トマトのような
いつもバスで来ているという彼女は、自転車を押す俺の横を歩いている。50センチほど離れた2人の距離は、まさに心の距離を表していた。無理もない。今日は初めて話した日なんだ。それなのになぜこんな状況に。
無言。俺もそうだが、あっちも何の話をどうやって切り出したらいいか見当がつかないのだろう。彼女の黒いローファーの乾いた足音だけが田舎道に響いた。
何分くらい歩いただろうか。1ヶ月間往復した道がこうも長く感じる。グランドで練習する野球部の掛け声が聞こえてくる。実際には歩き始めてから5分も経ってことを俺に知らせていた。
思い切ったように清水さんが空白を切り裂く。
「あの.....。えっと.....。」
「ん?」
「飛鳥くんて、サッカーやってるんだっけ?」
「ん、ああそうだよ。六月から部活に合流するつもりなんだ。」
「あ、そうなんだ....。」
再びの静寂。野球部の声は少し遠くなったか。俺の頭の中は疑問でいっぱいだった。なぜ俺を誘ったのか。なぜ今日なのか。そもそもなぜ俺は誘いに乗ったのか。自問自答。以前答えは見えない。そんな状況を見かねてか、もう一度清水さんは声を出した。
「やっぱり....嫌だった?」
「嫌?そんなことはないよ。ただちょっとだけ聞いてもいいかな?」
「うん。」
「不躾なんだけどさ、なんで.....。」
言い切れない。今俺が言おうとしていることはおそらく、いや、確実に彼女を傷つける。
「前から気になってたから.....。」
清水さんは、うつむいてそう答えた。顔は少し赤くなっていた。
俺は返答に困った。思考がぐるぐると頭を駆け回る。
「えっと....それはどういう....。」
慎重に。慎重に。
清水さんは一度深呼吸をして呼吸を整える。
「私ね、入学式の日からね、飛鳥くんかっこいいなって思ってたの。でも....ね。緊張してなかなか話しかけられなくて。今日話しかけてもらってすごく嬉しかった。」
なるほど。疑問が疑問で無くなっていく。
「そうなんだ....。ありがとう。今日清水さんと初めて話したけど、すごく話しやすかった。」
こんな返答でいいのだろうか。この時ばかりは俺は自分の経験の無さを呪った。
「すごく勇気いったんだ...。誘うの...。」
「俺もびっくりした。でも誘ってくれてありがとう。今日は絵里も部活だし、ちょうど1人だったからね。」
ここにはいない絵里を会話に登場させ、あちらの出方を探る。
「仲良いよね2人。ひょっとして付き合ってたりするのかな?」
付き合うというフレーズを聞いて俺は唾を飲み込んだ。
「付き合ってなんかないよ。仲はそれなりにいいけど。」
「そうなんだ。私とは友達になってくれるかな...なんて。」
「もちろん。というかもう友達だろ?」
「あ、うん。嬉しい....。」
今俺の隣に歩いている背の小さめの女の子は、クラスを取り仕切る代表とは似ても似つかなかった。これが本当の清水美咲なのか。声の大きさもいつもの半分。いつもの笑顔は影を潜めている。
「LINEとか聞いてもいいかな?」
清水さんはポケットからうすいピンク色のケータイを取り出し、俺をちらっと見た。
「いいよ。」
俺は片手で自転車を支え、ポケットからケータイを取り出す。
「これでオッケーだね!」
清水さんからようやく笑顔がこぼれた。
「家ってこっち?」
俺は横断歩道から別れる、細い路地を指差した。
「うん。こっから歩いて10分くらいかな。」
空は水色とオレンジ色が綺麗に混ざりあっていた。背を伸ばした名前もわからない雑草が風に少し揺れている。
「乗っていいよ。」
「えっ?」
「荷台。家まで送ってくよ。」
「いいの?」
「道も細いし、バレないから大丈夫だよ。」
「えっと、そういうことじゃ....。」
「暗くなってきてるし、ほらっ。」
「じゃあ....。」
よく考えてみると、絵里以外の女の子を後ろに乗せるのは初めてかもしれない。その事実を見つけるやいなや、鼓動が大きくなる。心臓が血液を送り出す音が鼓膜まで届く。
清水さんは俺の制服をギュッと握りしめている。隙を見て振り返ってみると、彼女は少し不安そうに遠くを見つめていた。俺だけじゃない。あっちも不安なんだ。いや、むしろ彼女の方が不安なんだ。俺は彼女の勇気にしっかり向かい合わなければならない。これは義務だ。彼女の頑張りを無下にしていいわけがない。
言葉はない。しかし、その細い腕で強く掴んだ制服を通して伝わってくるものは、言葉の限界を遥かに超えていた。
「ここだよ。」
小さな声で言った。
俺はゆっくりブレーキを握る。
「ありがとう。もしよかったらさ、よかったらでいいんだけど、また今度一緒に帰ってもらえたりするかな...?」
恥ずかしそうにスカートをいじる小さい女の子。精一杯勇気を出したであろうその女の子は、トマトのように顔が真っ赤だった。
「いいよ。また声かけてね。」
「うん...。明日白蓮祭頑張ろうね。」
「おう。」
俺はクルッと自転車を回転させて、家路を走らせた。
なぜか分からない。少しの高揚と少しの罪悪感が俺の胸を締め付けた。ただクラスの女の子と一緒に帰っただけだ。たまたま誘われて、たまたま帰る方向が同じで、たまたま一緒に帰っただけだ。自分を肯定する理由探す。こうしないと、本当に大切なものがどこかへ行ってしまうような気がした。
気づいたら家に着いていた。街灯がちらほら灯りはじめた頃だった。




