懐疑のリンゴ
今日もまた、ここに来てしまった。
やはりここは居心地が良過ぎていけない。ついつい顔を出してしまいたくなる。夏休みに朝顔を育てていた時のように、ことあるごとにその存在が脳裏にちらつく。
これでは仕事の合間に土いじりをしているのか、土いじりの合間に仕事をしているのか分からないね。
ところで私は何事も疑うことが好きだ。
ある種の妄執に囚われているのかも知れないと自覚するくらい疑うことを良しとしている。
とは言っても、疑うことというのは物事を否定的に捉えるのとは違う。
例えば誰かに何かを言われた時、「本当にそうだろうか?」という問を掲げる訳だが、これが反語であってはならない。
違うに決まっている、と頭ごなしに否定するのは、盲信することと同じくらいに愚かしいと私は考えるからだ。
私の言う『疑う』というのは、一旦立ち止まって考えてみるということだ。当たり前だと思っていたことや、信頼する友人に言われたことでさえ、一度立ち止まって考える。
再評価する、と言い換えることもできるかもしれない。
その点に関しては結構自分のことを筋金入りだと思っている。
これまで本当に信頼する友人にしか話してきていないし、余計な心労をかけるから家族に明かしたこともないが、この際カミングアウトしてみると、私は何事をも疑い過ぎて自分の性別が分からない。
生まれ持った体と恋愛対象以外に私の心に性別を与えるものが見当たらないから仕方ない。
私はそのことを恥ずかしくも思わなければ、半端者な自分に嫌悪感を抱いたりもしない。むしろこの結論に辿り着いた自分を誇らしいとすら感じているのだろうと思う。
重々しい話だが、私はそれほど重たく考えていないので、聞きたいことがあれば何でも聞いてくれ、くらいに言っておく。
そこまで私が疑うことを重視するのは、私が根っからの理系であることも関係しているのかもしれないと思う。
私見だが、理系の世界では新しい論文で何かが発表されたとあらばすぐにそれを疑う。
……こう言うと語弊があるな。
つまり、その結果が正しいと思うかどうかといった偏見を極力排除して、なるべく中立的にその妥当性を検証するのだ。
脇道に逸れるが、よくテレビ番組なんかで「最新の論文で紹介された健康法が云々」みたいなことを言っていたりするが、個人的にアレは何だかモヤッとする。
最新の論文ってことは、まだ検証も不十分で覆るかもしれないという事になる。実際、一度掲載された論文が取り下げられるなんてこともままある。
まあそれはいいとして。
とどのつまり、私がそういう理系の世界に肩まで浸かっているから、何事も疑うなんてことを言い出すのかも知れないという事だ。
重ねるが、人間不信で人の言うことが信じられない訳ではない。噛み砕いてから飲み込みたいだけだ。
とかこうして喚いているけれども、結局のところ、私は『疑うことは良いことだ』という妄執に取り憑かれている訳だ。
疑うことは必ずしも良いことなのか、それを疑うことが出来ていない。何となく滑稽な話だなあ、と自分では思っている。思っているけど、それより先に進める気はしないし、進むべきかも分からない。
偉そうにものを言っているが、突き詰めれば私はこの世のあらゆる事が分からないのだ。
リンゴは赤いのか? 私の性別は? 1+1は本当に2なのか? 私は生きているのか?
何も分からない。だってもしかしたら私がこうして生きている今は水槽の脳が思い描く胡蝶の夢かもしれない。何だか底知れない恐ろしさがあるよね。
でも私は、少なくとも私の認識としては、生きている。リンゴも、私の目からは、赤く見える。
分からないなりに色々分かって生きている。推測統計学みたいなものだ。
だってそうだ。リンゴは、少なくとも私の目からは、赤く見える訳だから、きっと私に近い存在である他者からも、赤く見えるだろう。その蓋然性は高いと考えられる。
疑うことを疑えない気質のせいで、随分まどろっこしい考え方になってしまった。
どうでもいいが、「まどろっこしい」と書き込もうと思ったら予測変換に「窓6個しい」とあって、うっかり押してしまいそうになった。
つまり、私の語る言葉は全て推測であることになる。私が「リンゴは赤い」と言った時、その言葉は『リンゴは少なくとも私の目からは赤く見え、私と近しい存在であるあなた方からも赤く見えることが推測されます』という意味になっている。
我ながら気味の悪いヤツだ。いちいちこんな言い回しをしていたら直ぐに周りから人がいなくなりそうだ。
だから私はその諸々を省略して「リンゴは赤い」と言う。凝り固まった愚かな科学的懐疑主義者の私だって友達くらいはほしい。
正直、哲学やら何やらに関する知識はまるで無いので、そろそろ言葉と理屈をこねくり回すのはやめて、昼飯にしよう。
愚かしいと自ら分かっていていつまでもそのざまを晒すことを躊躇う羞恥心も一応は備わっている。先程までそれを上回っていた自己顕示欲も自覚しているが。
今日も私の好きな天気だ。
少しいいサラダを買うことにしよう。
脳から漏れ出ただけの戯言にタイトルをつけるのは些か恥ずかしいものがありますね。