四話 『コンティニュー』
「…………」
何もせずただ立ち尽くしていたのは、何もできない訳ではなく、今から何をすればいいのか分からないからだ。
まず思う事は、こういうのは予兆か何かを見せてからやって欲しいということだ。
毎回いきなりなんの前触れもなくこんな所に飛ばされたらサプライズで寿命が縮みすぎていつか死んでしまう。
まあ、この現象の元凶となる人間がいるなら、だが。
何はともあれ。
「コンティニュー、ってか」
赤い空に照らされる無人のコンビニを見ながら、少年――百条航希は苦笑いした。
◇
『ようこそ、裏のチャンネルへ』
「うわびっくりしたあ!? 何これ!? 毎回聞こえんのこれ!?」
取り敢えず家に向かうか、と歩を進めた瞬間頭に響く声。
前回はこの声を聴いて半狂乱になり、ただただ走り続けた。
その末、何が起きたかも分からないまま意識が途絶えてしまったが、今回はそのようなことにはならないようだ。
確かにあの時は混濁する記憶と無人の街、頭に響く声のおかげでとても平静ではいられなかったが、二度目になると案外そうでもないのだ。いや、怖いことには怖いのだが。
「周りには誰もいない……よな。はぁ……」
思わず溜め息が漏れる、多少冷静に振る舞えても何が何だか分からない状況なのは何一つ変わらない。
少なくとも、春休みまではなんの変哲もない生活を送っていたのだが、……一体いつからこんなことに……
「考えることはいっぱいあんだけど、とりあえずあのハーレム状態のことは置いておこう、なんか考えるだけ無駄な気がする」
あのとんでも状態について、「なんでなんでしょーか?!」と聞かれても答えが出る気が到底しない。というか出る訳がない。それこそ山のように考えてもだ。
「まずはここで何ができるのかを考えなきゃな」
そもそも、この世界が何なのかすら分からないのだ。人はいない、異常に濃い影、真っ赤な空。
「目に悪そうだよな」
率直な感想を言ってみる。因みに、同時刻にある少女が同じことを言っていたのだが、それはお互いに知る由もない。
この世界。不気味ではあるのだが、一般的な夕暮れよりは明るいので落ち着いていればそこまで怖くは……いや、やはり怖い。例えば十字路の曲がり角とか、いつ何が飛び出してくるか分かったもんじゃない。
「あーだめだ、思い出すと余計怖くなる。大丈夫大丈夫、こうき強い子元気な子!」
頬をバシバシと叩き、気合を入れ直す。次からは目覚めたら冗談の一つでも言って気を紛らわそう、そうしよう。
「そういえば、さっきまで全力で走ってたはずなのに疲れてないな」
ここに来る前の航希は、宿題を取りに行くために全力で学校に向かっていたはずだ。
なのに、今の航希は疲労どころか息切れ一つしていない。
「あっちの俺の身体とこの俺の身体は違うってことか? それとも夢みたいなものだったり……」
考えれば考えるほど訳が分からない。
そもそも一体いつからこんな異常な状態になってしまったのだろうか?
「はぁ……ほんと勘弁してくれよ……」
理不尽な状況に悪態をつきつつ、まずは落ち着ける場所へ移動するべく歩を進める。
色々考えるべきことはあるが、歩きながら考えても上手くはまとまらないだろう。そこのところ、幼馴染の涼葉なら上手くやれるのだろうが……
「そういえば涼葉だ……」
同じくおかしくなっている者同士、もしかしたらこちらに来ている可能性がある。
全力疾走したため距離はそれなりに離れているが、別れてからそこまで時間は経っていない。
「もしかしたら、近くにいるかも知れない……そうと決まれば!」
航希はすぐさま回れ右をして、来た道を駆け戻った。
しかし。
「くっそ……」
別れた地点を過ぎても涼葉の姿は見当たらない。
やはりここには自分一人しかいないのではないか? そう思ったその時だった。
「……人?」
分かれ道、向かって左側の路地に人影が見えた。
かなり遠いところにいるので輪郭しか分からないが、動いてもいるし何かのオブジェを人と間違えている可能性は低いだろう。
全身黒ずくめのようであり、家は向かって右側の路地を進んだ先なので、少なくとも涼葉ではなかった。しかし、それでも人らしき物を見つけることができたのだ。
航希は慌てて駆け出し、声を張り上げた。
「おーい! 待ってくれぇー!」
しかし、人影は反応を示さない。
聞こえていないのだろうかと思い、距離を詰めるべくさらにスピードを上げた。
だんだん近づいていくにつれ、輪郭は濃くなっていき。航希は人影の持つ違和感に気づいた。
「なんだ……あれ」
黒い。
最初は黒ずくめの格好をしているのだと思っていたが、違う。その人影は、頭の天辺からかかとまで、その全てが黒いのだ。
全身タイツでも着ているというのなら納得は出来るのだが、街中を全身タイツで歩いていたとはいささか信じがたい。
さらに近づくと、その人影の表面は泥のようなもので覆われていることに気づいた。
流石にもう声をかけることは止めている、遠くからゆっくりと近づき、様子を観察する。
「…………」
50メートルくらいの距離まで近づいた所で、細い路地に隠れた。
目測通り、身体を覆っているものは泥だろう。いや、もしかしたらその人影自体が泥でできているのかもしれない。
ふらつく足取りといい、意思というものが全く感じられず、不気味なこと極まりない。
――これはとっとと逃げるに限るな。
息を潜め、気付かれないようにここから逃げ出すことにした。
ここまで来て言うのもなんだが、あれは関わってはいけない類のものだ。
ファンタジー物とかでよくあるモンスターに該当するのがアレなのだろう。気持ち悪い。
観察を止め、視線を外して完全に路地へと入り込む。
そのまま路地を抜け、離脱しようとしたその時だ。
ベチャ、と何かを踏む感触。
「なんか物凄く嫌な予感が……」
そう言って恐る恐る下を見ると、足元の側溝から泥が噴き出している。
泥は急速に盛り上がり、2、3歩後ずさる頃にはもう人間大まで成長していた。
「ぶ…………ぼ………」
「う、うわぁ!?」
まるで気泡が弾けるような音を発しながら、泥人形がこちらに迫ってくる。
逃げなければ。
航希はすぐに振り返り全力で引き返す。
「うわっ!?」
路地を抜ける瞬間に右肩を泥が掠めた。最初に見つけた一体がこちらを察知して接近していたのだ。
心臓が飛び出そうになったが、スピードは緩めなかった。
チラリと後ろを確認すると、泥人形との距離はどんどん離れていっていた。どうやらスピードは出ないらしい、振り切るのは簡単みたいだ。
胸を撫で下ろし、速度を緩めた……のもつかの間。
すぐ隣の側溝から泥が噴き出るのを視界の隅に捉えた。
「マジかよ!?」
弾かれたかのようにアスファルトを蹴って走り出す。
前方の側溝からも泥は噴き出していた。
だがしっかりと人形にならなければ、こいつに触れられる事はない。
泥の塊が完全に人型になる前に、全速力で駆け抜ける。
しかし、この怪異はそう甘くはなかった。
「はぁ……はぁ……はぁっ……なんなんだよ……」
引き返し、戻ってきた分かれ道。その両方の道のどちらにも、既に完成された泥人形が複数体待ち構えていた。
ここから左に進むと航希の自宅があるのだが、この状況では進むこともままならないだろう。
焦る航希だが、悠長に考えている暇は既にない。
「ぶ…………ぼ………」
「っ!? ふっざけんな!」
足元の側溝から、またしても泥人形が現れる。
素早く跳びのき距離を取ったが、このままでは追い詰められるのも時間の問題だ。
「はぁ……はぁ……こんなとこで、死ぬのかよ」
やり場のない怒りを含んだ、諦めた様子の声色で航希は呟き、その場に尻もちをついた。
――こんなとこで、終わっていいのかよ?
確かめるように、自分で自分に問いかけた。
いい訳がない、死にたくなんてない。けど、どうしようもないだろ? ただでさえ訳のわからない状況に放り込まれて、一度は発狂までしたということを踏まえれば、俺は充分やれてただろ?
それに、死んだってまたやり直せるかもしれない、その時また頑張れば……いや、いっそこのままでもいいじゃないか。なんだかんだで向こうの俺も楽しそうだし、このままハーレム主人公として生きていくのも――
『航希』
「――いやいやいや……」
既に諦めの域に達していた航希の脳裏にある少女の姿が浮かんだ。
自分の名前を呼んだその声は、どこか悲しそうで、辛そうで。
ゆっくりと拳に力を込める。
――あの時は、雨が降っていたっけか。アイツ、あの頃はずっとあんな顔だったな。
「それは、頂けねぇよな……」
そうだ、これは俺だけの問題じゃない。
もう、あんな顔は見たくない。
だから、アイツのあんな姿は、許せない。
消えてたまるか。
体制を立て直し、こちらに手を伸ばそうとする泥人形から距離をとる。
「うおおおおおおおお!!」
助走をつけ、腰を落とし、目の前の泥人形に盛大にぶつかる。
がむしゃらに繰り出した渾身のタックルは、泥人形の体をいとも容易く吹き飛ばした。
「軽っ!?」
航希は予想していたよりも呆気なく吹き飛んだ敵に困惑する。
しかし、これだけ弱いのなら自分一人でも何とかなるかもしれない。航希は残りの泥人形を見据えて言い放った。
「覚悟しろよ……泥野郎共。叩き潰してやる……!」
駆け抜け、前方の敵に肉薄する。振りかぶった左ストレートは泥人形の顎を正確に捉えた。体制を崩す泥人形の足をすかさず払い倒す。
「これで2匹目!」
覆いかぶさるように次の泥人形が航希を襲う。
腰を落として右に緊急回避。ガラ空きの背後にヤクザキックをお見舞いする。
「3の……」
道端に転がる猫よけの2リットルペットボトルを回収。
さらに奥の泥人形をバスケット選手さながらにフェイントを織り交ぜて華麗に抜き、後ろへと回り込む。
無防備な背後から振り返る隙を与えずにペットボトルで脳天へ一撃。
「ゲッツー!!!!!」
渾身の一撃はいとも容易く泥人形の頭を粉砕し、頭を失ったボディは泥の塊へと形を崩していく。
どうやら人間と同じく頭部を破壊すれば活動を止めるらしい。
一方。航希は自らの華麗なる殺陣、通称『俺無双』に酔いしれていた。
「弱ええええええ! こいつら、弱っええええええええ!」
「いやなんだよ、こんなに弱いなら最初からそう言ってくれよな?! ビビって損したわ!」
片手で口を抑え、もう一方の手で泥人形を指差しながら「プギャー」と言った体で嘲笑う。
「いや? もしかして?……こいつが弱いんじゃなくて?…………俺があまりにも強すぎるんじゃね!? ハッハー!!」
悦に浸るとはこのことだろうか、完全に調子に乗って活動を止めた土塊に2リットルペットボトルを叩きつけ、さらに中身の水をぶちまけ始める始末。
文節にいちいち疑問系を挟んで自画自賛を始める姿は神経を絶妙に逆なで、見てる側としては多少平静を乱さざるを得ない。
要するにウザい。
「あれれぇ? もう襲ってこないん? 諦めたん?」
これが彼、百条航希の本性。普段は良識人の皮を被りながら、ひとたび本性を現すと万人を引かせるハイレベルなクズへと変貌する。
目上の者には媚びへつらい、目下の者にはプ○ングルズを奢らせる姿は近しい者達から「コウモリ野郎」、「プリン○ルズの百条」等と揶揄されている。
しかし、この状況にいながら平常運転を取り戻せたのは良いことだ。
何もできなかった最初に比べれば、これは大きな進歩と言えるだろう。ウザいが。
それに、脅威はまだ続いている。泥人形は動きを止めているが、それは航希を恐れてのことではない。
いや、言い方を変えればそれに当たるのだろうか。
決して戦意が喪失した訳ではない、ただ少し「敵の警戒レベルが上がっただけ」だ。
「ぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼ!!!!!!」
「っ!?」
動きを止めていた、泥人形の一体が、突然物凄い数の気泡音を発し出した。
身体の表面が歪な形に波打ち始める、まるで中で何かが暴れているような不気味な光景に、流石に絶句してしまう。
泥の体表の至る所を何かが突き破り、次第に形が纏まっていく。謎の現象はまるで脱皮のような一通りの変化を終え、その全貌を露わにした。
「いやぁ…………あれは流石にやばいって」
泥の無機質な姿とはまるで違い、生物的な質感を持っている。
その姿は異形そのもの、赤い背景、黒い影と相まって、見る者によっては吐き気を催すようなおぞましい物体がそこには存在していた。
まず全体的な見た目は鳥類のよう。翼が折りたたまれ、頭部にはトサカのような物がついているので鶏のように見える。
しかし、サイズは人間大。体表は薄汚れたドブのように不快感を与えるような黒。極め付けには身体の至る所に人間の顔のようなものが浮かび上がっている。
「ギ……グ………ガ…………」
化け物はまだ動く気配はなく、時折鳴き声のようなものを発しながら忙しく首を動かしている。
航希は息を飲み、少しずつ後ずさっていく。
流石にあれを目の前にして平常心を保つのは無理があった。
しかしなるべく冷静に、慎重に行動するようには頭を働かせる。
森で熊に遭遇した場合、いきなり逃げずにゆっくりと目線を外さずその場から離れて行くのが正解だという。
と、いうことで実践してみる。
「そーっと……」
化け物の動きに目を配り、じっくりと後退して行く。
目の前に恐ろしい化け物がいるのにゆっくりと逃げるというのは中々神経を使う。テレビで見たにわか知識だが、ここはあの某珍獣ハンターの言うことを信じる他ない。
一歩、二歩と遠ざかっていく。化け物はまだ動く気配がない。
「よーし、このまま…………」
動かないうちにここから逃げ出すべく、後退するスピードを上げる。
しかし、そう甘くはない。
「グゲェーーーーーーーーーーー!!!」
「やべっ!?」
突然の化け物の咆哮。
身じろぐ暇も与えないと言わんばかりに、怪物がこちらに突っ込んで来る。
細く、鱗の生えた鳥類の脚は、成長前とは比べ物にならないほどのスピードで、棒立ちの泥人形を蹴り砕きながらこちらに迫る。
もうのんびり離れている場合ではない、素早く身を切り返し全力でその場から逃げる。
当然、バカ正直に鬼ごっこに付き合うつもりはない。
何だかよく分からないが思考はいたって冷静、流石に短時間に同じ轍を踏むことはありえない。
「よっこらせっと!」
民家の塀の上。
そこによじ登り、さらに家と家の間へと塀伝いに進んでいく。
「近所迷惑すぎて良い子にはあまりお勧めできない逃げ方だけど……まあその図体ならここまで来れないだろ」
化け物は獲物を捕らえるべく家同士の隙間へと首を突っ込む。しかし、その嘴が航希を捕らえることは無い。泥人形の形状ならともかく、人間サイズの鶏型では隙間に入るどころか塀を登ることすらままならないのだ。
「ほら、もう無駄だっての。いい加減諦めろ……」
諦めずに巨大なペンチのような嘴でこちらを捕らえようとする化け物。
嘴を閉じるたびにバチン! バチン! という不吉な音が聞こえる。届かないと分かっていても、間近でそんなことをやられたら生きた心地がしない。
バチン! バチン! バチン! バチン! バチバチッ!
「ん? バチバチ?」
全身を嫌な予感がが駆け巡る。咄嗟に塀の突き当たりまで走り、向かいの路地に飛び降りる。
次の瞬間、バチコーン! と盛大な音が鳴り、航希のいた足場が弾け飛ぶ。
「な、なんじゃそりゃああああ!?」
着地の際に受け身を取り、急いで後ろを確認する。
化け物の口からは煙が上がっており、まだ少し電気が残留している。
もはや奇々怪界とかそういう話ではない。今まで色んなバトルアニメを見てきたが、エレクトロニック・キャノン的な物を吐いてくる鶏なんで見たことない、というかそんなもんいてたまるか。
しかし、何とか危機一髪。かわすことができた。
自分の回避能力も大したもんだと実感する。ちょっとした達成感のようなものを感じて、何となく両手を見た――
「ほんとにもう……勘弁してくれ……」
その両手は、まるで砂で出来ていたかのように、かき消えようとしていた。
ドラ子「初戦闘ですね」
ランナー「まだパッとしないね」
ドラ子「そうですね。一応この作品、異能力バトルということになっているのですが」
ランナー「一応魔法っぽいのが出たね。バチコーン! ってやつ。でもなんで鶏?」
ドラ子「さあ? 不気味さを出したかったらしいですが……」
ランナー「ええ?……うーん……。どうだろ? 確かにでっかい鶏って怖いような気もするけど……。読んでもパッとしないなあ」
ドラ子「文章力。ですね」
ランナー「よし、もっとラノベを読もう(by作者)」
ドラ子「遅いわっ!」