ばらとみつばち
あるところに、ばらが一りん咲いておりました。
もえるようにまっかな色で、みずみずしくきらきらとかがやいた、とてもとてもうつくしいばらでした。
あるとき、アブラムシがばらをみかけてこういいました。
「ああ、なんとあまいあまいみつの香りがするんだろう。おいばらよ、ぼくにそのおまえのみつを分けてくれないか?」
すると、ばらはにっこりとほほえんでいいました。
「ええ、もちろんですとも。さ、どうぞたっぷりたっぷりもっていってくださいな」
アブラムシは、しめたとばかりにさっそくいそいそとばらのくきを登ろうとしました。
ところが、ばらのくきにはとげとげがびっしりとあったのです。
これをみたアブラムシは顔をまっさおにして、こう言いました。
「やれやれこれはのぼるのにはむつかしい。ああ、ざんねんだがあきらめるとしようかい。」
そうして、とっとことっとこ、と来た道を帰って行ったのでありました。
ばらはたいそうがっかりして、しょんぼりとかたをおとしました。
次の日、ばらのもとへ何百匹ものありたちがおとずれました。
「アブラムシのだんなからきいたのだが、たしかにあまいあまいかおりがする。これはさぞおいしいみつがとれるだろう。なあ、ばらよ。われらの女王のためにみつをわけてくれないか?」
するとばらは、昨日よりもきらきらとした顔で答えました。
「ええ、もちろんよ。ぜひもっていってくださいな」
するとありたちはよろこんで、さっそく準備をはじめました。
「ふむ、アブラムシのだんなからきいていたが、こいつはたいそうやっかいなとげとげだ。やい、一番部隊、準備はじめい!」
隊長ありに言われ、一番部隊のありたち百匹はすぐさまとげとげをのぼりはじめ、くきにしがみついてありのはしごをつくりました。
「つぎは二番部隊いけい!」
二番部隊のあり百匹は、くきにしがみついているはしごありたちのうえをのぼって、一番部隊ありのはしごの上にまたはしごをつくりました。
「つぎは三番部隊、いけい!」
三番部隊のあり百匹は、一番部隊ありのはしごの上につくった二番部隊はしごの上を歩いて、ようやくばらのはなびらにとうちゃくしました。
「あらあら、ずいぶんとたいへんだったのね。」
ばらがきょときょとと辺りを見回しながらこう言うと、ありたちはにっこり笑って答えました。
「いえいえ、これがぼくらのしごとです。」
そうしてしばらくのあいだ、ありたちはかわるがわるばらのみつをはこんでいったのでした。
さいごの一滴をはこびおわると、ありの隊長はいいました。
「いやいやどうもありがとう。これでぼくらのしごとはおわりました。」
そうしてありたちは、来た時よりもずっと少ない数で帰っていったのです。
ありたちの行列を見送ったばらがふう、とため息をついてばらが足元を見降ろすと、そこにはばらのとげとげにひっかかった一番部隊のあり百匹と、二番部隊のあり五十匹の死骸が転がっていました。
ばらは、それを見てびっくりして泣き出します。
「ああ、ああ、わたしのとげとげのせいなのね、ごめんなさい、ごめんなさい。」
ばらは泣きました。なぜでしょう。なぜだか涙がとまりませんでした。
「わたしのとげは、むしをまどわすいけないものなのだわ。ああ、ああ、なんてわたしは罪深い。」
ばらは、自分のとげとげのために泣きました。
なんて悲しい涙でしょう。その涙は、露となってぽたりと地面におっこちて、すぐに消えてゆきました。
何日かすると、一匹のはちがぶぅんとばらのところへやってきました。
「やあやあいい香りがするね。きみのみつのにおいだね。」
「あらはちさん。でもだめよ。わたし、もうきめたのよ。だれにもわたしのみつはあげないって」
「おやおやおかしなことを言う。僕がみつをもらえなかったら、いったいどうやってきみは種をまくんだい?」
「だってわたしがみつをあげるなら、あなたはわたしのとげとげにさされて傷つくかもしれないのよ。わたしはそんなことたえられないわ」
するとはちはいじわるな顔で笑いました。
「どうしてそんなことをいうのさ。きみはばら。ぼくははち。まったく関係ないふたりだろう?どうしてきみがかなしまなけりゃならないんだい?」
ばらはこまったように首を傾げました。
「だってわたしのとげとげで、このあいだたくさんのありさんたちが死んでいったのよ。わたしの足もといっぱいのありが死んでいたのに。そのときわたしはかなしくなったの。あんな思いはもうたくさん。」
はちは、わざとらしくうんうんとうなずきました。
「へえ、それで?ありたちは女王のために死んでいったのに。きみのとげがいくらありを死なせようとも、それはきみじゃなくありの女王のせいじゃないのかい?」
このことばに、ばらはむっとしていいました。
「あら、ずいぶんなことをいうのね。ありの女王はわたしのみつがほしかっただけなのよ。ありたちはそんな女王のためにみつをとどけたかっただけじゃない。」
「そうだね。それはきみがみつをもっていってほしいのとおなじようなもんだ。」
「そうよ、女王はわるくないじゃない。」
「じゃ、きみもわるくないじゃない。女王はみつをほしがって、きみはみつをもらってほしかった。ありたちは女王のために働きたかった。そしてすべての願いは叶ったんだよ。さて、なぜきみはありたちが死んで悲しいと思ったんだい?」
ばらはますますこまってしまいました。
「だって…それは…ありたちが、」
「ありたちは使命をまっとうしたのさ。なぜきみはそれを悲しむひつようがあるんだい」
「ありたちが、わたしのとげとげで死んだからよ。」
そこまできいたはちは、にんまりわらってこういいました。
「ねぇ、ばら。きみは自分のとげが憎いかい?みつをもっていかせないための、むしをよせつけないための自分のとげが、そんなに憎いのかい?ちがうだろう?
きみはただ、ごじまんのとげのせいにしているだけなんだ。そうやって、きみは自分のみつがどれだけあまくて、おいしくて、かちがあるものかをたしかめてはよろこんでいるんだよ。そう、『わたしのみつがほしいなら、このとげとげを乗り越えてきなさいよ。そうしなければ簡単にみつはあげないわ!!』ってね。」
「ちがう、ちがう!なんてあなたはいじがわるいのかしら。わたしはあなたを傷つけるかと思ってしんぱいだったのに!!いやよ、いや。何よいじわる!あなたになんかわたしのみつはあげないわ。あっちへいってちょうだい!」
ふふっとはちはわらいました。
「ねえ、ばら。きみほどあまそうで、おいしそうで、気高い花ははじめてだよ。きみときたら、ぼくのいうことをまるでききやしない。ほかの花は、ぼくがなんともいわないうちにみつをさしだしてくるんだもの。」
「そんなこといったって、あげないわ。きらい、あなたはきらいよ。よそへいってよそのみつをもらってかえればいいでしょう。」
ばらは、なんだかわからないはずかしさとかなしさとで、ぽろぽろなみだをこぼしながらいいました。
「ほら、あっちへおゆき。わたしはもうつかれたのよ。もう日がくれて、星のつゆがそらをぬらす時間なの。おかえりなさいよ、ねえはちさん。」
はちはそれでもにやりとわらって、いいました。
「きみがみつをくれるなら、いつだってここにきて話相手になってあげる。ねえ、ばら。あしたもぼくはここに来るよ。きみのみつと、きみにあいにね。」
はちはぶぅん、と飛んで行き、やがてすがたはみえなくなりました。
「ああ、つかれたわ。もうねむらなければ…」
そういって、ばらはねむりにつきました。
つぎの日、おひさまもまだおきたばかりの時間のことでした。
ひとりのニンゲンが、ばらをみつけたのです。
「おやまあこんなところにすてきなばらが。これは私の家のげんかんをかざるのにちょうどいい。」
ニンゲンは、そういってはさみでばらのくきをぱちんときりおとしました。
ばらはびっくりしましたが、いたくもなんともありませんでした。
しばらくするとニンゲンは、水を入れた、ながほそくて透明ないれものにばらを入れました。
「きれいだね。」
「きれいだね。」
ニンゲンは、ニンゲンたちは口々にいいました。
「こんなきれいなばらは見たことがない。」
ばらはそういわれるたびに、くすぐったくてうれしいきもちになりました。
ああ、わたしはきれいなのね。とげとげがあったって、みつをあげられなくたって、いいの。わたしはきれいだからほめられているのだわ。わたしがきれいだから。
ニンゲンたちは、わたしがきれいなばらであるだけで、ほめてくれるのだわ。なんてなんてうれしいことかしら。
ばらは、うれしくてうれしくてふるえました。そうしてなおもきれいになろうと、水にひたった足元からぐんぐんとえいようぶんを吸い上げました。
その時には、ばらは昨日のはちのことなんてすっかり忘れてしまっていました。
それから何日かたちました。ばらはさいきん、元気がありません。
じまんのもえるような花びらは黒ずんできましたし、なんだかこしも曲がってきたみたいです。
「おかしいわね。なんだかさいきん元気がでないわ。まどからおひさまが照っていらしているのに。葉っぱもしゅんとしてしまって。」
ばらは、枯れようとしていました。土から吸い上げられるえいようとニンゲンが毎日とりかえる水のえいようでは、やっぱり土のほうがいいのです。
「ああ。辛いわ。苦しいわ。どうしたのかしら。」
ばらがニンゲンに苦しさを訴えようとしても、どうにも伝わりません。ニンゲンはあいかわらず、ばらを見て、きれいだね、というばかりです。
「そうか、わたしはここで枯れてしまうのね。でもいいわ。わたしはこんなにきれいだってほめられたのだから。きれいだってほめられて、わたしは満足してるのよ。」
ばらは自分にそう言い聞かせましたが、なんだかさみしいきもちでいっぱいになりました。
「やあばら。おまえはあいかわらずきれいだね。けれども、前に会ったときよか、いくぶんか元気がないみたいだ。」
びっくりしてばらはふりかえりました。すると、そこにはいつかにあったはちがいたのです。
「はちさん、どうしてこんなところにいるの?」
はちはぶん、と羽をならして言いました。
「このまえきみに会ったとき、ぼくは『明日あいに行く』といっただろう?だのに、きみはもうあの場所にはいなかったじゃないか。これでもずいぶん探したんだ。」
そういってほほえむはちに、ばらは弱弱しく笑いかけました。
「そうだったわね。でもごめんなさい、はちさん。わたし…」
「おや。まだきみは虫にみつをあげないつもりかい?それは花の本分をまっとうしていないことになるじゃないか。きみは、なんだってそんなにきれいに咲いているのさ。」
そうはちに問われてばらははっとしました。そうです。いくらきれいだきれいだと言われても。ニンゲンにきれいだといわれるためにばらがきれいなのではないのです。
それから、ばらははちを見て気がつきました。はちは、羽がぼろぼろだったのです。足も一本もげていました。それでもはちは、にこにこと元気よく笑っています。
「…そうね、そうだわ。わたしはみつを虫たちにあげるために咲いたのね。わたしのみつで、すこしでも長く虫たちが生きのびられるように。ああごめんなさい、はちさん。
わたしがもうちょっとりこうで、もうちょっと考えが足りていたら、あなたは羽をそんなにぼろぼろにしないで足もりっぱにそろっていたのでしょうね。」
はちは、おどろいて自分の体をきょときょとと見まわしました。
「ああ、これかい。べつに気にしなくったっていいんだよ。ぼくらは皆女王のためにこうなるのさ。それに、どのみち僕らはもうすぐ死ぬからね。冬が近いんだ。」
それをきいて、ばらは悲しくなりました。
「死んでしまうの?かわいそうに。」
ぽつりと言葉をもらしたばらに、はちは言いました。
「かわいそうなんかじゃないさ。僕らはいっしょうけんめいはちの本分をまっとうして、いっしょうけんめい生きたから。」
そうです。はちはいっしょうけんめいみつを運びました。はたらきました。それはとても満足なことで、何より楽しいことでした。
「…わたしは、ばらの本分をまっとうせずに生きてきたのね。ただきれいだ、きれいだって言われて喜んで。それだけだったのに。」
さみしそうなばらは言いました。なんだか、はちがとてもきらきらとかがやいて見えたのです。
「ねえ、ばら。きみはうつくしい。花の本分はみつを虫にわけあたえることだけれども、ばらはきれいであることも本分なのじゃないかとぼくは思うんだ。
ばらがきれいじゃなかったら、虫はきみみたいなとげとげした花なんて見向きもしないもの。」
それを聞いたばらは、少しばかりうれしそうに笑いました。
「ありがとうはちさん。そういってもらうとうれしいわ。じゃあ、わたしもこんどは花の本分をまっとうしてみようかしら。ね、みつをもっていってくださらない?」
「おや、ばかに素直じゃないか。どうしたんだい。」
ばらは、やっぱり弱弱しく笑いながら言いました。
「このまま、花の本分をまっとうしないで枯れるのが少しいやになったのよ。」
はちは、うんうんとうなずきました。
「なるほどね。きみが、さっきから元気がなさそうだったのは、もう枯れるからなんだね。」
にっこりと笑ったはちは、ぶぅんと羽をばたつかせ、ばらの花びらに乗りました。
「では、もらってゆくよ。ああ、なんだい。とってもあまいあまいにおいじゃないか。今までもらってきた、どんな花のみつよりかかぐわしい。」
「ふふふ。ありがとうはちさん。」
ばらはくすくす笑いました。やっぱり、弱弱しくです。そんなばらに、はちは語りかけました。
「ばら。きみはこれから枯れるし、ぼくは冬の寒さで死んでしまう。だからこれでお別れかもしれないけれど、ぼくは今日きみに会えてよかったよ。」
そうはちがいうと、ばらはこれまでのどの笑顔よりも美しく、笑いました。
「わたしもよ、はちさん。おかげで、わたしは花の本分をまっとうすることができたわ。」
「お互いさまだよ。それじゃあね、ばら。いい夢を。」
「さようなら、はちさん。」
ぶぅん、とはちは飛び去っていきました。いい夢を。そう言われたのははじめてです。
いい夢を。なんてすてきな言葉でしょう。ばらは、これから数えるほどであろう夜が待ちどおしくなりました。言葉のとおりに、今夜からいい夢を見られそうな気がします。
つぎの日の朝のことです。ばらが目覚めることはありませんでした。
昨日の夜に、ばらが枯れそうなことに気がついたニンゲンが、ばらをドライフラワーにしたからです。
木のつるやいろいろなかざりものを輪っかにしたもののまんなかに、みごとなばらがかざられていました。それは、あくる日のニンゲンたちのお祭りのためのものです。
ぽん、とニンゲンがまどぎわに輪っかをおくと、まどからはちがやってきました。
「やあばら。なんだかかわったところにいるじゃないか。からからに乾燥して、それでもきみはうつくしいんだね。」
ばらは答えません。答えるはずはありません。はちもそんなことは分かっています。
「ばら。きみはそうやって、死んでまでばらの本分をまっとうしている。すごいじゃないか。」
はちはそれっきり、動かなくなりました。どうやら、眠ってしまったようです。
読んでくださってありがとうございました。
この話は、僕が中学生の時に思いついたものです。
思いついた当初は、実は童話単品ではなく当時書いていたノワールまがいの小説の付随作品でした。
でも、単品としていつか出してみたかったという思いもあって今回書いてみました。
童話は難しいですね。どこまでが平仮名でどこまでが漢字で良いのか、この境界線が難しいです。
この話にかけた時間は、一週間くらいでしょうか。前半と後半を書くのに中途半端な時間が空いてしまいましたので、それ以上かけたのかもしれませんが分かりません。暫定的に一週間とすることにします。
この話は、当時バラのモチーフが好きすぎて薔薇に狂っていた馬鹿な僕のレクイエムとして執筆します。
ごめんなさい格好よく言ってみたかったのですがいまいちでしたね。恥ずかしい。
童話って、難しい。
今回はそれを思い知らされました。
4月 某日 午前0時42分
宵之口 闇太郎
こんな遅くに何やっている。自分。
ところで、この話に当てはまるカテゴリがあんまりないのは何故。