良い子は真似しないでね
昔の話。
仲の良かった友人がいた。今でもたまに会えば軽口を叩き合えるような仲の友人だ。
彼女は結構思ったことをスッと言いつけてくる節があった。友人である私も、時にその言葉にグサリとやられ、落ち込んだことがあったものだ。
まあ、彼女に悪気はないし、悪いことを悪いと指摘してくれる彼女の存在は非常にありがたいとすら思っていた。実際、彼女は少し変だったが無邪気で優しい、誰にでも愛されるいい子だった。
それでも、今までで一番効いたその一言は、未だに私の胸に鮮烈に残り続け、時折呪いのように疼く。
「君は優しいんじゃない。優しくするのが好きなだけ」
プライバシーに関わるので表現は変えてあるが、彼女はそのような事を言ってくれた。
私は言葉に詰まった。言葉にして突きつけられて、初めて気付いた自分の歪な心。激しい自己嫌悪に視界が揺れるような錯覚。
私は未だにあの衝撃を忘れられずにいる。まだあの言葉を否定出来ずにいるのだ。
それから、私は「優しい人」と「優しくするのが好きな人」の差に気がついた。いや、分かった気になっただけなのはもちろんなのだが。
そうして意識する程に、私は自分が後者であることを深く認識してしまう。
優しくして喜んで欲しい、優しくして褒めて欲しい、優しくして好意を抱いて欲しい、優しくして贔屓にして欲しい、優しくしている自分に満足したい、優しくしている自分が好き……。
私の優しさの裏にはそういう汚いのがくっついていて、それが傲慢で仕方ないように思えるようになってしまった。
こういうのを偽善って言うんすかね……? それなら確かに凄く気持ちが悪い。
それでもまるで優しくないヤツよかマシじゃん?
なんて開き直ってみる自分はもっと嫌いだったりして。
今、こうして古傷をえぐってクレイジーソルトを塗り込んでみている訳だが、こうして考え直すと、私は優しさについて考えることを放棄していた気がする。
優しさって何なんだろう。優しいって何だろう。優しさに理由はあっていいのかな。人を喜ばせることだけが優しさなのかな。優しいっていい事なのかな。
悶々。やはりちょっとこの話題は、豆腐どころか“きな粉”並と全私の中で専ら評判の私のメンタルによろしくないようだ。ちょっとまだ封印しとこ。
そんな訳で、私結構嫌な奴かもしれないんすよ。正直自分だと他人からどう見えるかというのは分からないので断言はできないし、ネガティブな人間って時として面倒だからアレなんだけども。
もう既に嫌な思いされた方がおりましたら申し訳ございません。心の底から謝罪致します。
だから私は極力謙虚に生きようと心がけてる。
私は頭が足りなくて、傲慢で、偽善者で、上から目線で、利己的で、その他諸々なヤツ。下から数えた方が早いタイプ。だから、しっかり考えて考えて考えて……。
ああそうか、だから優しくしようと思わないと優しく出来ないのかもしれない。
優しくなりたい。
次のクリスマスはサンタさんに優しさ頼も。
バファリン半分飲んで優しさチャージしよ。