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二話 「迷走」

 ついさっきまで真上に太陽の昇っていた青い空は、まるで業火に飲み込まれたかのように赤く染まり、長く伸びた影をアスファルトの上に焼き付ける。しかし、その異常に気付かない程に少年――航希は混乱していた。


 頭が締め付けられるように痛い。錆び付いていた記憶が色を取り戻し、濁流のように思考を呑み込んで行く。

  クリアになった『本来の自分』と照合し、さっきまでの自分の行動に悪寒が走り吐き気が込み上げる。

  理性ではない、本能の部分が「このままでは自分が自分でなくなる」と、警鐘を鳴らし続けている。

  航希は込み上げる吐き気を堪え、震える唇を動かして、自分が百条航希であることを噛み締めるように呟いた。


「俺は、何を…………していたんだ……?」


  紡がれた言葉は、そのまま入り込むように航希の思考に浸透していった。

  大丈夫、俺は、俺だ。

  航希は少しばかり頭を冷やすため、一旦頭を空にしようと試みる。しかし――


「ようこそ、裏のチャンネルへ」


「っ!?」


  声による不意打ちにより、航希の冷静はまたもや消え去った。背筋に氷の塊でもぶち込まれたような感覚を覚え、咄嗟に振り返る――誰もいない?

  そんなはずはないと周囲を見渡す、360度辺りを見回してみても声の主らしき人影は見つからなかった。しかしやっと、ここで初めて航希は、街の情景が真紅の夕陽の沈む、異常なものになっていることに気がついた。


「ウッ――」


  信じられない情景に脳が拒否反応を示したのか、朦朧とする中航希は胃の中の物をそのままアスファルトへぶちまけた。

  身体が気だるく頭が痛い。


「どうなってるんだよ、どういうことだよ……」


  本当に訳がわからない、ふらつく足で進みながら航希は叫んだ。


「おい! 誰だよ、こんなことする奴は!?」


  大きな声を出す度に、影に潜む、何か恐ろしいものに気づかれてしまうのではないか? と心臓が跳ねて恐怖感が波のように襲ってくる。それでも航希は叫び続けることを止めなかった。感情を怒りで埋めないと、


「いるんだろ! 出てこいよ!」


  ありもしない何かに怒りを沸き立たせ続けないと、


「声が聞こえたんだ! 近くにいない訳がない!」


  狂ってしまうような気がして。


「おぉい! ふざけんなよ!! 返事くらいしやがれ!」


  いくら叫び続けても返事は返ってこなかった。その後も絶え間なく叫び続け、酷使した喉はもう掠れた声しか出すことができなくなってしまう。

  そこで、航希は、叫ぶのを止めた。

 叫ぶことを止めたことで、少し冷静になった。


「あ、あぁ」


  航希は、少し冷静になってしまった。


「あぁ…………うあああああああああああアアア!!」


  まず数歩後ずさり、足をもつれさせながら振り返り無我夢中で走った。

  思考を止め、道という道を駆け抜けながらも、その足は自分の学校へと向かっていた。知らせなければ、助けを呼ばなければ、とにかく人のいる場所に行かなければ。


  ――死にたくない。


  少年はただひたすら走った、恐怖を振り払うことを止め、助けを求めるために、走った、走った、走った、走った、走った、走った、はし


「ぶ…………ぼ……」


「ア――――」





「…………あれ?」


  無視できないような違和感を感じて、僕は時計を見た、スマートフォンのデジタル表示が示していたのは午後2時ジャスト。さっき確認した時刻から大した変化は無かった。


「なんでもないか…………うっ!?」


  腹の奥から不穏な音が、やばい……津波がくるっ!?


  食べ過ぎによる災害の第2波が現れた。そう、便意である。


  ギュルルルル


「はううっ!」


 高校生にもなって漏らす訳にはいかないっ! 一刻も早く家に帰らなければっ!


  僕は決壊しそうなダムを気合いでせき止めながら、妙に背筋を伸ばし、爪先立ちでヒョコヒョコと歩きながら家へと急いだ。





「えーこれが、sin、cos、tanの方程式だ、しっかり――」


「だから速いんだって板書……」


  乱雑な字で公式の説明を書き殴る禿頭の数学教師――梶田先生に、僕は悪態をついた。


  高校生活も2年目に差し掛かり、授業の内容も難しくなっていた。そこまで成績が良いわけではなく、それなのに家庭学習もろくにしようとしない僕にとって、授業は外せないものとなっている。


  だから昨日早退してしまった分を取り戻そうと現在進行形で頑張っている訳なんだけど……


「ねえーぇ、こぉきい」


「……」


  視界の端で自己主張する2つの「アレ」は思春期の男子にとっては最早無視できるものではなく……ってそうじゃない! 隣から話しかけてくる人影に集中を切らされて大変困っている。


  クソっ! ここにも女子の魔の手が!


  僕の机の横で駄々をこねているのは眉目秀麗姫カットの毒島さんだ。高校生とは思えない抜群のスタイルから、大人の色香なんて言われているが、大人っぽいのは動作だけ、精神はきっとワガママな子供のままなのだ。


  因みに僕の席は全6列の中の右から数えて4列目の1番後ろ、彼女の席は僕の左隣の前の前の前の前だ。つまりはどういう状況かというと。


「おい毒島・百条、いい加減にしろ、毒島は自分の席に着け」


「なんで僕も……」


  授業中だと言うのに僕のところまで遊びに来ているのだ、それも今回に限らず毎回! 毒島さんだけが怒られるならまだしも、僕も毎回一緒に怒られるのだから本当に勘弁して欲しいよ。


「うるさいわね」


 そして毒島さんが教師に反論するのもいつも通りだ。

  不遜な態度で教師を睨む毒島さんの態度に、禿頭が茹でダコにでもなりそうな程に顔を真っ赤にする梶田先生。これはまずい。


「今日という今日は許さん! 毒島! 貴様廊下に立っていろ!」


「いやよ」


「ちょっ、毒島さん!」


「なんだとぉ!?」


  やめろ!  これ以上刺激しないでくれ!  と心の中で叫ぶも、どうやら僕の気持ちは伝わらなかったようで、毒島さんはさらなる反論を重ねた。


「なんで私が貴方の言うことを聞かなきゃいけないのよ」


「今は授業中だぞ! 授業中はどのように過ごすのかも分からんのか!?」


「あら?  授業だったの?  ごぉめんなさい、あまりにもくだらなさ過ぎて自習だと思ってたわ」



  いや、それは流石に!?



「何?  今……いまなんといったぁ!!?」


「うるさいわねターコード」


「「「「ブッ!?」」」」


  まさかの、愛称とはとても言い難い梶田のあだ名。「バーコード」と「タコ」を掛け合わせた「ターコード」をぶつけてくるとは誰が予想できただろうか。

  現にクラスの約半数が堪らず吹き出して只今後悔の真っただ中である。時、既に遅し。


  プツン と、何かが切れた音がした。


「…………やる気が失せた、毒島と百条は後で職員室に来い」


  物凄い剣幕が飛んでくると思いきや、梶田先生は真顔で流れるように教室を出て行った。ドンッというドアの音が余韻を残し、しばらくは静寂の中に隣の授業の声がうっすらと混じる状況が続く……

  クラスの目線は毒島さんに向けられていた、しかし当の本人は。


「よし、これで正式な自習になったわね」


  全く、やれやれだ。

  これで僕が呼び出しを食らった回数は16回、その全てがあの女子たちに関連することだ。彼女達は学校内では常に僕の側にいるため、自ずと僕も関係者になってしまうのだ。とばっちりも良いところである。

  呼び出されるのはもう慣れてしまったし、僕は取り敢えず今日の反省文に何を書くか考える事にした。





「なんで僕がこんな……」


「ほんとよねぇ」

  教室の物より少し大きな業務用竹ぼうきで、アスファルトに散った桜を掻き集めながら、僕は悪態をついた。


  あの後、怒り狂う梶田先生にこっ酷く怒られた僕たちは、罰として反省文と昇降口付近の掃除をやらされることになった。説教の内容は主に毒島さんの態度についてのものだったが、なぜか「お前が注意しないからこうなった」と僕も連帯責任でやらされることになったのだ。


「これも全部、毒島さんのせいだからね」


「だってぇ、ほんとにつまんな――」


「ちょっ! 聞かれたらどうすんのさ!」


  余計なことを口走りそうになった毒島さんの口を慌てて塞ぐ。全く、これでまた梶田先生に聞かれたりでもしたら、追加で何をやらされるか……


「んー! んー!」


「あっごめん!」


  腕をペシペシ叩かれる感触に気づき、慌てて毒島さんを解放する。

 ぷはぁーっと息を吐き出した毒島さんは、こちらを向くと頬を赤らめ、モジモジした様子で。


「もうっ、こうきったら。こんなところで……だめだよ……」


「いや止めて!? ここ昇降口だから! めっちゃ誤解されるようなこと言わないで!」


「何よ、いけず」


  表情をコロッと変え、唇を尖らせる毒島さんに思わずため息が漏れた。彼女の、なんというか……男慣れしたような性格が少し苦手だ。


「あ、今私の事ビッチって思ったでしょ!」


「へ? いやいやいや、そんなことないよ!」


  近いようなことは思ったけど……


「嘘つけー、こうきすぐ顔にでるからわかるのよ」


「え?  嘘だあ!?  そんなことないよ」


「全く、失礼しちゃうわ。言っておくけどね、これでも……」


「……? これでも?」


「え、いや……その……」


 普段ははっきり物事を言う毒島さんにしては珍しく、言葉の途中で口を噤んでしまった。なんだろう? 凄く気になる。


「なになに?」


「なんでもない、なんでもないわよ!」


「いやいや、途中まで言っておいてそれは卑怯でしょ! これでも……何?」


「うう……こうきって意外とS?」


「だからそういう事を昇降口で言うな!」


 安易にそんなことを口走って、誰かにでも聞かれたらどうするんだ。明日から全校生徒に変態として認識されるなんて死んでもごめんだよ!


「しょうがない、一度だけしか言わないからね」


 キョロキョロと辺りの様子を伺っていた毒島さん、どうやら口を割る気になったようだ。


「私はこれでも……」


  なんだか聞き手のこっちが緊張してきた、思わず生唾を飲み込んでしまう。毒島さんは目線をあちらこちらに動かしてから意を決したように口を開いた。


「し「こぉくーん!!」


「な……!」


  何!? この声と呼び方は涼葉! くそっ聞き逃した!


「ふぅ」


「あれ、時音ちゃんもいるや。ああ、そっか! 数学の!」


  なんでこのタイミングで涼葉が? はっ!


「まさか! 周りの様子をやけに気にしていたのは!?」


「もう私言ったからねー、一度だけしか言わないって言ったからねー」


  何くわぬ顔で口笛を吹く毒島さん、まさか、涼葉が僕を見ると呼ばずにはいられない習性を利用するなんてっ!?


「や、やられたっ……」


「え? 何? 何があったの!?」


  勝ち誇った表情の毒島さんに、その場で膝をつく僕、そして何も分かっていない涼葉。

 掃除は、全く進んでいなかった。

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