第二話「キッス」
「よーし、見てろよ」
厚紙製の小さな箱。一見すると洋菓子屋でホールケーキを買ったときに入れて貰える箱によく似ている。
束矢は気合いをいれた後で、その箱の中に手を突っ込んだ。突っ込んだと言っても、もちろんご自慢の腕力を使って、ばりばりと厚紙を破きながらという訳ではない。箱の頂点には、ちょうど腕の先が入るだけの穴が開いていて、ご丁寧に隙間から中を覗かれないようギザギザもついている。六つの四角形に囲まれた箱の内側には、ひょっとすると宇宙が広がっているのかもしれない。あるいは蟻んこくらい小さな小人たちの街が、息を潜めるように存在したりして。または本当にホールケーキが入っているか。
箱の前に座った女性が両の手のひらを見せながら、さあどうぞと促している。俺は臆することなく差し込んだ腕をぐわんぐわん動かし、銀河をかき混ぜた。そして一段と輝きを放つ星を、その指に掴み取った。
その三十分前・・・・・・
「なあ、束矢よ」
「どうした?」
後ろを歩く彦次郎に話しかけられた俺は、一旦歩くのをやめて振り返った。今日が休日という事もあり、ショッピングモールは人で溢れかえっている。見渡す限り、人、人、人。最近新しくできた最寄りの駅も、この人の多さに一役買っているようだ。急に立ち止まった俺たちを避け、後ろを歩いていた子連れの夫婦が脇を通り過ぎていった。
「俺たちは何をしに、ここに来たんだ?」
彦次郎は真面目な顔で訊ねた。
「何って、そりゃ買い物だろ?」
「ふむ・・・」
質問に答えてやった割には、あまり納得していない様子。名探偵よろしく腕を組んだまま首を捻り、うんうん唸っている。
「確かにその通りだ。その通りだが」
「あ、ちょっとまった。いいなあ、これ。すげえいい」
俺は店先に飾ってある海外サッカーチームのユニフォームに目を奪われた。伝統的に青と黒の二色を使い、背中に人気FWの背番号が入っている。
「なあ、束矢よ」
「ん~?ちょっと待って」
「おい、束矢」
「だから、待てって」
「束矢」
「んだよ、さっきからうるさいなあ。今度はなんだ?」
他のチームのユニフォームも物色していた俺の背後で、彦次郎が不安げに立ち尽くしていた。表情に覇気がなく、およそ食べ盛り、伸び盛りが売りである第二次性徴期真っ只中の青年には見えない。十五という年齢をとっても、それよりもずいぶんと幼く見えた。まるで先生に叱られた小学生みたいだ。
彦次郎は何かを口に出そうとして、やめる。まさかこの人の多さを見て迷子になるのが心配だ、などと言い出したりはしないだろうな。あらかじめ手をつないでおこう、なんて真顔で言われても、ヒコの頼みだろうが流石に断るぞ。いい年した男二人が手をつないでショッピングモールデートとか、どんな罰ゲームだ。いや、元からデートじゃないけどな。悪いけど俺の手は、女の子とつなぐためにあるんだから。
「楽しそうなお前を見ているとなかなか言い出せなかったんだが、今日は俺の布団を買いに来たはずではなかったのか?」
「あぁ?・・・・・・そうだぞ」
実はすっかり忘れていた。テストだなんだと近頃忙しく、買い物自体がご無沙汰だったため、自分の買い物に夢中になっていた。それを悟られないよう、俺は湧き出る汗に注意して、話を続ける。
「だからこうして、色んなお店を巡って、いい布団がないか調べているんじゃないか」
「じゃあなぜ肝心の布団は買っていないのに、お前の両手にはたくさんの荷物があるんだ?」
彦次郎は抗議のこもった目で、俺の両腕にぶら下がっている袋を見た。
「これは・・・・・・、ついでだよ、ついで。いいじゃないか、減るもんじゃなし」
「いや、減るぞ。こうしている間も、刻一刻と時間は減っている」
「どうせ暇だろ?」
「何を言うか。帰ったら、また店の手伝いがあるだろ」
「はあ?朝もやってたじゃないか」
「そうだが、だからといって午後から手伝わない理由にはならない」
彦次郎は俺があげた、お古の腕時計に目をやった。店を親父たちに任せきりにしたまま、自分は買い物に出かけているのが、相当気になるのだろう。だが実際には、彦次郎を連れて街で遊んで来いと、俺は親父に頼まれている。真面目すぎる性格ゆえ、自分の事よりも店の手伝いや家事を優先しがちな彦次郎を、親父はずいぶんと気にかけている。今日の約束だって、取り付ける際はかなりしぶしぶといった感じだった。親の心子知らずというか、まあどっちも頑固者ってところは似てるんだがな。
「あーはいはい。分かったよ。次からちゃんと探すから」
「お前、やっぱり忘れていたな・・・」
青と黒のストライプに後ろ髪を引かれながら、俺はまた歩き始めた。
「買い物をするなとは言わんが、まず必要な物から揃えるべきだ」
「だったら文句はないはずだ。俺が買ったのは洋服だもん。ヒコは俺に、素っ裸で街を歩けって言うのか?」
俺は口を尖らせながら言う。むっ、素っ裸・・・?俺の鍛え抜かれた筋肉や、ケツの曲線美を衆目に見せつけながら歩くのか。はー、なるほど。うん、悪くないな。
「そうじゃないが、お前は平日だと学校の制服を着て過ごしているだろう。それなのに、そう何枚も何枚も洋服が必要だろうか」
「なっ!?」
ふざけた事を言うな。これだから素材がいい奴は。俺の学校の指定ジャージだって、軽く着こなしちまいやがって。素材で勝負できない者の涙ぐましい努力を知らないから、そんな言葉が吐けるんだ。プラスアルファ―の努力こそが大切なんだよ。
「言いたい事はまだあるぞ。だいたい束矢は」
「ちょっと待った」俺は振り返って、右手で彦次郎の口を塞いだ。「じゃーん、これなーんだ」
左手には、トランプみたいに十枚の福引券が握られていた。
「よーし、見てろよ」
ついに順番が来た。胸ポケットから取り出した福引券を、くじの入った箱の前に座る三十台と思しき女性に渡す。彼女の役割は五枚の福引券を受け取り、くじを一回引かせる事。その際に不正がないかを監視し、列が滞るようなら急がせる。言うなれば福引を取り仕切る中盆。我々の命運を握る神のような存在だ。
「あの、まだですか?」
神はそう言って、片手を前に出した。恐らく、早くくじを引いて、ここに乗せろという事だろう。
「これは失礼」
俺は迷わずその手のひらにキスをした。当然だ。神のご機嫌を損ねてはなるまい。
「ひっ」神は怯えたように、声にならない声を出す。
「これはまた失礼」
キスを受けた手を庇う様に出した、反対の手のひらにもキスをしてやった。神は両の手のひらを前に出したまま、白目を剥いて固まってしまった。
「おい、それは犯罪ではないのか?」
「うるさいっ。神に失礼があってはならんからな。これは古くから伝わるくじ引き前の挨拶だ」
「・・・・・・そういうもんか」
俺の肩に手を置いた彦次郎は、おずおずと引き下がった。
「なんだか今日は物凄くついている気がする・・・・・・・これだ!」
柔らかな俺の指先にしつこく突き刺さってきた一枚を摘み、手を箱から抜き出した。ぎゅっと閉じた目を、ゆっくり開ける。
「・・・・・ほらな!」
高く掲げた用紙の真ん中には、燦然と輝く☆マーク。
「よしっ、よしよしよし!」
喜びのあまり神のおでこにキスをしようとしたのだが、何やらお休みになられている様子なのでやめておいた。ちなみに、これで俺は抽選会への参加権をゲットした事になる。お買い物千円ごとに一枚貰える福引券、それを五枚消費して一回のくじ引き。それで当たりを引いて、ようやくスタートラインだ。要するにさっきまでの俺は、準備体操をしていた事になる。冗談みたいだろ?だが、俺はそれについて文句を言う気はない。何故なら、それもこれも商品の豪華さがゆえだ。
「お、俺も当たったぞ」
半分の五枚を渡されていた彦次郎が、特に嬉しそうでもない様子でこちらに手を振っている。
時間きっかりに広場を訪れた。特設のステージが組まれ、その壇上でお姉さんがマイクを使って喋っている。
「意外と大勢集まりましたニャー」
感嘆の声をあげているのは、ご当地アイドルの平嗄。脱力系アイドルというジャンル分けをされた彼女は、頭に猫耳をつけ、時折言葉の最後に『ニャー』と猫の鳴き声を模した言葉をつける。大のねこ好きを公言しているためか、はたまたそれが彼女の趣味なのか。インタビュー記事などの発言内容から、あまりアイドルとしてのやる気や自覚が感じられず、逆にそれがさばさばとした印象を与えるのか、意外と女性からの人気が高い。くりくりした目、ウェーブのかかったくせ毛、鼻筋の通った整った顔のおかげで言わずもがな男性ファンの数はもっと多い。あと特筆すべきは、彼女の歌声だ。歌っている時の彼女は、普段の彼女からは全く感じられない力強さや奥深さがあり、地元のCDショップでは彼女の曲が連日売り切れ状態になっている。
平嗄の言う通り、ステージ前には百人くらいの人だかりができていた。その中には、彼女の傍に少しでも近寄りたいがために、情熱と札束を燃やしたような連中の姿もある。
「ちょーっと、多すぎますニャー。そ、れ、じゃ、あ、・・・じゃんけんで人数を減らしたいと思いまーす」
「えー!」
そこで悲鳴に似た叫び声が上がった。声のした方に顔を向けると、人だかりから少し距離を置いた場所に、二人組の女の子が立っていた。一人は迷彩柄のジャケットに、ジーパンというボーイッシュな恰好。髪は金髪で、肩にかかるか、かからないかのショートヘアだ。ポケットに手を突っ込み、気の強そうな顔をしている。その場にいた人の視線を一斉に浴びて、もう一人の女の子は金髪女子の影に隠れるように身を縮めた。空色のスカートに、白のカーディガン。背中を覆うほど長い黒髪で眉が太く、異国人のような少し色黒の肌をしている。
「ずるしても駄目ですニャー。スタッフが近くで見てますからねー」
叫び声が聞こえなかったのか、鼻から取り合う気がないのか。平嗄はマイペースを保ったまま、マイクを握っていない方の手を空に伸ばした。
「それじゃー、第一回戦いきますよー。じゃん、けん、・・・ぽん!」
結局、最後まで残ったのは四人だけ。その中には俺、そして迷彩ジャケットの金髪女子も含まれている。
「束矢、あの女は後出しをしていたぞ」
隣で地面に腰を下ろしていた彦次郎が、俺の方を見上げながら言った。負けたらその場に座ってくださいというアナウンスを律儀に守り、体育座りの姿勢をキープしている。
「は?」
「だから、後出しだ」
彦次郎は、すごく機嫌が悪そうに声を低くした。何なら今にも地面に拳を叩きつけそうなほどだ。
「そんなの無理だろ。きちんと監視だっているし、周りの奴らだって誰も騒いじゃいない」
「物凄くギリギリで後出しをしているんだ」
「何だよ、ギリギリの後出しって」
「ステージの上にいるアイドルが、手の形を作るだろ?そしたら、こうギリギリに手の形をな?分かるか?」
座ったまま身振り手振りを交えて説明をする彦次郎。俺はその様子を見下ろしながら、眉を顰める。
「言いたい事は分かったが、そんな事が可能なのか?」
手の形を変えるにあたって、まずは目で相手の手がグーなのか、チョキなのか、パーなのかを見極める。そして脳でそれを認識してから、その後で手の筋肉を動かすって事だ。その三つの動作を、一瞬にしてこなせるものだろうか。生物学の中には反射という言葉があるが、あれは自分の意思とは関係なく、ある刺激に対して体が勝手にとってしまう反応みたいなものだ。っていうか、何を俺は真剣に考えているんだ。金髪の彼女は、動体視力の鬼か?迷彩服も着てるし、野鳥の会ってか?
「で、何でそれが見えるお前は隣で座っている」
「ん?」
「だから、お前だってそこまで見えてるなら、バレないように後出しするくらい簡単に出来るってことだろ?」
「馬鹿言え。例え見えていたとしても、俺が後出しなんてするか。不正になってしまうではないか」
「あー、はいはい」そうだった、ヒコはこういう奴だった。「お前はいつも正しい、正しい」
「くっ・・・何故か知らんが、また言われてしまった・・・」
そんな馬鹿話をしていると、ふと首筋に突き刺さるような視線を感じた。
「おい、後出しの彼女がこっちを見てるぞ」
見ると、先ほど叫び声を上げた子と、その隣にいた色黒の子がこちらをじっと睨んでいた。
「声がでかすぎたか。俺たちの話し声が聞こえたのかもしれない」
体育座りを続けたまま、彦次郎は強引に首だけ動かして俺の視線の先を確認する。難癖のような話を聞かれたにも関わらず、ヒコは堂々としていた。それはこいつなりに悪事を責めているつもりなのだ。すると彦次郎の顔が向いた途端、色黒の子が頬を朱に染めて、金髪少女の影にまた隠れてしまった。
「よかったな。お前のファンがまた一人増えたぞ」
それというのも、彦次郎は男の俺が認めるくらいには恰好いい。これで赤の他人だったら、間違いなく嫉妬と殺意を煮えたぎらせているところだ。少し前にクラスの女子と歩いていた際、偶然お使いの途中で通りかかった彦次郎を見るなり、その子は一目で恋に落ちてしまった。そんなにいいかねと横から口を挟んだところ、あんたにはあの背後に輝く王子様オーラが見えないのか、と説教までされる始末。
「いい感じの人数になりましたニャー。では、『アレ』を準備してください!」
平嗄のその一言で、幕に覆われた巨大装置がステージ裏より運び込まれた。ギャラリーから、おおっという声が上がる。
「では、ご覧あれ!ぴゅーぴゅー抽選マシーン、Mk-Nです!」
布きれの後ろから姿を現したのは、空気の力でくじがぐるんぐるんかき混ぜられる装置だった。不意に去年の夏にテレビで見た、台風中継を思い出した。あの時は無責任にも、人が紙くずみたいに転がっていくところを見て笑っていたのだが、何だか悪い事をしたなって気分に今更ながらなってしまう。
「Mk-Nって何だ?」
「きっとあれだろ」
彦次郎の問いに、俺は間髪入れず巨大装置の上部を指さした。完全におまけとして、適当に後から付け加えられたであろう猫耳が、申し訳程度に乗っかっていた。
「・・・芸が細かいな」
「・・・誰も注目してないけどな」
くじ引きの機械が登場し、にわかに会場の雰囲気が盛り上がりを見せ始める。あとはくじを引く順番を決めるだけという段になって、またもひと騒動起きた。じゃんけんで最後まで残った四人は壇上にあげられ、机に並べられたカードを引いて、くじ引きの順番を決めるという事になったのだが、平嗄が「なんとなくそこのお兄さんから」と、カードを引く一番手に俺を指名したがために、事はややこしい方向へと進んだ。
「ちょっと待ちなさいよ!どうしてあんたが一番なの!」
声をあげたのは、もちろん皆もお分かりだろう、金髪少女だ。すごい剣幕で、俺と指名した平嗄に詰め寄った。
「にゃっ、にゃっ、にゃっ!?」怯える平嗄。
「やめないか、君。怖がっているじゃないか」身を挺して守る俺。
「邪魔よ!」吹き飛ばされる俺。
「あ、あの、・・・どうぞ」暴力に屈する平嗄。
金髪少女は、突き飛ばされてステージから墜落した俺を全く気にせず、テーブルに並んだ四枚のカードの内、一番右のカードを選択して、めくった。
「ほら見なさい!」
そのカードには、でかでか『1』と数字が書いてあった。「どうやら私が一番ね」
「あれー、おかしいニャー。カードには、色が書いてあるはずなんですけど」スタッフが持ってきたあみだくじのボードを手に、平嗄が首を傾げる。ボードにはそれぞれ青、赤、黄、緑という文字と、順番を表す1~4の数字。そして四本の直線が印刷されていた。「別のカードが混ざってたのかニャー?」
あからさまに動揺し、やってしまったというリアクションを取る金髪少女。ステージ上でうずくまり、「そっちかー」と頭を抱えた。で、急きょ作り直した四枚のカードでやり直し、なんやかんやありながら、結局俺がくじを引く一番手になってしまった。
「・・・・・・・」
背後からアイスピックのように鋭利な視線と、ぐるるるるるという猛獣が威嚇する時に喉を鳴らす、あの音が聞こえてくる。
「ちなみに当たりのくじは、1枚だけ。ハズレは百枚入ってますニャー。ハズレを引いたら、列の一番後ろに並びなおしでーす。それじゃあ、はりきってどうぞ!」
「ええい!ままよ!」
掛け声と同時に、腕を装置の中へ突っ込む。
俺は目を閉じ、心をからっぽにした。大掛かりな装置だけあって、近くにいると騒音もすごかったのだが、今はもう気にならない。しばらくしても、くじが手に触れる感触はなかった。まるで外れくじの方から、俺の手を避けているみたいだ。ようやく一枚、吸い込まれるようにくじが手のひらに収まった。俺はそれを指で摘んで、手を引き抜いた。平嗄が傍に駆け寄って、驚きの声をあげる。甘い、いい匂いがした。スピーカーが、彼女の弾む声を広場の奥まで届ける。わあっというサッカーで点を取った時のような歓声と拍手が、あちらこちらであがった。俺が掲げたくじの真ん中には、当たりくじの証明である平嗄のキスマークが、しっかりと残っていた。
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