追い風
公園から少し進んだところで絵里が口を開いた。
「飛鳥じゃ何回やっても勝てなかった。」
こっちは見ずに前だけを見て絵里は言った。
「えっ?」
思わず聞き返す。
「正確には、今の飛鳥なら.....かな。」
俺は絵里の言っている意味がわからなかった。
「飛鳥はあの俊介って人のポジションどこだと思うの?」
「どこって、DFだろ?」
「ほら、勝てない証拠。あの人は多分だけどFWよ。飛鳥と同じ。」
「そんな訳....。」
「あんなドリブル見せられたら、どんな監督でもFWに置くでしょうね。最後、どうやって抜かれたか分かった?」
「えっと....。」
スピードか?いや、俺の視界から消えるほどのスピードはおそらく持ち合わせていなかっただろう。だめだ、分からない。
「たった1回のシザース。」
絵里は一言だけ発した。
「うそ....だろ?」
俺は耳を疑った。
『シザース』。サッカーには何十種類ものフェイントが存在する。その中でも一番初歩と言ってもいいフェイントだ。別名『またぎフェイント』。文字通り、ボールを足で内側から外側にまたぐフェイントだ。初歩とは言っても、小学生からプロまで誰もが使う、いわば万能である。しかし腑に落ちない。このフェイントは簡単であるがゆえに、効果が薄いのだ。事実、テクニックを重視するフットサルではあまり見かけないフェイントだ。
「冗談だろ?」
「ほんとだよ。でも多分飛鳥がそんな反応するもの無理はないよ。だってあの人最初はシザースするつもりなかったんだもん。」
「どうゆうことだよ?」
「シザースってさ、内側から外側にまたぐ訳だからさ、右足でやるんだったら、右に抜きますよって見せかける訳だよね。」
「うん。」
「あの人は、ギリギリまで本当に右から抜こうとしてたの。でも、飛鳥が完全に反応してきたところでシザースに切り替えたの。」
「そんなことって.....。」
「普通は無理だと思う。でもあの綺麗なフォームならおそらく。」
そんな芸当ができるやつ、今まで見たこと無い。しかし、まだ腑に落ちない点がある。
「でも、消えたんだ。」
これを聞いて絵里は声を出してケラケラ笑った。
「人間が消える訳ないじゃん!もー、飛鳥はほんと面白いなぁー。あれは、飛鳥がフェイントに引っかかって横にずれただけ。あの人は右にも左にも動いてないよ。」
そんなに完璧にフェイントってかけられるのものか?大きなため息が出た。
俺はまた負けたんだ。試合ではないにしても、手も足も出なかった。自分で自分の実力の無さを軽蔑した。やはり負けるのは惨めだ。勝者は肯定され、敗者は否定される。まさにその通りだ。昔のサッカー選手がこんなことを言っていた。『勝った方が強い』。まさにその通りだ。どんなに努力しても、どんなに一生懸命になろうと、強いのは勝った方なのだ。絵里の前での2度目の敗北。絵里にはこんな俺がどう映っているのだろう。
「飛鳥!」
急におっきな声を出した絵里は、明るい表情をしていた。目が合う。
「私はね、飛鳥のコンディションが戻れば勝てると思うよ!私が保証する!」
「何を根拠に....。」
俺はうつむいたまま呟いた。
「負けたらさ、つらいよ。悔しいよ。自分を責めたくもなるよ。それでも.....それでも飛鳥は、また笑ってボールを追いかけるんだよ。それだけサッカーが好きなんだよ。」
絵里は短くなった髪を風に揺らしながら、真面目な顔で言った。
「負けてもいいじゃん。かっこ悪くてもいいじゃん。私はね、どんな向かい風でもワクワクしながら立ち向かえる、そんな飛鳥だからこそ応援したくなるんだよ。」
俺は少しずつ顔を上げた。
「かっこよかったよっ!今日の飛鳥!」
心臓が大きく脈を打つ。
「くっっそぉぉぉーー!!」
急に大声を出した俺に絵里はちょっとびっくりした様子だった。
「ありがとう絵里。次は勝つから。」
俺はハンドルをギュッと握りしめて、絵里の目を見て力強く言った。
「うん!」
そんなやりとりをしているうちに、絵里の家の前に着いた。
「送ってくれてありがと!ちゃんと練習するんだよ!目標は全国だからね!」
「分かってるって。今日はありがとな。」
「どういたしましてー。今度はさ、、、。」
「ん?」
「何でもない!じゃあまた明日学校で!」
そう言って絵里は家の中に入っていった。
何だったんだろう、最後の言葉は.....。まぁ、とりあえず後2ヶ月でやらないといけないことは明確になった。
曇り空の隙間から白い月が顔をのぞかせていた。少しぬるい風が俺の背中を押した気がした。




