Episode15-2.帝国強襲
もしも。
雨が降りしきる実家の中庭で、剣を振り続ける幼なじみと、それを窓から眺めていた僕。
もしもあの日。
濡れるのは嫌だな。危ないのは嫌だな。痛いのは嫌だな。
なんて、くだらないいくつかの理由で、それを見て見ぬふりをしていたとしたら。
よくわからないところを見つめて、うつろに剣を振り続けるあいつと、違う道を選んでいたとしたら――
僕はどこで、どんな人生を歩んだだろうか。
◇◇◇◇◇
「――これで、貸し借りは無しだね。ユージーン」
僕の身体が、思いっきり突き飛ばされた。
思考の停滞は継続中。
ゆっくりと流れる僕の時間の中で。スローに映る僕の視界の中で。
さっきまで僕がいた場所と入れ替わったパティが、どこか安心したような表情でこちらに笑いかけていて。
彼女の身体を――雷が貫いた。
放電。
辺りを明るく照らして、電撃が幾重もの弧を描き弾けた。
「パトリシアッ!!!!」
跳ねるように起きて駆けつける。
彼女が地面に倒れるよりもはやく、その身体を受け止めた。
重い。無気力に落ちてくる人間の身体というものは、想像以上に重く感じられた。
当然ながら意識はない。膨大な電気信号が体内で暴れ回り、全身の筋肉が跳ねるように痙攣していた。
こうなっては心臓が動いていたとしても、それが本人の生命力によるものなのかすら怪しい。
「パティ! ねぇパティお願いだ、返事をしてくれ!!」
揺さぶってみるが、返ってくるのは痙攣だけだ。
「少年よ、そう乱暴にするものじゃない」
声が頭の上から降ってきた。
攻撃の主。雷を放ったのはあいつだ。
「その少女には称賛を。隙をついて遠距離から攻撃したつもりだったが、彼女のマナ探知は私を捉えていた。あの戦闘中に見事な練度だよ」
僕が引っかかった探知盲点を、パティは難なくクリアしていた。それも敵を倒した直後で、疲弊しきっていた最中に。
そして僕をかばった。
崖の上から現れた新手の敵兵が、落差の浅いところから飛び降りてくる。
軽装な鎧。涼し気な表情。
20代後半と思しき帝国騎士が、間合いの外から悠然と話しかけてきた。
「しかも、その少女は対処も素晴らしかった」
拍手。それも気の抜けるようなペースで手を叩きながら、敵兵は話し続ける。
「探知により属性すら事前に察知していたようだね。私の電撃は本来、人間くらいならば簡単に消し炭に変えるが……彼女は水の盾をただの障壁として配置しなかった。地面とつなげて形を作ったおかげで雷の威力を殺された。君も知っているね。雷属性の特性だ。接地をされると極端に攻撃力が落ちる」
君も知っているね、という言葉の含みに冷や汗が出る。
こいつ、まさかもうマナ探知で僕の属性を……。
「悔しいが王国の教育はレベルが高いな。候補生がここまで出来るとは思っていなかったよ。セルゲイとエラースト……私の部下を二人殺し、私の奇襲に適切に対処して見せる……だから、つくづく惜しい」
友人と語らうように柔和だった態度が、一変する。
敵兵は腰から剣を引き抜いた。
「君たちを一人残らず、殺さなければならないことがね」
パティは魔術の取り扱いにおいては候補生の中でも群を抜いていた。
火力と言う面では目立たなかったけれど、彼女の技術は一流だった。
そんな彼女という戦力を失ったのは手痛い。
一歩も動けなった自分が恨めしい。
敵は強い。
さっきの二人よりもはるかに。
『私の部下』という言動からも階級が高いことは伺えた。
……そして存外、話好きらしい。ならば、聴いてみる価値はあるかもしれない。
パティを抱えて、一歩後ずさる。
「僕たちを一人残らず殺す……それが、貴方たち帝国騎士の目的ですか?」
敵兵は意外そうに目を見開いた。直後、不敵に笑う。
「……いいだろう。少しだけ対話をしようか」
そう言って彼は抜き身の剣を地面に突き刺した。
「私の名前はウォレス・ヲウクス・マルティネス。君たちを襲うために結成された『南西守護聖騎士団・特派イグナート隊』の副隊長だ。疑問があるなら言ってみたまえ。部下2人分の命の報奨として、2つだけ質問に答えよう」
乗ってきた。だが、まさか副隊長だって……!?
隙をついて逃げるか? ……いや、この実力差では難しい。背を向ければ雷撃に貫かれるだけだ。
だったら賭けよう。先にどちらか援軍が到着するか。それまでの時間稼ぎだ。
悔しいことに、それが一番生存確率が高い。
間を繋ぐため、会話を続ける。
「……この際、『なぜ?』だとか『どうして?』だとか、初歩的な疑問は省きましょう。僕が理解できないのは、この作戦が帝国にとってハイリスク・ローリターンだってことです」
候補生を殺すことには益がある。いずれ兵士となる人材を若いうちに摘む。非道だが有効だ。
奇襲のタイミングだって悪くない。ここは王国南端の国境に近い。山の向こうはどの国も支配していない不毛の地域だ。この立地であれば王国魔術師団本隊の手も薄い。
ここまでは納得できる。問題はここからだ。
「なぜ、皆殺しにこだわるんですか?」
執着が過ぎる。
いくら有効だからと言って、たかが候補生ひと世代を皆殺しにするために、正規の軍隊が大々的に動く必要があるか?
軍隊の規模を類推する。おそらく昨晩山に入った教師20名はみな殺されている。この事実から考えれば最低でも同数の20名か。こちらの情報が洩れている場合、候補生の倍は用意するだろうから500名ほどの部隊か。やはりやりすぎだ。
第二師団殲滅の件とは話が違う。僕らはただの候補生に過ぎない。それを一人残らず殺すというには……相応の理由がなければ道理が通らない。
”皆殺し”なんて非効率なことをやっていたら、援軍が来て不利になる。南端とはいえここは王国領内だ。敵にとっては、火中の未熟な栗を余さず拾うようなものだ。
まるで任務さえ成功すれば、誰も生きて帰ってこなくてもいいと感じるほどに、ふざけた指令だと思う。
「良い質問だ。だが、それを尋ねるということは、少なからず見当はついているんじゃないかね?」
「……ええ。じゃあ2つ目の質問として訊きましょうか」
皆殺しは非合理。目的は別にあると考えるのが妥当だ。
皆殺しが手段に成り得る状況なんて、僕にはこれしか思い浮かばなかった。
「僕ら第34代候補生の中で……貴方たち帝国騎士が命をなげうってでも、必ず殺さなければならない奴は、一体何者なんですか?」
ウォレスと名乗った騎士は、嬉しそうに破顔した。
「そう。本来の標的はね、たった一人だけだ」
僕が彼らの目的を言い当てると、騎士は饒舌に語りだした。やはり話好きも的中だったらしい。
「前提の話をしよう。我々は戦争に備えている。王国と帝国の全面戦争だ。候補生だって知っているだろう? 君らのところの第二師団の殲滅とベルケンドの侵略。どちらもその前触れに過ぎない。遠くない未来に、イーフェル・シディア帝国はモルゼントゥール王国に勝利する」
自信たっぷりな物言いに、少し腹が立つ。けれど事実、ここまで王国はしてやられて後手に回る一方だ。先行きは決して明るいとは言えない。
黙って話を聞いていると、不遜だったウォレスの表情が曇った。
「そう。私は帝国の勝利を確信している……だが、そのシナリオにね、どうやら邪魔が入るらしい。予言なんて与太話は基本信じないし、それに命を懸けるだなんていうのは馬鹿馬鹿しいと一蹴するところだが……“始祖”の遺した七振りの逸話ならば、無碍にもできまい」
「予言……始祖の七振り……まさか」
脳裏に浮かんだのは、見たこともない話に聞いただけの一本の剣。
王族の住まう宮殿に保管され、その担い手を待っているという逸話は、王国民であれば誰しもが知っている。
「『始祖の七振り』の力は我が帝国でも絶大な戦力だ。その中でも曰くつきの一本――英雄を待つ剣――を抜いた人物が、君ら候補生の中にいるという確かな情報を得た。だが残念なことに、肝心の英雄の卵が誰なのかはわからない」
その剣の真の担い手になったものは、世界を変えるほどの偉業を成し遂げるとなるだろうと言い伝えられている。偉業には様々な解釈があるとされているが、“英雄を待つ剣”なんて俗称からも、人々が望んでいるのは戦場での武功だとわかる。
確かに……戦争直前のこの状況でその剣の担い手が現れたとなれば、予言とは王国にとって有利に働くと考えるのが自然だ。
王国民であれば嬉しい話だが……もちろん、敵国である帝国にとっては、これほど都合の悪い話もない。
英雄が僕ら候補生の中にいるだって?
「だから我々に課せらた任務はただ一つ。自らの命なんかよりも最優先で、英雄の卵を逃がさず確実に殺すために、王国魔術師団第34期候補生を“皆殺し”にしろ。ということさ」
信じられない。
200年間、誰も引っこ抜けなかった剣が今更?
それに、始祖の予言だって疑わしい。偉業=武功とは限らない。
色々と文句はあった。腑に落ちない部分も残る。
そんな中で理由はわからないけれど……僕の脳裏には不思議とセウロの顔と、彼が昔から首に下げていた王家の紋が入った指輪が思い浮かんでいた。
「さて、無駄話が長くなった。私の悪い癖だ……だが、ここまで言えばわかるね? 部下との戦いを見たところ君は賢い。彼我の力量差も正しく把握しているはずだ。……さあ、今度はこちらから質問させてもらうよ?」
ウォレスはついに地面から剣を引き抜いて、切先をこちらへ向けた。
「“英雄”に心当たりはあるかい? じっくり考えたまえ。返答次第では、君とその少女は見逃してあげてもいい」
山林を吹き抜ける風。
間合いを保って向かい合う騎士と僕。
少しだけ静かな時間が流れた。
相変わらず断続的に聞こえてくる戦闘音。
それを探る様に、瞳を閉じてマナ探知をした。
そもそも話に乗ったのは、援軍の可能性に賭けた時間稼ぎだ。
周囲を確認したところ……結局、期待できそうにない。
生存確率は、限りなく0に近くなった。
僕に残された選択肢を整理しよう。
逃げるか。
戦うか。
質問に答えるか。
まず、逃げるのは不可能だろう。背中を見せて走り出した瞬間に撃ち抜かれる。あのレベルの雷魔術を逃げながら回避する術はない。パティを置いてはいけないし、パティを抱えて逃げるなんてなおさら不可能だ。
次に戦う。これはダメだ。敵は副隊長を名乗った。特派ということは本隊ではないが、お墨付きの実力者には違いない。仮に僕が勝つだなんて話は、死線を5回は超えた先の空論か奇跡だろう。僕一人が特攻をかけるのは問題ない。その犠牲でパティを逃がせれば躊躇うこともない。だが、彼女はこの会話の間も気を失ったまま、目が覚める気配はない。バジルとの約束に背いて、僕もパティも共倒れなんて、そんな選択は出来ない。
最後に、質問に答える。ウォレスは「返答次第では君たちを見逃がす」と言った。敵兵の甘言だ。約束を守る保証もない。だが、ここで英雄候補らしき人物とその特徴を伝えれば、見逃してもらえるかもしれない。パティを死なせずに済むし、バジルとの約束だって守れる。
「……僕が思い当たる人物が本当に英雄かどうが、わからないですよ?」
「構わんよ。男か女か、誰と組んでいるのか、魔術の属性は何か……ノーヒントと比べたらどれも貴重な情報だ」
「それはありがたいな。それっぽっちのことで、寿命が延びるなんでお得だ」
「そうだ。賢く生きようじゃないか、少年」
合理的だ。
他の選択肢はあり得ない。
ここを切り抜けるにはそれしか手はないんだ。
ホントのことを言わなければ、それでいいだろう。この場をやり過ごせばいい。ウォレスを信じ込ませれば、それさえできればいいんだ。
生きる……ため、には……。
ここで……。
嘘だろうと……。
仲間を……売る、フリをしてでも……。
脳裏には、またセウロの顔が浮かんでいた。
歯を食いしばる。
ついさっき最近のバジルの様子と重ねたせいか、セウロが素振りをする姿を思い出す。
ずっと……ずっと昔からそれを見ていた。
候補生学校に入ってからのこの半年間も。
候補生学校に入る前の、フェアファンクス家で共に過ごしているときも。
もっともっと前の、スペード家が没落して、セウロが僕の家に来たあの日から。
彼はずっと、剣を振っていた。
――もしも。
雨が降りしきる実家の中庭で、剣を振り続ける幼なじみと、それを窓から眺めていた僕。
もしもあの日。
濡れるのは嫌だな。危ないのは嫌だな。痛いのは嫌だな。
なんて、くだらないいくつかの理由で、それを見て見ぬふりをしていたとしたら。
よくわからないところを見つめて、うつろに剣を振り続けるあいつと、違う道を選んでいたとしたら――
「――ああ、反吐が出る」
思わず、小さくつぶやいた。
あの雨の日から。
セウロの素振りを初めて目の当たりにしたあの瞬間から。
ずっと僕の心と体を突き動かしているのは、あまりにも泥臭いプライドだ。
僕は自分のプライドに従って、セウロの隣を歩むことを決めたんだ。
顔を上げる。
「良くない眼をしているな、少年。先程の失言は聞かなかったことにする。最後のチャンスをやろう」
目の前の慇懃無礼な部外者を睨んだ。
英雄について話せ、だって?
見逃してもいい、だって?
反吐が出る。
見くびるなよ。
仲間を売れなんて侮辱を許すな。
プライドに従え、ユージーン・フェアファンクス。
あの時失わずに済んだ自尊心を、こんなところで諦めてどうする。
仲間を売ってまで生き残った僕の人生だなんて――クソ喰らえだ。
「決めました」
直後、僕はウォレスに背を向けて歩き出した。
まずはパティを避難させる、時間を確保しなければ。
ウォレスはすぐさまそれを咎める。
「動くな少年。それ以上動けば、君の言葉を聞く前に君を殺すことになる」
脅しが弱いな。マナ探知をすればわかる。せめて魔術を撃つ準備でアピールしてくれないと。
パティを抱えて歩く。
心を揺さぶれ。
「僕は、“英雄”に心当たりがあります」
「……その言葉、信じさせたいのならば、今すぐ歩みを止めて戻ってきたまえ」
「この子の安全確保が先です。貴方が裏切らないとも限らない。教えた拍子に雷撃を打たれたら、僕は避けられたとしても、気絶している彼女はそうもいかないでしょう?」
嘘ばかりだ。僕だって至近距離の雷撃なんて避けられずに死ぬ。
「言い訳は結構だが――これ以上はもう看過できないぞ」
マナの流れ。ウォレスの周囲に高密度のマナが集まり始める。
潮時か。出来れば林の奥までパティを運びたかったけれど。
何とか最寄りの樹木まで来れただけいい。ウォレスから死角になるように、パティを下ろして木の幹へと寄りかからせた。
あとは、戻って返事を伝えるだけだ。
ウォレスのところまでゆっくり歩けば、少し時間がある。
その間に、自分の武装を確認しよう。
まずは防具。
胸当とか、基本的な武装は省略だ。
手段として使えるものは、両手の籠手。両足の脛当。
山狩り用軽装備だ。両手足の武装はベルトひとつですぐに着脱可能。
次に武具。攻撃手段。
僕に使える魔術はひとつだけ。
ある属性のある性質だけ。
そして手元にはこの半年で幾分か手に馴染んだ帯剣。
……だが、命を懸けて戦うというにはやはり、剣では心もとない。
歩きながら横をちらりと盗み見る。
先ほど水流に紛れて首を絶った騎士が持っていた、長柄の槍。
地面に転がるそれを確認し終えたところで、たどり着いた。
数歩先、間合いよりも遠い位置に帝国騎士。副隊長を名乗ったウォレス・ヲウクス・マルティネス。
一応あの男に勝つ算段はついた。生きるか死ぬかの賭けを……やはり5回ほど潜り抜ければきっとたどり着く。
気持ちが晴れた。
思考が澄み渡る。
ああ、やっぱり……馬鹿にされたまま生きていくよりは、命を懸けて戦う方が清々しい。
「……さて、随分と勝手な行動だったが……それもすべて許そう。君が“英雄”のことを喋ってくれるのならね」
許すだって? やっぱり気に入らないな、その上からの物言い。
手元の鞘に入った帯剣の柄を、強く握りしめる。
「ええ、よく知ってます。その“英雄”とやらについては――」
それを、大きく振りかぶって。
「――僕を倒せたら、そのとき教えてあげますよ」
思いっきり投げつけた。




