春風
時折頰をくすぐったい風が通り抜けてゆく。厳しかった寒さも気付けばとうの昔で、草木も青々と茂り、パタパタと風になびく洗濯物が春の到来を告げていた。
「もうこんな時間か」
じれったいくらいに長い春休みを持て余して、1人散歩に出ていた俺は、特に予定もないのに時間を気にした。高校入試が終わり、合格が決まってからというもの、惰性の一言に尽きる。中学から仲の良かった友達も何人か同じ高校に入学することになっている。不安という不安も、期待という期待も特に持ち合わせていなかった。俺が住む福井県は、今でこそ開発が進んでいるものの、少し遠くに目をやると田園風景が広がっている。
「暇だなぁ」
年の割に冷めている。よく言われるフレーズだ。それもそのはずだ。努力とか目標なんてものが何の意味も持たないことが証明されたのだから。
俺はサッカーのクラブチームに所属し、去年の10月、チームは県大会の決勝まで勝ち進んだ。夢にまで見た全国の舞台へあと一歩。決勝の相手は敦賀グローズ。北陸でサッカーをやっていれば必ず耳にするほどの知名度である。俺たちはそんな強豪に決勝という大舞台で1-7で負けた。涙すら出なかったのを覚えている。野球で言うなら五回コールドと言ったところか。あれからボールには一度も触っていない。努力なんて言葉は才能を持て余したやつが言った戯言だ。もちろん高校の部活なんかには興味がない。俺が進学する福井第一高校はそれなりにサッカー部が頑張っているとは聞くが、それでも県大会でベスト8には残れない。スポーツである以上、勝たなくて意味がない。敗北は否定と同義だ。そんなレベルの低いチームにいるくらいなら、帰宅部として高校生活を謳歌したい。
ブー、ブー。珍しく携帯が鳴った。
「もしもし、京平どうした?」
「もしもし、吉岡?今晩暇か?」
橘京平、同じ中学から同じ高校へ進学する、数少ない友達のうちの1人だ。家が近所だったこと、お互いサッカーをしていたこともあり、昔から妙に気があう。
「暇っちゃ暇だけど、どうした?」
「今晩中3のクラスでクラス会やるってなってたろ?お前返事してないからまた理由つけて来ないつもりだっただろ。暇って言葉ちゃんと聞いたぜ。」
「お前、、、。わかったよ。ちゃんと行くから。」
俺はこの手の集まりが正直得意じゃない。クラスの雰囲気は嫌いじゃないが、どうも落ち着かない。あいつは来ないだろうが。
「おっ、素直に折れたな。じゃ6時にいつもの公園な。ジャージで来んなよ。」
「服めんどくせーな。りょーかいー。」
そうだ。完全に忘れていた。入学式を1週間後に控え、最後の思い出にと学級代表が企画したものだった。話せる友達がいないわけではない。かといって多くもないが。ただ、ずっとサッカーに一途だった俺は、女子と話す機会も少なく、それが得意でないだけだ。
6時まであと2時間しかない。気付けばあたりはオレンジ色に包まれ、暖かかった風も少し冷気をはらんでいた。気分任せの散歩。気がつけばかなり遠くまで来ていた。踵を返し、家路を辿る。1時間ほど歩いてきた道だ。急げば40分で家に帰れる。二車線道路の傍の歩道を少し小走りで家へと急ぐ。
1匹のカラスがオレンジ色の空を一線に飛んで行くのが見えた。30分くらい経っただろうか。徐々に車通りもも増え、夕方のどこかさみしそうな冷たい風も、対向車の風圧でかき消されていた。ようやく俺の家がある団地に入り、歩を緩めた。家の近くの公園を通りかかった時、聞き慣れた音に思わず耳が反応した。他の何でもない。サッカーボールを蹴る音だ。しばらく関わっていなくてもやはり気にしてしまうものなのだなぁと感心しつつ、音の方へ目をやる。高校生か?見知らぬ男は1人で壁に向かってボールを蹴っていた。身長はおそらく175くらい。俺より少し大きいくらいか。体格はがっちりめだ。その男は跳ね返ってきたボールを右足で止め、また壁に向かって蹴るを繰り返していた。気付けば俺は道の真ん中に立ち止まり、食い入るようにその姿を見つめていた。
その男が3発目を蹴り込んだ時にすぐに異変に気がついた。動いていない。跳ね返ってきたボールが寸分の狂いもなく彼の足ものに戻ってくる。正確性が売りのスポーツ選手はよく機械に例えられる。しかし彼は違う。正確性ならもはや機会の域だが、彼の足元に帰ってくるボールはまるで生き物のように生き生きとしている。回転のかかり具合、強さ、弾道。どれを取っても毎回の壁当ては全て異なるものだった。
時間的にはどれくらい経っただろうか。気付けば俺は拳を握りしめ、棒立ちのままそれを景色の一部として見ていた。
「やべっ!時間!」
ケータイの電源ボタンを押し、時間を確認する。17:30。まずい。今から家に帰って準備して、、、。間に合わない。
俺は京平に電話をかけながら家へとダッシュした。
「もしもーし、どうした?」
「京平わり!10分遅らせてくれ!」
「いいけど、珍しいな。お前がーーーーー。」
風を切る音と、自分の息で少し聞き取りづらかった。
「わり、また掛け直す!」
「お、おう。」
家に着き、息を整えながら着替えを済ませ、準備を済ませる。時刻は6時を回っていた。急いで自転車で約束の公園に向かう。あたりは薄暗く、細く欠けた月と一際明るく光る一番星が暗闇を待ちわびているようだった。
「わり!おまたせ!」
随分自転車を飛ばしたがやはり間に合わなかった。カゴの荷物は振動でひっくり返っていた。
「5分遅刻。アイスおごりな。」
京平はいつもの子供っぽい笑顔で言った。
「ああ、そんぐらいは詫びないとな。それよりなっ!さっき公園ですげーやつ見たんだ!」
「急だな。どんなやつ?」
俺はサッカーと関わるのをやめたんだ。今更こんなことでテンション上げてどうする。京平は高校でもサッカーを続けるらしい。中学では俺はクラブチーム、京平は部活で3年間サッカーに打ち込んだ。時々公園で一緒にサッカーをしていたのでお互いの実力は把握済みだ。俺のポジションはFW。最前線でゴールを決めるのが仕事だ。それに対して京平のポジションはCB。守備の要だ。そんな対照的な俺たちは、中学時代公園で日が暮れるまで一対一の練習をしていた。でも、もうこいつとサッカーすることは無いのか。そう思った一瞬のうちに孤独が俺を覆った。
「あ、今思ったらそんなにすごくなかったかも。」
テンションを抑え、俺は自分と京平に嘘をついた。
「はー?なんだよそれ。まぁいいや。時間もねーし、早く行くぞ!」




