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Episode8-1.殲滅戦


 炎。


 国境であるヴァレンツ連山を下った先で、我々王国第二魔術師団本隊が目の当たりにしたのは、惨状だった。

 逃げ惑う人々。

 燃え盛る、村だった大地。

 心を掻き毟るような悲鳴。

 黒煙は、天に登る逆さまの滝のように止め処なく。

 ここは煮えたぎる地獄の釜だった。




 Episode8.殲滅戦




 呆然と、立ち止まった瞬間だった。

 師団長の怒号が飛んだ。

「我々王国第二魔術師団本隊500名は! 同盟国ベルケンド公国との共同軍事演習のため馳せ参じた! 団員は村民の保護! 会敵に備えつつ、全力で人命救助に当たれ!!」

 自分たちのやるべきことを再確認した団員たちの返答の雄たけびが、焼ける空にこだました。

 馬を全力で走らせて、村へと踏み込む。

 拠点を仮設し始めると同時に、団員たちは各個小隊に分かれ、迅速な救助が始まった。

 一刻もすると、息をつく暇もなく次々と傷ついた住民が運び込まれてきた。

 私がやるべきことは情報収集だ。

「誰か! 村人の中に、状況を説明できるものはいないか!」

「副師団長! こちらの親子が様子を見ていたようです」

 すぐに駆けつけ、膝を折り目線を合わせた。

 母親は震えながら子を固く抱きしめている。その左肩から腕にかけては酷く爛れていた。

 母子は驚いた様子で私を見た。

 頭からつま先まで全身が鎧に包まれていたからだろう。今時ここまでの重装兵は珍しい。

「応急処置をしながらだ。夫人、話してくれるか」

 厳つい兜を脱いだ。

 彼女は懸命な様子で痛みに耐えつつ、涙ぐむ子を慰めながら、事のあらましを教えてくれた。

 

 到着から一時ほど。

 怪我人は粗方運び込んだようだ。しかし火は一向に収まる気配もなく、村全体を焼き尽くしてしまう勢いである。このままでは仮設拠点周辺も危ない。

 私は煌々と照らす炎光を尻目に、師団長へ報告のために拠点の奥へと進んだ。

 仕切りの布をくぐる。

 彼はこの村を含む周辺の地図を広げ、神妙な面持ちでそれを見つめていた。

「マイルズ団長! 報告です」

 村を襲ったのは山賊の類ではなく、鎧を着た兵士たちであったこと。鎧に目立った装飾はなく、所属は不明だったこと。村を焼くことを目的としているようだったこと。抵抗した住人は数人が殺され、火の手が十分に回った時点で、北の方角へと立ち去って行ったこと。

 私は夫人や他の村人たちから聞き出した、事のあらましを報告した。

「避難はほぼ済みました。幸い、襲撃の規模の割にけが人は多くありません。しかし、もう村は諦めるべきでしょう……水属性の魔術師数名が火の手の拡大を抑えていますが、早いうちにこの拠点からも退避するべきかと」

 王国第二魔術師団団長、マイルズ・ブラウンは地図に視線を落としたまま答えた。

「ああ、経緯と現状はわかった。退避の準備を始めてくれ。時にエウスタキオ副団長、敵兵力について他に情報はないだろうか?」

 師団長補佐のひとりが団員たちへ退避の指示を伝えに走った。

 村を襲った兵に関しては、残念ながら明確な情報が得られなかった。

「証言は断片的でしたが、村の規模と火の回りからすると、最低でも十個小隊。五十人~百人単位での襲撃だと予想できます。同一の鎧を着けた兵士となると、軍隊に他なりません。であれば、公国の人民軍か帝国守護聖騎士団のどちらかです……すべて、結果からの憶測でしかありませんが」

 分かることは、ある程度の規模であり、統率のとれた正規軍の手によるものということだ。

 けれどもしかしたら、実働部隊とは別に本隊が待機しているという場合もある。やはりたったこれだけの情報で立てた憶測に大した価値は無い。

 この混沌とした状況では、どの国がどういう立場でどういう意図を持ってこの焼き討ちを果たしたのか、最も肝心なその部分ですら、皆目見当がつかなかった。

 団長は兵士の駒を手に取り、地図へ置いた。

「ここは扇状地上にある平凡な村だ。それを挟むように南北には山の尾根が伸びていて、険しい山林が広がっている。というのに、村での目的を果たした後、兵士たちは北へ……」

 兵が現在地から北へと移動した。団長の言葉に合わせて駒が動かされる。

「だが、ここから北方直線状に目ぼしい村や町はない。夕暮れも近いこの時間から長距離の移動か……? フェイクだとしたら迂回して東か西。東であれば我らが王国との国境にあたるヴァレンツ連山。西であればベルケンド公国首都ウィンバーバラ……読めないな。北という情報から探ることは難しいか」

 マイルズ団長の表情は優れない。

「……疑問点が多い。なあガラード、君はどう思う?」

 今まさに、仕切りの布をくぐって入室してきた男に団長が尋ねた。

 面食らった様子もない。互いにマナ探知で把握していたのだろう。重要そうな話に聞き耳を立てるのは、ガラードの悪い癖だ。

「いやはや、我が隊トップ2のお話し合いに口を出すのは気が引けますなぁ」

「良いから言え。時間が惜しい」

 ひゅうおっかない、と私から顔を背けて肩を竦めるガラード。

 相変わらず軽薄なこの男は、この第二魔術師団本隊で精鋭揃いの殿しんがりをまとめる実力者だ。

 マイルズ団長と副団長の私を一纏めにしてトップ2と呼んだが、もしもトップ3と言うならここに加わるのは彼である。

「総合的には不可解、の一言に尽きますがね。団長の仰る通り、謎が多すぎですわ」

 それには私も首肯する。ガラードは飽きれたように脱力しながら続ける。

「強いて挙げんならやっぱふたつっすかね。

 ひとつ。略奪や殺しをほったらかしといて、村を焼くことだけに執心する意味がわからない。

 ふたつ。どうせ軍属の癖に自軍を示す旗を立てない理由がわからない。所属を隠すってことは後ろめたいってことでしょうよ。この公国と王国の国境のなーんもないド田舎で? どこのどいつが後ろめたいことします? 悪さしようにも利益が見当たりませんわ。

 この二つがあんまりにも不可解すぎて、敵の姿が全く浮かばない。俺らはまるで自然災害に遭った村に居合わせたみたいな感覚ですよ」

 その解答に団長も同意した。

「本来村を襲う理由はひとつだ。略奪……これ以外であれば襲撃ではなく逗留すればいい。休息も補給もそれで事足りる。村民とトラブルがあったならまだしも、問答無用で村を燃やすなど通常は考えられない」

 仮に敵国の領地内だったとしても、侵略後の拠点として丁重に扱うのが定石だ。反抗の意思の無い村をむやみやたらに荒らすことは決してない。

 私とガラードによる益体の無い言い争いが続く。


「焼くっていうと思い当たるのは焦土作戦ですかね?」


「適当なことを抜かすなガラード。あれは交戦後、勝ち目を失って撤退戦になるときにやるもの。敵軍の利益を潰すための行為だ。前後関係の無い村を突然燃やす必要はない」


「じゃあ私怨だ。不可解なことには個人の感傷がつきものですわ。村に恨みでもある奴がいたんじゃあないですか?」


「百人規模の軍属兵を動かせるとは、大した私怨だ。それにもし私が恨みを晴らすなら、焼くより殺すのを優先するな」


「ならもう、村に隠されていた誰にも知られてはならない秘宝の封印が解けて、それを守る一族に村ごと燃やされてしまったッ!! なんていう展開とかどうです?」


「お伽噺の趣味でもあったか? ふざけるものそこまでにしておけよ」


 ついには真面目に考えることを放棄したガラードに、呆れた一瞥をくれてやる。

 団長は敵兵を想定した駒を地図上から拾い上げて、思案を続けていた。

「山賊なら闇雲に村を襲ったということも考えられるが、村人は同じ鎧を着た兵士に襲われたという。しかも所属不明だ。通常は仲間同士の混乱を避けるために、一目で判別の出来るような統一の装飾や旗を持っているはず。ガラードの言う通り、隠すならそれなりの理由があるはずだが……」

 目的不明。正体不明。

 突如任務へ向かう途中で現れたアンノウン。

 納得のいかない気持ち悪さだけが、消化不良のように腹の底で重たく横たわる。

 団長は諦めたように、眺めていた駒を地図に落とした。

「エウスタキオ、君はどう思う?」

 私へも同じ質問。

 団長の思考に足りないピースを探すような、お決まりの作業だ。

「概ねガラードが初めに言った意見と同じですが……そうですね、謎が謎めいている理由は、基本的にはひとつしかありません。完璧ではないからです。情報か、あるいは状況か、何かが足りない。欠けたピースが埋まらない限り、パズルの全体像は見えません」

 その言葉を聞いて、ガラードは「んん?」と何か気付いたように眉をひそめた。マイルズ団長も目を伏せて顎に手をあてる。

 私はそのまま自論の展開を続けた。

「“村を燃やすこと”が目的に成り得ないのなら、“それ”は別の目的のための“手段”と考えるべきだと思います。つまり……それによって作られたこの現状こそが、仮想敵の本来の目的……なのかもしれません」

 そう言って私は周囲を見渡した。

 仮設された拠点を。怪我人を手当する補給員を。村の被害を抑える団員を。

 団長は私たちの今までの道程を地図上でなぞりながら応えた。

「……そもそも、だ。事の発端は一ヶ月前の“星巫女の予言”からだ。『北西に不穏の気あり』この言葉をきっかけに、北の帝国が西の公国へ戦争を仕掛けてくる準備をしてるってことを先読みしたつもり・・・だった。それから王国の去就が決まり、ベルケンドと協力するために派遣されてきたのが俺たちだったが……どうも、きな臭くなってきたな」

 思考が回る。

 脳内に点在していた疑問点が、徐々に絡み合い、何かの紋様へと変わっていく。

「救助がギリギリ間に合うような、仕組まれたみたいに絶妙なタイミング。もし謎の敵兵たちが、王国第二魔術師団が今日ここを通ることを、知っていて村を燃やしたとするなら……」

 沈黙が部屋を支配する。

 悪意から滲み出たような歪で禍々しい何かが、描かれてゆく。

 自分のたどり着いた結論が、絶望的なものだと気づいた。

 その答えが、似合わない思案顔だったガラードの口から、ふとこぼれた。

「使徒エイヘンバウムの魔術戦闘教義マギカ・ドクトリン其の四――『行動部隊を最小化せよ 一網打尽を避けるべし』」

 それは現代の戦争において順守すべき七項目のひとつ。

 候補生学校で学んだ基礎中の基礎。

 魔法と魔術を用いた軍事戦略において、決して無視することの出来ない指標。

 堰が決壊したように、心へ不安と焦燥が押し寄せる。

 今その絶対順守の一項目ひとこうもくと真逆の状態――我々第二師団の戦力は、この村という一ヶ所に集中していた。

「我々は……意図的に、ここへ集められた……?」

 口にした直後だった。



 マナ探知の先端に、荒波が飛来した。



 直後、周囲から爆音と怒号と悲鳴が、同時に響き渡った。

 地面が揺れる。

 我々3名は顔を見合わせたのち、全員で外へと飛び出した。

 即座に全感覚を、頭上へと集中させる。

 状況は至ってシンプル。

 敵襲だ。

 上空。夕焼けが次第に暗闇に呑まれていく頃。星の中でも一際明るいものだけが自由に輝く時間。

 一等星よりも更に明るく輝き――激しく燃え上がるものが、私たちに迫っていた。

「どいたどいたぁあ!!」

 私の肩を掴んで、ガラードが一歩前へと飛び出す。

Ketherケテル-aleph(アレフ)-Cochmaコクマー-heヘー-Tipherethティファレト)!」

 土-活動-変化の二連節詠唱。

 家屋をも鷲掴みにするような大きさの手のひらが、地面から造形されると同時に這い上がった。

 轟々と鳴りながら飛来する火球。

 それを受け止めるように、ガラードが操る大地の腕が掴みかかった。


 爆音。


 周囲に火球の破片と爆風が散る。

 余波の熱さえも凄まじく、周囲の埃がチリチリと音を立てて燃える。

「もっと被害を抑えるよう対処できないのか貴様は……!!」

「へいへい、すいませんね副師団長。そうは言いますが、あんまり細かい作業をしてる時間は貰えないみたいっすわ」

 間髪入れず、次の攻撃が飛来した。同時に3発。

 再び掌が頭上のひとつを捕球し、砕いて防御する。

 防ぎきれない火球が少し離れたところに着弾した。

 三度みたび爆音。

 腕を上げ爆風の余波から顔を守りながら、周囲の状況を掴もうと辺りを見渡す。

 屋外に広がっていたのは、先ほどを上回る火の海。

 火の手を食い止めてたはずの団員の姿はなく、そこにあったのは、球状にえぐられた焼ける窪地と、その中で人型らしく見えるいくつかの残骸だけだった。

 村の至るところで火が拡大している。この様子では村の周囲を警戒していた兵、残りの村人を捜索していた兵も、もう被弾してしまっているかもしれない。

 被害の全容も気になるところだが、まずは対処が先だ。

 攻撃の出どころは空。

「オイオイそりゃないぜ……やっこさん、ここを更地にするつもりか……!?」

 見上げると、先ほどガラードが防いだ火球が、次々と私たちのいる地表を目がけて落ちてくる様子が見えた。

 防がれたことを察知したのだろう。敵は趣向を変えてきた。

 空中で一度爆発し、散る火の玉。それが、無数の燃え上がる破片となった。

 空爆。絨毯爆撃。

 綺麗だと、思えなくもない。

 感覚が麻痺しそうだ。

 誰が思う? 

 この夕立が。

 迫る星空が。

 夕焼けに煌めく輝きが。

 

 全て私たちを殺すためのものだなんて。




「師団長命令!! ガラードは拠点を死守せよ! 全団員は個々に身を守れ! 手段の無いものは拠点内に退避だ!」




 身体を支配していた硬直が、一瞬で吹っ切れる。

 背後にいたマイルズ団長が、短く詠唱を唱えたのが聞こえた。

Gevurahゲブラーmem(メム)Hodホド

 風-不動の魔術詠唱。

「出所は3つだね」

 私の肩に手が添えられた。

「後の指示は任せたよ副団長。僕は、敵を落としてくる」

 空気を踏み固めて、団長は空へと跳んだ・・・

 その勢いは途切れることなく、次から次へと固めた空気を踏みしめ、跳躍を繰り返していく。

 飛翔とは違う、跳躍の連続。一歩間違えれば高度からの転落死も免れない。

 その恐怖を軽々と乗り越えて、マイルズ団長は空高く、空爆の主の元へと向かってゆく。

 迫る破片の雨。

 絨毯爆撃とすれ違う刹那、団長の持つ剣が、弧ををなぞる様に一回転した。


 轟々と。


 荒々しい風が吹き荒れる音がした。

 空にぽっかり空いた孔。

 そこから覗く星空は、紛い物とは違う輝きで私たちを見下ろしていた。

「ひゅう! おっかねぇなぁ……ねぇエウスタキオ副団長。あの人が跳んでくるとか、敵が可哀想だと思いません?」

「無駄口を叩くな。大半は散ったがまだ破片は降ってくるぞ。お前はマイルズ団長の命令通り拠点と村人の防衛に備えろ」

 へいへいといつもより三割増しの速度での返答。そして彼は迅速に防空壕の構築へ。さすがのガラードも緊張感は持っているらしい。

 私は一振りで村を救った団長を見上げた。

 流石としか言いようのない一手だった。莫大な風を操る団長ならではの対処。

 あっという間にそのシルエットは、一等星と変わらぬサイズにまで小さくなった。

 高度が上っていく様子は、火球の軌道からも推測できた。

 放たれる火球の狙いがいくつか、村から逸れていく。術者へ迫る団長を迎撃するため、いずれ真横に放たれるだろう。

 残念だがあちらは団長に任せるしかない。空へ上がる手段を持つ者は他にいない上に、おそらくついていっても足手まといだろう。

 敵の魔術師は遥か上空にいる。

 団長は敵の数は3だと言ったが、私には探知の及ばない距離だ。

 滞空している手段はわからない。複数の魔術師が滞空と空襲の役割分担をしているのか、それとも有翼召喚獣を使役しているのか。

 詳細は依然不明。

 わかるのは敵の作戦に我々第二師団はまんまと嵌ってしまったということ。

 敵の策略は軍隊を一ヶ所に集め、すぐには反撃の出来ない地点から一方的に一網打尽。

 良くできた奇襲作戦だ。だが、まだ敗北と決まったわけじゃない。

 既に大きな被害は出ているが、敵の術中から抜け出すことができれば、まだ。

 ここに留まっていては良い的になる。

 更に村を焼き討ちした兵がまだ控えているはずだ。

 窮地を脱さねば。

 隊を生かすのは、上官の指示だ。



「副師団長より各団員へ! 

 全員東を目指せ! 森で視界を遮って敵を撒き、抜けた先のウィンバーバラ平原で合流するぞ! 朝までに全員辿りつくんだ!!

 最低でも隊伍を組んで行動するように! それ以上の密集は敵の思うつぼだ! 可能な限り生存確率を上げろ!!」



 平原まで出られれば首都はもうすぐだ。城塞都市でもある首都ウィンバーバラへ逃げ込んでしまえば、奇襲もかけられまい。

 第二師団の統率力は高い。数分もしないうちに命令は完遂されるだろう。

 命令が伝播し、隊員たちが隊伍を作って村に隣接する森へ入っていく。

 破片の雨。火球の着弾。

 断続的な爆音が止まない。

 見渡した私の周囲には、村の原型はなかった。

 視線の先に火炎を避けながら、こちらに向かう影があった。

「副師団長、自分たちがお供します!」

 数人が私の元へと寄ってきた。

「いらん。私は一人で構わない。それよりも他の団員と組め! 必ず生きて森を抜けるんだ!!」

 防御力は私の数少ない取柄だ。心配はいらない。

「組まなくて良いなら、副団長もさっさと先に行ってくださいな」

 軽薄な声と共に背中を押される。

 振り向くと、土埃と細かい火傷を付けたガラードが立っていた。

殿しんがりは俺の仕事だ。さっさと行ってくれなきゃいつまでたっても、この上も下も大火事な村から逃げられないんですよねぇ」

 熱波に灼かれ、しゃがれた声と噴き出す汗。

 軽薄なのは、言い方だけだった。

「……あとは任せるぞ、ガラード。必ずお前も追い付いてこい。平原で合流だ」

 彼は、はいはいと軽口を叩いて。

「いっつもいっつも強気なんだもんなぁ……でもアンタのその無理な物言い、意外と心地いいんですよねぇ」

 と背を向けたまま呟いた。





 ◇◇◇◇◇





 森の中を息を切らして走る。

 ふと、村に着いて会話した親子の顔が浮かんだ。 

 村人たちは大丈夫だろうか。拠点の周囲も被弾していたが、幸い怪我人がいる場所は無事だった。あとは残ったガラードが直撃を防ぐだろう。

 私たちが取れる最善策は、標的である第二師団の団員が一人残らずあの村からいなくなることだ。

 それは敵兵もマナ探知で判断できるだろう。

 火災のときも、邪魔した者以外は殺されることはなかったという話だった。もとから敵兵にとっては、あの村は我々を足止めしておくためだけの価値しかないはず。

 あとは村人たちの幸運と、そして所属不明の敵兵たちが無益な殺生をしないことを祈るのみだ。



 陽が落ちた森の中は想像以上に暗く闇に閉ざされていた。

 月明りすらも微かで、一寸先は闇。

 それも道なき道を隊伍ごとにバラバラに進んでいるとなれば、ただ森を抜けるのとは話が大きく違う。

 だが、そのための編成である。

 隊伍には必ずひとりマナ探知に長けた隊員が配置される。

 探知さえ怠らなければ、敵の接近には気付ける。

 敵は必ずまだいる。

 少なくとも村を燃やした十個小隊。五十名以上、百名未満。

 もちろんそれ以上の想定もしなければならない。

 だが、おそらくこの状況で追撃はないだろう。

 視界が悪い。足の進みも鈍いが、追っ手もそれは同じだ。

 敵地アウェイなのはこちら側だが、夜の森において地の利はほとんど関係がない。

 歩みを緩めず、進むのみだ。

 焦らず、一歩一歩進んで行けば、必ず合流して部隊を再編制出来る。

 そう、希望を胸に抱いて、踏み出した一歩だった。


 踏みしめた土が、砂糖菓子を潰すように壊れた感触がした。


 直後に何かが擦れる音がして、踏み出した右足に、縄のようなものがきつく巻き付いた。

 罠だ。

 森の中で狩りをするための罠。

 鹿や猪、森に住まう獣を捕えるための簡単なもの。けれど、野生動物でも引きちぎることが出来ないように、頑丈な作りだ。

 突然足を取られたことでバランスを崩し、前のめりに地面に倒れる。

 鎧兜の隙間から入り込んだ土が顔面に掛かった。

「な、なんという不運だ……! さっきの村の猟師が仕掛けでもしていたのか!?」

 私は、たまたまそこにあった、狩りのための罠に運悪くかかってしまったのだと思った。

 獣道。

 ただ放置された罠。

 これを、仕組まれたものだと思う人間はいない。



 ――顔を上げた先に、人の影さえなければ。



 何よりも先に、詠唱が口をついて出た。

YesodイェソドtavタヴMalkuthマルクト

 無-不動の魔術詠唱アレフヴェート。心の中で最下層の創世機構ツリーをなぞる。

 私のを発動させる。

 ――伏兵だと!? 馬鹿な、マナ探知には何も感じなかったはず……!!?

 直後に、頭上の木の葉が喚くよう音を鳴らした。

 目の前に気を取られた。敵らしき影は、こちらに攻撃してくる様子はない。

 それもそのはずだ。

 足元の縄と、連動する仕掛け罠。

 月明りが照らしたシルエットには、凶器染みた鋭さが強調されて見えた。


 落下する、無数の矢じり。


 私の体に降り注いできたのは、鋭利な金属製の驟雨だった。

 通常であれば、全身にそれが刺さり、痛みに悶えたことだろう。

 しかもご丁寧に、矢じりには毒が塗られているようだ。

 激しい雨から飛沫が飛び散る様子が影に映る。

 木にはざっと、50近くの矢じりが仕込まれていた。これでは、5人1組でもほぼ全員が負傷を免れない。

 夕立が去ったあとには雨に打たれた負傷兵。そこへ先ほどの人影がトドメを差すという戦法らしい。

 暗い森に仕込まれた不可避の二重罠。

 苦しむ兵の首を掻き切るだけの作業。

 効率的な敵兵の排除。

 それが、奴らの狙いだったのだろう。


「どうして、ワナ、効かない……!!」


 狼狽した声が聞こえる。

 目の前の人影が、恐怖のあまり一歩後ろに下がったのがわかった。

 それもそのはずだ。

 雨上がりの暗い森で、私は屹立を崩すことなくそこにいた。

 彼にとっては想定外だっただろう。

 この罠に掛かったのが私で良かった。

 あの量の矢じりだと、鎧だけでは隙間や継ぎ目から傷を受けたかもしれない。

 だが私の魔術はただの全身鎧ではない。

 無属性不動の極み。

 物理をも阻むほどに圧縮・硬質化させたマナの塊。

 マナ武装アーマメントと呼ばれる魔術だ。

 肺に空気を、腹筋に力を込める。

「……モルゼントゥール王国魔術師団、副師団長の実力を侮るなよ!!」

 己を奮い立たせるように、激した。

 右足の筋肉に全身全霊の力を込める。

 絡みつく罠は木の蔓を編んだもの。

 獣ならつなぎとめられるだろう。だが、鍛錬を積み、血の滲むような努力で身体を作ってきた私の膂力ならどうだ?

 固い繊維がじわじわと断裂する音。

 ついに振り抜いた右足が、罠を仕掛けの根元から引きちぎった。

「私を繋ぎとめておきたいのなら、魔銀ミスリルの鎖でも用意しておくんだったな」

 自由が戻る。

 目の前の暗闇から、金属のこすれる音がした。

 改めて、敵兵を見据える。

 木漏れ日のように差し込む月明りが何かに反射する。

 刃物だ。

 逡巡。畏怖。決死。

 敵の構えは甘い。腰も脇も入っていなし、何より闘志が薄い。

 だが敵はそれでも相対することを選んだ。

 退かなかったことは誉めてやろう。

 しかし、それでは私を殺すことなどできやしない。

 猿が叫ぶような声。敵を怯ませたいのか、それとも内なる恐怖を打ち消したいのか。

 両手で握りしめたナイフが迫る。

 芸がない。

 剣を抜いてやる必要も感じなかった。

 切っ先が届く直前、相手の腕を絡めるように極めた。

 凶器が目の前にあるが、届くことはない。

 至って冷静に、敵が踏み出していた足を払う。

 同時にもう片方の手で胸ぐらを掴む。

 ふわりと、敵兵の身体が宙に舞う。

 その一瞬を捉える。

 極めた腕を引っ張り上げて――反転。

 敵の身体は背を経由し、そのまま勢いよく後方の地面に叩き付けた。

 地面と肉がぶつかる鈍い音。

 同時に、何かがぶちりと音を立てた。

 極めと投げの複合技。

 つい力を込め過ぎたのか、極めていた腕は関節から外れてしまったらしい。

 衝撃で息も吸えず、痛みに叫ぶことすら出来ない。

 哀れなほどにひ弱な兵だ。

 悶える敵を見下ろす。

 その脇に落ちたナイフから、暗い液体が地面に滲む。

 こちらにも毒が塗られているようだった。

 忌々しい。

 つい、感情的になってそれを踏み潰す。

 金属のひしゃげる音。

 耳障りなそれが夜の森にしんと溶けた。

 敵は痛みをこらえながら、何とか立ち上がる。

 様子を見るにもう丸腰だ。

 けれど、敵であることには違いない。

 しかも暗闇に乗じての罠、毒を塗った仕掛け。

 拳を力の限り握りしめる。

 なんとも姑息な手だ。

 そもそも村人を餌にするような奇襲で、だいぶ頭に血が上っていたが、さらに火に油を注がれた思いだ。

 連中は正々堂々という言葉を知らないらしい。

 古典的に逐一名乗りを挙げて剣を掲げろとは言わない。だが、心に恥じぬ戦いをするべきだ。

 我々軍人が背負っているのは自分の命だけではないのだから。

 怒りでつい力が籠る。

 背骨に沿って背負った鞘から、大振りのクレイモアを抜いた。

「貴様らが始めた戦争だ。悔いるな。臆すな。敗北を認めるのなら命を差し出せ」

 頭上に大剣を構える。

 今の私に一切の慈悲はない。

 脳裏にはあの村の惨状が焼き付いて、犠牲になった村人と部下の姿が浮かんでいた。

 私の言葉に、敵も逃げることを諦めたらしい。

 大人しく、祈る様に片手を胸の前に組んだ。

 その往生際の素直さに、少しだけ心が静まった。

 だが、容赦はしない。力を込め、クレイモアを振り下ろそうとした瞬間。

 風が吹いて、木の葉の隙間から、月明りが差した。



 月光が照らしたのは、怯えながら、涙を流しながら、祈りを捧げる痩せこけた子供・・だった。



 唖然とする。

 頭上に大剣を構えたまま、硬直した。

 その風貌はまるで孤児みなしごだ。ぼろきれを身に纏い、祈る腕はやせ細っている。

 青年と言うにはまだ早い。ようやく物心がついたような、そんな年頃だ。ひび割れ、荒れた肌からは、満足に食事もとれていないことが容易に想像できる。

 改めて、マナ探知を集中させた。

 微弱だが、目の前に生命核アニマの反応が感じられた。先ほどは追っ手を気にして後方への探知に気を取られていたため、気づけなかったらしい。

 だがもちろんそれだけではない。この幼い兵士の生命反応は、あまりにも貧弱だった。

「探知伏兵か……こんな、こんな子供まで利用して……!」

 構えた剣を力無く下ろした。

 マナ探知を蝙蝠コウモリ反響定位エコーロケーションのように利用する今の魔術戦争では、付近の敵味方の動きは視認できずとも感知することが出来る。目視でしか敵を捕らえられない時代はとうに終わった。

 だが、その探知という常識を掻い潜るのが“探知伏兵”だ。

 誰しもが望めば探知伏兵になれるわけではない。その素質は即ち、命の灯が極端に弱いことだ。

 魔法や魔術の才能があればあるほど、存在感をアピールしてしまうことになる。その裏をかくというわけだ。

 余命わずかな老兵や、生命力を削られた少年兵。

 もちろん、彼らは通常であれば兵士として活躍することなどできるわけがない。

 魔法が現れ、魔術が拓かれ、武術や兵法はその役目を終えつつある。

 だからこそ効くのだ。罠や伏兵という視野ですら補足できないものが。対策すらされない異物が。

 マナ探知に頼り切った現代の戦争でのみ通用する異常イレギュラーである。

 言わずもがな、この非人道的な行いは、我が王国では認められていない。

 目の前で震える幼子に、人殺しをしろだなんていう無慈悲な命令を、誰かが下した。

 敵国の正規兵か? 否。自国兵にこのような苦役を課することは少ない。

 おそらくは自国民ですらない、拉致された南部地方の奴隷だろう。

 ……このように、犠牲になるのはいつだって弱き者。敗戦国の民や、奴隷といった人々だ。

 彼の生命核は元からこんなにもか弱かったのだろうか。

 それとも痛めつけられた命の最後の灯がこの有り様なのだろうか。

 わからない。

 明確なことは、私の中に渦巻く憎悪が、更に強く激しく滾っているということだけだ。

 このような作戦指揮をした人物は、悪魔にとりつかれているとしか思えない。

 もしくは、悪魔そのものか。

 もう一度、彼の祈りの姿を目に焼き付けた。

 紛う事なき悲劇に違いない。

 だが、それでも彼と私は敵同士で、出会った場所は戦場だ。

 鈍った決心を、奮い立たせた。

「……同情などはしない。兵を憐れむことは侮辱と同じだ。だから――せめて私が責任を持って貴君を世界樹へ還そう」

 きっと、ここで見逃したところで、彼は故郷へ帰ることはできない。

 残り少ない命の灯を非道に費やされるだけだ。

 だから、ここで……。

 再び、クレイモアを構える。

 彼は全てを理解したように頷いた。

「私の腕は確かだ。痛みは刹那もない……安心して、世界樹への帰路へ着くがいい」

 深呼吸。

 肺いっぱいに溜めた息を止め、全身を引き絞るように腕へと力を送る。

 そうして、私は言葉通り刹那の間に敵兵の首を刎ねた。

 最期の瞬間、彼の表情が和らいだ気がするのは……おぼろげな月明かりが見せた、幻だったのだろうか。




 

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