春一番
俺と京平は少し吹いていた北風を正面に受けてペダルを回した。お好み焼き屋に着いたのは開始時刻を20分も過ぎた頃だった。
店の裏の駐輪場にはすでに何台ものチャリが不揃いに置いてあった。俺らは適当にチャリを止め、入り口に回る。『本日貸切』の看板が立てかけてあった。古い木でできた引き戸を開ける。パッと明るい景色と、香ばしいにおい、ガヤガヤ賑やかな声が俺らを迎えた。ここはいつもクラス会で使う一軒家の一階を改装して作ったお好み焼き屋。入り口から1段ほど上がると全面畳張りのアットホームなお店だ。鉄板のついたテーブルが8つ綺麗に配置されている。
「おそいよーー!!」
学級代表の相沢はるかが俺らを見つけて声を張った。その声を聞いた他のクラスメイトも俺らを見つけ、遅れてきた俺らをはやし立てた。
「わっり!途中忘れもんしちゃってさ!あと、吉岡がさぁ、小石踏んづけてこけてやんの。そんで鼻血だしてさぁ、」
「こけてねーから。」
店はドッと笑いに満ちた。
「橘と吉岡の席はここねー。絵里ちゃん2人のこと待っててくれてたんだよー。ちゃんと謝んなね。」
はるかが奥のテーブルを指差した。
俺は京平に耳打ちした。
「気まずいだろあの席。」
「大丈夫。俺に任せとけって。普通に話せばいいんだって。」
どっから来るんだその自信は。
俺らはスタスタと奥のテーブルに向かう。急に来れなくなった奴がいるとかで、このテーブルだけ3人だった。
「おっそいよーー!」
空腹でちょっと不機嫌そうな絵里がそこにはいた。
「まじでごめんって!俺らが全部焼くから。なっ?機嫌直せよ。」
京平が肘で俺の脇腹をつつく。
「あ、えっと、遅れてすまん。」
俺の弱々しい声は店内の喧騒にかき消された。
「なぁーにぃー?聞こえないー!」
見慣れた表情だ。聞き慣れた声だ。
「だからー、遅れてごめんって!」
「よし!許す!」
絵里は目の周りにしわを寄せ、子供みたいに明るく笑った。心なしか安心した。
俺らはテーブルを挟んで絵里とは反対側に座った。
席に着くなり京平が口を開いた。
「絵里は春休みはどうよ?」
「寝てばっかだよわたし。今日もたくさん昼寝しちゃった!」
京平が俺の太ももを叩く。
「お、俺は散歩ばっかしてる。」
「何散歩って〜。おじいちゃんみたい。」
「だよな?こいつ老後の趣味先取りしてんだぜ」
「うるせーな。風が気持ちいいんだよ。」
普通に話せてる。素直に驚いた。4ヶ月という空白すら無かったかのように、あの時と同じ温度で3人で楽しく話せてる。それからは取り止めのない話に3人で盛り上がった。中学の思い出、高校の話、体育祭の話。2人は気を遣ってか、サッカーには触れなかった。
「ちょっとトイレ行ってくるわ」
京平が席を立つ。
「いってらっしゃい〜」
絵里が口にお好み焼きを含みながら言った。
2人きりになった。目の前で焼かれているお好み焼きがジュージューと音を立てている。一瞬とも永遠とも取れるような沈黙を切り裂いて、俺は錆びついた勇気を振り絞った。
「ごめん。」
「遅れたことならもういいよー。許したし。」
「それじゃない。冷たくしたこと。」
「、、、。」
再びの沈黙。背中を叩かれたと錯覚するほど鼓動が大きくなる。周りの話し声や笑い声がやけに大きく聞こえる。
「ばか。わたしの気持ちも知らないで。」
「それはーー」
俺が言いかけた時に、絵里は少し声を荒げて続けた。
「私、飛鳥のこと心配してたんだよ。だからいつも通り話しかけた。いつも通り笑ってた。飛鳥はなんで辛い時に周りを頼らないの?それがかっこいいと思ってんの?」
絵里がテーブルにバンッと置いた箸の音に周りが静まり返る。俺は何も言えなかった。ただただ下を向いていた。あの時と同じだ。絵里は逃げない。逃げるのはいつも自分だ。沈黙が辺りを包む。
そんな状況を知ってか知らずか京平が声を上げた。
「やっべぇー!手ェ洗い忘れた!」
「橘はいつも洗ってないでしょ!」
はるかが間髪入れずにつっこむ。
そんなやりとりに店内は再び笑いに包まれた。席に戻った京平はストローでウーロン茶を一口含んでゴクリと飲み込んだ。そして一息着いてから言った。
「なぁ、絵里落ち着けって。吉岡にもいろいろあったんだろ?話してみろよ。」
俺は10秒ほど悩んだ末、顔を上げた。そして思い口を開いた。時間にして15分くらいだと思う。あの時のことを話し続けた。気がつけば数滴の涙がテーブルに溢れていた。
「くだらない。」
絵里が無表情で言った。
「くだらないな。」
合わせたように京平も言う。
「えっ?」
心がそのまま声に出た。
「そんなことかってこと!飛鳥はさ、私たちのことどう思ってるの?そんなことで嫌いになると思ってるの?あー!心配して損した!」
ほっぺたを膨らまして目を細くして絵里がいう。
「お前、そんなことで悩んでたのか。負け知らずのスポーツ選手なんか世界中どこ探したっていねーよ。負けて人のせいにしたいのもすげー分かる。分かるからこそ応援に行ってんだ。俺も絵里も。そんなこと承知で行ってるんだよ。お前の悔しいって気持ちが少しでも前に進む原動力になるなら、俺も絵里もいつでもサンドバッグになってやる。なぁ、また昔みたいに馬鹿みたいに日が暮れるまでボール追いかけようぜ。俺は他の誰でもねーよ。お前とサッカーがしたいんだ。絵里、もっと言ってやれ!」
「私の言いたいことは全部京平が言ってくれたよ。なんか、それより、ホッとしちゃって、、、。」
絵里は鼻の先を赤くして、少し震えた声で言った。
鉄板に置かれた豚玉はもう食べれないほどに焦げていた。常に笑っている絵里も、普段テキトーな京平もこの時ばかりは一点に俺の瞳を見つめていた。もう涙はとめどなく溢れていた。
「ありがとう。」
声にも音にもならないような、俺の口から漏れたその言葉はしっかりと二人の耳に届いた。
「でも、この貸しは大きいからね!お詫びとして、私をまた応援に連れて行って!今度はそーだなぁー。全国!全国大会に行ってみたい!」
ずっと見慣れてきた、太陽のような笑顔がそこにはあった。その瞬間、嗚咽とともに大量の涙が頬を伝った。俺の履いていたベージュのズボンは、水滴で色が濃くなっていた。
「ほら。」
京平が紙ナプキンを差し出す。
「京平はまたハンカチ持ってきてないのー?」
「うるさいなー。こんなんなると思わないじゃんか。」
「やっぱりトイレで手ェあらってないなぁー?」
「洗ったわ!!」
こんな絵里と京平のやりとりを聞くのもいつぶりだろう。店の名前が入った紙ナプキンを5枚ほど使って涙を拭いた。
「あー!スッキリした。決めた!俺高校でもサッカー続ける。そんで絵里、絶対全国に連れて行く。最高の笑顔にしてやる。」
「言ったねー!約束だよ!そしたら飛鳥と京平の名前が入った、でっかい横断幕作らなきゃ!」
「えっ?!俺のも?俺も頑張んなとだな。」
「もちろん京平もに決まってんだろ。むしろお前がいないと全国なんて夢の夢だ。頼りにしてる。」
「急に立場変わったなぁ。橘だけに。」
俺と絵里は見事に聞かなかったことにした。
京平は恥ずかしそうに豚玉をひっくり返し、真っ黒な面をヘラでつついて見せた。
「京平、ちょっとだけ時間をくれないか。半年のブランクは大きすぎる。6月からでも部活に入れるのか?」
「ああ、大丈夫だと思うぜ。俺から伝えといてやる。すげーのが入るってな。」
「2人とも急にやる気じゃん!じゃあ私、マネージャーやろうかなぁー。なんて。。。」
絵里も真っ黒な豚玉を箸でつついてる。
「ありだな!でも、お前は美術部だろ?」
俺はストローを前歯で平らに噛みながら言った。
俺は絵里の描く絵が好きだ。中学では美術部に入っていた絵里。転校前も美術部だったと聞いていた。小さい体で大きなキャンバスに背伸びしながら描いている姿を何回か見たことがある。俺は絵のことは詳しくないが、絵里の描く風景画はどこか懐かしさを覚えて好きだった。
「えへへ。そう。高校も美術部に入るんだぁー。もっといろんな風景描いてみたい。」
「俺も絵里の絵好きだぜ!コンクールで賞も取ってたよな?美術部の全国大会ってないのか?」
京平は美術の成績2しか取ったことがない。こいつの好きは当てにならん。
「あるよー。全国高校美術作品展。みんな全美って呼んでるけどね。毎年7月に出展して、そこで賞を取ると、東京の美術館に夏休みの間展示してもらえるの。絵を描いてる高校生にとっては憧れだねー。」
絵里は淡々と、でも目を輝かせて言った。
「決まりだな。」
京平が真っ黒の豚玉にヘラを差し込みながら続ける。
「俺ら3人で全国いこう。俺と吉岡は絵里に最高の試合を見せる。絵里は俺と吉岡に最高の絵を見せる。どっちも東京でな。」
焦げ臭い白い煙がフワッと天井に消えていく。
「ああ、やろう。」
俺は拳を握りしめて一文字一文字を噛み締めて言った。
「最高じゃん!そしたらみんなでスカイツリーいこうね!」
「今更か?完成してから随分経ってるぞ。」
「じゃあ飛鳥は行ったことあるの?」
「無いけど、、、。」
「まぁ、いいじゃねーか。スカイツリーも東京タワーもレインボーブリッジも全部登ってやろうぜ!」
「京平、レインボーブリッジはのぼ、、、。」
俺は言いかけてやめた。京平の言いたいことはしっかり伝わっている。京平は大切に育てた黒い豚玉をなぜか三等分に切り分け、3人の皿に乗せた。そしてヘラをテーブルに勢いよく置いた。京平はウーロン茶のジョッキを、絵里は、カルピスのジョッキを右手で強く握っている。
「ほーらっ!飛鳥も早く!」
白い歯をのぞかせて絵里は笑う。
「お、おう」
次の瞬間、鉄板の上で3つのジョッキがカチンと音を立ててぶつかり合った。無言。何も言葉はいらなかった。2人の顔は自信と期待に満ちていた。俺はどんな顔をしていたんだろう。周りの喧騒は気にならない。こうして俺らはもう一度、いや、新しく大きな一歩を踏み出した。




