撃したその場所には、まったく同じ姿勢で両手を広げる敵兵がいた。
「なあ、もしかしてお前が英雄か?」
ぞっとした。
おかしいだろう。詠唱はなかった。マナの収束もなかった。感知できない速度のカウンター? いや、だからと言って無防備を晒す必要はない。
ボクの表情があまりにも困惑としていたからだろうか、敵兵がそれに気づいた。
「おっと……悪かったな。新しいオモチャはつい遊びたくなるもんだろ? 折角だから性能テストに付き合ってくれよ」
軽薄な会話は、こちらを脅威と思っていない証拠だろう。
敵兵は足元の石ころをつまみ上げ、親指で空へと弾いた。
伸ばした腕の籠手へと石は落ちる。
次の瞬間、その石が接した場所から暴風が吹き荒れた。
ボクのすぐ隣で、飛来した小石が跳ねる。
間違いない、これは魔術だ。
「感応詠唱装甲鎧ってんだ。仕組みはわかっただろ? 攻撃を受けると自動で魔術のカウンターを発動させる鎧だ」
暴風の余波で、木の葉が周囲に舞った。
「うちの国には凄腕の鍛冶師の一族が居てよ。なんでも始祖に鍛冶を教えた見返りに、魔術詠唱を魔銀に刻み付ける技術を受け取ったらしいんだが……どいつもこいつも頭のネジがぶっとんだ武具しか作らねぇ」
そのうちの一枚が敵兵の元まで近づくと、彼はその木の葉を手の甲に乗せるように優しく受け止めた。
「この鎧なんか最たる例よ。衝撃に合わせて勝手に持ち主の生命核を消費しちまうもんだから過去の持ち主はみんな枯れ果てて死んだんだが……ようやく使い手に恵まれた」
次の瞬間、枯れ葉は手の甲を起点として吹き荒れた暴風に裂かれ、粉々に散った。
こんな人間は始めた見たと断言できるほど、底無しの生命核だ。
「俺様の名前はイグナート・ディノイ・デロウス。この鎧の使い手としても、特派分隊の隊長としても、この作戦がデビュー戦だ。まだ体に馴染んでなくてね。どうせ殺すんだから、死ぬ前に役に立ってくれよ。この鎧の弱点、ひとつやふたつ見つけていってくれ」
自信満々な面が、気に入らない。
特派分隊の隊長が何だって言うんだ。
今まで無差別にボクたち候補生を殺していたくせに、敵に対して悠長に種明かしと自己紹介なんて、舐めてる。
いいだろう。侮辱には返礼を。
腰から帯剣を抜く。
ボクがイグナートの相手をしていれば、それだけコイツに殺される人数が減る。
……少なくともコイツとカチュアが鉢合わせる可能性は減ると信じたい。
帯剣を握る手が震える。
怯えるなよ……覚悟を決めろ、バジル・グレーバー。
1秒でも、長く持たせる。
ボクに残された仕事は、それだけだ。
「――弱点、ひとつ見っけ」
砂の上に立つイグナートの背後に、剣を水平にして振りかぶるセウロの姿があった。
「なにッ……!?」
直後、金属音が鳴った。
風が吹き荒れることはなく。
セウロとイグナートは、互いに剣をぶつけ合い、力を拮抗させていた。
「鎧の隙間……例えば兜と首鎧の間を垂直に攻撃したら、流石に発動しないんじゃないの? 鎧」
「そりゃあ正解だがよ……その前に何でぶっ殺したはずの手前が生きてるのか説明しろや……!」
「死んでねえからに決まってるだろ……バジル!!」
敵兵へと果敢に斬りかかったセウロの姿を見て、震えが止まった。
名前を呼ばれたことに応えるように、咄嗟に詠唱を始める。
セウロがあのまま敵に寄られれば、いずれあの鎧の餌食になってしまう。
創り上げるのは石柱。
剣と剣が弾け、金属音が響く。
距離を取ったセウロと入れ替わる様に、伸びた石柱が敵を目がけて直進していく。
先程の細かい攻撃はカウンターで返された。ならば一点突破の威力で勝負だ。
「試行錯誤はいいが、力比べは悪手だろ……Cochma-vav-Chesed――」
イグナートは剣を振り、風の魔術を発動させた。思い出されるのは、山崩れの直前にあったマナの収束。
風-活動。その威力は桁違いだった。
「――嵐鋭虎口ッ!!」
嵐が山肌ごと抉り取るように、全てを破壊する。
一掃。ボクの攻撃は届くことなく振り払われた。
余波で山の木々が騒めく。鎧のカウンターとは比べ物にならない。アイツに詠唱をさせるのは命取りだ。
だがセウロと合流する隙は作れた。土石流の跡に出来た障害物の影に二人で潜む。
イグナートとボクらの距離は25メートルほど。これだけ距離があっても不安だが……作戦会議をする時間くらいはあるだろう。
「セウロ……無事だったか」
「死ぬほど痛えけど動ける。死んだのどうのってのは、アイツがマナ探知で勘違いしただけだろ」
そうだった。セウロはマナ探知に引っかからないほどに生命核がか弱い。戦術においては探知伏兵と同じ役割、つまり奇襲をすることができる。
意外な優位性だ。まさかこんなところで足手まといが役に立つとは。
しかし、元々探知伏兵というのは生きて帰ってくることを想定しない戦術だ。寝首をかくには、相応のリスクが伴う。
「もう一度だけ確認する……セウロ、山を下りて第三師団分隊に報告する役目、やる気はないか?」
「お前を置いて逃げろって? 愚問だろ。魔術が使えなくっても、やれることはある」
「これはもう戦争だ。実戦では、魔術を使えないキミに容赦してくれる敵はいないぞ」
「その問答は、候補生学校で飽きるほどやった。覚悟は済んでるし、さっき既に一発貰ってんだよ」
「……では、別の提案だ。ボクが行こうとしていた南西方向にカチュアがいる。あの娘を、助けに行ってくれないか?」
「……ッ! オレが敵を見つけて回避してきた方角だけど……いや、バカ言えよ。オレが行っても嫌な顔されるだけだろ」
それはそうだろう。あの娘はボクにつられて熱心なスペード家嫌いだ。
「バジル、わかってるだろ。相手は強い。一人も逃がしちゃ貰えないし、死ぬ気で戦わないと殺される。だからお前とオレで協力して、アイツを倒すしかない」
悔しいが、セウロの言う通りだ。
「……では同じ王国魔術師団の候補生としてキミに頼もう。足と剣で敵を翻弄してくれ、お前が鎧の隙間を狙って攻撃している間は、敵は大きな魔術を打つ余裕はない。その間にボクが土の魔術を当てる。それを何度も繰り返すんだ」
「何だ、策はあるのか?」
「弱点その2だ。おそらくやつの鎧は――」
「――いいよ、乗った」
セウロは帯剣を持った腕を振り回し、障害物の陰から歩き出す。
「おい待て、まだ弱点の説明が」
「要らねえ。引っ掻き回せばいいんだろ? さっき山崩れから助けてもらった借りもある。さっさとやろうぜ」
「白兵戦になる……ボクより危険な役回りだ。それに、二度はない。お前は次に一度でもまともに喰らえば本当に死ぬぞ」
「死なねえよ」
セウロはこちらを振り返った。
その顔はどうしてか自信に満ち溢れている。
「約束があるんだ。こんなところで死ねない……だからお前も、オレを信じてその弱点とやらに集中しろ」
「……頼んだぞ、セウロ」
「任されてやるよ、バジル」
腕を組んで静止していた敵兵が、突然納得したような声を上げた。
「なーるほど! じっくりマナ探知してみればお前、生命核の反応ほとんどないな。完全に近いレベルの探知伏兵か。王国もやってるとは知らなかったな」
物陰から顔を出したセウロが不機嫌そうに睨み返す。
「そんなつもりはねえよ」
「こんなに元気に動ける探知伏兵は珍しい。帝国兵の間じゃ半死人って呼んでるのによ」
敵兵とセウロの会話の間で、魔術詠唱を紡ぐ。
それに合わせて、セウロは帯剣を構えて走り出した。
「そりゃ失礼だぜ。その兵士にも、オレにもよ!!」
「馬鹿にしてんだ、気づけよ半死人!」
「Kether-aleph-Cochma!」
土‐不動。まずは直線、石柱の突貫。
セウロを追い越して石柱の頂点が敵兵へと届く。
直後、敵が振りかぶった拳が激突した。
荒れる暴風。
風なんてもんじゃない。爆発の衝撃波だと思った方が近い。
事実、ボクの打ち込んだ石柱は砕け散った。
破片の奥で、満足げにこちらに視線を寄越す白銀の全身鎧。
その、背後。
石柱の陰に隠れて接近したセウロが、先程と同様に鎧の隙間を狙った斬撃を繰り出す。
金属音。
剣と剣がぶつかって弾ける。
マナ探知に捕まらないセウロの奇襲を、イグナートは難なくいなして見せた。
「何か策があるな? いいぜ、遊んでやるよ。俺様を困らせてみろ」
「半死人に殺されない様に、せいぜい気をつけな!」
繰り返し鳴り響く金属音。
いいぞ、敵は鎧のカウンターを発動できていない。
鎧と一口に言っても様々な種類がある。
地域や時代、作り手によってもデザインは千差万別。
その中でも、敵兵の纏う白銀の全身鎧は、実に白兵戦向きの代物だった。
剣や槍の突きを通しかねない隙間が、ほとんどない。
全身を隈なく包み込む造り。
そんな相手に対し、セウロは的確に隙をついた攻撃を繰り返していた。
「弱点は首、肘の裏、脇の下……目線!」
高い位置への突き。
目玉を貫かんとする帯剣の切先を、下段からの斬り上げが払いのけた。
セウロはその流れを受けて剣筋を逃がしながら、身を最小限にかがめる。
彼が見上げた目線は、露わになった脇の下へ集中していた。
イグナートが焦りを見せる。今からじゃ弱点を隠すことも、防御も、後退も間に合わない。
セウロが一歩踏み込む。逆袈裟斬りの構え。その軌道線上に鎧の切れ目。
一瞬の攻防の最中。
敵兵は、防御を捨てた行動に出た。
両手持ちの剣から片手を手放し、肘を突き落とすような素振り。
エルボードロップだ。
まずい、あれだと鎧が発動する。セウロは暴風に圧し潰されれしまう。
叫んだって間に合わない。
互いの軌道は予定通りに交わる。
イグナートの肘撃ちがセウロの背中に落ちる瞬間。
セウロはイグナートの脇の下を――駆け抜けた。
エルボーが誰もいない空間を落下する。
暴風は起きない。
互いにダメージもない。
そこにいるはずの人間が消えた。
白銀の全身鎧が、驚愕して振り返った先に。
その視線を抉り取るような、斬撃が待ち構えていた。
軽快な金属音が響く。
中空に舞う兜と鮮血。
慌てて距離を取った敵兵と相対するのは、満足そうに笑うセウロだった。
「脇の下狙いが回避不能な最善手……誰が見てもそうだった。でもな、最善手が潰されるなんてのはうちの訓練では当たり前なんだ。どっかの鬼教官相手だと、最善手を敢えて外した一手の方が刺さりが良くてね……やっぱり、アンタなら対応してくると思った」
「このクソガキ……やってくれたな。脇の下はブラフで、執拗に目線狙いとは……!」
よくやったセウロ。このときばかりは流石のボクも思わずガッツポーズした。
敵兵は足元に落ちた兜を拾い上げる。
露わになったイグナートの額には一筋の切り傷があり、そこから顎へと流れるように血が流れている。
うっとおしそうに、顔面を通る血液を拭う。
年齢は20代前半か。魔術師としても全盛期だろう。北国出身らしく色白の肌に、赤みがかった短髪が目立つ。
「やっと面拝めたな……イグナート。次は顔面を貫く一撃を入れてやるよ」
帯剣の切先を向けて、挑発するセウロ。
その言葉を受けて、敵兵は破顔した。
「フッ……アッハッハッハアハハハハッハ!!! あり得ないね! 二度はねぇ……手前は今すぐ暴風で粉々にしてやるんだからな!!」
兜を被りなおしたイグナートは、目の前の地面を思いっきり殴りつけた。
巻き上げられる山肌。
小規模だが、山崩しと同じ原理だろう。
セウロに襲い掛かる土砂と瓦礫の嵐。
「Kether-aleph-Cochma!」
これを止めるのは、ボクの役目だ。
地面から這い出た壁が、ドーム状にセウロの頭上までをカバーする。
土壁にぶつかって地面に落ちる瓦礫。鈍い音が続く。
「――Cochma」
マナ探知から、悪寒が全身に走った。
低い声はイグナートの喉から聞こえた。
マナの収束は、構えた剣に。
「vav――」
これは鎧の機能を使った魔術じゃない。
彼が本気で放つ一撃だ。
山崩しと同じ規模。人間一人に向けるレベルじゃない。
セウロを守る壁なんて、紙切れ同様に吹き飛ぶだろう。
敵の剣がマナで震える。
「おいおい、どこを狙ってんだ?」
イグナートの視線の外。
彼の側面から現れたセウロが、構えを崩すように斬りかかった。
セウロはボクの土のドームが出来上がった瞬間、すぐにそこを離脱し、周囲の障害物に身を潜めて敵兵へを接近していた。
詠唱を遮られ、マナの収束が解除される。
「くっそ……これだから半死人は……!」
「でかいのは打たせない。そのために俺がちょっかい出してんだからな……バジル、畳みかけるぞ!」
「指図はやめてもらおうか! もともとはボクの作戦だ!」
軽快にセウロを毒づきながらも、詠唱を始める。
そこからは何度も同じような応酬が続いた。
セウロの隙間狙いの一撃に対し、鎧ではなく剣で受けるしかないイグナート。
ボクの詠唱に合わせてセウロは後退し、土の魔術が敵兵を襲う。
鎧が発動し、土の魔術が弾かれる。
この一連の流れだ。
ボクらは圧倒的に不利だ。セウロは鎧のカウンターを受ければ終わり。ボクは距離を詰められ、白兵戦を強いられれば終わり。二人とも、山崩しレベルの一撃を打たれれば終わり。
それをさせないために息を合わせて攻撃をスイッチしながら敵より先手を取り続ける。
その綱渡りを何度も何度も繰り返して……勝機はそこにあると信じていた。
自動で風を起こし、こちらの攻撃を相殺かつ反撃する鎧。
感応詠唱装甲鎧。
自動ということはつまり、オン・オフの制御不可能ということだ。
奴がデモンストレーションで見せた小石や枯れ葉が良い例だ。
先程セウロに言いそびれた弱点は、“枯渇”だ。
ヤツの生命核がどれだけ規格外で膨大だろうが、それが尽きればどんな魔術師でも戦えなくなる。マナ欠乏症と呼ばれる状態で、酸欠や貧血に近く重症の場合は意識すら失う。
必ず果てはある。
必要なのは手数だ。
また、金属音が鳴る。
「魔術でゴリ押しタイプのクセに、意外と剣術もやるじゃんかよ!」
「クッソ生意気なことに、剣の腕は立つな……だが、そろそろ息が上がってきたんじゃねぇのか!?」
セウロとタイミングを合わせ、詠唱を何度も繰り返す。
砂礫を集め、横殴りの雨のように敵兵へとぶつける。
イグナートはそれを難なく鎧から起きる風で吹き飛ばしていく。
もっとだ……もっと手数を……!
「Cochma-he-Tiphereth!」
白銀の鎧の背後の土を盛り上げる。中身は土砂崩れで出来た瓦礫だ。
先程セウロを襲った攻撃の意趣返しだ。
高さは数メートル。家屋の2階よりも高い位置から、自由落下でイグナートに降り注ぐ。
「砂礫の乱打に、今度は瓦礫の雨……なるほどね、それがこの感応詠唱装甲鎧の弱点だと思ってるわけだ」
敵兵がこちらを見た。
そして、高らかに笑い声をあげた。
急なことに唖然とする。セウロも何事かとその様子を見ていた。
「……ッハアッハアハハ、いいぜ。受けてやるよ!」
白銀の全身鎧はひとしきり笑った後、鎧を紹介したときと同じように両腕を広げて、攻撃を受け入れるような姿勢を見せた。
瓦礫の雨がひとつ、またひとつとぶつかる度に風が巻き起こり、周囲に土ぼこりが立ち込める。
不規則な風の波が、ボクの髪を不気味に撫でた。
止め処なく打ち寄せる風の波。
その中心から、勝ち誇ったような声が聞こえてくる。
「――この装備の持ち主は、俺様で3人目だ」
暴風のカウンターに吹き飛ばされた瓦礫の破片が、ボクの頬を掠めて通り抜けた。
「前の二人も大層な騎士だった。一人はシディア族のルーキー。一人は中堅部族の族長。どちらも聖騎手候補の猛者だった。この鎧を使いこなし戦果を上げりゃあよ、昇格間違い無しと言われてたんだが」
頬が裂けた傷から一筋の血が垂れる。
「そいつらはオマエらの目論み通り100発ほどの小規模な魔術を連続で打ち込まれて、それを跳ね返すうちにみるみる枯れて萎れて死んでいったさ。それからただの展示品に成り下がっていたこいつをいざ俺様が着ると言うと周囲は止めたが……精霊化の儀式を経た俺様には自信があった」
汗か血か、わからない何かが地面へと滴り落ちた。
「被弾テスト1266発。それ以上は日が暮れて計測できなかった」
焦燥をかき消すために、ボクは荒々しく詠唱した。浮かび上がる砂と泥の弾丸。
砂泥がいくつもイグナートへとぶつかっては弾けて消える。
「枯渇はもはやこの鎧の弱点じゃねえ! もっともっと打ち込んで来いよ!! 俺様はあと1000回以上も攻撃を無効化できる!! 人の枠を超えた能力を堪能してくれ!」
一撃も、届いてすらいない。
もう一度、マナ探知で敵を探る。
高密度の生命核。暴力的なまでの生命力。
生き物としての、格が違い過ぎる。
開いた口が塞がらなかった。ボクが弱点だと思っていたものは、存在しなかった。
枯渇は訪れない。
これでは、奴を倒す術はどこにも……。
「……ハッ、終いか。お前らの方は、底が知れたな」
その顔を見てか、白銀の鎧は剣を構え、ボクへと狙いを定めた。
鎧が土を蹴る。
それすらも暴風を生み、反動を利用して一瞬でボクの下へと距離を詰めた。
「させねえよ!」
接近を読んでいたのか、道中の障害物から顔を出したセウロが、その剣を受け止めた。
「諦めるなよバジル!! 1000回耐えるって言うなら、2000回でも、3000回でもぶち込んでやればいいだけの話だろ!!!」
「……! 余計なお世話だセウロ!」
セウロの腕は震えている。初撃のダメージに、疲労の蓄積もあるはずだ。
それを見ないふりして、詠唱を紡ぐ。
最後まで、死ぬまで諦めたりしない……!!!
「――お前ら、俺様が遊んでやってただけだって、まだ気づかないのか?」
鍔迫り合いの最中、イグナートが更に地面を踏みつけると足元から暴風が巻き起こり、セウロを弾き飛ばした。
地面から浮き上がった石の欠片が舞う中で、イグナートは狙いを定め、それを2つ殴りつける。
突如、視界を埋め尽くす灰色。ひとつは僕のこめかみに直撃し、視界が揺れた。
もう、一発は……!
暴風に乗った破片が向かう先は、地面に受け身を取ったばかりのセウロだ。
「セウロッ!!!」
「言われなくても……!」
なんとか破片を弾く帯剣。
その姿を遮るように、白銀の全身鎧が飛来した。
再度山の斜面を蹴って急速接近した敵兵は、セウロが破片を弾いた直後に、その無防備な右腕の手首を掴んだ。
そこからの出来事は、一瞬のうちに行われた。
「今度こそちゃんと殺してやるよ」
セウロの腹部へ叩き込まれる拳。セウロを中心に吹き荒れる風の乱流。
彼の腹部の制服は千切れ、あらわになった腹部の肌に殴打と切り傷の跡が浮かぶ。
「ぉア゛ッ……!! か、は……ぅぁ」
夥しい量の血液が、セウロの口から漏れ出した。
白銀の鎧はセウロの右腕を掴んだまま。うなだれるセウロは、敵に持ち上げられるようにして何とか二本の足で立っている。
その握った腕に向けて、容赦なく両手剣の柄尻が叩き込まれる。
鈍い音が響いた。腕があらぬ方向に曲がり、皮膚を突き破った骨が露出している。
この瞬間、剣士としてのセウロ・スペードは終わった。
利き腕を破壊され、剣術の研鑽は全てが無為に帰した。
だが驚くべきことに、セウロはそれでも剣を離さなかった。
イグナートはその様子を見て、ふざけるようにセウロの腕を揺らす。
「みっともないな。もう使い物にならない腕で剣を握ってるなんて」
痛みに呻いたセウロだったが、その瞳はまだ敵を睨みつけていた。
「死んでも離すなって、教わったんでね……」
「そうかい。じゃあ、あの世まで持っていきな」
白銀の全身鎧が、もう一度拳を握った。
「止せ……やめろ、セウロ、セウロォッ!!」
間に合わない。
頭に貰った一撃のせいで、視界の揺れが治まらず、うまく身体が動かない。
ボクの手足は届かない。ボクの魔術も届かない。
遠い。
暴風の余波が、土埃を巻き上げて、ボクの髪を揺らした。
再びイグナートの拳が、セウロの腹部へと直撃した。
彼の体は宙を舞い、血をまき散らしながら飛び上がって。
放り投げられた人形みたいに無機質な様子で。
呆気なく、地面へと叩きつけられた。
「魔術のひとつも使えない無能風情が……一瞬でも本物の魔術師に勝てるとでも思ったか?」
「セウロォッ!!!」
揺れる視界の中、ボクはわき目も振らず、彼の下へと駆けた。
「おい……返事をしろセウロ!!」
目の前に転がっているのは、とてもさっきまで一緒に戦っていた人間だとは思えない。
それほどまでに損壊していた。
「そんな……」
意外だった。
あんなにも憎んでいたはずなのに。
「ふざけるなよ……お前は、訓練でも何度も立ち上がっただろうが! 7年間もずっと、諦めなかっただろうが! ボクが憎んだお前は! そういうやつだっただろう!!」
あんなにも嫌いだったはずなのに。
茂みからのぞいた、セウロが剣を振るう姿が、脳裏に浮かぶ。
ああ、そうだ。ボクはいつの間にか憧れていた。
理不尽へと立ち向かうセウロに。絶えず努力を続けるセウロに。
気に食わないと思いながら同時に、憧れていたんだ。
なのに。
どうして。
「何を勝手に死んでいるんだ……起きろよ、セウロ・スペードッ!!!」
肩を掴んで揺らす。
返事はない。そこには、生気のない肉塊だけが横たわっていた。
「おいおい、諦めろよ。土手っ腹に風穴空けられて、生きてる奴を見たことあるか? 無能な兵士が無様に死ぬのは当たり前のことだ……そんなことより、次はお前の番だぜ」
背後から声が聞こえる。
その言葉は、無視できない。
「……訂正しろ」
「あ?」
「訂正しろ」
立ち上がって敵へと向き直る。
「なんだと?」
「無能じゃない……、今すぐに、訂正しろ……!」
これは譲れない。譲ってはいけないと心の底から思う。
「おいおい、そんなに仲良かったのかお前ら。そんなに怒るなよ、足手まといが先に死んだだけじゃねえか」
「黙れ……黙れよ部外者。セウロ・スペードを侮辱する権利なんてお前にはない……ッ!! ボク以外の奴が勝手にセウロを馬鹿にするな……!!」
ボクは最後まで諦めないぞ。
アイツが最後まで諦めずに戦ったんだから、ボクも。
「あーぁ……ガキの悪あがきに付き合うのは、人生で一番無駄な時間なんだがな」
イグナートは気だるそうに首を振った。
帯剣を強く握りしめて敵兵を見据える。
「もう一度言う。訂正しろ、無能なんかじゃない。最後まで戦い抜いたアイツを、無能とは呼ばせない!!」
せめてセウロを馬鹿にした分だけは、一矢報いてやる。
「いいぜ、ガキ。そんなに後を追いたいなら、お前もすぐに世界樹へに還してやるよ!!」




