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赦し屋とひこじろう  作者: 刃下
第一章「赦し屋とひこじろう」
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第三話「赦し屋」

両手にいっぱいの袋をぶら下げて、アーケードの下を歩く。同じようにショッピングモールから離れようとする人の波に飲み込まれる格好で、駅前にようやく辿り着いたのが午後四時過ぎだった。


「いやぁ~、買った買った。お陰で財布は軽くなったけど、ストレス解消にはこれが一番だわ」


ほくほく顔の俺は、後ろを歩く大層ご不満顔の彦次郎の方をちらりと見た。熱視線というものが言葉の通り、熱を帯びた視線だったとしたら、俺の後頭部はとっくに焼き焦げている事だろう。背中に敷き布団から掛布団、毛布に低反発枕まで乗せて、前かがみの姿勢のまま黙々と後をついてくる。見るからに相当な重量であるにも関わらず、足取りは意外に軽く、まだまだ余力があるように思えた。


「持ち帰るなんて聞いてないぞ。人込みでこれじゃ、俺はいい見世物だ」

「大丈夫だって。誰も気にして見ちゃいねえよ」

「なあ、後で配達して貰うのでは駄目だったのか?」

「それじゃ、いつ届くか分かんねえだろ。今日の収穫は、今日自慢するんだよ」


俺は手近なベンチに荷物を下ろすと、彦次郎の両肩を鼓舞する意味で叩く。何かある度に、『お前は役立たずだ』とため息をつく親父をひと泡吹かせてやるには、この布団は上々のサイズ感だ。魚で言えば、百キロ級のマグロだろう。俺は立ち止まってしまった彦次郎を後ろから、正確にはその彦次郎が背負っている布団を押してやった。


「それに俺を巻き込むな。束矢の悪い癖だぞ」

「俺だってステージから落っこちて笑いものになったけど、その後の堂々たるくじ引きっぷりを見ただろ?胸張って堂々としてりゃいいんだよ、堂々と。それにヒコは俺に文句をつける前に、デカイ建物を見て一々ぎょっとする癖を先に直すんだな。気づいてないと思ったか?」


路地に入ったところでジュースの自動販売機を見つけた。気温は三十度を(ゆう)に超え、アスファルトから湯気が立ち上る。骨董品を扱うお店の店先にいた看板犬は、この暑さでベロを垂らしたまま日陰に這いつくばっていた。


「ひこ、飲むか?」

「いや、俺はいい」


ずり落ちそうになった布団を担ぎ直し、言った。


「じゃあ俺もいいか」


ちょうど荷物を預けていたロッカーから回収した硬貨が一枚だけポケットに入っていたのだが、残念ながらその一枚で買う事のできる飲み物は並んでおらず、荷物を地べたに置いてまで財布を開ける気にはならんので、そのまま通り過ぎた。


「束矢、あの二人組を覚えてるか?」

「あの二人組?どの二人・・・あぁ、分かったかも」

「金髪と黒髪の」

「やっぱりその二人組か。両方とも、可愛かったもんな」


俺は記憶にある二人の少女の姿を(まぶた)の裏に映し出した。

ショートヘアで金髪の少女は、ステージに上ってからもジャケットのポッケに手を突っ込み、口に飴のついた棒を咥えて、気の強そうな雰囲気をかもし出していた。ぱっちりとした目を時に尖らせ、周りを威嚇する姿は、まさに人を寄せ付けない一匹狼タイプ。だけど実際には、連れの少女と離れ離れになってからというもの、不安そうな少女の方に何度も気を配ったり、耳にかかる髪を掻き上げる度に星の形をしたお洒落なピアスが覗いたりと、なかなかに女の子らしい一面が垣間見えた。ステージの下にいた黒髪ロングの少女は、およそ外見通りのあまり自分から前へ前へ出るタイプではなさそう。一人ぼっちになった途端、きょろきょろと辺りを警戒する小動物的な動きは、守ってあげたくなる系女子の仕草としては、パーフェクトと言っていい。

一部におかしな言動、それにヒコに惚れたんじゃねえか?みたいな様子もあったが、どちらもそれを忘れさせるくらいのルックスの持ち主だ。二人の事を想像した俺は、ついついだらしなく頬が緩むのを感じる。


「そういう事が言いたいんじゃなくてだな」

「じゃあ、どういう事が言いたいんだ?」

「ずいぶんな悔しがり方だったろう?それがどうにも気になってな。彼女たちにはズルをしてまで、絶対にくじを当てなければならない何か重大な理由があったのかもしれないと」

「はぁ?」


俺は赤信号の前で止まり、押しボタン式信号機のボタンに手を伸ばした。ちょうど滑り込むように交差点に入ってきた荷台に大量の資源ごみ、カーテンやマットレスを乗せたトラックが横断歩道の手前で停車した。


「なんだそりゃ。考えすぎだろ」

「だってあの悔しがり方だぞ?」

「そりゃ一発で、しかも目の前で当たりくじを引かれたんだから、少々は悔しがるだろ」

「あれが少々か?」彦次郎は目を丸くした。


その言葉を受けて、俺はもう一度詳しく記憶を(さかのぼ)っていく。正直に言うと当たりくじを引いた興奮や、隣で飛び跳ねる平嗄(たいらなつ)に注目していたせいで、イマイチしっかりとした記憶は残っていない。だが、そう言われてみれば金髪少女の方は背後で膝から崩れ落ち、呆然自失といった様子だった。ステージに上がっていない若干太眉で下がり眉の彼女でさえ、絶望に打ちひしがれ、目に涙を溜めていたように思う。


「まあいいじゃん。何にせよ、俺らは布団が貰えた訳だから」

「むー、確かにそうなのだが」

「もっと喜べよ。高級羽毛布団だぞ?一式十二万だぞ?俺が使ってるのより遥かにいい布団だ。夏はちょっと暑いけどな、冬はきっとすげーあったかいぞ」


地方のショッピングモールが主催とはいえ、倍率の低さだけあって商品の質は文句なしだった。ハワイ旅行、最新電動アシスト自転車、鑑定書付き高級羽毛布団のセット、豪華松笠牛すき焼きセット。当たりくじを引いた俺たちだけがその中から一つ、どれでも好きな物を受け取る事が出来る。すき焼きセットや、ハワイ旅行も悪くはなかったのだが、そこは当然、鑑定書付き高級羽毛布団のセットを選んだ。


「ずっと寝袋じゃ辛いからな。ヒコにはふかふかな布団でぐっすり眠って(俺の分も店の手伝いを頑張って)貰いたいんだ」

「束矢、お前・・・」

「さて、これで布団を買うために親父から貰った金が浮いたな。何に使おう」

「本音はそっちか!何に使おう、ではない!浮いたのなら親父さんに返せ、さもなくば泥棒だぞ」

「ガハハ、俺様は悪党だから、それでいいのだ~」


彦次郎の非難をよそに、俺は頭の中であれこれ金の使い道を思い浮かべる。まずはそうだな、さっきから荒縄のようにぐいぐい指に食い込む荷物を部屋に置いて、コンビニにアイスでも買いに行こうか。


「時に束矢、一つ訊ねたいのだが。どうして商品券10万円分を選ばなかったんだ?」

「なに?」

「10万円分の商品券を貰って、それで布団を買い揃えれば差額がお前の懐に入ったはずだ。俺にいい布団を使って欲しいというお前の気持ちは嬉しいが、別に俺はそこまでいい布団でなくてもよかったんだぞ?」

「・・・何言ってんだよ、ヒコ。冗談やめろよ」


彦次郎が発する、宇宙言語と思しき意味不明な言葉の羅列を聞いて、俺の声は微かに震えていた。知らず知らず口元が引き攣り、遅れてきたように汗がどばっと噴き出す。もみあげからつーっと輪郭を伝って、(あご)まで垂れてきた汗を、俺は指ですくい取りカラカラになった唇に塗りつけた。うん、しょっぱい。


「冗談なもんか。ハワイ旅行の文字の下に、『この商品は、商品券10万円分と交換する事ができます』って。確かにそう書いてあった」

「・・・・・・嘘だ」

「俺は嘘は言わん。お前が一番知ってるだろ」

「・・・うわーん、俺の10万円・・・」


うな垂れる俺を見て、彦次郎は愉快げに笑った。


「とんだ悪党もいたものだな」


しかしその彦次郎は唐突に首を回したかと思えばすぐに、「おい、建物から人が飛び降りたぞ」と声をあげた。


「・・・うるせえよ、俺も飛び降りてえよ」


何度もまばたきを繰り返す彦次郎を置いて、俺はとぼとぼと家路をたどる。






炎天下を命からがら家まで戻ってきた俺たち。彦次郎は、家に着くなり大量のあひるの羽が詰まった寝具を部屋まで運び、半ば当然のように親父が立つ厨房の手伝いへと向かった。

俺はと言えば半ば当然の様に店の手伝いを放棄して、近所のコンビニまでアイスを調達に向かった。その後で、本日の戦利品である漫画の単行本を熟読。いつの間にやら寝入ってしまったがためにかいた寝汗を洗い流すべく、労働に精を出す親父や彦次郎を差し置いて一番風呂に浸かり、今は閉店間際の店のカウンターでラーメンをすすっている。


「なにぃ!?何でサイン貰ってこねえんだよ」


親父は近所迷惑も考えず、大声を張り上げた。幸いな事に店に客の姿はなく、残っているのは俺と親父、そして奥の厨房にいる彦次郎の三人だけ。頭に巻いた白いタオルをカウンターに叩き付けると、親父は俺の座る隣の席にどっかりと腰を下ろした。振動でコップに入った氷が崩れ、風鈴のような涼やかな音を鳴らす。


「誰も知らねえよ。親父が密かに平嗄にはまってたなんて」


最後の一麺を箸で掬い、口に運んだ。ぱんっと手を合わせる。「ごちそうさまでした」


「束矢、悪いがお椀を持って来てくれ」奥で洗い物をしている彦次郎が言った。

「おう、分かった」


さっきまで餃子の乗っていた小皿とラーメンの椀を、大量の汚れた皿と格闘する彦次郎の元まで運んだ。


無料(ただ)でラーメン食ってんだから、皿洗いぐらいてめえでやれ」


何故か後をつけてきた親父が、背中越しに文句をつける。白髪で埋め尽くされた後頭部を掻きながら、逆の手で鼻の穴をほじる小憎(こにく)たらしい小動物。このまま皿を放り投げて、背負い投げてやりたい衝動にかられたがそれをぐっと噛み殺した。


「いいですよ、ついでなんでやりますから」

「だってさ」

「ちっ、次郎は(あめ)えよ。そんな事だから、こいつが図に乗るんじゃねえか」


そう言うと、親父はわざわざ台の上に乗って、横から俺の頭を容赦なくばしばし叩く。ちなみに親父は、何故か彦次郎のことを次郎と呼ぶ。俺は一貫して呼び方は『ヒコ』がいいと言い続けているのだが、「そっちの方がラーメン屋の息子っぽいだろ?」と自らの意見を頑として変えようとしない。


「ででで、それでよお。近くで見た(なっ)ちゃんはどうだった?やっぱり可愛かったか?」

「んぁ?・・・そりゃもう。可愛いなんてもんじゃねえな」

「そうか!そんなにか!?」

「しかも、だ。ばいんばいんだぞ」

「なにい?!」


親父はそこでも俺の頭を太鼓か何かと勘違いしているらしく、スープの味見用お玉で激しく殴りつけてくる。

形姿(なりかたち)こそ仕事一筋の職人みたいな風貌だが、親父はこう見えてかなりのミーハーだ。それに女好きでもある。実際にアイドルの名前なんか、確実に学生である俺よりもよく知っている。テレビを見てる暇なんてあるはずないのに、だ。どこで逐一情報を仕入れているのか不思議だが、地下アイドルやご当地アイドルにも詳しい。訊ねてみれば名前と年齢、そしてスリーサイズがセットで返って来るから驚きだ。この前なんて、近所の老人が集まって作ったアイドルグループ『Obafume(おばひゅーむ)』について、すらすらと情報の三点セットが出てきた。もはやその守備範囲は、遥々(はるばる)海を渡って活躍するベテラン外野手の全盛期の守備範囲に匹敵する。

そんな親父の、俺が一番尊敬しているところ。それは誰もが認める愛妻家だ、って事。今でも朝起きて一番にするのは、遺影に手を合わせる事だ。結婚記念日には店を閉め、酒でべろんべろんに酔っぱらって号泣し、命日になると朝からひっそりと一人で何処かに消える。まるで死期を悟った老猫みたいで、その度に俺は胸が締め付けられるような切ない気分になった。


すると何の前触れもなく、店と厨房の電気が切れた。俺と親父が「おっ」と体を強張らせる中、いち早く動き出したのは彦次郎。きゅっという水道を捻る音がしたかと思うと、暗闇だというのにすいすい洗い場を抜け、お店の入り口から外へ出た。


「他所もみんな消えてるみたいです」


彦次郎は落ち着いた声で報告する。星明りに照らされ、扉の四角形の中に彦次郎の輪郭が浮かび上がる。


「ちっ、電気屋の野郎。高い金とっといて、半端な仕事しやがって」

「電力会社の事を、電気屋って言うなよ」

「あ?魚屋は魚売ってるから、魚屋なんだろ。あいつらは電気売ってんじゃねえか」

「束矢、俺は懐中電灯をとってくる」

「ああ、頼む」居住側に歩いていく彦次郎の背中に声をかけた。


へっぴり腰になりながらも店のカウンターまで戻り、大人しく彦次郎の帰りを待つことにした。その脇で、お化け屋敷に入ったカップルみたいに親父が腕にすがりついてくる。何だろう、ちっとも嬉しくないし(当たり前だ)、何ならこのまま払い腰でもかけてやりたくなったが、そこはぐっと我慢した。


「息抜きできたか?」


当初の配置通り、俺の座った席の隣に腰掛けた親父が訊ねる。カッ、という乾いた音の後に、ぼんやりと目の前が明るくなった。親父が擦ったマッチの火だった。灰皿に入ったそれが、ほわっとした柔らかい光を放つ。


「少なくとも俺はな。でもヒコは、・・・どうだろう」

「そうか」


親父は言葉少なに答えた。ちょうどマッチの火が消え、その表情までは把握できない。


「次郎は、学校に通う気はねえのかな」


親父がぽつりと言った。急に話題が飛んだためにドキッとしたが、あえて返事はしなかった。俺に訊ねているというよりは、自分自身に問いかけているみたいだったからだ。


「なあ、束矢。暇があったら、その辺次郎に聞いてみてくれや」「は?何で俺が」「うるせえ、ただ飯食らい。頼んだからな」「嫌だよ、自分で聞けよ」「馬鹿野郎。少しくらい役に立ちやがれ」


そうこうする内に、店に明かりが戻った。あまりの眩しさにぎゅっと目を閉じ、次に瞼を上げた時には目の前に彦次郎の姿があった。


「悪い、どうやら間に合わなかったようだ」

「ぷっ。ヒコ、それなんだ?」

「ん?なんだとはなんだ」

「それ懐中電灯じゃなくて、石だぞ」


戻ってきた彦次郎の手には二つの石、少し前に常連のお客さんが離島に行ったお土産と称して持ってきた石だった。それを手にした彦次郎は、次いでズボンからポケットティッシュを取り出す。あれは昼間、ショッピングモールの携帯電話ショップの前で配られていたやつだ。


「懐中電灯は電池が空でな。仕方ないから最悪これで火を起こそうと思って」

「かっかっかっ、コイツが最新鋭の利器に見えらぁ」親父は笑いながら、マッチの箱を投げてよこした。


親父と俺がひとしきり笑い終えたところで、時計の針が閉店を告げる。店の天井近くに設置されたテレビでは、最近行われた市長選の勝者が万歳三唱をしているところだった。停電という思わぬアクシデントもあったが、本日の営業を無事やり遂げたお祝いをしてくれているようにも見える。


「そういえばヒコと初めて会った日もそうだったな。あの日もこの町全域で停電が起きていた」

「そうなのか?俺は全く覚えていない」


すると暖簾を下ろすために外に出ていた親父が、店に入ってくるなり俺に向かって言う。「そう言うお前に、母さんや俺が初めて会った時もそうだったぞ。あの日は停電で、病院中がてんやわんやだった」




片づけの最中、客席の箸や調味料の補充をやっていた親父が、思い出したように声をあげた。


「そうだ、おめえさっき布団はくじで当てたって言ってたな。じゃあ金は使わなかったって事だろ?早く返せよ」

「え゛っ」

「ほらな、だから言っただろ」翌日のスープを冷蔵庫にしまいながら、彦次郎が言う。

「てめえ、まさか浮いた金、勝手に使ったんじゃねえだろうな?」


返答に窮した俺は、ポケットから一枚の紙きれを取り出した。


「何だ、それ。借用書か?」そう言いながら視線を飛ばした親父の動きが鈍くなる。「まさか・・・」


俺の指先に挟まれていたのは、紫がかった赤色のルージュで象られたキスマーク。その下に、可愛い猫の絵柄が添えられたサインが入っている。親父が目の色を変えて手を伸ばしてきたが、俺はそれを間一髪のところで避けて見せた。


「おい、どういうつもりだよ」

「親父には分かるだろ?この紙の価値が。平嗄のサインって数が無くて、貴重なんだよな?さっき自分で言ってたもんな」

「うっ・・・」

「じゃあキスマークまで入ってるこの紙はなおさらだ。何が言いたいか・・・分かるよね?」





スチール製の丸椅子に座りながら、『時間の流れを操りたい』と真剣に考えた。机を挟んだ向こう側では、二年生でテニス部副部長の佐藤ゆかりさんが、ハンカチを片手においおい声を出して泣いている。この様子だけ切り取れば、昼下がりの人気(ひとけ)のない食堂で、彼氏に別れ話を切り出された彼女が泣かされているように見えなくもない。おいおい、お前も隅に置けない気障な野郎だなと思われても仕方がないが、とんでもない。勘違いされぬよう先に言っておくと、彼女と俺は初対面だ。さらに言えば、彼女は自分の意思でここにやって来て、一人でに泣き出したのだ。


「あー、泣いたなぁ。こんなに泣いたのって、いつ以来だろう。噂通りすっきりしちゃった。ありがとね」

「・・・・・はあ」

「ねえねえ、また何かあったら頼ってもいいかな?」 


その問いに俺が返事をする前に、訊ねてきたはずの佐藤さんの方が先に返事をしていた。食堂の入り口にはテニス部の練習着に身を包んだ二人の女子が立っていて、ランニングの時間になってもテニスコートに姿を現さない副部長を探しに来ていた。


「あ、ごめんね。もう行かなきゃ。それじゃあね」

「・・・マタドウゾー」


金曜日の放課後。今週分の授業を全て消化した学園の生徒たちは、思い思いに羽を伸ばし始める。部活動のない生徒はとっくに帰宅の途についた時間。グラウンドからはサッカー部の掛け声や、金属バット特有の澄んだ高音が聞こえてくる。逆側からは、音を外したトランペットの音色が、恐らく音楽室からであろう、鳴り響いていた。俺が今いる食堂は、ちょうどグラウンドと校舎の中間にあり、普段はすでに戸締りがされている。だが、金曜日の放課後。この時間だけは、いつ来るかも分からないお客を待ちながら、赦し屋が開店しているのだ。

大抵ここを訪れる人は落ち込んでいるか、あるいはマジックショーの観客さながらに騙されまいと慎重な態度で入って来るのだが、今扉をくぐった少女はそのどちらにも当てはまらなかった。


「ハロー、名地君。壁、築いてますか?」

「終わりだ。この世の終わりだ。終末が来るぞ」

「ありゃりゃ。今回は重傷みたいね」


「確かに週末は来てるんだけど」と言いながら、少女は空いたばかりの目の前の席に座った。

彼女の名前は、笹条四姫(ささじょうしき)。同い年だが学年は一つ上の先輩だ。さっきの佐藤さんと同じく青色の線が、名札の名前の上に入っている。ちなみに一年生の名札は黄色の線、三年生は緑だ。赤く、ふちの細い眼鏡をかけていて、二つのおさげが肩からぶら下がっている。胸は小さいが、本人はあまり気にしていない模様。むしろ「その分、体重が軽くて助かる」と開き直っている。新入生ですら、入学して二週間で着崩す制服を、乱れなくきちんと着こなす辺り、一年生から連続で学園の模範生に選ばれている片鱗が窺えた。

その先輩は、「係りが忙しくて、お昼を食べ損ねたわ」と食堂の机の上に弁当箱を広げた。


「相変わらず豪華な弁当っすね」

「全然そんなことないよ。だって、昨日の晩御飯の残り物だもん」

「残り物って、・・・ウナギとステーキが、ですか?」

「ええ、そうよ」

「それどっちもメイン料理じゃないですか。バンドで言えば、ボーカルですよ。普通はどっちかしか出てこないし、出てきたとして残り物になるのは絶対におかしい」

「それは作る量にもよるでしょ」

そう言って、先輩は笑みをこぼす。「それにツインボーカルのバンド、私は好きよ?」


先輩はランチバックに入った保冷材を、俺目がけて投げた。一つ目はあらぬ方向へ飛んでいき、二つ目はぴったりおでこの真ん中に命中する。


 「あー、ちべて~」


投げ渡された保冷剤をほっぺたに押し当てながら、先輩のランチバックに目をやった。ファスナーの引手部分に大量にぶら下がった趣味の悪いキーホルダー。一時期、携帯電話にストラップを山ほどつけるのが流行っていたが、まさにあんな感じ。女子高生らしいファンシーなキャラクターのキーホルダーから、民芸品のような虎のキーホルダーまで、ノンジャンルでごちゃ混ぜになっている。


「先輩が勝手に結んで外せなくなったやつ、起きるたんびに視界に入るんですけど」

「ああ、あれ。可愛いでしょ?」

「可愛くないですよ、全く」

「あのキーホルダーね、持ち主を災いから守ってくれるんだって。もしも身近に危険が迫ってたら、独りでにくるくる回転して知らせてくれるそうよ」

「なんすかそれ」半信半疑の俺はあからさまに眉を顰めるが、ふと先週末の事を思い出す。「ってか回ってました。回ってましたよ、あいつ。不気味だから引き取りに来て下さいよ」

「もう、そうやってすぐに女の子を部屋にあげようとするんだから。名地君って本当に狼ね」

 

弁当箱を空にした先輩は、俺の鼻先を箸でつつく。いやいや、今回はそういう魂胆があった訳ではなくてですね。本当にどうにかして貰いたいんですよ。しかし先輩は笑うばかりでまともに取り合ってはくれない。


先輩は鞄にランチバックをしまうと、おもむろに筆箱とノート、そして返却されたばかりのテストを取り出した。ノートを広げるなり、テストで間違えた部分の問題と何がいけなかったのかを、多種類の色ペンを使って丁寧に書き写していく。


「名地君は、テストどうだったの?」

「散々でしたよ。聞かないでください」俺は苦笑いを浮かべた後で、机の上に突っ伏す。「先輩は・・・聞くまでもないですね」


先輩の秀才っぷりは疑いようがない。先の全国共通テストで、どうどうの学年トップ。全国でも100位入りを果たした。進学校でもなければ、それほど勉強に力を入れている訳ではないうちの学校にとっては、開校以来の快挙である。

今チェックをしてる答案用紙を覗き込んでも、空白は一切見当たらず、そのほとんどがケアレスミスのようだ。俺の答案用紙とでは、コロンブスがアメリカ大陸を見つける前と後の、世界地図ぐらい空白の差がありそうだ。


「それじゃ、質問を変えるわね。赦し屋の方は順調?」

「そっちはまあ、それなりに」


言葉を濁した俺は、急に取り調べを受ける犯人になったような気がして、おでこに汗が噴き出した。

赦し屋とは、その名の通り相談に来たお客さんの話を聞いて、許して差し上げるお店のことだ。お店と言っても、報酬を頂くわけではなくて、完全慈善事業。つまりはボランティアでやっている。

食堂の入り口には、廃材とペンキで作ったホームメイド丸出しの看板。何を隠そう、四姫先輩が汗水流して(しつら)えた一点ものだ。ついでに言うと、俺がこんな七面倒くさい役目を続けているのも、全て先輩のせいである。

赦し屋なんて大袈裟な名前をつけたところで、ここが教会の告解(こっかい)室ならまだしも、日替わり定食の生姜焼きの香りが残る食堂のテーブルではどうしようもない。かといって、善意で貸してくれている食堂のおばちゃん達に文句は言えないし・・・。え?どうして食堂のおばちゃんたちが場所を提供してくれているのかって?それはまあ色々とあったのだが、有体に言うと赦し屋として活動を始めて、一番最初のお客さんが食堂のおばちゃんだったからだ。その頃はまだ、校舎裏の自転車置き場で細々営業していたんだっけ。


「Time works wonders.」

「お得意の英語ことわざね」

「結局はどんな問題も時間が解決してくれるってことです。赦し屋なんてのは、その時間が待ってられないせっかち者のために、勝手に許してあげようっていう気休めみたいなもんですよ」

「うわ、そんな身も蓋もないことを自分で言っちゃうんだ」先輩は驚いた顔をした後で、フォローを入れる。「そんなことないよ、結構な評判になってるのよ?」

それを受けて、俺は責めるような目で先輩の方を見た。「結構な評判のように広めてるのは先輩でしょ」

「あら、心外。でも物は言いようよね」とは先輩の弁だ。そして彼女のよく使う言葉でもある。前にも一度、こんなことがあった。


それは食堂のおばちゃんの協力で、赦し屋が校舎裏の自転車置き場から移転した頃の話。

ようやく壁に囲まれた場所に開業できた事で舞い上がっていた俺は、一人暴走し、今座っているスチール製の丸椅子を一つ、誤って破壊してしまった。一度は証拠隠滅を考えた俺だったが、食堂のおばちゃん達の顔が頭に浮かんで、正直にこの事を先生に報告。しかしそこで問題が起こる。いや、問題はすでに起こしていたんだけど・・・。

赦し屋なるものが許可された部活でもなければ、正式な同好会でない事は、皆も薄々気づいているだろう。学校側のあずかり知らぬ所で発生した団体(?)が、勝手に学内で問題を起こした。それだけで、かなりまずい状況であるはずなのだが、なんとそこに先輩が駆けつけ、先生と俺との間に入り、「この椅子は前々から安定感に欠けていた。今回の件で、無茶な使い方をすれば壊れてしまう事が分かって良かった。他に怪我人が出る前に、この事を全校生徒に伝達しなければいけない。それこそが先生の職務ではありませんか?」と、むしろ問題点を見つけてあげたんですよくらいの勢いで、丸め込んでしまった。そこにはきっと日頃の優等生ポイントとかも絡んでいたんだろうけど、その時に言い放った先輩の言葉がまさに、「物は言いようね」だった。恐らく今回も、きちんと事実は伝えているんだけど、実際には上手い事ねじ曲がった噂が広がっているに違いない。


「さっきいたのって、佐藤さんでしょ?彼女、どんな許しを求めにきたの?」先輩はさほど興味がある訳ではないのか、ノートに目を落としたまま訊ねた。

「あれ、何で佐藤さんがいた事を先輩が知ってるんですか。もしかして外で覗いてました?」


俺は疑いの目を向ける。すると先輩は思ったよりも狼狽(ろうばい)し、胸の前で手を振った。


「違うわ、違うったら。戻っていく彼女を見かけただけ。覗き見なんてしてないもん」

「本当かなぁ。・・・・・・まあぶっちゃけると、男女関係のもつれですよ。三角関係、ってやつですか?しかもドロッドロのやつ。喋るだけ喋って、独りでに泣き出して、勝手にすっきりして、はい、さよならでしたよ」

「なるほど。それで、あんなテンションに」

「あんなテンションにもなりましょうよ」


投げやりに言う俺。夫婦喧嘩は犬も食わないと言うが、それよりも重たい話をどんぶりで三杯ぐらい無理やり食べさせられた気分だ。


「て言うか、相談内容をそんな簡単にバラしちゃっていいの?守秘義務とか」今度は先輩が、逆に俺の事を目で責める。

「今更何言ってんすか、聞いてきたの先輩でしょ。・・・秘密は厳守します、なんて俺からは一言も言ってませんから。あっちからも口止めされませんでしたし」

「いいんだ?」

「いいんじゃないですか?それにここは教会じゃなくて、食堂ですから」



書き取りの方でちょうど一区切りついたのか、先輩はペンを筆箱にしまいノートを畳んで言った。


「ちなみに他にはどんな相談があったの?できたら面白めのやつをお願い」

「・・・先輩、それが聞きたくて俺にこんな役目を押し付けてるんでしょ?」

「そんなことないよ。名地君の特技をもっと多くの人に知って貰いたいだけだもん」先輩は真剣な顔のまま頬を膨らませる。子供みたいな怒り方が様になってしまうのは、先輩が童顔だからだろうか。しかしその後で、「それはそれとして、人の悩み事って最高に笑えるわよね」とも付け加えた。

「うわぁ・・・。そのうち変なのに憑りつかれても知りませんよ」

「急に何よ、憑りつかれるって。幽霊?それとも妖怪かしら?」

「何で嬉しそうなんですか」

「私、幽霊とか妖怪も好きよ?一度は会ってみたいものだわ」

「じゃあ例えば、・・・ストーカーとか」

「人間にまとわり憑かれるのは嫌ね」


それまで目をキラキラ輝かせていた先輩が、大嫌いなピーマンを噛んだ小学生のように顔を曇らせた。そして思い出したように口を開く。


「そうだ。赦し屋とは関係ないんだけど、今街でおかしな事件が起きてるの、知ってる?」




その後の先輩の話をまとめると、つまりこういう事らしい。

この何の変哲もない、平和そのものと言っていい田舎街で、怪事件が起きている。それもこの一週間あまりの出来事だそうだ。

最初に事件が発覚したのは月曜の朝。街に昔からある老舗の映画館の壁に落書きがされていた。それ自体はさほど珍しい事ではなく、前にも暴走族の縄張り争いが起きた際に同じようながあったらしい。だから今回も皆それほど気には留めていなかった。しかし次の日、別の場所で同じマークの落書きが発見された。それを皮切りに次の日、また次の日と、それが今朝も発見されたのだと言う。

それを受けて、流石に静観していた街の住人達もざわつき始めた。新たな暴走族の縄張り争いか?あるいは都会から移ってきたカルト教団の仕業?果ては、オカルティックな妄説(ぼうせつ)まで飛び出した。

噂が早く広まるのに、その落書きのマーク自体も一躍買った。五芒星と、それを囲むように描かれた円。そしてその周りを筆記体のようなでたらめな文字がぐるりと一周している。先輩が口にした『魔法陣』という言葉が、急にこの話を陳腐(ちんぷ)にしてしまったような気がして、そこで俺は吹き出してしまった。だが、その後に先輩が話した言葉を聞いて、背中にスッと冷たい空気が通り抜けたような気分になる。というのも、そのマークは何らかの動物の血液で描かれているらしく、必ずその傍にはネズミの死骸が捨ててあるのだとか。当たり前だが、これはれっきとした動物虐待だ。そんな事件が何件も起きているのに、ニュース番組で取りざたされていないのが、不思議なくらいだ。


「でも、所詮はネズミだから。犬や猫とは勝手が違うのかも」

「ネズミだって、正真正銘、動物ですよ」

俺の最もな意見を聞いて、先輩は少し考えた後に言った。「確かにそうね」


「昔さ、おじいちゃんがハムスターを飼ってたんだ。って言っても、小さい頃の私が欲しいって、おじいちゃんにせがんだんだけど。それでね、ハムスターって雄と雌を一緒のゲージにいれてると、どんどん増えるの。それこそ無限よ、無限」


先輩は大袈裟に手を広げた。俺はそれを眺めながら、黙っている。


「で、ある時おじいちゃんの知り合いが急に亡くなってね。おじいちゃん慌ててたから、うっかり餌をあげずに二週間ほど家を留守にしたの。そしたらさ、共食いしてたんだって。群の中でも強い雄が、他のハムスターを食べちゃったの。特に子供のハムスターは全滅だったそうよ。それを聞いて思っちゃった、あんなに可愛いのに、正真正銘、(けもの)なんだなって」


話を聞きながら相づちを入れようとするが、喉の奥で詰まって、なかなか出ていこうとしない。


「私ってばその時ね、おじいちゃんを責めちゃったの。飼いたいって言い出したくせに、世話の一つもしなかった私が一番悪いのにね。おじいちゃんにもハムスターにも悪い事しちゃったなあ」


先輩は俺の背後にある窓から、外を覗いた。天気予報通り、西の空から少しずつ流れた灰色の雲が、いつの間にか空全体を覆っている。先輩の眺める空はちょうどグラウンドの真上にあって、部活動に励む生徒の声を目いっぱい吸い込んだせいか、今にも落ちてきそうなほど低く感じる。


「私、急に何の話をしてるんだろう。やっぱり今のは忘れて」先輩の目頭が知らずうちに充血していた。

「許しますよ」俺は間髪入れずに言った。「先輩は十分に悔やんでます。だから俺が許します」



「汝、笹条四姫が告白した罪を、全てこの名地束矢が許します。残った傷は、私が共に背負いましょう。アーメン」


言い終わると、俺は最高にイカした顔で十字を切った。途端に先輩は笑いながら、目からボロボロと涙を流した。「アーメンとそのポーズは余計だなぁ」ギリギリのところで塞き止めていたダムが決壊したみたいだった。




「あーあ、一日に二人も女の子を泣かせるなんて、本当に名地君は罪な男よね」鼻を真っ赤にした先輩が言う。

「俺の罪は誰が許してくれるんでしょう」

「さあ?神様、とか?」


その時点で、俺の胸の内にはある考えが膨らんでいた。勝手に決心を固め、口にする。


「He who forgives ends the quarrel.」

「それもことわざ?」

「正確には違います。けど、そのような物です」

「許す者が、争いを終わらせる・・・かな」

「街で何が起きているのか分かりませんが。それ、俺が終わらせてみせますよ」





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未成年委員会による日本の壊し方(連載)も同時に書いてます

暇だったらそっちも読んでみてください

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