成長痛
以前、創作をやるために文学を修めた友人と、美術の道を歩む友人とお酒を飲んだことがある。
彼女らは学問として小説や芸術と向き合っていながら、片手間にアマチュアで文字を書く私のことを一人前の創作者として扱ってくれ、私たちはたくさん創作にまつわる話をした。
その中で、彼女らのうち一人が紫煙をくゆらせながら言った。
「書いてて本当に下手くそだな死にてぇってなることがある。そういう時はしばらく書きたくなくなるし、めちゃくちゃしんどい」
そんなことある?
というのが、私の素直な感想であった。
確かに小説を書いていて、「うーん、いまいちだな」と思うことはある。
それでも死にたくなるほど落ち込んだことも書きたくなくなることもなかった。そんな大袈裟な、と思った。
そして昨日。私は彼女らの言う意味がよく分かってしまった。
昨日はとあるきっかけで、色んな方々から自分の作品の悪いところを色々教えてもらったのだ。
そうして指摘をもらうと、自分でもいまいちかなと思っていた点は思っていたより致命的であるし、思いもよらないところに痘痕があったことに気づけた。
自由帳を広げて、貰った指摘、自分の狙い、作品の構成などを書き散らしてみて、その全容を眺めた時、思ったのだ。
なるほど、死にたいと。
結局昨日は頭が上手く回らず、カラカラと音を立てて思考を撚って作った糸が絡まっていくのを感じたので、作品には手をつけず早くに寝てしまった。
そして今日、私は言いも知れぬ興奮に支配されている。
何というか、死にたいと思えたことが嬉しいとすら思う。
何故だろうかと考えて、私はあの日、どことなく寂しさを覚えたことを思い出した。
自分の作品と向き合って、自分の未熟さを噛み締めて、死にたいと叫べるほどひた向きな彼女らに、私は憧れていたのかもしれない。
初めて彼女らの発っていったラインを踏めた。
消えてしまいたい程の羞恥や無力感と、叫びたいほどの歓喜が五臓六腑を駆け巡る。
つきましては、敢えて厳しい言葉をかけてくれた方々に多大なる感謝の意を表したいと思っている。
本当にありがとう。
これは、貴重な体験を通じて私の中を渦巻く感情を書き留めたものである。
次はこのラインを越えていこう。