田中の転生後
ブックマークしてくれた方、ありがとうございます!
とっても嬉しいです! そんなハッピーな気分が文章を不用意に明るくしていないか不安ですが二話です
田中の転生後
今日の仕事も一段落ついた。
私は、座椅子の背に寄りかかって伸びをした。
そういえば、と先ほどアルフガルドという剣と魔法の世界に転生させた田中のことを思った。
私の仕事は、転生させるだけで、その後のアフターケアは一切サービスに含まれていない。といっても、できることは少ないが。
だから、私がこれから行おうとしていることは、まったくの趣味と言って良い。もっと言えば余計なおせっかいですらある。
「少し、覗いてみるか」
私は、パーソナルコンピュータの電源スイッチを押した。デスクトップ上に存在するアイコン『ソウルトランスポーター』という妙に躍動感ある青色の矢印をダブルクリックした。
私は普段、人間を異世界に送り込む仕事をしている。
人間一人を異世界に転移させるとなると、消費されるエネルギーは相当なものとなる。しかし、人間の意識だけを異世界に送り込むだけなら、ほんの僅かな消費で事足りる。
このソウルトランスポーターというソフトウェアはその法則を逆行利用して、指定した異世界の映像と音声を表示することができるのだ。
「アルフガルド、ニルエラ地区、田中――」
私が座標を指定すると、ディスプレイに田中の姿が映った。
十個ほど年を若返った田中のでっぷり身体は、事務所を訪れたときより幾分すっきりしている。だが、依然としてスマートな体型とは言い難いし、まばらに生えた髭もそのままだった。
そんな男が裸で、木の陰にじっと辺りを伺っている様子は、事情の知らない者が見たら悲鳴をあげたくなるだろう。
私は、この危機を田中がどう切り抜けるか、当初はそれだけを見届けるつもりで観察を始めたのだった。
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田中は、もうずいぶん長い間、木陰に隠れていた。
視線の先にはニルエラの村がある。外界に通じる道路らしきあぜ道には、何度か人の往来がある。しかし、声をかけようにも自分は全裸だ。転生士工藤によって、こちら側の世界に送ってもらう前に、全裸からどう切り替えそうかなど、まったく考えていなかったことが失敗だった。
だが、いつまでもこうしているわけにもいかない。ちょうど決心が固まりかけた頃、ニルエラの村から一人の村人が出てきた。
よし、勇気を出して声をかけよう。
しかし、そんな勇気はもろくも打ち砕かれた。
村から出てきたのは、白いずきんに地味な色のローブを着た女性だった。
(女の人にこんな姿で助けを求めても悲鳴を上げられるに決まってる! 服を着ていたって恥ずかしくて話しかけれないのに!)
それを裸で助けを求めたところで、せっかく若返った年月を冷たい牢獄の中で消費してしまうのが落ちだ。
結局、田中は女が通り過ぎるのを、息を殺して見送った。
次に鎧姿の戦士らしき出で立ちの男が、村のほうに向かうのが見えた。その人相から察するに中年くらいの男性だ。
田中は、これを逃して他に機会は無いと思った。
彼ならば裸の自分を見ても、嫌悪こそ示すことはあれど、もしかしたら同情すらしてくれるかもしれない。そうだ、追い剥ぎにでも身ぐるみを剥がされたと助けを求めよう。
「むっ!? モンスターか!」
助けてください、そんな台詞を田中が吐くと同時か、あるいはそれより早く、中年戦士の男が振り向いて剣を構えた。
田中は、自分がモンスターと間違われて切られるのでは、と悲鳴を上げた。
しかし、実際に中年戦士が身構えたのは、田中に向けてではなく本当に現れたモンスターに向かってであった。
モンスターに気づいていなかった田中は、恐怖に声を上げるしかなかった。
「ああぁぁあああ! 切らないでください!」
だが、それが最悪だった。
田中の悲鳴に気を取られた中年戦士は、僅かな逡巡によるスキを作ってしまった。目の前に突然、全裸の男が叫び声を上げながら現れたのだから無理もない。
その間に、毛むくじゃらのモンスターは中年戦士に襲いかかった。
マウントポジションを取ったモンスターは、鋭利な牙と爪によって執拗に中年戦士を攻撃する。
「ぐっ、むっ!」
「えっ、本物のモンスター?」
両手で頭部だけはなんとか守っている中年戦士だが、仰向けになった背から、見る見る血溜まりが広がっていった。
田中は、そんな様子をただ呆然と見ることしかできなかった。
(どうしよう。この人は、僕のせいで――)
田中の足元にきらりと光るものがあった。陽光を反射した金属のそれは、中年戦士が取り落とした剣であった。
(この人を助けなきゃ!)
田中は、ずっしりと重く磨き上げられた刃を持ち上げた。
こうしている間にも、中年戦士はモンスターの攻撃にさらされている。急がなければならない。モンスターは中年戦士を攻撃することに夢中でこちらに背を向けている。チャンスだ。
田中は、剣の重さによろめきながら振りかぶった。
「その人から離れろ!」
モンスターが田中の声に気づいて振り向いた。
「――ひっ」
ギロリ、とモンスターが田中を見た。灰色の体毛から露出した顔にはおびただしい数の密集した昆虫の卵を思わせるイボがあり、そこに二つ、血に飢えた双眸が浮かんでいた。
その目に捉えられた瞬間、田中は自分でも驚く程の速さで踵を返していた。
半狂乱で走り続けた先に村の入口があった。境界を警護する衛兵にすがりつくなり、泣きじゃくりながら叫ぶ。
「だずげでくだざい!!」
鼻水と涙で顔面をドロドロにしながら、田中は始まりの村ニルエラにたどり着いた。
果たしてこの時、田中の言うところの『助けてください』は、どちらの意味であったのだろう。
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「まあ、こうなるだろう。これが普通のこと」
私は、パソコンのディスプレイに映る田中の姿を見て、素直な感想が口から漏れた。
現実の世界でモンスターが現れたとき、普段と同じように振る舞える人間は少ない。まして雄々しく戦うなどできるわけがない。
ゲームではないのだから、明確に数値化された経験値を得て、レベルアップするわけでもないし、倒したモンスターから通貨を取得できるわけでもないし、まして現れた怪物と切り結んで、無事で済むはずがない。
田中は、そんなゲーム気分が抜けなくて立ち向かおうとしたに違いない。
突き詰めると田中が思っていたのは、人を助けようとしている自分への陶酔、それを行うことによって得られる承認欲求とかそんなところだろう。
私も子供の頃は、ゲームをよくやったからわかる。ゲームでは濃度は薄いが現実でなかなか得られない容易な成功への快感を得ることができる。
私が思うに、主人公への感情移入こそがゲームの醍醐味だ。
自分に置き換えた主人公が、幾度の戦闘という努力を積み重ね、経験値という成果を受け取ることによって成長し、ドラマチックなストーリーを進めていく。
しかし、現実はそこまでわかりやすくできていない。
そういえばいつからだろう、私がゲームをプレイするとき女主人公を選択するようになったのは。
なぜ、私は女主人公を選択するかは明白だ。
そのほうが萌えるからだ。
誤解されてはいけないから、効率面でのメリットも上げると、アクションRPGで女主人公を選択すると、男主人公より身体が小さいことが多い。それによって視野が広がるという利点もある。
けれど、そういったゲームの楽しみ方は、私が思うゲームの楽しみである感情移入を捨てている証拠でもある。
要するに、女主人公を異性として見ている。そして、ゲームを効率的に進めることだけを考えている。
もちろんゲームの楽しみ方は人それぞれだ。しかし、私は感情移入できていないと気づいてから程なくして、ゲームというものをプレイしなくなった。
そういう意味では、現状の田中のほうがずいぶん感情移入できる。
現実世界での挫折、それによる逃避、環境を移すことによって、ダメだった自分も変わるのではないかという淡い期待、誰もが一度は味わったことのある感情だ。
その後、私はたびたび仕事の合間を見て、田中の様子を確認するようになった。
心配しているわけではない。
なんとなく、気になるだけだ。