第一話「目覚め」
果てしなく続く赤絨毯、均一な間隔で並んだ甲冑、煌びやかな装飾。見渡す限り非の打ちようがない一流の空間。しかし『何か』が足りない。この場所、正確に言えばこの城には『何か』が足りていなかった。その何か。難しく考えずとも、少し思考を巡らせればおのずと答えは出てくるはずだ。そう、人。城というのはもっと活気があり、皆が寝静まる夜の内でさえ、見回りの兵士など人の気配がして然るべきだ。だというのに、この城には人の気配が全くない。
それもそのはず、この城を支配しているのは魔王だ。魔王は人を殺しはしても、雇ったりはしない。それが、この城に人の気配がない理由だ。元はどこぞの豪族が建てた城だったらしい。しかしそれはあっさりと奪われ、今や世界に一つしかない魔王の城となった。内装は奪った時のままであるから、一見しても魔王が住んでいようとは誰も思わない。だが、確かに魔王が住んでいる。理を外れ、時の止まった城自身が何よりもの証拠だった。
城に警備はいない。普通どれだけの強者であっても、寝込みを襲われてしまってはこりゃかなわんと従者や、配下の存在を傍に置きそうなものだが、ここはそうではない。それだけ自分の力に絶対の自信があるのか、それともこの世界には自分に歯向かって来る者など、もう一人とていないという嘆きなのか。
とはいえ、今日の城はいつもと違った。何故ならこの城に久方ぶりの客人が訪れたからだ。客人は誰に出迎えられるでもなく門をくぐり、誰に案内されるでもなく城の一番奥にあるこの部屋に辿りついた。そしてそれが、客人の最後だった。
「勇者よ、ああ勇者よ。先に行って待っていろ。私もすぐに参ろうぞ」
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「はっ!?・・・・・・夢か」
ばちっと目が覚めた。それはもう、電気のスイッチを入れるみたいに。何やらひどく恐ろしい夢を見ていた気がする。首まわりにぐっしょりと汗をかき、鼻の頭に油が浮いている。天井を見つめる目が、ぷらぷらと揺れる電球の紐も捕らえた。その先に吊り下げられた悪趣味なキーホルダーが呑気に回転する。顔を横に倒すと、眠りにつく寸前まで堪能したエロ本が二冊、三冊と積んであった。着エロなんて生ぬるい事は言わない。男なら全裸。一糸纏わぬ、ナチュラル曲線美こそ至高。ふむ・・・・・・、間違いない、ここは俺の部屋だ。
寝起きからいきなり混乱したのには訳がある。それというのも、前々から俺が見る夢に妙な物が混ざっているからだ。内容をきちんと思い出せる訳ではないが、何度も何度も見るうちに断片的な記憶として残ったのは、とてつもなく広い部屋の中央に俺はいて、何か恐ろしい相手と対峙しているという事。2人は会話を交わしているようなのだが、声は聞こえず、口の動きを目で追ってもさっぱりだ。夢の中の俺は途中からすごくイライラして、激しく言葉をぶつけ始める。相手は俺を黙らせようとして、何か言いながら伸ばした腕を頭に乗せると、はいそこで夢はおしまい。な、訳分かんないだろ?だけどその夢というのが、とにかくリアルだ。肌を撫でる風の感触とか、揺れる着物の動きだとか。時々、自分が夢の中にいるのか、現実にいるのかさえ怪しく思えてくる。
なんにしても、俺の目はいま完璧に覚めた。軽く伸びをしてから、さあ立ち上が・・・れなかった。何故だろう。まさかこれが世にいう金縛りというやつか?お腹の辺りにずっしりと、正確には子供一人分くらいの重さを感じる。
「お兄ちゃん、おはよ!」
心霊現象でもなんでもなく、俺の腹の上に少女がまたがっていた。少女は朝の挨拶を終えてなお、その場所からどこうとせず、人の腹をトランポリンか何かと勘違いしているのか、ぴょんぴょんと飛び跳ねている。少女の名前は紗夜ちゃん。近所の小学生で、どういう訳か俺に懐いている。特に餌付けをした覚えはないのだが、何かある度に俺のところに来る物好きな小学生だ。最初の頃は、俺も気を使って色々と構ってやっていたのだが、そのうち飽きてきて相手にすらしなかった。それでもめげずに寄って来るもんだから、俺はもう諦めている。これはこういうもんなんだ、と。そうした結果が、現状の許可なく部屋までフリーパスだ。まったく、俺が食事を取る前でよかったな。でなければ、今頃君のお気に入りであるピンクを基調とした服や、ジーンズ生地のスカートは、俺の吐瀉物でめちゃくちゃになっていたところだ。
「おはよう、紗夜ちゃん」
「ふふふ、よく眠れた?」
「まあね。・・・・・・そろそろどいてくれない?」
「えー、せっかく子守唄を歌ってあげてたのに、もう起きちゃうの?」
「今日は予定があるんだよ」
俺は自慢の上腕二頭筋を使って紗夜ちゃんを脇にどけると、自慢の腹筋を使って上体を起こした。部屋を半分に区切った向こう側で寝ていたはずの彦次郎の姿はない。ご丁寧に寝袋を元あった状態に戻し、すでに朝食ないしは店の手伝いに向かったのだろう。
「おはよーっす」
「やっと起きたか。時計を見てみろ、正しくはこんにちはだ」
腹を掻きながら階段を降りてみると、彦次郎が店の掃除をしていた。店内に親父たちの姿がないところをみると、ランチタイムで身動きが取れなくなる前に、足りなくなりそうな食材でも追加で仕入れに行ったかな。
「ああ、その通り。今日もヒコのいう事は正しい、正しい」
「またそれか。だいたい束矢は、休日だからといって少しだらけすぎだぞ」
「いいじゃないの。だらけられる休日があるうちは、だらけとくべきだよ。そのうち嫌でも親父みたいにせかせか働かなきゃいけなくなるんだから。なあ、それよりも約束覚えてるか?」
俺は家の方の冷蔵庫を開けながら言う。毎朝一つ、一週間分がストックされたヨーグルトの一つを手に取り、ふたを開けて表面に付着した塊を丁寧に箸ですくい取る。ヨーグルトをスプーンではなく、箸で食べるのが俺のこだわりだ。その際は是非とも溝のない箸を使用するべし。慣れればスプーンよりも綺麗に食べられるようになる。だからって合コンの席で披露できるような特技ではないのだが、何だかエコっぽいだろ?地球、超大事。そして食い終わった後は、ふたの裏側に書いてある、どこかの人妻が応募した一言コメントを熟読する。それが俺の一日の始まり。
「当然だとも。だが、いいのだろうか。昼の店が一番忙しい時間に抜けてしまって」
「いいんだよ。そのためにこうやって朝から手伝ったんだから」
「手伝っていたのは俺だ。お前はぐっすり眠っていただけだろ」
カウンターの端まで拭き終えた彦次郎が、エプロンを外して店側から引きあげてくる。ちょうど階段を降りてきた紗夜ちゃんと鉢合って、お互いにぎょっとした表情を浮かべた。
「む、また忍び込んでいたのか」
「あー、感じ悪い方のお兄ちゃんだ」
階段の前で固まった二人は、お互いに避けようと右に左に同時に動いて結局行く手を邪魔しちゃうお決まりのあれをして、また睨みあう。最終的には階段から彦次郎目がけて跳び蹴りをかました紗夜ちゃんを受け止めて、床に下ろしてやった。
「お前らって未だにそんな感じなの?」入れ替わるように、二階に上がっていく彦次郎の背中に声をかける。
「んー、馬が合わないというか、噛み合わないというか。そもそも合わせる気があまりない」
「ワオ、ストレートに大人げねえな」
「すまん、だがこればかりは致し方ない。合わないものは、合わないんだ」
「ったく、女性には優しくしろっていつも口酸っぱく言ってるのに」
「・・・え、何それ?女性ってもしかしてサヤの事?きゃー、女性だってー。初めて言われたかもー。サヤって、そんなに大人っぽい?ねえねえ?」
「・・・・・・う゛ーん」
俺は低い唸り声をあげた。どこで覚えてきたのか知らないが、今時の女子高生みたいなノリで迫って来る沙夜ちゃん。そういう相手との間には、徹底的に壁を築いてきたのがこの俺、南地束矢だ。自らふらふらと近寄って行くくせに、相手の方からぐっと距離を詰められると、すっと身を引いて逃げてしまう。ある先輩はそんな俺の事をこう呼んだ。THEめんどくさい奴。ただし紗夜ちゃんには、この手が全く通用しない。彼女の場合、壁を作ろうが箱に閉じこもろうが、顔パスで乗り込んできて、いつの間にか何食わぬ顔で傍にいる。そういうの全部ひっくるめて、俺はもう『諦めている』。
「まさかコレも連れていくのか?」
「いんや」
「えー、サヤついてっちゃ駄目なの?どこ行くか知らないけど」
「前からの約束だしな。二人で行こうって」
「あ、知ってるよそれ。デートっていうでしょ?」
紗夜ちゃんがぽんと手を叩き合わせて、言う。
「束矢、デートなのか?」
「デート・・・・・・か?」
なわけないだろう。
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